この狐(こ)どこの子?

大月 けい

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プロローグ

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 弥生。
 鶯がようやく上手に鳴く頃、東風こちが梅花を雪と散らす。
 頬を撫でる風は春とは名ばかりで凛と冷たい。
 薄雲はあるが透き通った蒼天。柔らかな日差しが降り注ぐ。
 風に舞う細い絹のような雨。それは音もなく大地を濡れそぼつ。
 天気雨と呼ばれるそれは各地に伝承を残す。
 ――「キツネの嫁入り」と。

「お前なんか勘当だっ!」
「言われなくったって出てってやるわよ、こんな家!」
 それはほんの数時間前の事。
 ぴんと尖った耳をわななかせ、紋付の羽織袴を着たその人物は頭から湯気が出そうな勢いで叫んだ。
「おう、二度と戻って来るんじゃねぇ、阿呆あほう娘!」
「頼まれたって帰って来るもんですか!」
 同じく湯気が出そうな勢いで声を返してそっぽを向いたのは鶴の柄を織り込んだ真っ白な打掛、頭には綿帽子――白無垢姿の二十代と思しきうら若き女性。
「ちょっと、紅葉!」
 どうにか娘をとりなそうと必死な黒留袖姿の女性の悲鳴にも近い声。
 襖の向こうに聞き耳を立てる大勢の気配を感じる。
(そんなことはどうでもよかった。――あたしの願いは一つ)
「あたしは自分で決めた人のお嫁さんになるの!」
「何を子供みてぇなことを……!」
「もう子供じゃない!」
 つんとそっぽを向いた。
 それを見て男はぴくぴくと髭をわななかせて、叫んだ。
「お前なんか娘じゃねぇ、今すぐ出て行けぇ!」
「今すぐこんな家出て行ってやるわよ!」

 ――――と。啖呵たんかを切って飛び出してきたはいいが。
「困ったわ……」
 神社の社殿の片隅にちょこんと座って溜息を落とした。
 背中や肩を彩る艶々の黒髪、白いブラウスに紺色のスカート。
 取り立てて派手な格好ではなく、はっきり言って目立たない格好だ。
 ただし――それらがなければ。
 しょんぼりと肩を落とし大きな綿毛のような――尻尾をクッションのように抱えて背中を丸めている。
 頭の上でいつもはつんと上向きに尖った耳も今はしなとしおれている。
 昨今流行りのコスプレではない。彼女の名前は紅葉。
 この鎮守の森をねぐらにして数百年。
 しかも長老と呼ばれる化けキツネの一人娘だ。
 御年めでたく百歳。間違いなく化け物――妖狐である。
「何がキツネの嫁入りよ!?」
 お狐さまと言えばダキニ天の眷属でお稲荷様のお使い。
(可愛くて賢い! 悪さをするタヌキとは違ってありがたい生き物なのだ!)
 妖狐にははた迷惑なしきたりがある。――百賀ももがの節目まで独身だと親が決めた相手の元へ嫁ぐ。
 いわゆる「キツネの嫁入り」というヤツである。
「――何時代だと思ってんのよ!」
(親が決めた許嫁って、時代遅れも甚だしい!)
 妖狐に時代遅れもあったものではないが、彼女は怒り狂っていた。
(あの阿呆狐の嫁になるくらいなら、野垂れ死んだ方が数万倍マシ!)
 相手というのが幼いころから一緒に成長して来た阿呆狐。
 容姿端麗のイケメン――それは認める。
 しかしそいつは「チビ、グズ」とことあるごとに紅葉をこき下ろして来た。真っ白な毛並みのそいつは超がつくほど嫌味なナルシスト!
 ――もちろん紅葉の天敵だ。
 嫁入りをドタキャンして大喧嘩した勢いで飛び出してきた。
(……行くあてなどない)
 彼女の知っている世界はこの社を有する鎮守の森。
 一人きりで外の世界へ出るなどただの一度もない。
 蝶よ花よと育てられた筋金入りの箱入り娘。
(…………情けない)
 紅葉の気持ちを表すような曇天。
 本格的に降り出した雨を恨めしそうに見上げる。
 朱塗りの社の隅っこでいつか見た風景を思い出して、金色の目を細めてため息を落とした。

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