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アパリアルスの少女Ⅱ
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ラセン階段では、1次試験に苦難している者たちが、すくなからずいた。
みんなパピルス紙のメモを真っ黒に染めて、ルーン文字と格闘している様子だった。
ヘイルータンたちが1次試験を突破したことは知らされていないのか、誰ひとりとして面をあげる者はいなかった。
食堂のある下層へ向かうにつれて、空気はよどみ重苦しくなっていった。その厭な空気の出どころは、まだ1階層の石畳に刻まれた床文字に苦心している者たちだった。
「試験がはじまって3日目ってことは、1次試験の期限は残り4日か」
とヘイルータンはほかの者たちには聞こえないように、小声でそう言った。
「そうね。もう間に合わないかも――という予感が、彼らを絶望に追い込むんでしょうね」
と、フランチェスカは応えた。
なかには涙を流している者もいた。絶望に涙しているその者たちには、応援してくれる親や友人や妻や夫がいるのだろう。
それを思うと胸が痛い。他人事だと安心できない。ヘイルータンも、まだ合格と決まったわけではないのだ。
「罪深い試験だ」
と、ヘイルータンはそうつぶやいた。
「入館試験はとっても厳しいわ。だけど、正しいこともある」
「正しいこと?」
「そう。年齢制限がないことと、お金を取らないこと」
「たしかに、それは受験生にとってはありがたいことかもしれないね」
「今、読み解けない問題も、10年後には解けるようになるかもしれないもの。『今この瞬間に解かなくちゃいけない問題なんて、この世にはひとつもない』って、有名な大司書の言葉があるのよ」
「たしかにその通りかもしれないね。今日解けなくても、明日には解ければ良いんだし」
「この言葉は、ダアゴって呼ばれた大司書のものなんだけどね」
「ダアゴ!」
と、ヘイルータンは思わず声を大きくしてしまった。その声を聞きつけて、ほかの受験生も視線を向けてきたほどだ。
ヘイルータンは咳払いをしてごまかした。
「あら。知ってるの?」
「個人的にチョット知り合いなんだ」
「すごいわね。ダアゴと知り合いだなんて。ダアゴはこの図書館でも指折りの天才魔術師よ。図書館稀代の学徹と呼ばれた人よ。多くの魔法書だって残しているもの」
「図書館稀代の学徹か。そんなにスゴイ人だったんだ……」
「今の大魔導師さまとその座を争ったこともあるほどの人なんだから。つまり、今の大魔導師さまと負けず劣らずの人ってことよ。政争に負けてからは図書館から去ってしまったようだけどね。ダアゴと知り合いだなんて、やっぱりヘイルータンは特別なのね」
「オレが特別なんじゃないよ。ダアゴが特別なんだよ」
ダアゴのことをホめられるのは、なぜかヘイルータンにとってもうれしかった。『今この瞬間に解かなくちゃいけない問題なんて、この世にはひとつもない』。ダアゴらしい言葉だと感じた。
そうやってダアゴは、自らの呪いを解くという難問をヘイルータンに託して、3年も待った。今も待ち続けている。いずれ解ければ良いと考えているのだろう。
「1次試験で落ちちゃったけど、ロオウってオジイサンもずいぶんと高齢だったみたいだしね。歳をとってから開花する人だって大勢いるだろうから」
「そうだね」
もし今回の試験で落ちても、ダアゴはたいして絶望することはないだろう。ならば別の手を考えようと言うかもしれない。もう3年待とうと言うかもしれない。
ほかの獣たちはどうだろうか。特にテンは、さっさと人の姿に戻りたい様子だった。
いや。
落第したときの反応なんて、ありはしない。
試験に落ちれば、ヘイルータンは自死しようと決めている。落第したという報せを、魔窟に持ち帰る勇気をヘイルータンは持ち合わせていなかった。
みんなパピルス紙のメモを真っ黒に染めて、ルーン文字と格闘している様子だった。
ヘイルータンたちが1次試験を突破したことは知らされていないのか、誰ひとりとして面をあげる者はいなかった。
食堂のある下層へ向かうにつれて、空気はよどみ重苦しくなっていった。その厭な空気の出どころは、まだ1階層の石畳に刻まれた床文字に苦心している者たちだった。
「試験がはじまって3日目ってことは、1次試験の期限は残り4日か」
とヘイルータンはほかの者たちには聞こえないように、小声でそう言った。
「そうね。もう間に合わないかも――という予感が、彼らを絶望に追い込むんでしょうね」
と、フランチェスカは応えた。
なかには涙を流している者もいた。絶望に涙しているその者たちには、応援してくれる親や友人や妻や夫がいるのだろう。
それを思うと胸が痛い。他人事だと安心できない。ヘイルータンも、まだ合格と決まったわけではないのだ。
「罪深い試験だ」
と、ヘイルータンはそうつぶやいた。
「入館試験はとっても厳しいわ。だけど、正しいこともある」
「正しいこと?」
「そう。年齢制限がないことと、お金を取らないこと」
「たしかに、それは受験生にとってはありがたいことかもしれないね」
「今、読み解けない問題も、10年後には解けるようになるかもしれないもの。『今この瞬間に解かなくちゃいけない問題なんて、この世にはひとつもない』って、有名な大司書の言葉があるのよ」
「たしかにその通りかもしれないね。今日解けなくても、明日には解ければ良いんだし」
「この言葉は、ダアゴって呼ばれた大司書のものなんだけどね」
「ダアゴ!」
と、ヘイルータンは思わず声を大きくしてしまった。その声を聞きつけて、ほかの受験生も視線を向けてきたほどだ。
ヘイルータンは咳払いをしてごまかした。
「あら。知ってるの?」
「個人的にチョット知り合いなんだ」
「すごいわね。ダアゴと知り合いだなんて。ダアゴはこの図書館でも指折りの天才魔術師よ。図書館稀代の学徹と呼ばれた人よ。多くの魔法書だって残しているもの」
「図書館稀代の学徹か。そんなにスゴイ人だったんだ……」
「今の大魔導師さまとその座を争ったこともあるほどの人なんだから。つまり、今の大魔導師さまと負けず劣らずの人ってことよ。政争に負けてからは図書館から去ってしまったようだけどね。ダアゴと知り合いだなんて、やっぱりヘイルータンは特別なのね」
「オレが特別なんじゃないよ。ダアゴが特別なんだよ」
ダアゴのことをホめられるのは、なぜかヘイルータンにとってもうれしかった。『今この瞬間に解かなくちゃいけない問題なんて、この世にはひとつもない』。ダアゴらしい言葉だと感じた。
そうやってダアゴは、自らの呪いを解くという難問をヘイルータンに託して、3年も待った。今も待ち続けている。いずれ解ければ良いと考えているのだろう。
「1次試験で落ちちゃったけど、ロオウってオジイサンもずいぶんと高齢だったみたいだしね。歳をとってから開花する人だって大勢いるだろうから」
「そうだね」
もし今回の試験で落ちても、ダアゴはたいして絶望することはないだろう。ならば別の手を考えようと言うかもしれない。もう3年待とうと言うかもしれない。
ほかの獣たちはどうだろうか。特にテンは、さっさと人の姿に戻りたい様子だった。
いや。
落第したときの反応なんて、ありはしない。
試験に落ちれば、ヘイルータンは自死しようと決めている。落第したという報せを、魔窟に持ち帰る勇気をヘイルータンは持ち合わせていなかった。
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