俺の上司は完璧な恋人

豆ちよこ

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招かざる客 (野崎)

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「ちょっと和巳ちゃん。何なのっ、この部屋は!」

 朝早くにメッセージを送ったら、丁度暇だからすぐに行くと返事が来た。1時間もしない内に合鍵を使って勝手に上がり込んだ妹に、リビングに入るなり怒鳴られた。
 日曜日の朝っぱらからキンキン声で捲し立てられ、ソファに膝を抱えた格好で首を竦める。

「…仕方無いだろ。仕事が忙しくて、掃除なんかしてる暇無いんだから」

「それにしたって、散らかし過ぎ!掃除する暇が無いなら、汚す暇も作らないで!」

 上手いこと言うなぁ。と感心したら、チッと盛大な舌打ちと共に、脱ぎ散らかした洗濯物を投げつけられた。どうやら今回は相当ご立腹らしい。それもその筈、独身男性の部屋としては広い2LDKの部屋は、空き巣にでも入られたのかという程荒れている。
 いい加減片付けようとは思うのだが、俺は壊滅的に掃除…、いや、家事全般というものが苦手だ。臭いの出そうなゴミくらいはこまめに出すが、それ以外はどう手を付けたらいいのか分からない。その為こうして時折、姉や妹に助けを乞う。…まぁ、小遣いくらいは必要経費だと思うから渡しているが、毎回小言付きなのが解せない。

「私達の反対押し切って、一人暮らし始めてからもう5年よ? いい加減、家事スキル磨いたらどうなの。それか、いっその事偽装結婚でもする?」 

「俺だって、何度か試してみたけど出来なかったの! それになんだよ、偽装結婚て。相手に失礼だ。第一そんなの、理解してくれる女性がいるわけ無いだろ」

 そもそも女性と暮らすのが無理だ。実家を出たのだって半分はそれが理由なんだから。
 父は既に鬼籍に入っている。俺が大学2年の時に癌であっけなくこの世を去った。残された家族は母を筆頭に姉と双子の妹達、男は俺だけになった。性格のキツい母に似て、家の女性群は例外なく男を尻に敷くタイプばかりだ。亡くなった父もまた、母の尻に敷かれていた。それを見て育った俺は、ちょっと女性という生き物が恐ろしい。現に今、この目の前の妹にすら頭が上がらないんだ。たとえ俺が異性愛者だったとしても、結婚なんてしたいとは思わないだろう。
 
「じゃあ恋人は? …そろそろ本格的に恋活しなよ。和巳ちゃん、顔だけ、はいいんだし。家事能力に長けた恋人。欲しいでしょ!」

 『顔だけ』のところを力説するな。いくら顔が良くても、好きな人に振り向いて貰える訳じゃない。それに、男相手に気を惹けるほど自分の顔に自信もない。

「恋人なんていらない。…どうせ俺なんか、まともに相手してくれる人なんていないし」

「またそうやってうじうじするっ! いつまで前の失恋引き摺ってるのよ。もう忘れなさいよ」

 忘れられるならとっくに忘れてる。実際相手の顔すらもう朧げだ。…けど、言われた言葉は消えない。今でも耳の奥にへばり着いて、ずっと毒を吐き続けている。

 『男にそんな風に思われてるってだけで気持ち悪りぃんだよっ!二度と近付くな』

 親友だと思っていた彼は、俺を視界に入れるのも反吐が出ると、周囲にも吹聴して回った。お陰でゲイだとバレるし、そのせいで陰口をたたかれ針の筵だった。
 メンタルぼろぼろで就活も上手くいかず、結局三流子会社しか行き先がなかったのが今の俺だ。学生課に内定の報告に行くと驚かれ、懇意にしていた教授から、もっといい会社だって狙えたでしょう、と言われた時は、さすがに悔しくて家族に泣きついた。
 流れでマイノリティもカミングアウトさせられ、その時は生きた心地もしなかったが、母が『じゃあ、うちは将来お婿さんだらけね』と言った言葉に救われた。我が家で絶対君主だった母が否定しなかった事で、姉も双子もすんなり受け容れてくれたからだ。
 その後、俺をこっ酷く振った男の悪口大会が開催されたのには、正直ドン引きだったけど……。
 女を敵に回すのは絶対やめようと、その時固く心に誓った。

「ねぇ、私が前に紹介する、って言ったの覚えてる?」
「あぁ…。 けど、いいって断っただろ」

「何で? 会うだけでも、会ってみたらいいじゃない。彼、まだフリーなのよ」
「結構だ」

 お節介な妹だ。双子の妹のひとり、美花は看護師をしている。その勤め先に、どうやらゲイだと公言している医師がいるらしく、男に失恋して恋愛恐怖症になった兄の事を“うっかり”喋ってしまったらしい。そのせいで興味を持たれ、時折こうして、会ってみろと言ってくる。どうせ揶揄かい半分に決まってるのに、何故会わなくてはならないんだ。

「んもうっ。市村先生の方は、是非って言ってるのよ? すんごいイケメンなんだから! ゲイじゃなければ、私が付き合いたいくらいだわ」
「じゃあ美花が付き合えばいいだろう」
「だーかーらっ。 ゲイじゃなければって、言ったでしょ!」

 俺は別に、ゲイだからノンケだからとか、そんな事に拘ってない。そりゃ、同じ嗜好の者同士なら可能性は高いだろう。そういう同胞の集まる場所があるのも知ってはいる。行ったこともないし、行きたいと思ったこともないけど。無理をしてまで恋人が欲しいとも思わない。
 基本的に恋愛等という事に向いてないんだろう。それに万事において不器用な俺が、仕事とそれを両立出来るのかどうかも自信がない。第一、会ったところで相手に興味が持てないなら、その方が失礼じゃないか。

「なぁ、それより。 後でスーパー行ってくれよ。買い置きがそろそろ無くなりそうなんだ」
「……誰か気になる人でもいるの?」

 おい。何でそうなる?
 俺は買い物の話しをした筈だ。

「美花、聞いてた? カップ麺のストックが切れそうって話だろ」
「いるのね。 誰? どんな人?」
 
 人の話を聞けよっ。
 女性の苦手な所その1だ。こうやって自分の聞きたい事、話したい事ばかり優先して、こっちの話を勝手にスルーする。

「だから、ストックが…、」
「教えてくれたら、買ってきてあげる」

 その2。すぐに見返りを求めてくる。…くそっ。本当に嫌な奴だな。

「じゃあ、いい。自分で行くから」
「あ、ほら誤魔化した。 やっぱりいるんじゃない。…気になる人」

 その3!! 揚げ足取りっ! 

「なぁんか、そんな気がしてたのよねぇ」

 4! やたらと勘が働くところっ!!

「もー、黙ってないで、白状しなさい」

 何だその勝ち誇った顔…。その5だな。変な威圧感出すなよ。

「……そんな事、聞いてどうするんだよ。 もういいから、早く片付けて帰れよ」
「はぁ? 何その上から目線。 私、このまま帰ってもいいんだけど?」

「う……、」

 それは困る。まだ全然、部屋の惨状は変わってない。このまま帰られたら、更に酷い有様になるのは目に見えている。だからと言って、浅沼の事を妹に話す気もない。
 だいたい、こんなお喋りな妹に白状したら、あっという間に家族は疎か、職場でもまたうっかり口が滑らないとも限らない。人生の汚点をこれ以上他人に吹聴されるなんて真っ平ゴメンだ。それに俺はもう、恋愛なんて出来そうにない。
 いつだって恋を自覚する時は、絶望と諦めがワンセットで付いてきた。要らないと突っ撥ねる事も出来ないノベリティだ。俺の想いは反吐が出るものらしいからな。あいつにも、悪い事をしてしまった。

 浅沼か……。
 あれはいったい、何だったのだろう。

 つい一昨日だ。
 金曜日に、大口の商談を取った祝にと、部所を上げて浅沼の労を労った。本当はあいつと同じ酒の席に行きたくはなかったが、直属の部下が漸く一人前になった祝だからと、自分に言い訳をし顔を出した。途中でこっそり席を外そうと機会を伺っていたのに、浅沼と酒癖の悪い課長に挟まれ抜け出せなかった。
 締めの挨拶に担ぎ出された浅沼と、それに引っ付いて漸く離れた課長に見付からぬよう、こっそり宴会場から抜け出したのに、店を出る寸前に浅沼に捕まった。
 
 人気の無い店の脇に追い込まれ、物言いたげに口籠る様子に、いよいよ言い逃れは出来ないと悟った。そりゃそうだ。あの夜の事を、俺も夢だなんて信じた訳じゃない。あれから日を追う毎に記憶も鮮明に蘇り、激しい後悔と羞恥を味わったんだ。あんな事をしておいて、許される訳がない。というより、自分自身が許せない。
 時間は掛かったが、俺はちゃんと諦めをつけた。何れは向き合わねばと思っていたから、浅沼から先月の話が出た時に、腹を括って謝罪もした。あいつが変に気に病む事が無いよう、用意していた言い訳も使った。自分を貶める様に、この男は下品な同性愛者なのだと。だから気にするなと伝えた筈だ。


 ーーーそれなのに。


 『あんな拙いキスで? 誘ったって言うんですか?』
 
 苛立ち紛れにそう言われ、恥ずかしさと腹立たしさで、らしくもなく狼狽えてしまい、捲し立てるように攻め寄る浅沼が癪に触って、あいつが何を言ってるのか理解出来なかった。  

 挙げ句、『好きです、野崎さん。付き合ってください』と、そう宣った。

 揶揄かうのもいい加減にして欲しい。幾ら何でもあんまりだ。あんな風に人の心を掻き乱す様な事を言われるなんて思わなかった。
 大体あいつ、彼女だっているんだろ。以前会社帰りの駅前で、仲睦まじげに話をしている姿を見掛けた。巻き髪の、快活そうな女性だった。あの時思ったのだ。お似合いだ、と。
 元々、どうにかなるとも思ってなかった。ただ見ているだけで良かったんだ。それなのに、潜在意識の中で欲をかいた。その結果があのザマだ。こんな邪な気持ちはさっさと捨てよう、捨てなければならないと、必死になって努力した。
 ……なのに、あれは無いだろう。

 ーーー ……みちゃん、」

 お陰でまた、こんなにも心を揺さぶられている。俺は一体、どうしたらいいんだか……、

「ねぇ、てばっ! 和巳ちゃん!!」

「いっ、た! 何だよ、いきなりっ!」

 拾い上げた書籍を投げ付けられた。ぼんやりしていたこっちも悪いが、こんな硬い本を投げ付けるなんて酷い。角が当たったこめかみがズキズキ痛む。

「誰か来てるけど、どうするの?」
「は?」

 インターフォンに応えてる美花が、怪訝な顔でこちらを伺う。
 休日の午前中に来客の予定なんか無い。…というより、この汚部屋に客なんて呼ぶ訳が無いだろう。

「宅配か何かか? 美花、出てよ。 俺こんな格好だし」
「もうっ、いつまでもそんなダル着でいるからでしょう」

 呆れ果てた美花は、それでも玄関に向かってくれた。あいつが居て良かった。
 宅配なんか来る予定あったか? まさかお隣さん? 苦情を貰うような事は無いと思うが…。


「ーー 和巳ちゃん!ちょっと来て!」

 
 来客の対応をしている美花が、玄関から呼び付ける。居て良かったと思った傍から、その存在意義を否定してくる。まったく。この、役立たずめ。お前が俺の部下だったら、怒鳴り付けてやるところだ。

 寝間着代わりのスウェットに、妙なイラストのついたオーバーサイズの着古したTシャツ姿で、来客に応じるアラサーか。しかも洗い放しで乾かさずに寝たせいで、あちこち跳ねた寝癖のついた髪。この上なくみっともないが仕方無い。あの妹を怒らせるよりマシだと思おう。また本を投げ付けられでもたら、堪ったもんじゃないからな。

 よっこらせ、とソファからのそのそと降りて、玄関に続くリビングのドアを開けた。
 嫌だな。こんな格好で。俺にだって少しくらいは、恥じらいってものがあるんだ。
 寝癖のついた髪を押さえながら、俯き加減で玄関に向かう。

「どちら様で……」
「おはようございます。…野崎主任」

 ーーー今、1番聞きたくない声がする。

「お休みのところ、突然押し掛けてすみません」

 ーーー何でお前がここにいるんだ。

「先日の件で、お話を伺いに来ました。 少しお時間頂いても、宜しいですか」

 ーーーちっとも宜しくない。

 恐る恐る顔を上げて、招かざる来客を確認する。
 玄関のドアを抑えた妹の横に、ピッシリとスーツを着込んだ浅沼が立っていた。

 
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