変える理由なんてなく

あさき のぞみ

文字の大きさ
13 / 17

沈黙の中の、鳴らないノイズ

しおりを挟む
悠人の早口な解説のおかげで、静香の顔色は戻り、雷鳴への恐怖は落ち着いた。豪雨も最盛期を過ぎたようで、窓を叩きつける音はいくらか弱まっていた。

悠人は、話すのをやめると、どっと疲れが出た。過集中で一気にエネルギーを放出した後の、特有の虚脱感だ。
「……よかった。雷、少し遠ざかったみたいですね」悠人はそう言って、テーブルのランプの炎を見つめた。
静香は、ランプの柔らかな光の中で、自分のスマートフォンを手に取った。何か連絡が来ていないか確認しようとしたのだろう。

「あれ……」

静香は首を傾げた。画面を何度かタップするが、反応がない。

「電池、切れちゃったみたい。さっきまで使えてたのに、きっと雷のせいで、バッテリーが急激に消耗したんですね」

静香のスマートフォンは、完璧な沈黙を保っていた。メッセージの通知音も、着信音も、何も鳴らない。

(鳴らない……)

悠人の胸に、再び焦りが広がる。スマホが使えないということは、静香は外の世界と完全に隔絶されたということだ。彼のこの部屋が、外界から隔絶された、唯一の場所になった。彼の焦燥感は、**「俺がなんとかしなければならない」**という強いプレッシャーに変わった。

「すいません、充電器も、電気が通ってないと使えないんで……」

「大丈夫だよ」 

静香は優しく言った。そして、大きく、ゆったりとしたあくびを一つこぼした。

「ふぁぁ……なんだか、安心して力が抜けちゃいました。雷に怯えて、ずっと緊張してたみたい」

静香は、ワンピースのまま、ローテーブルに肘をつき、目を擦った。彼女の瞼は重く、その表情は疲労と安堵が混ざり合った、穏やかなものだった。

「私、そろそろ眠くなっちゃいました。本当に。多分、このまま座っていても寝ちゃうかも」

静香の言葉は、悠人にとって最終宣告だった。夜を越す。そして、彼女は眠るつもりだ。

悠人は、衝動的に提案した。

「静香さん、僕のベッド、使ってください。布団は敷いてないけど、シーツは綺麗に洗ってありますから」

彼の部屋は、六畳一間。ベッドと、ローテーブル、そして散らかった本棚とゲーム機材があるだけだ。静香がベッドを使えば、悠人が寝られる場所は、床しかない。

「え、でも、悠人君は?」

「僕は大丈夫です。ここで、寝袋もあるし、床で寝ますから。男だし、慣れてます」

静香は少し遠慮したが、彼の真剣な眼差しに押し切られたのか、「じゃあ、お言葉に甘えて」と頷いた。

静香が奥のベッドルームへ消えると、悠人は、ローテーブルの上のランプの火を少しだけ絞った。部屋は、さらに薄暗くなる。

彼は、自分の寝袋とクッションを引っ張り出し、ベッドから最も離れた壁際に敷いた。

寝れるはずがない。

悠人は、暗い床に横たわり、天井を見上げた。

彼の体は、雷の恐怖を乗り切った疲労で重い。だが、彼の脳は全く違っていた。

静香が、わずか数メートル先の、彼のベッドで眠っている。その事実が、彼の脳内の高速道路を最高速度で走らせていた。

• (静香さんは、今、何を考えているだろうか?)

• (寝心地は悪くないだろうか?)

• (俺は、童貞なのに、こんな状況で冷静を装えているのか?)

• (明日の朝、電気が戻らなかったらどうする?どうやって彼女を帰す?)

彼の心臓は、静かに眠ろうとしている周囲の闇に逆らって、ドクドクと不規則な音を立てている。

彼は目を閉じようとするが、彼の脳は情報のノイズを出し続けている。

(寝ろ、寝ろ、寝ろ……)


自己指令を出すほど、覚醒していく。彼の身体は床に張り付いているが、彼の精神は、数メートル先のベッドに張り付いていた。

その時、ベッドの方から、静かで規則正しい寝息が聞こえてきた。

(寝た……静香さんは、本当にぐっすり眠ってる)

静香は、自分の存在を完全に信じ、安心して眠っている。その事実に、悠人は複雑な感情を抱いた。嬉しさ、安堵、そして、制御不能な興奮。

彼は、自分の特性を恨んだ。なぜ、こんなにも安らげる夜に、俺だけが、この騒がしい頭の中で眠れないのだろう。

雷鳴の音は消え、豪雨の音はただのBGMとなった。

東京の片隅のアパートの一室。オイルランプの微かな光と、静香の規則正しい寝息だけが響く中、悠人は、眠ることを許されないまま、自分の脳内の絶え間ないノイズと孤独な戦いを続けていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

痩せたがりの姫言(ひめごと)

エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。 姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。 だから「姫言」と書いてひめごと。 別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。 語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

処理中です...