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赤髪の大司書

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 この書架下街を見てまわって気づいたのだが、書店の数が尋常ではなかった。


 衣服を売っている店や、飲食店も数多くあった。なかでも書店の量が圧倒的だった。店が5つあれば、そのうちのひとつは書店だった。


「こんなに書店が多いのは、どうしてなんだろ? 図書館のおひざ元だからなのかな」


「この書架下街には、作家も多く住んでるのさ」


「小説家ってこと?」


「ああ。作家が原文をつくり、それを図書館に持ち込む。原稿を吟味するのも魔術師の仕事のうちなんだぜ」


「検閲ってこと?」


「うん。まぁ、そうだ。そして魔術師が合格を出せば、その原本は図書館に保管される。そして活版印刷によって複写されて、書籍が世の中に出回る。しかしまぁ、ここには諸外国から多くの人が訪れるし、税金もかからないから、ここで売っちまおうってことだろうぜ」


「オレがもし図書館に入ったら、検閲作業をすることもあるのかな」


「厭ってほど、あるだろうさ。糞みたいな作品から、もっと糞みたいな作品までそりゃ、いろいろ読まされることになるだろうぜ。御気の毒にね」


「オレは楽しみだよ」


 書籍は嗜好品なので、イデルの村にいたころは読んだことがなかった。


 当時は、行商人から旅の話を聞くのが好きだった。今でも獣たちの思い出話に付き合うのが、ヘイルータンの楽しみになっていた。


 偉大な言語学者だったという亀から、ルーン文字ではなくて現代の語彙を教わるのも好きだったし、それは自分に向いていることのように思われた。


「まぁ、それよりも図書館に入館できるかの心配をすることだな。くわえて言っておくけど、君は魔術師になるために図書館へ行くんじゃない。オレたちの呪いを解く書を持ちだすために、図書館に入るんだからな」
 とテンは、ヘイルータンの胸元で、怒ったようにそう言った。


「わかってるよ」


 図書館に合格することは、ヘイルータンが出来る最大限の恩返しだ。自分なんかを拾って、心血を注いでくれた獣たちへ報いるには、それしかなかった。


 適当な書店に入って、書物を購入することにした。2冊買った。1冊は『新解ルーン文字』というもので、もう一冊は『入館試験過去問集』というものだった。


 2冊とも、片手では持てないほどの厚みがあって、相応にお金がかかった。ダアゴの渡してくれたお金は、まだ余裕があった。
 釣り銭として返ってきた銀貨を見ていると、ヘイルータンのなかに決心が湧いてきた。


(死のう……)


 ダアゴは決して裕福ではない。昔かせいだお金を、すこし隠し持っているようだけれど、贅沢できるほどは持っていないはずだ。
 貴重な財産をヘイルータンには、惜しみ費やしててくれる。ヘイルータンがいま着ているチュニックも、ずいぶん前にダアゴが買い与えてくれたものだった。


 ダアゴがヘイルータンにお金をかけているのは、決して呪いを解くためだけではない。そんなことはヘイルータンは察している。だからこそ、ダアゴの期待にヘイルータンは応えたかった。


(もし――)


 もし半年後に控えている試験に落ちたときは、首をくくろうと決めた。


 魔窟の獣たちは、ヘイルータンのことを可愛がってくれる。ヘイルータンからしてみれば、彼らは第2の家族だった。


 その獣たちの失望するところを見たくはなかった。呪いを解けないという獣たちの絶望を受け止める自信がヘイルータンにはなかった。


 だから。
 半年後の試験にすべてを賭けて、もしダメだったら首をくくろうと決意したのだった。


「なぁ。ヘイルータン。余った金で何か美味いものでも食おうぜ。私はネズミの丸焼きが食いたいんだ」
 と、テンが言った。


 その言葉は耳には入らなかった。


 図書館へとつづいているストリートが騒がしくなっていた。男がひとり、ストリートの真ん中を歩いている。本来、馬車が通るはずの道だった。馬車のほうが左右に退いて、道を開けていた。


 道の真ん中を歩く男がタダモノでないことぐらい、ヘイルータンにも察しがついた。きっと図書館の偉い人なのだろう。


 ヘイルータンの心を捕えたのは、その人物の顔に見覚えがあったからだった。赤い髪を真ん中に分けて、腰のあたりまで伸ばした男だった。その男を見ていると、ヘイルータンは全身が火照るのをおぼえた。


「……ってば。おいってば」
 テンの呼びかけられていることに、ヘイルータンはようやく気付いた。

「な、なに?」

「どうやら私は、ひとつトンデモナイ思い違いをしていたようだぜ」

「え? 思い違い?」

「人を殺すことは君には向かないと思っていたけれど、君ほど暗殺者に向いている人間はいないよ。うん。トンデモナイ殺気だった。そんな殺気を向けちゃいけない。あの人は図書館の大司書だ。つまり、大魔導師さまの片腕だよ」


「あの人が――大司書……」


「どうしてヘイルータンは、あの大司書に殺気を向けるのか、私にはわかるよ。なぜならあの男はあの日、あの場所にいたからね」


「うん」


 ヘイルータンは自分の家族が焼き殺されているところを見ている。
 焼き殺したのは、間違いなく、目の前にいるその男だった。


「殺したい気持ちはわかるけど、そりゃダメだぜ。図書館に入って、呪いの書を持ちだすまでは、騒ぎになるようなことは控えたほうが良い。そんな殺気を出してたら、相手だってビックリしちまう」


「わかってるけど、どう仕様もないんだよ」


 ヘイルータンは殺気を出した覚えはなかった。テンがそう言うのならば、出ていたのだろう。


 あの赤い髪の大司書の顔を見ていると、どうしても家族が焼き殺された場面を思い出してしまうのだ。そして自分ではない何かが――憎悪という怪物が、カラダを支配してしまうのだった。


「図書館の試験にだって、あの男は試験官として参加するはずだ。そんな動転していたんじゃ、試験なんて受かるはずもねェな」


 仕方がねェ――と、テンはつづけた。


「私が、ヘイルータンに教えられることはないと思ってたけど、ひとつだけ教えてやるよ。暗殺者の基本。殺気の操り方を」


 テンの言葉は、ヘイルータンのなかには入って来なかった。
 赤い髪の大司書から逃げるように、ヘイルータンは立ち去った。
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