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第十話「ピアニストの階段」3

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 ひかりの彼女こと、夕陽千歳ゆうひちとせさんがやってきたのは昼食を食べた後の昼下がりの時間だった。
 近くまで迎えに出掛けた光と共に家に上がるところを私はお迎えした。

「こんにちは、稗田さん」
「こんにちはです、千歳さん。どうぞ、ご遠慮なさらず上ってください」

 私はボロを出さないよう上品な言葉遣いを意識してお迎えした。
 細かい仕草から声のトーンまで女性らしさが溢れる千歳さんの姿は、本当に学園の時とは別人のようで普段から徹底して男装姿と切り替えているようだった。

 千歳さんはTシャツにジャケットを羽織り、ホットパンツを履いていて、ところどころ白い肌を晒していて女子高生らしいファッションでやってきた、女の子らしい白くて細い指には指輪が付けられていた。
 そういえば、意識しないようにしてたけど、光もこの家にいるときやデートの時は指輪をはめていた。
 私は二人の親密度の高さを改めて認識させられた。

「稗田さんと学校以外で会うのは初めてだから、何だか緊張しちゃいますね」

 別人かな? と疑いたくなるような柔らかな口調で発音し、さらに学校ではめったに見せない眩しいまでの明るい笑顔で私に微笑んでくれる。

(これは……、て、天使の微笑み……!! 崇めなければ!! 守りたい、この笑顔……!!)

 雪のように白い肌に、穢れをまるで感じさせない澄み切った美貌だけでは済まないその破壊力に心臓を撃ち抜かれながら、私はこうして光は彼女の魅力に惹かれ、落とされていったのかと納得するのだった。

 改めて光が千歳さんを大事にしたくなる気持ちを理解した私は遠慮がちな千歳さんをリラックスしてくつろいで頂く為に、リビングのソファーに座っていただき、紅茶の用意をする。

(……やっぱりアールグレイよね、これでいっか、クッキーも用意したから持っていきましょ)

 私は新妻がやってきたかのような気持ちで、ウキウキとした気持ちになって、意気揚々とリビングまでトレイに紅茶とクッキーを載せて運んだ。

「はい、千歳さん、ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます。稗田さん」
 
 そう言ってお辞儀をする千歳さんはまだ固い様子だった。

(……いつかお姉様と呼ばれる日がくるのかしら。あぁ、そんな瞳で見つめられてお姉様だなんて言われた日には……、もうっ、抱きしめたい気持ちが抑えられなくなりそう……。あーダメダメダメ、千歳さんは光の彼女なんだから、粗相のないようにしないと、繊細な女子の心を汚すような真似は、絶対ダメなんだから!!!)

 私は空転する脳内で妄想を広げ、千歳さんの表情をチラチラと伺っているせいで、紅茶の注がれたカップに手を伸ばすことも忘れていた。

「お姉ちゃん、どうしたの? 何か落ち着きないけど? お姉ちゃんも冷めないうちに飲みなよ」
 
 千歳さんの隣に座る光は堂々としていて、場の空気に適用できていない私とは大違いだった。

「私が落ち着きない? そんなことはないですよ? ちょっと眩しい光を浴びて、気持ちがあっちに飛んでいただけなんだからっ」

「何言ってるの……?」
「光は気にしなくていいから……、さぁさぁ、お二人でごゆっくりどうぞ」

「稗田さん、家では愉快な人なのね……」

 千歳さんは不思議な様子で、私と光のやり取りを見ていた。
 私は危ない危ないと思いながら、紅茶を口に含んで気持ちを落ち着かせる。

 学園では手塚神楽さんとして男性として在籍する本名、夕陽千歳さんは、フィギュアスケートの有名選手というもう一つの顔を持っている。

 だから、彼女自体が性的マイノリティの持ち主でもなければ、LGBT(性的少数者)というわけでもない。正真正銘の女性であり、有名人である事を隠すために男性として学園に通っているにすぎないのだ。

 どうしてそこまでしないといけないのかという説明を光から前に受けたことはあるが、正直理解はしたが納得はできていない。

 ストーカー被害がどうのという話もされたが、それを想像するのは恐ろしいので、何となくの理解で済ませている私がいる。
 とはいえ、実際に夕陽千歳さんとしての姿を目の当たりにすると、確かに可愛くて、か弱そうで危なっかしさはあるので、そういう選択を取るのも仕方がないのかなと思い始めている。

 夕陽千歳さんがフィギュアスケートの国体選手として踊っている姿は映像で拝見したことはあるのだけど、今目の前にいる千歳さんともまた少し雰囲気が違う。

 あんな煌びやかな衣装に身を包んで、優雅な表情や真剣な表情を見せつけながら踊っているのだから、それは違って当たり前なのだけど、色んな千歳さんがいるような感覚に捕らわれて混乱してしまう。

「稗田さんはどこにいても変わらないですね」

 千歳さんが私の方を見て、か細い声でそっと呟く。

「私は演技とか、何もかも器用じゃないので」
「そんなことでないですよ、そうしていつも変わらずいられるのは自信の表れ、偽りなく生きていけるのは、それだけで素晴らしいことだと、千歳は思います」

 千歳さんが優しい声色でそう言ってくれる、自分のことを千歳という千歳さんもまた可愛い印象を感じた。

 自信満々に誇れるほど私は立派な人間でもないと自分では思うのだけど、人に言えない事だらけという面倒な現実もあるので、申し訳ないなと思った。

 人は人に合わせるだけのものを持っていれば、そこまで内にある感情まで晒す必要はない、人とはそういう生き物であると思う。

「千歳さんは立派に生きていると思いますよ」

「そういう訳ではないですよ。学園で男装しているのだって、一時の感情によるところが多かったと、千歳は今では思います。

 後一年、同じように人を騙し続けながら、男装して通わないといけないと思うと気が重くて、落ち込むことばかりです。

 自業自得といえばそれまでですが、自分から逃げていることに変わりはありませんからね」

 千歳さんの気持ち、それを簡単に理解することは難しいだろう。
 でも、三年間という時間を男装して過ごすというのは、どれだけ大変で過酷なものか、それはなんとなく想像することが出来た。

「そうですね、三年間は長くて苦しい、どこかで告白できれば楽になれる、私だったらそう考えるかもしれません。
 千歳さんは毎日めげることなく頑張っているんですね」

 人は一人一人、内に抱えているものがそれぞれ違うけれど、千歳さんの抱えているものは、一人の女の子が抱え込むには身に余るものだとよくわかった。

「でも、今回の劇では千歳はキャストじゃないので気が楽ですね。
 毎回、女装をして周りから見られながら演技をするのは、なかなかに難しくて、精神的にも辛いものがあるので、光がこうして支えてくれなかったら、耐えられなかっただろうって思います」

 いっそ全部告白出来たら、そう何度も思ってきたんだろう、千歳さんは。
 でも、そうしなかったのは光の存在があったから、光はずっと千歳さんのことを共演者として、恋人として支えてきたのだ。

「何が正解かなんて私には分からないけど、でも光が千歳さんの心の支えになっているのなら、私もとても嬉しいです」

「何だか深い話になっちゃったね」

 光が間に入ってそう口にする。確かに家まで来てもらったのに湿っぽい話ばかりしてしまって、千歳さんには申し訳ない気持ちになった。

「千歳は話を聞いてくれる人がいてくれて嬉しいですけど、ちょっと語りすぎてしまったかもです」
「いえいえ、千歳さんの苦労が分かって、今までよりもずっと分かり合えたような気持ちがして、私はよかったですよ」
「そうでしたか! 稗田さんは優しいですね!」
「ふふふふっ、これは、お姉様と呼ばれる日も近いですね」

「お姉様?」

 不思議そうに見つめる千歳さんの姿を見ると、それもまた男装の時よりもコロコロ表情が変わるから見ていて可愛い。
 これを自然にやっているから、千歳さんは普段から千歳さんでいるのを躊躇ためらっているのかもしれない。

「いえ、気にしないでください……、こっちの話しです」

 私は思わず、言わずに封印していた失言をしてしまっていた。

「お姉ちゃん、また余計な想像を……、千歳、お姉ちゃんはちょ――と想像力豊かなところがあるから気にしないで」

 光が私の失言を見かねてフォローを入れるが、千歳さんにはあまり伝わっていないようだった

「そ、そうなの……?」

 思わぬ地雷を踏んだおかげで、いや、余計なことを言ったせいで二人の私に対する評価が著しく落ちてしまった気がした。
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