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第3章 パフェの味
佐々木さんとの距離
しおりを挟む田村さんからの忠告通りだった。でもそれ以上にミスチョイスと思ったのがTシャツだったことだ。
完全にブラが透けてしまってた……
店に着いて、トイレの鏡で気づいた。
白いTシャツの下、黒いブラのラインがくっきりと見える。
「最悪」
小さく呟いた。
どうしよう。このまま帰る?
でも、もう佐々木さんは店の前で待ってるはずだ。
時計を見ると、18時58分。
深呼吸して、トイレを出た。
店の前に、佐々木さんがいた。
今日は、グレーのパーカーにジーンズ。前回よりずっとカジュアルだ。
「三好さん」
佐々木さんが手を上げた。
「こんばんは」
私は腕を胸の前で組んだ。少しでも隠そうと。
「ここ、いいお店ですね。知らなかったです」
「あ、はい。口コミで見つけて」
「入りましょうか」
佐々木さんが先に扉を開けた。
店内は狭い。カウンター八席だけ。
先客が二人、奥の席にいた。
「いらっしゃい」
店主が声をかけてくる。五十代くらいの男性だ。
「予約してた佐々木です」
「ああ、お待ちしてました。こちらへどうぞ」
案内されたのは、カウンターの端。
隣同士の席だった。
佐々木さんが先に座る。私もその隣に座った。
肩の距離、二十センチくらい。
確かに、近い。
「何にしますか」
佐々木さんがメニューを見ている。
「醤油ラーメンが人気みたいですね」
「じゃあ、それで」
「僕も醤油で。あと、餃子も頼んでいいですか」
「もちろん」
店主に注文を伝える。
「醤油二つ、餃子一つね」
厨房で、湯気が上がる音。
沈黙。
前回より、気まずい気がした。
距離が近すぎるからだろうか。
「三好さん、寒くないですか」
「え?」
「腕、組んでるから。エアコン強いかなと思って」
佐々木さんが心配そうに見てくる。
「あ、大丈夫です」
腕を下ろすわけにはいかない。
佐々木さんは少し首を傾げたけど、それ以上は聞かなかった。
「このお店、三好さんが選んでくれたんですよね」
「はい」
「どうして、ここに?」
「静かそうだったから。二人で話すのに、ちょうどいいかなって」
「嬉しいです」
佐々木さんが微笑んだ。
「前回のフレンチも良かったけど、こういう場所の方が落ち着きますね」
「そうですか」
「ええ。あまり、形式ばった場所は得意じゃなくて」
ラーメンが運ばれてきた。
湯気が立ち上る。醤油の香りが鼻をくすぐる。
「いただきます」
二人で声を揃えた。
レンゲでスープをすくう。
口に含むと、優しい味がした。
「美味しい」
思わず声が出た。
「本当ですね」
佐々木さんも満足そうだ。
麺をすすりながら、私は佐々木さんを横目で見た。
食べ方が丁寧だ。音を立てすぎず、でもちゃんとすすってる。
ふと、佐々木さんと目が合った。
「あ」
慌てて視線を逸らした。
「三好さん、僕の顔に何かついてます?」
「いえ、何も」
「そうですか」
佐々木さんは笑った。
また食べ始める。
しばらく無言で食べていると、佐々木さんが話し始めた。
「三好さん、この前、話してましたよね。古着屋巡りが好きだって」
「はい」
「最近、何か買いました?」
「先週、ヴィンテージのデニムジャケット買いました」
「いいですね。今日は着てこなかったんですか」
「今日は……暑いかなと思って」
嘘だ。
ただ単に、Tシャツの方がカジュアルだと思っただけ。
「そういえば」
佐々木さんが箸を置いた。
「三好さんに、お願いがあるんですけど」
「何ですか」
心臓が早くなった。
「連絡先、交換してもいいですか」
来た。
田村さんが言っていた、あれだ。
「会社からは、聞いてますか」
「はい。直接やり取りができるようになるって」
「そうです。もちろん、断っていただいても構いません」
佐々木さんは真剣な顔で続けた。
「でも、僕は……三好さんと、もっと話したいんです。月に一回じゃなくて」
「もっと……」
「ええ。会うのは月一回でいいです。でも、普段から少し、やり取りできたらいいなと」
「それって……」
私は言葉を探した。
「それって、仕事じゃなくなりませんか」
佐々木さんは少し考えてから、首を横に振った。
「仕事です。ちゃんと、報酬もお支払いします」
「報酬……」
「メッセージ一通につき、千円。会社を通さない分、直接お支払いします」
一通、千円。
「それ、変じゃないですか」
つい、本音が出た。
佐々木さんは苦笑した。
「変ですよね。でも、僕にとっては、それだけの価値があるんです」
「でも……」
「三好さんが嫌なら、断ってください。無理にとは言いません」
佐々木さんの目が、まっすぐ私を見ていた。
私は、視線を逸らせなかった。
「考えてもいいですか」
「もちろん」
また、ラーメンを食べ始めた。
でも、味がわからなくなっていた。
頭の中で、ぐるぐる考えている。
連絡先を交換したら、何が変わるんだろう。
メッセージ一通千円。
一日一通やり取りしたら、月に三万円。
会うのと合わせたら、月八万円。
学生の私には、大金だ。
でも、それ以上に怖いのは。
境界線が曖昧になること。
田村さんの言葉が蘇る。
『壁を作りすぎると、今度は自分が誰なのかわからなくなる』
でも、壁を取り払ったら、もっとわからなくなる気がした。
「ごちそうさまでした」
佐々木さんが箸を置いた。
「ごちそうさまでした」
私も箸を置く。
店を出ると、夜風が冷たかった。
腕を組んでいた私に、佐々木さんが尋ねた。
「やっぱり、寒かったんですか」
「少し」
「上着、持ってくればよかったですね」
「大丈夫です」
沈黙。
駅までの道を、二人で歩く。
「三好さん」
「はい」
「今日、ありがとうございました。楽しかったです」
「こちらこそ」
「連絡先の件、急かすつもりはありません。ゆっくり考えてください」
「わかりました」
駅の改札前で、別れた。
佐々木さんは、また振り返らずに行ってしまった。
私は、その背中を見送った。
家に帰ると、メールが来ていた。
『本日の業務、お疲れ様でした。報酬50,000円を振り込みます』
五万円。
二時間で。
でも、今日は前回より疲れた気がした。
もう一通、メールが来ていた。
相談窓口からだ。
『三好様 本日のお仕事、いかがでしたか。佐々木様から連絡先交換の提案があったと伺っています。ご判断に迷われているようでしたら、ご相談ください』
私は、返信した。
『明日、相談したいです』
送信してから、鏡を見た。
白いTシャツ。透けたブラ。
佐々木さんは、気づいていたんだろうか。
気づいていても、何も言わなかった。
それが、優しさなのか。
それとも、興味がないのか。
私は、Tシャツを脱いだ。
シャワーを浴びて、ベッドに入った。
スマホの画面を見つめる。
佐々木さんの連絡先。
まだ、持っていない。
持ったら、何が変わるんだろう。
答えは、出なかった。
でも、明日には出さなきゃいけない。
目を閉じた。
また、佐々木さんの顔が浮かんだ。
「三好さんと、もっと話したい」
その言葉が、耳に残っていた。
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