鑑定能力で恩を返す

第一章

始まりの森

「こ、ここは何処だ？」

　自然の草木など一本もない都会。
　無機質な建物に囲まれながら、人々はその中を足早に駆けていた。
　蔵田悟くらたさとるもその1人だ。
　毎日毎日やりたくもない生活のためだけの仕事に追われ、僅かばかりの金で小さな幸せを手に入れる。
　そんな日々を送っていた。

「ああ、疲れた……あのハゲ課長め、また余計な仕事を増やしやがって！」

　上司の悪態を吐きながら缶ビールで憂さを晴らす。
　これも彼の日常だった。
　いつもと違うのは、今日は上司の仕事のミスをカバーするために手当のつかない残業をさせられて、いつもより荒れている事だ。

「あのハゲめ、『君なら出来る』って、じゃあお前には出来るのかよ。先方と親しい俺だからなんとかなったけど、おかげで俺の信用がなくなったじゃないか！」

　その悪態は止まることを知らず、それに釣られて缶ビールも進む。
　小さなローテーブルの上から缶が転がり落ちる頃、彼は眠りについた。

　そして、次に目が覚めた時、彼は見知らぬ土地にたっていた。
　見渡す限りの草原に心地よい風が抜けていく。
　最後には鬱蒼と茂る森があり、今まで嗅いだことのない強い生命力を感じさせる木の匂いが漂ってくる。

「な、なんで俺は……ここは何処なんだ？」

　彼の疑問はもっともだが、彼の周りには誰もいない。
　当然答えは聞こえてこないはずだっ　た。
　しかし、彼の疑問に応えるものがいた。
　いや、正確にはものではない。
　ただ脳裏に浮かんでくるのだ。

《フォルスラの森》

「っ！　フォルスラの森？　な、なんだよ……なんかのテーマパークか？　俺は酔って出歩いたのか？」

　悟はそう口にしたが、そんなわけがない事は重々承知していた。
　家に帰ったのは深夜だ。
　そんな時間に空いているテーマパークなんかあるわけない。
　それでも言わずにはいられなかった。
　目の前の現実を認めたくなかったから。

「と、とにかく誰か人を探そう。ここにいたって仕方ない」

　そう思って歩み始めた瞬間、後ろから何かが駆けてくる音がした。
　木々が激しくざわついている。
何かが来る。
　そう感じるのに十分な音だった。
　悟は距離をとってから振り返り、後ろから来る何かを見つめる。
　やがて森の端の木々達が一際大きくざわめいた。
　そして、そこから現れたのは巨大なる四足歩行の化け物だった。

「い、猪っ！？　で、でかいっ！　うわっ、こっち来るなぁ！」

　体長3メートルはあろうかという巨大な猪もどきは悟めがけて突っ込んでくる。
　大地に深く足跡を刻み、木々を薙ぎ倒して草花を蹂躙する。
　まさに猪突猛進だった。
　悟は逃げる。
　学生の時以来走ったことのない三十路の身体に鞭を打って懸命に走った。

「はぁはぁ……なんだよ！　あれはなんだってんだよ！」

《グレートボア》
　体長4メートル以上に成長する猪型魔物。意外に美食家で、その身は雑味がなく美味。牙や皮は工芸品や装備品として加工できる。

「へぇええ。見かけによらず美味いんだ……じゃなくて、今はそんな情報要らねえよ！」

　何者かもわからない脳裏に浮かぶ言葉にツッコミを入れつつ、彼は心肺機能フル活用して見知らぬ土地を魔物に襲われながら逃げ回るのだった。