できそこないの幸せ

さくら怜音

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第十一章 愛されるより、愛したい

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久しぶりに目が覚めた気がする。世界はいつの間にか白く厳かに煌めいて、薬品臭の漂う見慣れた空間に戻っていた。
光は重い腰を上げてベッドに座り込んだ。右腕には点滴が繋がったままだ。記憶があいまいなのは、あの甘ったるい薬のせいだということだけはわかる。あれを飲まされた後はいつも意識が朦朧とするし、数日は身体がだるくて熱っぽさが続く。

(最後の一本って言ってた……もう飲まされることはない、よな……)

虚ろな目で窓の外を眺めていると、反対側のドアがするりと開いて何人もの足音が聞こえてきた。

「光、起きた?」
「……おかえり……」

反射でそう答えたものの、振り返って笑えるほどには回復できていない。だが次の瞬間、光の身体は勝行のスーツに包まれていた。息もできないほどの力強い抱擁に戸惑う。

「よかった……もう意識が戻らなかったらどうしようかと……っ」

耳元に聞こえる勝行の声は震えている気がした。

「光、無茶ばっかするんじゃないよ」
「現場に殺し屋がいるとか、そういう敵情報はちゃんと事前に言っとけバカたれ」

勝行の背中の向こう側から、オーナーと保の声が聞こえてくる。他にも久我や須藤、藤田、それに晴樹も揃って「大丈夫か」と声をかけてくれた。光が頼れると信じた人間ばかりがその場に揃って、勝行の傍にいてくれた。それだけでホッと一安心できる。

「誘拐犯、どうなった?」
「裏の黒幕含め、関係者は全員逮捕された」
「世間ではあんたが瀕死の重体ってことになってるから。外に出たらマスコミに囲まれるわよ、もう少し寝てなさい」
「え……なんでそんなことに」
「実際に生死の境を彷徨ったんだから、当然だ」

保の話は冗談でもなんでもないらしく、勝行が怒ったような声で即座に肯定する。

「奴らに薬を飲まされただろ。その副作用で昏睡状態が続いてたんだ。あれは一種の興奮剤で……お前にとっては猛毒以外の何物でもない。なのに血生臭い現場まで見てしまって……お前、ああいうのもダメなんだろ。丸二日以上意識戻らなくて、心配した」
「そ……そう、か」

そこまで言われてようやく事態の重さに気づいた。勝行が心配するのも当然だ。それから最後に見た景色を思い出して、ハッとなる。

「お前の怪我は……片岡のおっさんは?」
「俺は軽傷だよ。片岡さんも命に別状はない。けど少し業務に支障が出るから、今は同じ病院に入院してる。患者の恰好で父さんの業務を手伝ってるくらいには無駄に元気」
「よ……よか……った……」

じわじわと恐怖心が記憶と共に蘇ってくる。身体が震えていることに気づいたか、勝行は「もう大丈夫」と言って再び抱きしめてくれた。皆が見ている前でこんなに堂々と抱きしめられたのは二度目だろうか。
光はスンと鼻を鳴らし、勝行の匂いと温もりをゆっくり堪能した。力強い彼の心音が、数日間の緊張をじんわり溶かしていく。

「俺……やっぱなんの役にも立たなかったな……ごめん……」

一人で助けに行ったところで、何もできないままだった。それどころか勝行の足を引っ張るようなことばかり。あの時片岡が傍にいなかったらと考えるだけでゾッとする。
油断していたばかりに、殺し屋の眼鏡男が銃を拾い直していることに気づかなかった。撃たれた瞬間、勝行と片岡の二人が揃って光を庇い、銃創を負った。かつてアイロンを落とした時のように、光はただ見ているだけしかできなかった。

「何言ってるんだ。助けに来てくれてありがとう。俺もお前を巻き込んでしまって、ごめんね」
「そうだよ。光くんがオーナーにSOSを出してくれたから、僕らもアメリカからすぐ戻って来れたんだし」
「それに沢山の証拠もある。お前が身体張ってくれたおかげで、俺たち大人の勝負も無事決着がつきそうだ。感謝してる」
「大人の勝負……?」

オーナーの話に首を傾げると、保が「ガイアプロとうちの事務所が揉めてる件よ」と補足する。

「光には伝えそびれてたけど、千堂は闇取引でタレントを潰す悪徳社長で有名でね。あいつのパワハラやレイプの被害に遭っても、事務所ごと買収されて泣き寝入りしてた子が沢山いる。だから俺とオーナーは光の殴打事件の後、被害者の会を立ち上げて訴訟を起こす段取りをつけてたの」
「ガイアは元々有名な大手芸能プロダクションだ……代々続く親の権力とコネを振りかざして、我が物顔で業界を闊歩してたクズが社長になってから、あそこは変わった。久我と俺も、ガイアに潰されたバンドの元メンバーだったんだ。ステージ上から奴に復讐ができてスカッとしたぜ」
「ほんと、ステージに警察が上がって来た時は冷や冷やしたけどな!」
「光、お前の特攻のおかげで、芸能界は一気に革命が起きた。冗談抜きで当分はお前、どこに行っても有名人だからな。囲まれる覚悟しとけよ」
「……う、うん……?」

みんなが代わる代わる光を褒めては頭を撫でてくれる。彼らは終始楽しそうに、自分たちの暴露イベントが大成功したことを教えてくれた。
正直なところ、光にも勝行が閉じ込められている場所に確信はなかった。それでもメッセージを読み取ったことや、相羽家で起きた一連の事情をオーナーに伝えたところ、ガイアプロの顧問弁護士が相羽修一で、横つながりがあることを教えてくれたのだ。
だから光とインフィニティのメンバーは賭けに出た。殺し屋は父の名を使って誘き出す。光が彼とビル内で接触すれば、ガイアプロが監禁の手助けをしていることは間違いないと予測したのだ。
予想通り光は殺し屋と接触し、戻ってこなかった。そこでオーナーはインフィニティからスタッフ総出でコア・Mのライブ会場に乗り込み、ステージをジャックして「WINGSが誘拐された!」と騒ぎを起こし、千堂を誘き出す作戦に出たのだ。

「ストライキステージ、お前らに見せたかったぜ」
「そうそう。コア・Mも一緒にかましてくれたからな。最高にロックな暴露大会だったぜ」
「あの人ら……協力してくれたんだ。挨拶忘れてて怒ってたのに」
「ばっか。それとこれとは別問題。コア・Mはお前らWINGSの実力も認めてるし、一緒のステージに立ちたいって言って、うちの金曜ライブに来てくれたんだぜ」
「そうだったのか」
「それにあいつらも、ガイアにライブ会場使用の法外な契約を持ちかけられて、事務所を強制移籍させられたばかりらしい」
「コア・Mも脅されている件は僕も知ってました。だからオーナーなら黒幕が分かるかと思って……」

どうやら事件の一部始終を勝行と大人たちが共有している最中に目が覚めたようで、光を囲んだまま彼らは次々と話を進めていった。
まだ頭がぼんやりしているせいか、全部を聴き取って把握できるほどの余力はない。それでも勝行がずっと抱きしめ、背もたれ代わりになってくれるおかげだろうか。光は騒がしい皆の報告会を嫌な顔一つせず聞き続けていた。
勝行はやはり、光が千堂に誘拐されたと脅されて自ら捕まっていたらしい。嘘の脅迫に気づけなかった自分の失態だと終始落ち込んでいたが、それよりも睡眠薬を盛られて平気でいることの方が変だと皆に突っ込まれているのが可笑しかった。

「普段から濃いコーヒーがばがば飲んでばっかいるから」
「それで一睡もせず縄抜けしたとか。勝行の身体は人間じゃねえ。怖ええ」
「正当防衛つってその場にいた誘拐犯たちを半殺しにしたらしいじゃないか」
「光を助けるための愛の力ってやつでしょ。さすがWINGSの王子様」

漫画の主人公かよと言われ、憮然とする勝行が「人間ですけど」と不貞腐れていた。最終的な頼りの綱がブラック化した本性の勝行だったことは誰にも言えない秘密だ。光はへらっと力なく笑いながら「な。俺の勝行はすげえだろ」とノロケておいた。
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