この狐(こ)どこの子?

大月 けい

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エピローグ

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風もすっかり温み、藤の蕾が膨らむ頃。
 葉桜に混じってぽってりと花開く八重桜。
(あれって和菓子のようでどことなくおいしそうに見える気がする)
 この家の玄関が勢いよく開かれたと思ったら、廊下をどたどたと鳴らして近づいてくる。
 枝で機嫌よくさえずっていたメジロがただならぬ気配に慌てふためいて飛び立った。 
「お父さん……っ?」
 そのまま一番奥にある部屋の襖が勢いよく開かれた。
「うぎゃっ!?」
 聞こえたのは悲鳴に近い驚きの声。引手に手を置いたまま固まったのは――紅葉。
 部屋にいた人物とばっちり目が合った。
「…………どこが?」
 この家の一番奥の部屋は――父の部屋である。
「わっ、紅葉!?」
 紅葉を見て亀のように慌てて布団をひっかぶった父に力が抜けた。
(いまさら布団の中で唸ってももう遅いわよ!)
 千秋から聞いている様子と違い過ぎる。紅葉の事を心配していたのだろうが艶々の毛並みの尻尾はどう見ても健康体。布団をひっかぶっても隠しきれていない。
(頭隠して尻尾隠さずよ!!)
「だましたわね」
 ぺたりと座ったまま、両手を拳に握りしめる。
「あら、お帰り」
 冷たい気配を一切無視していつもの柔和な笑顔で現れたのは――母だ。
「千秋が、お父さんが動けないって……でも。どういう事?」
「いや、これは……」
 しっかり目を眇める娘によほど後ろめたいものがあるのだろう。答えがしどろもどろになっている。
「ええ。一週間も動けなかったけど、もう元気よ。はい、胃薬。お父さんが寝込んだって聞いて千秋が心配してお見舞いを持ってきてくれたのよ。お父さんの好物の東屋の油揚げ」
「何があったの?」
「大騒ぎするほどの事でもないのよ。桜祭りで調子に乗っておみこし担いでぎっくり腰になったのよ。もう、若い連中には負けられんとか意地張っちゃって……子供みたいでしょ?」
 いわゆる年寄りの冷や水! いかにもやりそうだ。
「動けないってそういう意味だったの?」
「思いっきりバカにしただろ!? ホントに動けなかったんだ! 便所まで這って行くって屈辱でしかねぇ!」
 ともあれ、命には別条はないようで。
 千秋が言っていたことは嘘ではない。嘘ではないが情報が欠落していた。
「大丈夫、もうすっかり元気だから。今度は調子に乗ってお見舞いの油揚げを一人で全部食べちゃってお腹壊しただけなんだもの」
「油揚げの食べ過ぎ……」
 間抜けすぎて笑えて来た。
「紅葉の家出はもう終わり? どなたかいい方見つかったの?」
「お母さん」
 すぐそばで視線を合わせるように座った母のにっこり笑う姿に思わず涙腺が緩みかけた。
「……いいなぁとは思ってるけど、向こうはどう思ってるか分からない」
「まあ、楽しみね」
「人間に嫁入りする狐なんかぁ、聞いたことねぇ!」
 勢いよく布団を跳ねのけて飛び起きた。とたん母がすっと怖い顔になって父を睨む。
「お父さん。女の子は好きな人にお嫁入するのが一番です。慌てて縁組を決めてもいいことはありません。紅葉が選んだ方に間違いなどあるわけがありません。でも、お相手は千秋じゃないの?」
「絶対、ない」
 グズだのノロマだの文句ばっかりのあいつだけはあり得ない。
「あの子は紅葉を一筋よ。いっつも紅葉の事を気にかけてくれたでしょ?」
「あたしがただのお荷物なだけでしょ」
「お母さんには特別なお荷物に見えてましたよ」
 鼻を鳴らした紅葉ににっこり笑う。
「紅葉。もし本当にその人がいいと思うならちゃんと相手を確認してらっしゃい。あなたのことを分かったうえでその上できちんと挨拶に来てくれる人じゃなきゃ駄目よ」
「そんなことしてたら行き遅れになっちまうだろうが!!」
「いまさら何ですか! うちの娘はとっくの昔に行き遅れてます!」
 目を吊り上げた父にぴしゃりと言い切った。
(ドタキャンした段階で行き遅れに違いないけど。――そこまではっきり言われるとへこみます)
 頭の上の耳がへなと萎れた。それを幼子にするように撫でつけて笑う。
「親ならせめて自分がいいと思う人に嫁がせてあげたいでしょ。それに妖狐ですよ、人間より遥かに長生きですから時間はたっぷりあります。少しぐらいの遠回りなんて心配はいりません。お父さんが紅葉に内緒で話を進めたりするからこんな事になったんですよ」
「俺は人間の旦那など認めん!」
「選ぶのは紅葉です」
 吼えた父にぴしゃりと声を返す。父は途端に口を噤む。ゆらりと熱のない炎が見えた気がした。
 何か言いかけた父をしゃんと背筋を伸ばして金色の目で睨みつけることを忘れない。
(そういえば、こういう人だった)
 普段、物腰柔らかでにこにこしているので忘れていたが、母も妖狐だ。怒らせると怖い。
「子供じゃないんだから自分のことは自分で決めなさい。でもね、家族になる方はちゃんとどんな人なのか教えてちょうだい」
 唸る父を完全に無視して母はいつもの笑顔で紅葉の手を引いて立ち上がる。
「お父さんは大人しく寝てなさい! 女同士の話し合いを盗み聞きしたらどうなるか分かってらっしゃいますよね?」
 ぐっと言葉に詰まった父をほったらかしてにっこり笑う。
「さあ、お茶にしましょ。これからの事考えなきゃいけないでしょ? ちょうどお父さんと食べようと思っていたおいしい桜餅があるの」
 もしかしたら――どの世界も女性が最も強いのかもしれない。
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