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アパリアルスの少女

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 コンコン……と扉をノックする音で、ヘイルータンは目を覚ました。


 どれぐらい眠ったかわからないが、疲れはスッカリと取れていた。魔窟でテンやネコたちに囲まれて眠っている気になっていた。


 抱いているのはテンでもネコでもなくて、ただの枕だった。まだ図書館試験を受けている最中だったことを思い出した。


 コンコン。
 ともういちどノックの音が聞こえた。


「はい。なんでしょうか」
 と、ヘイルータンはあわててベッドから抜け出した。


「すこしよろしいでしょうか」


「はい。どうぞ」


 もしやもう2次試験の期限なのかと冷や汗をおぼえた。
 けれど、3週間も眠るはずもなかった。


 部屋に入って来たのは、フランチェスカだった。1次通過者のひとりだ。


 直接話をしたことはないが、大魔導師から名前を呼ばれていたのを耳にしていたので、その名前をヘイルータンはおぼえていた。


「ごめんなさい。寝ていましたか?」

「うん。でも良く眠れたから大丈夫だよ。オレに何か用事?」

「はい。サルヴィア大司書から荷物を返してもらいました。みんなにも返しておくようにと言われて」

 フランチェスカが渡してきたのは、『新解ルーン文字』の書だった。1次試験のさいに没収されていたものだ。


「ありがとう」
 と受け取った。


「……」
 フランチェスカは何か物言いたげに口をモゴモゴとさせていた。


「もしかして、アパリアルスの言葉のほうがしゃべりやすい?」
 と、ヘイルータンは、アパリアルスの言葉で尋ねた。


 フランチェスカは肌の色が異様に白くて、ブロンドの髪に碧眼だった。アパリアルス人の特徴が色濃く出ていた。


 反応は顕著だった。
 フランチェスカはうれしそうに、両手を合わせた。


「こんなところで、アパリアルス人に出会えるとは思わなかったわ」


「違うよ。オレはアパリアルス人じゃない。だけど、アパリアルスの言葉はしゃべれるから」


「そうだったの。でもちゃんと言葉が通じる人がいて嬉しいわ。こっちの言葉はしゃべれるけど、私のイントネーションはすこし変みたいなのよ」


「良ければ部屋に入る?」


 この廊下で騒いではいけないとサルヴィアに言われたことを思い出して、ヘイルータンはそう提案した。


「お邪魔させてもらうわ」
 と、フランチェスカは、ヘイルータンの部屋に入ってきた。


 机に置かれていた魔法書を開くと、部屋の中が明るくなった。


「オレ。自分がどれぐらい寝てたかわからないんだけど、フランチェスカは時間感覚はある?」


 洞窟暮らしに慣れたヘイルータンだったが、さすがにこうも日の光を浴びていないと感覚が狂ってくる。日の光だけの問題ではない。
 たまってくる疲労と緊張感が、図書館をまるで朝も夜もない場所に変えてしまっていた。


「まだそんなに経ってないわ。試験がはじまってから今日は3日目の朝よ。1次試験を合格してから一晩過ぎただけ」


「よくそんなに正確にわかるね」


「私3年前に、入館試験を受けて失敗してるの。そのときは時間の感覚がなくなって、気が狂いそうになってしまったのよ。実際、狂っていたかもしれない。だから今回は懐中時計を持ちこむことにしたの」
 と、フランチェスカはブリオーのポケットから、金色に光る懐中時計を取り出して見せてくれた。


「1次試験の際には没収されたけど、2次試験のときには返してくれる――って、私は知っていたのよ。ヘイルータンはどうして、そんな本を持ちこもうと思ったの?」


「あ……うん。深い意味はないんだ」


 そこまで熟慮して懐中時計を持ちこんでいるフランチェスカには、とてもホントウのことを言えなかった。


 ヘイルータンはインクと羊皮紙の香りを嗅ぐために、その本を持ちこんだのだ。


 図書館はすでにその香りに満ちているため、持ち込んだ意味がマッタクないのだった。


「それにしてもここの部屋は静かで羨ましいわ」


「フランチェスカの部屋はうるさいの?」


 同じ通路にある部屋なのだから、そんなに変わりはないはずだった。


「私の隣にカルカッタがいるのよ。あいつのイビキが響いてくるのよ。おかげでぜんぜん眠れないの」


「カルカッタって、あの赤茶けた髪の大男?」


「そうよ。ラセンの終着でも酷いイビキだったでしょ。きっと私にたいして嫌がらせをしてるのよ」


「嫌がらせって、どうして?」


「だってあの男は、ピピ・ポポフ国の出身だもの。5大国のなかでも、アパリアルスとピピ・ポポフはとっても仲が悪いんだもの。私の公用語の発音が変だって笑ったのも、あいつなのよ」
 とフランチェスカはすねたように、その桜色のくちびるをとがらせて見せた。


 ラセンの終着にいたときのフランチェスカは、まるで中身がカラッポの石像になったかのように硬直していた。


 それに比べると、いまヘイルータンの前にいるフランチェスカはずいぶんと溌剌としている。公用語の発音を気にするあまり石像になってしまっていただけで、今のほうが本来の姿なのだろう。


「でも、まさかイビキで嫌がらせはないと思うよ。本人は眠ってるんだろうし」


「ねぇ。私もこの部屋に来ても良いかしら? このベッドふたりで使わない?」


「えぇ! だってオレは男なんだし……。部屋を移るならマオの部屋とかが良いんじゃないかな」


「マオ?」


「あの獣人族の。マオは女性だから」


「でもその子は、アパリアルスの言葉をしゃべれないでしょ」


「そうだけど……。勝手に部屋を移動して良いかもわからないし、一度、サルヴィア大司書か大魔導師さまに相談するのが良いと思う」


 そうね、とフランチェスカは肩をすくめた。
 ショートボブでブロンドの髪が、ふわりと揺れた。


「でも、ヘイルータンの近くが良いわ。あなたは私の注目株だし、それにアパリアル語もしゃべれた!」


 その国の言葉をしゃべれる人間を見つけたことが、よほどうれしかったようだ。


 フランチェスカの頬には朱がさしこんで、そしてヘイルータンの手を握るようにしてきた。
 女性と今まであまり関わりがなかったヘイルータンは、フランチェスカの手の温もりにビックリしてしまった。


「注目株?」


「1次試験のときに、あなたを見たのよ。あのロオウという老人を背負って、ラセン階段をのぼっていた。私はその隣を通り過ぎたの」


「うん」


 チータイも同じようなことを言っていた。


「私より先に1次試験を突破した。なのに、老爺を背負ってる姿を見て、気にかかっていたのよ。でもあなたの実力は間違いなく、今年の受験生のなかではトップのはずだから」


「わからないよ。そんなことは」
 と、誤魔化した。


 運が良かっただけなのだ。
 大魔導師の視線を頼りにして、巨大な書架の法則性を見抜けなかったという負い目がある。


「どんな魔法書を製作するかは、もう決めた?」


「ううん。まだ」
 と、ヘイルータンはかぶりを振った。


「そうよね。魔法書の製作って試験内容はシンプルだけど、でも、とっても難しいわ。だってルーン文字を解読するだけじゃなくて、一字一句間違えずに書く必要があるんだもの。読むのと書くのとでは大違いよ」


「前回の――3年前の試験は、どんな内容だった?」


 過去問でだいたいその内容をヘイルータンは知っていた。
 実際に受けてみた人の感想を聞いてみると、よりわかりやすいと思った。


「1次試験はただのペーパーテストだった。ルーン文字の長文問題。2次試験はルーン文字で書かれた本を、あの図書室から見つけ出すこと。今回の1次試験みたいな感じだったわね」


「じゃあ、今年は特に難しいのかな」


「そうみたい。魔法書を製作するなんてことは、現役の読師だって難しいわよ。司書レベルになってようやく1人前の魔法書を製作できるようになる。それをたったの3週間で作れだなんて。今回の試験は、今までで一番難しいかも。合格者がひとりも出ない可能性もあるわ」


「もしかするとカンペキには出来なくても良いのかもしれない。アイデアとか、それなりに見どころがあれば良いのかも」


「そう願いたいわね」
 そのときヘイルータンのお腹が、ぐぅ、と鳴った。
 ヘイルータンは赤面をおぼえて、
「ごめん」


「お腹すいてるんでしょ。私もよ。1階の食堂で食事を取っても良いそうよ。そこでどんな魔法書を製作すれば良いか、いっしょに考えましょう」 と、フランチェスカは、ヘイルータンの手を引いた。


 個室を出て、ヘイルータンは扉を見つめた。この廊下はとにかく長いうえに、扉が左右に大量についてある。ひとたび部屋を出ると、次にこの部屋に戻って来られる自信が、ヘイルータンにはなかった。


「フランチェスカは、どうやって他人の部屋と自分の部屋を判別してるの? それとも、これも試験の一環なのかな」


「簡単なことよ。扉にシオリを挟んでおけば良いの。シオリは部屋に置いてあったはずよ」


「そうなんだ。ありがとう」


 部屋に戻って、机の上を探してみると、たしかにシオリが置かれていた。シオリにはドラゴンの絵が描かれていた。どうしてドラゴンなんだろうか……何かメッセージが込められているのではないか――と考えてみたのだが、思い当る節はなかった。


 いつかどこかでドラゴンを見た気もするのだが、どうしても思い出すことが出来なかった。そんなスゴイものを見ておいて思い出せないなんてことはないだろうから、ヤッパリ記憶違いだろうと思った。


 部屋を出る。
 扉にシオリを挟んだ。


 シオリの絵柄は、部屋によって違っているようだ。なるほど。このシオリの絵を覚えていれば、自分の部屋だと判別できるわけだ。


「私は3年前の試験で失敗したの。扉にシオリを挟むなんて発想がなくて、そのまま出ちゃったのよ。そしたら戻ってきたときに、どこが自分の部屋かわからなくて迷子になったわ」


 フランチェスカは3年前の試験で、多くの失敗をした。
 前回の失敗を活かして、今度は懐中時計を持ちこみ、扉にシオリを挟むことも忘れなかったのだ。


「今度は受かると良いね」
 と、ヘイルータンはそう言った。
「そうね」
 と、フランチェスカは静かにそう応えた。


 こうして親しくしていても、フランチェスカが合格するとは限らない。また、ヘイルータンにしてもそうだし、マオやチータイにしてもそうだ。


 全員がそろって合格できるわけではない。親しくしていても、落第してしまった者との交流は断たれることになるだろう。


 会って話す機会があったとしても、どんな顔で話せば良いのかわからない。愛かった側も、落ちた側も、互いに気まずい思いをすることだろう。


 そのことを考えると、受かると良いね、という言葉は無神経だったかもしれないな――とヘイルータンはそう思った。
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