だから

あさき のぞみ

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無言の帰宅

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警察での手続き、死亡診断書、葬儀社との打ち合わせ。
すべてが機械的に進んでいった。
保は何も考えられなかった。
ただ、言われるがままに、書類にサインをした。
「ご遺体は、明日お返しできます」
葬儀社の担当者が言った。
「葬儀は、どうされますか?」
「できるだけ……簡素に」
保は答えた。
「お金が……あまりないので」
担当者は頷いた。
「わかりました。家族葬プランをご提案します。ご自宅でのお別れも可能です」
保は頷いた。
もう、何も考えられなかった。
翌日、美樹は棺に納められて、家に帰ってきた。
小さなリビングに、棺が置かれた。
保は棺の前に座り、美樹の顔を見つめた。
化粧が施されていた。まるで眠っているような顔。
でも、もう目を開けることはない。
「美樹……帰ってきたな」
保は呟いた。
返事はなかった。
児童相談所に預けていた美保を迎えに行った。
中村相談員が、美保を連れて出てきた。
「田中さん……お悔やみ申し上げます」
中村は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
保は美保を抱き上げた。
美保は相変わらず無表情で、ぬいぐるみを抱いていた。
「美保……ママが、帰ってきたよ」
保は娘に言った。
美保は何も反応しなかった。
家に帰ると、保は美保を棺の前に連れて行った。
「ほら、ママだよ」
美保は棺を見た。
でも、何も理解していないようだった。
ただ、ぬいぐるみを抱きしめていた。
保は美保を抱いて、棺の前に座った。
「美樹……美保を連れてきたよ」
保は美樹に話しかけた。
「美保、ママに何か言うことある?」
美保は黙っていた。
保は娘の手を取って、美樹の手に重ねた。
美樹の手は、冷たかった。
美保は、少しだけ手を引っ込めた。
冷たさに、驚いたのかもしれない。
「美樹……すまない」
保は呟いた。
「俺が、もっとちゃんとしていれば……」
保の目から、涙が溢れた。
「美樹を、守れなかった​​​​​​​​​​​​​​​​」
保は顔を覆った。
美保は、父親の涙の意味を理解していなかった。ただ、ぬいぐるみを抱きしめて、じっと座っていた。
その日の午後、保は会社に電話をかけた。
「妻が亡くなりまして……葬儀があるので、数日休ませてください」
上司は短く答えた。
「わかった。香典は?」
「いえ、家族だけで……誰も呼びませんので」
「そうか。大変だったな」
それだけだった。
保は続けようとした。
「あの……もしよろしければ、何人かの方に葬儀のことを……」
「田中」
上司が遮った。
「正直に言う。お前の家のこと、社内のみんな知ってる。訴訟の件も」
保は息を飲んだ。
「関わりたくないって声が多い。悪いが、こっちも立場がある」
保は電話を握りしめた。
「……わかりました」
電話を切った。
誰も来ない。
それが現実だった。
夕方、保は仏壇用の写真を探した。
美樹の笑顔の写真。
アルバムをめくっていくと、幸せそうな美樹の写真がたくさんあった。
結婚式の写真。新婚旅行の写真。美保を妊娠した時の写真。
みんな、笑っていた。
いつから、笑わなくなったんだろう。
保は写真を一枚選んだ。
美保を抱いて、幸せそうに笑っている美樹。
美保が生まれて三ヶ月の頃の写真。
まだ、美保の障害がわかる前。
まだ、すべてが壊れる前。
保はその写真を額に入れた。
通夜も、告別式もなかった。
ただ、小さな家で、保と美保だけのお別れ。
保は棺の前で、一晩中座っていた。
美保は隣の部屋で眠っていた。時々、夜泣きをした。保が抱き上げると、少し落ち着いた。
夜中、保は美樹に話しかけ続けた。
「美樹……すまなかった」
「もっと早く、美樹の異変に気づくべきだった」
「もっと、話を聞いてあげるべきだった」
「一人で抱え込ませて、すまなかった」
でも、美樹は答えなかった。
ただ、静かに横たわっているだけだった。
翌朝、霊柩車が迎えに来た。
保は美保を児童相談所に預けてから、火葬場へ向かった。
火葬場には、保一人だけがいた。
葬儀社の担当者が、事務的に案内する。
「それでは、お別れのお時間を」
保は棺の蓋を開けた。
美樹の顔。最後の顔。
保は美樹の頬に手を当てた。冷たかった。
「美樹……」
保は美樹の額にキスをした。
「ありがとう。美保を産んでくれて。一緒にいてくれて」
保は美樹の手を握った。
「俺、これから頑張るから」
声が震えた。
「美保のこと、ちゃんと守るから」
「だから……安心して」
保は涙を拭った。
「もう、苦しまなくていいからな」
棺の蓋が閉じられた。
炉の中へ、棺が運ばれていった。
保は手を合わせた。
一時間後、美樹は骨になって戻ってきた。
白い骨。小さな骨壺に納められた。
保は骨壺を抱いて、家に帰った。
リビングには、もう棺はなかった。
ただ、静寂だけがあった。
保は骨壺を仏壇に置いた。写真立てに、美樹の笑顔の写真を飾った。
「美樹……」
保は写真に話しかけた。
でも、返事はなかった。
もう、永遠に。
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