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獣解呪の書
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図書館を出た。
まだ午前中だった。
久しぶりの太陽の光は、肌をしびれさせた。心地の良いものだった。
試験を受けていた1ヶ月のあいだは辛いことも多かった。振り返ってみると、良い経験だったと思うことが出来た。
合格したからそう思えるのだろう。
試験のなかで、ヘイルータンは多くのことを学び、多くのものを得た気がする。特に友人を得ることが出来たのがうれしかった。いや。友人などという枠でおさまる関係ではない。ともに試験を戦い抜いた戦友だった。
書架下街を出て、街道を行き、途中で脇道にそれた。
魔窟のある森が見えてきたのは昼ごろだった。
「ヤッパリ顔色じゃ読めねェな」
という声がすぐ足元から聞こえた。
「テン!」
真っ黒い体毛のテンが、ヘイルータンの足元にすり寄ってきた。
「合否のほうはどうだい? 君の表情はチッとも変わらないから、なにを考えているのか、まるで読めなかったよ」
「オレが帰ってくるの、わかったの?」
「そろそろ帰ってくる頃合いじゃ――ってダアゴのジジィが」
「合格したよ」
「ホントウかい! そいつは良いや。ダアゴにも教えてやらなくちゃな」
「うん」
森に足を踏み入れると、むせかえるほど濃厚な木々の匂いに迎え入れられた。
獣道は時間とともに、その景色を微妙に変化させる。冬は葉っぱを落として、夏は実りを多くする。1月ほど経過してるはずだが、ヘイルータンが森を出て行ったときと、たいして変わってないように見えた。
「たったの1ヶ月だって言うのに、なんだかすごく久しぶりに戻って来た気がするよ」
「図書館って場所は特別だからな。時間の流れ方もふつうと違ってたりしてね」
「うん。そうかもしれない」
と、ヘイルータンは大真面目にそう返した。
「魔窟が見えてきたよ」
洞窟のなかは相変わらず空気が冷えていた。その涼しさも懐かしい感触だった。「ヘイルータンが戻って来たよ」とテンが言うと、声が反響して、岩陰にひそんでいた獣たちが顔を出した。
「おう。戻ったか」
と、すっかりヤモリになってしまったダアゴが壁面を這って、ヘイルータンの足元までやって来た。
ヘイルータンはダアゴのことを拾い上げた。
「はい。ただいま戻りました」
「結果はどうであった?」
「合格しました」
ヘイルータンがそう言うと、ダアゴはそのカラダをぶるっと震わせた。
その振動が手を伝ってきた。
「良くやった! オヌシの優秀さに、大魔導師さまは驚かれていたであろう」
「さあ……。大魔導師さまの反応はうかがっていないのでわかりませんが」
「驚いていたはずじゃ。ふふっ。このワシを追放した大魔導師さまは、ワシの愛弟子の優秀さに驚かされた。これもある種の仕返しじゃな」
「そう言えば、図書館でダアゴの話を聞きましたよ。稀代の学徹と呼ばれるほどすごい人だった――って」
ヘイルータンがそう言うと、ダアゴは照れ臭そうに尻尾を左右に振っていた。
「なぁに、昔の話じゃ。それにワシなんかよりも、オヌシのほうが優秀になるじゃろうからな。時代は確実に流れておるな」
「これでオレは、自由に図書館を出入りできる身になりました」
「うむ」
「それで、呪いを解く書のことなんですけど……」
試験を受けているとき、呪いを解く魔法書を探そうとした。その書についての情報が少なくて、見つけ出すことが出来なかったのだ――とヘイルータンは説明した。
「チクショウ!」
と、声を荒げたのはテンだった。
「どうして。ヘイルータンにその書物のことを、もっと詳しく教えておかなかったんだよ。ジジィ。もしかしたら、もう持ち帰って来られたかもしれねェって言うのに」
黙らんか――と、ダアゴはテンをいさめて続けた。
「図書館の試験は、魔法書を探す片手間に通過できるような試験ではない。試験は試験。そっちに集中しておかねば本末転倒じゃからな。あえて詳しいことは教えておらんかった」
「ダアゴは知ってるんでしょう。その呪いを解く魔法書がどういう物なのか」
「むろん。ワシはあの図書館で大司書をやっていたことがあるでな」
大司書だったと言われても、そのすごさが今まではピンと来ていなかった。今ならわかる。つまり今のサルヴィアと同じ席だということだ。そこにかつてダアゴは座っていたのだ。
「どんな書なんですか? 教えてくれれば、オレはすぐにでも取ってきます」
ダアゴやテンのことを思いやってそう言っているのではない。
その書物を盗み出すことこそが、今のヘイルータンに与えられた生きる意味なのである。
「《獣解呪の書》。そういうタイトルがつけられており。しかし探しても容易には見つからん。禁書の書架にあるでな」
「禁書の書架?」
「危険な魔法書は、ふつうの魔術師にも立ち入ることは出来ん部屋にある。禁書の書架に立ち入ることが出来るのは、大魔導師か大司書ぐらいじゃ」
「ってことは、大司書にならないと、取って来られない――ってことですか?」
「いや。そこまでならんくても、図書館にいればいつかそのチャンスは来るはずじゃ」
いつかっていつだよジジィ――とテンが吠えた。
黙れと言うておろうがッ――とダアゴは怒鳴りかえしてきた。
そのダアゴの怒声はいままでヘイルータンは聞いたことのないものだった。小さなトカゲのカラダから発せられたものとは思えぬほどの声でビックリした。
「驚かせて悪かったの。ヘイルータン。しかしオヌシはホントウにあの入館試験を成し遂げた。それは偉大なことじゃぞ」
「はい。なんとなくわかっています」
高齢のロオウが人生をかけて、そして挫折したこと。問題が解けなくて絶望していた者たち。ラセン階段から飛び降りようとしたチータイの姿。試験の光景が、ヘイルータンの脳裏によみがえってきてそう言った。
以前。
そびえ立つ図書館を、外から見て驚いた。
あのときは、たしか魔窟に連れて来られてすぐのことだった。その外面しか知らなかった。今は、あの塔の中身がどうなっているかを知っている。
「そうじゃな。今のオヌシなら、わかっていよう。ならば、あえて言おう。もうワシらのことを見限っても良いのじゃ」
「どういう意味ですか?」
「盗人なんかやったら、図書館にはおれんくなる。ワシだって、この魔窟を照らす照明魔法を盗むのに苦労した。ワシらのために、その人生を不意にすることはない。オヌシは偉大な魔術師になる。いや。ワシの目に狂いはない。大魔導師にもなれる器じゃ。その才能をワシらのために潰すのは惜しい。実に、惜しい」
おい、ジジィ勝手なこと言ってんじゃねェぞ――と言い返したのはテンだった。
「私たちがなんのために、ヘイルータンを育てたと思ってんだよ。呪いを解く書を盗み出すためだろうが! 私は魔術師を育てるために、こいつを拾ってきたわけじゃねェんだよ」
「やかましい! よくもヘイルータンの前でそんなことが言えるな! オヌシにはわかっておらんのじゃ。あの図書館の試験に受かるということが、どれほど難しいことなのか」
ダアゴはヘイルータンの手のひらから跳び下りて、テンに向かってそう言った。
「殺すぞ。ジジィ」
「ほお。ワシを殺すと言うか。老いてもまだこの稀代の学徹はそうそう殺せんぞ」
テンとダアゴのいさかいに、ヘイルータンは割って入った。
「やめてくださいよ。オレはちゃんと自分のやるべきことをわかっています」
どうしてダアゴが、見限っても良いなんて言いはじめたのか、ヘイルータンには良くわかっていた。
ヘイルータン自身の人生を歩ませてやろうという配慮だったのだろう。
ダアゴは人間に戻りたいという気持ち以上に、ヘイルータンのことを弟子として可愛がってくれているのだ。
一方で、テンは人間に戻りたいという気持ちを強く持っている。
しかしテンにとっても、ヘイルータンは宝のように大切に存在であるはずだ。
「悪いな。ヘイルータン。ワシらのために貴重な才能を潰してしまうことを、許してくれよ」
「はい。《獣解呪の書》。必ず持ち出して来ます」
よく言ったね。それでこそ私のヘイルータンだ――テンが勝ち誇ったようにそう言っていた。
まだ午前中だった。
久しぶりの太陽の光は、肌をしびれさせた。心地の良いものだった。
試験を受けていた1ヶ月のあいだは辛いことも多かった。振り返ってみると、良い経験だったと思うことが出来た。
合格したからそう思えるのだろう。
試験のなかで、ヘイルータンは多くのことを学び、多くのものを得た気がする。特に友人を得ることが出来たのがうれしかった。いや。友人などという枠でおさまる関係ではない。ともに試験を戦い抜いた戦友だった。
書架下街を出て、街道を行き、途中で脇道にそれた。
魔窟のある森が見えてきたのは昼ごろだった。
「ヤッパリ顔色じゃ読めねェな」
という声がすぐ足元から聞こえた。
「テン!」
真っ黒い体毛のテンが、ヘイルータンの足元にすり寄ってきた。
「合否のほうはどうだい? 君の表情はチッとも変わらないから、なにを考えているのか、まるで読めなかったよ」
「オレが帰ってくるの、わかったの?」
「そろそろ帰ってくる頃合いじゃ――ってダアゴのジジィが」
「合格したよ」
「ホントウかい! そいつは良いや。ダアゴにも教えてやらなくちゃな」
「うん」
森に足を踏み入れると、むせかえるほど濃厚な木々の匂いに迎え入れられた。
獣道は時間とともに、その景色を微妙に変化させる。冬は葉っぱを落として、夏は実りを多くする。1月ほど経過してるはずだが、ヘイルータンが森を出て行ったときと、たいして変わってないように見えた。
「たったの1ヶ月だって言うのに、なんだかすごく久しぶりに戻って来た気がするよ」
「図書館って場所は特別だからな。時間の流れ方もふつうと違ってたりしてね」
「うん。そうかもしれない」
と、ヘイルータンは大真面目にそう返した。
「魔窟が見えてきたよ」
洞窟のなかは相変わらず空気が冷えていた。その涼しさも懐かしい感触だった。「ヘイルータンが戻って来たよ」とテンが言うと、声が反響して、岩陰にひそんでいた獣たちが顔を出した。
「おう。戻ったか」
と、すっかりヤモリになってしまったダアゴが壁面を這って、ヘイルータンの足元までやって来た。
ヘイルータンはダアゴのことを拾い上げた。
「はい。ただいま戻りました」
「結果はどうであった?」
「合格しました」
ヘイルータンがそう言うと、ダアゴはそのカラダをぶるっと震わせた。
その振動が手を伝ってきた。
「良くやった! オヌシの優秀さに、大魔導師さまは驚かれていたであろう」
「さあ……。大魔導師さまの反応はうかがっていないのでわかりませんが」
「驚いていたはずじゃ。ふふっ。このワシを追放した大魔導師さまは、ワシの愛弟子の優秀さに驚かされた。これもある種の仕返しじゃな」
「そう言えば、図書館でダアゴの話を聞きましたよ。稀代の学徹と呼ばれるほどすごい人だった――って」
ヘイルータンがそう言うと、ダアゴは照れ臭そうに尻尾を左右に振っていた。
「なぁに、昔の話じゃ。それにワシなんかよりも、オヌシのほうが優秀になるじゃろうからな。時代は確実に流れておるな」
「これでオレは、自由に図書館を出入りできる身になりました」
「うむ」
「それで、呪いを解く書のことなんですけど……」
試験を受けているとき、呪いを解く魔法書を探そうとした。その書についての情報が少なくて、見つけ出すことが出来なかったのだ――とヘイルータンは説明した。
「チクショウ!」
と、声を荒げたのはテンだった。
「どうして。ヘイルータンにその書物のことを、もっと詳しく教えておかなかったんだよ。ジジィ。もしかしたら、もう持ち帰って来られたかもしれねェって言うのに」
黙らんか――と、ダアゴはテンをいさめて続けた。
「図書館の試験は、魔法書を探す片手間に通過できるような試験ではない。試験は試験。そっちに集中しておかねば本末転倒じゃからな。あえて詳しいことは教えておらんかった」
「ダアゴは知ってるんでしょう。その呪いを解く魔法書がどういう物なのか」
「むろん。ワシはあの図書館で大司書をやっていたことがあるでな」
大司書だったと言われても、そのすごさが今まではピンと来ていなかった。今ならわかる。つまり今のサルヴィアと同じ席だということだ。そこにかつてダアゴは座っていたのだ。
「どんな書なんですか? 教えてくれれば、オレはすぐにでも取ってきます」
ダアゴやテンのことを思いやってそう言っているのではない。
その書物を盗み出すことこそが、今のヘイルータンに与えられた生きる意味なのである。
「《獣解呪の書》。そういうタイトルがつけられており。しかし探しても容易には見つからん。禁書の書架にあるでな」
「禁書の書架?」
「危険な魔法書は、ふつうの魔術師にも立ち入ることは出来ん部屋にある。禁書の書架に立ち入ることが出来るのは、大魔導師か大司書ぐらいじゃ」
「ってことは、大司書にならないと、取って来られない――ってことですか?」
「いや。そこまでならんくても、図書館にいればいつかそのチャンスは来るはずじゃ」
いつかっていつだよジジィ――とテンが吠えた。
黙れと言うておろうがッ――とダアゴは怒鳴りかえしてきた。
そのダアゴの怒声はいままでヘイルータンは聞いたことのないものだった。小さなトカゲのカラダから発せられたものとは思えぬほどの声でビックリした。
「驚かせて悪かったの。ヘイルータン。しかしオヌシはホントウにあの入館試験を成し遂げた。それは偉大なことじゃぞ」
「はい。なんとなくわかっています」
高齢のロオウが人生をかけて、そして挫折したこと。問題が解けなくて絶望していた者たち。ラセン階段から飛び降りようとしたチータイの姿。試験の光景が、ヘイルータンの脳裏によみがえってきてそう言った。
以前。
そびえ立つ図書館を、外から見て驚いた。
あのときは、たしか魔窟に連れて来られてすぐのことだった。その外面しか知らなかった。今は、あの塔の中身がどうなっているかを知っている。
「そうじゃな。今のオヌシなら、わかっていよう。ならば、あえて言おう。もうワシらのことを見限っても良いのじゃ」
「どういう意味ですか?」
「盗人なんかやったら、図書館にはおれんくなる。ワシだって、この魔窟を照らす照明魔法を盗むのに苦労した。ワシらのために、その人生を不意にすることはない。オヌシは偉大な魔術師になる。いや。ワシの目に狂いはない。大魔導師にもなれる器じゃ。その才能をワシらのために潰すのは惜しい。実に、惜しい」
おい、ジジィ勝手なこと言ってんじゃねェぞ――と言い返したのはテンだった。
「私たちがなんのために、ヘイルータンを育てたと思ってんだよ。呪いを解く書を盗み出すためだろうが! 私は魔術師を育てるために、こいつを拾ってきたわけじゃねェんだよ」
「やかましい! よくもヘイルータンの前でそんなことが言えるな! オヌシにはわかっておらんのじゃ。あの図書館の試験に受かるということが、どれほど難しいことなのか」
ダアゴはヘイルータンの手のひらから跳び下りて、テンに向かってそう言った。
「殺すぞ。ジジィ」
「ほお。ワシを殺すと言うか。老いてもまだこの稀代の学徹はそうそう殺せんぞ」
テンとダアゴのいさかいに、ヘイルータンは割って入った。
「やめてくださいよ。オレはちゃんと自分のやるべきことをわかっています」
どうしてダアゴが、見限っても良いなんて言いはじめたのか、ヘイルータンには良くわかっていた。
ヘイルータン自身の人生を歩ませてやろうという配慮だったのだろう。
ダアゴは人間に戻りたいという気持ち以上に、ヘイルータンのことを弟子として可愛がってくれているのだ。
一方で、テンは人間に戻りたいという気持ちを強く持っている。
しかしテンにとっても、ヘイルータンは宝のように大切に存在であるはずだ。
「悪いな。ヘイルータン。ワシらのために貴重な才能を潰してしまうことを、許してくれよ」
「はい。《獣解呪の書》。必ず持ち出して来ます」
よく言ったね。それでこそ私のヘイルータンだ――テンが勝ち誇ったようにそう言っていた。
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