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帰路
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「ビックリした。ホントになんでも出来るのね」
「昔、武芸を教えてもらったことがあったんだ」
ネコからは剣と体術を、テンからは殺気の操り方を教わった。
いままで実戦で使ったことはなかったが、カラダは支障なく動いた。
「ヘイルータンは私のヒーローね。私、怖くて腰が砕けちゃったわ」
と、かがんでいる大魔導師は両手を伸ばしてきた。引っ張り上げてくれという意味だろう。その手を取って、立ち上がらせた。
「マツリはケガしなかった?」
「私は大丈夫よ。でも、ヘイルータンは髪が切れちゃったわね」
「うん」
イデルの村が焼かれた日から一度も切っていなかった。膝裏まで伸びていた髪は、肩のあたりまでの長さになっていた。
コダワリなんかないと思っていた。イザ切り落としてみると、なんだか酷く寂しかった。髪といっしょに、いろんなものを失ってしまった気がした。頭が信じられないほど軽く感じた。
「図書館に戻ったら私の部屋に来なさい。キレイに整えてあげるから」
と、大魔導師はヘイルータンの後ろ髪をナでていた。
「大魔導師さまーッ」
と、声が飛んできた。
木々をかきわけて、サルヴィアたち魔術師がやって来るのが見えた。
コホンと大魔導師は空咳をかました。
「吾輩は無事じゃ。ヘイルータンが守ってくれたでな」
と表向きの語調で言った。
「大魔導師さま! その男からお離れください」
サルヴィアは紅色のかがやいた目を、ヘイルータンに向けてきた。
ここ最近サルヴィアは、大魔導師の寵愛をうしなって目が死んでいた。そんな光を宿したサルヴィアを見るのは久しぶりのことだった。
「まだそんなことを言うか。サルヴィア! ヘイルータンは信用できる。命を張って吾輩のことを助けてくれたのじゃからな」
「いえ。ようやくつかみましたよ。その男の尻尾を」
「尻尾?」
「はい。その男は昔、図書館が焼いたイデルの村の出身です。禍根を残さないようにオレは村人を皆殺しにしたと思ったんですがね。生き残りがいた。図書館に恨みを持っている」
「だからと言うて、間諜だと決まったわけじゃなかろう」
「やはりどこからか送られてきた間諜ですよ。図書館に残してきた連中から連絡があったのです。禁書の書架にある本が1冊なくなっている――と」
「なにをバカなことを言うておるか。禁書の書架に立ち入ることを許しているのは、吾輩と大司書であるサルヴィアとヘイルータンのふたりだけじゃ」
「はい。しかし図書館に異変がないために、このオレが特別に許可を出して調べさせたのです」
「禁書の書架から本が盗み出されていると?」
「はい」
バカッ――と大魔導師はそう怒鳴って、サルヴィアの真っ赤な髪を引っ張った。
「禁書の書架から本が消えたのは、管理ミスじゃ。ヘイルータンが持ち出しているわけなかろうが。実際、吾輩はずっとヘイルータンといっしょにいたが、禁書を隠し持っている様子はなかったぞ」
「ならば調べてみれば、わかることです」
と、サルヴィアは大魔導師をいさめた。
サルヴィアは魔術師を引き連れて、ヘイルータンに向かってきた。
「さあ。抵抗するなよ。ヘイルータン。身の潔白を証明したいのならば、動くんじゃないぞ」
と、サルヴィアは舌舐めずりをしながらそう言った。
(限界だな)
と、思った。
サルヴィアはこの黒衣の隠しポケットにある《獣解呪の書》を見つけ出すだろう。
「早くここから離れたほうが良いですよ。山賊が応援を呼んでくるかもしれませんから」
「脅す気か? そんな脅しでチェックを逃げられると思うなよ。この間諜め」
「マツリ大魔導師さま。サルヴィア大司書さま。この2年のあいだお世話になりました」
ヘイルータンは一礼した。
そして森のなかへと跳びこんだ。
懐に《獣解呪の書》を携えて。
「ヘイルータン! 行かないでよ!」という大魔導師の声が追いかけてきた。
いや。空耳かもしれない。
森に慣れていない魔術師から逃げるのは、山賊をまくよりも簡単なことだった。
太陽の向き。川の流れる音。獣たちの足跡。そういったものから、自分がどのあたりにいるのか、ヘイルータンにはわかっていた。
魔窟のある方角に向けて走った。
髪を切り落としたおかげか、いつもより早く走ることができた。
(もう図書館には戻れないな)
サルヴィアがイデルの村のことまで調べ上げたのは意外だった。
諸州諸侯の依頼で、図書館は戦争に加担することもあるし、非道にも村を焼くこともある。そうやって世界のバランスを保っていることは、ヘイルータンにはわかっていた。
もう憎悪は持っていないと言っても、説得力はない。
サルヴィアが、ヘイルータンを図書館に入ることを許さないだろう。
未練がないと言えばウソになる。
ヘイルータンが戻ってくることを疑ってすらいない同期たちには申し訳ない。
別れの挨拶もできなかった。もしかしたらマオは何か勘付いているかもしれない。察してくれることを祈った。
ヘイルータンのことを信じきっていた大魔導師を裏切ることになってしまった。それも胸が痛かった。
それでも――。
これが使命なのだ。
ダアゴに拾ってもらってから、与えてもらったヘイルータンの生きる意味は、懐にまだ抱えてある。
(みんな元気にしてるかな?)
と、魔窟を思った。
この2年のあいだサルヴィアの監視が厳しかったので、ダアゴとは一切の接触を断っていた。だから生きてるのかすら判然としない。
無事にやってるはずだ。
獣たちと騒がしく過ごしているだろう。ときおりテンとケンカしてるかもしれない。なににせよみんな、ヘイルータンの帰りを待ち望んでいる。
最初にヘイルータンの帰りに気づくのは、きっとテンだろう。
「やりましたよ。オレは。ついに《獣解呪の書》を盗み出しましたよ。今持ち帰ります」
と、独りごちた。
ヘイルータンの視界がにじんでいた。涙が出ているのだった。ずっと出すことの出来なかったものだ。なぜ今になってあふれ出てくるのだろうか……。まるでずっと堪えていたものが決壊したかのようだった。
涙があふれるなか、少年は思い出した。
あの日に忘れてしまった名前を。
《了》
「昔、武芸を教えてもらったことがあったんだ」
ネコからは剣と体術を、テンからは殺気の操り方を教わった。
いままで実戦で使ったことはなかったが、カラダは支障なく動いた。
「ヘイルータンは私のヒーローね。私、怖くて腰が砕けちゃったわ」
と、かがんでいる大魔導師は両手を伸ばしてきた。引っ張り上げてくれという意味だろう。その手を取って、立ち上がらせた。
「マツリはケガしなかった?」
「私は大丈夫よ。でも、ヘイルータンは髪が切れちゃったわね」
「うん」
イデルの村が焼かれた日から一度も切っていなかった。膝裏まで伸びていた髪は、肩のあたりまでの長さになっていた。
コダワリなんかないと思っていた。イザ切り落としてみると、なんだか酷く寂しかった。髪といっしょに、いろんなものを失ってしまった気がした。頭が信じられないほど軽く感じた。
「図書館に戻ったら私の部屋に来なさい。キレイに整えてあげるから」
と、大魔導師はヘイルータンの後ろ髪をナでていた。
「大魔導師さまーッ」
と、声が飛んできた。
木々をかきわけて、サルヴィアたち魔術師がやって来るのが見えた。
コホンと大魔導師は空咳をかました。
「吾輩は無事じゃ。ヘイルータンが守ってくれたでな」
と表向きの語調で言った。
「大魔導師さま! その男からお離れください」
サルヴィアは紅色のかがやいた目を、ヘイルータンに向けてきた。
ここ最近サルヴィアは、大魔導師の寵愛をうしなって目が死んでいた。そんな光を宿したサルヴィアを見るのは久しぶりのことだった。
「まだそんなことを言うか。サルヴィア! ヘイルータンは信用できる。命を張って吾輩のことを助けてくれたのじゃからな」
「いえ。ようやくつかみましたよ。その男の尻尾を」
「尻尾?」
「はい。その男は昔、図書館が焼いたイデルの村の出身です。禍根を残さないようにオレは村人を皆殺しにしたと思ったんですがね。生き残りがいた。図書館に恨みを持っている」
「だからと言うて、間諜だと決まったわけじゃなかろう」
「やはりどこからか送られてきた間諜ですよ。図書館に残してきた連中から連絡があったのです。禁書の書架にある本が1冊なくなっている――と」
「なにをバカなことを言うておるか。禁書の書架に立ち入ることを許しているのは、吾輩と大司書であるサルヴィアとヘイルータンのふたりだけじゃ」
「はい。しかし図書館に異変がないために、このオレが特別に許可を出して調べさせたのです」
「禁書の書架から本が盗み出されていると?」
「はい」
バカッ――と大魔導師はそう怒鳴って、サルヴィアの真っ赤な髪を引っ張った。
「禁書の書架から本が消えたのは、管理ミスじゃ。ヘイルータンが持ち出しているわけなかろうが。実際、吾輩はずっとヘイルータンといっしょにいたが、禁書を隠し持っている様子はなかったぞ」
「ならば調べてみれば、わかることです」
と、サルヴィアは大魔導師をいさめた。
サルヴィアは魔術師を引き連れて、ヘイルータンに向かってきた。
「さあ。抵抗するなよ。ヘイルータン。身の潔白を証明したいのならば、動くんじゃないぞ」
と、サルヴィアは舌舐めずりをしながらそう言った。
(限界だな)
と、思った。
サルヴィアはこの黒衣の隠しポケットにある《獣解呪の書》を見つけ出すだろう。
「早くここから離れたほうが良いですよ。山賊が応援を呼んでくるかもしれませんから」
「脅す気か? そんな脅しでチェックを逃げられると思うなよ。この間諜め」
「マツリ大魔導師さま。サルヴィア大司書さま。この2年のあいだお世話になりました」
ヘイルータンは一礼した。
そして森のなかへと跳びこんだ。
懐に《獣解呪の書》を携えて。
「ヘイルータン! 行かないでよ!」という大魔導師の声が追いかけてきた。
いや。空耳かもしれない。
森に慣れていない魔術師から逃げるのは、山賊をまくよりも簡単なことだった。
太陽の向き。川の流れる音。獣たちの足跡。そういったものから、自分がどのあたりにいるのか、ヘイルータンにはわかっていた。
魔窟のある方角に向けて走った。
髪を切り落としたおかげか、いつもより早く走ることができた。
(もう図書館には戻れないな)
サルヴィアがイデルの村のことまで調べ上げたのは意外だった。
諸州諸侯の依頼で、図書館は戦争に加担することもあるし、非道にも村を焼くこともある。そうやって世界のバランスを保っていることは、ヘイルータンにはわかっていた。
もう憎悪は持っていないと言っても、説得力はない。
サルヴィアが、ヘイルータンを図書館に入ることを許さないだろう。
未練がないと言えばウソになる。
ヘイルータンが戻ってくることを疑ってすらいない同期たちには申し訳ない。
別れの挨拶もできなかった。もしかしたらマオは何か勘付いているかもしれない。察してくれることを祈った。
ヘイルータンのことを信じきっていた大魔導師を裏切ることになってしまった。それも胸が痛かった。
それでも――。
これが使命なのだ。
ダアゴに拾ってもらってから、与えてもらったヘイルータンの生きる意味は、懐にまだ抱えてある。
(みんな元気にしてるかな?)
と、魔窟を思った。
この2年のあいだサルヴィアの監視が厳しかったので、ダアゴとは一切の接触を断っていた。だから生きてるのかすら判然としない。
無事にやってるはずだ。
獣たちと騒がしく過ごしているだろう。ときおりテンとケンカしてるかもしれない。なににせよみんな、ヘイルータンの帰りを待ち望んでいる。
最初にヘイルータンの帰りに気づくのは、きっとテンだろう。
「やりましたよ。オレは。ついに《獣解呪の書》を盗み出しましたよ。今持ち帰ります」
と、独りごちた。
ヘイルータンの視界がにじんでいた。涙が出ているのだった。ずっと出すことの出来なかったものだ。なぜ今になってあふれ出てくるのだろうか……。まるでずっと堪えていたものが決壊したかのようだった。
涙があふれるなか、少年は思い出した。
あの日に忘れてしまった名前を。
《了》
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