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第2章 地球活動編
第1話 倖月家重役会議 時雨
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2082年9月3日(木曜日) 午前6時5分 《弥勒御殿》大座敷の間
倖月家重役会議――それは倖月家でも一定の地位にある者のみが出席が許されている幹部会議。事実上、倖月家の重要事項の決定はすべてこの会議で決せられている。故に、花蕾、陸人や朱花、瑠璃等の倖月家の運営に関わっていない単なる血縁に過ぎないものの出席は許されていない。
この会議は1か月に1度、その月の25日に開かれるのが通例だ。唯一の例外は倖月家にとって今後を左右するほどの重要な事態が生じたとき。これだけは倖月家の全幹部の招集権が認められている。この招集権を持つのは倖月家当主であり、この度倖月家重役会議は倖月竜絃の名をもって急遽招集された。
その重役会議の議題に倖月の幹部一同、雷に打たれたように目を大きく開き、ポカーンと大口を開けている。
「竜華様、そ、それは?」
重役の一人が竜華に恐る恐るその発言の真意を尋ねる。
「倖月恭弥の魔術審議会《殲滅戦域》への所属が決定いたしました」
二度、まるで噛みしめるように竜華はその事実を口にする。途端、停止していた時が刻み出しつむじ風に襲われたようにこの大座敷の間が騒めく。
楠恭弥の《殲滅戦域》への所属。これはいくらなんでも悪い冗談だ。それがこの座敷の間のほとんどの意見だろう。それほどまでにこの事実はいかれていた。
《殲滅戦域》――魔術審議会が誇る世界序列1000位以内で構成された最強部隊の総称。
世界序列1000位以内に入るとは即ち4000万人もいる魔術師の頂点の一角に足を踏み入れた証であり、時雨や雑賀、阿雲等の倖月家最高戦力と肩を並べたことを意味する。
これが幼い頃から厳しい訓練を受けた倖月家所縁の魔術師なら仮に高校生であったとしてもここまでの違和感はなかった。
しかし恭弥は少し前までは魔術師とはとても呼べぬ半人前の少年だった。それがたった1か月で世界序列1000番内に到達したのだ。皆、まさにできの悪い三文小説を読んでいるような心境だろう。
一同の懐疑が頂点に達したとき座敷の上座に座す達磨のような体型をした短髪の男――倖月伊佐治が竜華に非難めいた言葉を発する。
「竜華様、倖月恭弥ではなく、楠恭弥です。お間違え召されるな。あの者は倖月家の縁者ではなくただの分家の子倅にすぎませぬ。
分家の小僧が何処に所属しようと我らの感知するところではありませんぞ」
倖月伊佐治の言葉に広間中に賛同の声が巻き起こる。
伊佐治。竜玄の実弟であり、魔術師としての力は皆無と言ってよいが倖月グループの副会長。財政面では無類の影響力を持っている。
倖月家は代々魔術師の家系であるが、今や日本を代表とする財閥だ。故に以前のような魔術師の才能がある者だけが倖月家の上位に位置するわけではない。この伊佐治のように魔術師としての才能が無くとも会社運営等の力に秀でている者は倖月家でも中核の地位に就くのである。
そしてこの伊佐治は《伝統派》の頭目。
《伝統派》は魔術師としての強さよりも血統と格式を重んじる倖月家最大派閥。竜華の倖月次期当主を激烈に反対したのもこの伊佐治だ。彼らは倖月陸人を次期当主として押している。
このように《伝統派》の勢力が強くなったのも理由がある。それは極論すれば時代の流れだ。
確かに今は倖月家最強世代。13覇王であり世界序列第8位の竜華。399位の倖月阿雲、序列524位の倖月雑賀、997位の倖月竜玄、そして時雨の序列867位。他にも多数の高位の世界序列者が名を連ねている。
しかし多方面で数十年と比較して一定以上の力を有する魔術師の数が極端に少なくなっているのも事実なのだ。これは幼い頃から血のにじむような修行をするメリットよりもデメリットの方が大きくなったことがある。
現在の世界には魔術審議会が存在する。魔術師のいざこざはこの審議会がしてくれる。さらに魔術審議会が《ナンバーズゲーム》の概念を導入したことにより、今までの無駄な工房争いはこの地球から姿を消した。
結果、魔術の修行に精を出さず、その時間を勉学に励み倖月家の企業幹部になる道を選択する者が増えたのだ。その者達からすれば、今までの旧態依然とした魔術師はいくら力が強くてもボディーガード程度の存在に過ぎない。
時雨もこの伊佐治の考えには一理あると考えている。
今は魔道科学の時代。力が全ての石器時代ではない。この時代で経済の概念なくして世界は語れない。とうの昔に魔術師として力のみで決する時代は終わったと言ってよい。
何より才能ではなく努力で他者を評価する。それは至極まっとうな他者の評価方法だろう。
ただ伊佐治の考え方を全て採用するわけにも行かないのも事実なのだ。
伊佐治は元来の魔術師を低く評価し過ぎる。というよりまるで道具のようにしか考えていない。この男にとって魔術師とは単なる血統の一つにしか過ぎないのだ。
この考え方故に伊佐治は瑠璃と伏見月彦の婚約を強行した。
元々三条家の血を引く瑠璃はくだらない倖月家元来のしきたりで楠家に養子に出された恭弥と婚約関係にあった。
一方、倖月家の前当主に楠凍夜は力を認められ、かなり早い段階で倖月朱花と楠凍夜も周囲には知らされてはいなかったが婚約関係が成立していた。
この倖月朱花と楠凍夜の婚約は前当主の意向によりなされたものであり、反故にはできない。瑠璃と恭弥が婚姻すれば楠家の勢力の拡大は確実だ。要するに伊佐治としては楠家の勢力の拡大を防ぐ必要があったわけだ。
そこで、伊佐治は恭弥と瑠璃の婚約の解消と倖月家の親戚筋にあり、伝統ある魔術師の家系たる伏見家の伏見月彦と瑠璃の婚約を裏で進めた。
伏見家は日本七大領家ではないが、元々華族出身であることもあり、政界、財界では有数の力を有する。まさに月彦は伊佐治にとって最良の人物だったのだ。
伊佐治の提案に竜玄やその妻倖月花蕾もそう乗りした。
おそらく竜玄と花蕾は恭弥を諦めきれなかったのだろう。仮に瑠璃と恭弥が添い遂げれば恭弥が我が子として倖月家に戻ることは永久になくなるのだから。
だがこれはあくまで大人達の勝手な都合。瑠璃とっては迷惑以外の何ものでもない。
当時瑠璃は世界が終わりそう顔で何度も時雨に相談に来ていた。相談内容は勿論、恭弥との婚姻の解消の件。無理もない。ずっと幼い頃から恭弥と許嫁だと教えられてきたのだ。それが突如、解消され新たな者と将来結婚することになるなど容易に受け入れられるはずもない。心は機械ではないのだ。
時雨も抗議はしたが伊佐治による他の派閥の篭絡と何より当主竜玄の決定により婚約はあっさり破棄される。
唯一救いがあるとすれば恭弥自身が瑠璃との婚約を知らされていなかったことにある。もしかしたら楠利徳はこうなることを全部予想していたのかもしれない。
そして厄介な事は伊佐治だけではない。
「伊佐治殿、それは我ら分家筋に対する侮辱ですかな?」
渋い叔父様――倖月雑賀が無表情で尋ねる。突如、場の空気が凍り付く。
雑賀が穏やかなのは表面上に過ぎない。倖月家きっての武闘派であり、敵とみなしたものには一切の容赦はしない。しかも彼は事実上倖月家最大にして最強の実行部隊《黒月》の首領だ。
魔術師が力を振るえないのは『表立って』という条件が付く。《黒月》は諜報機関も兼ねている。雑賀と本気で戦争をすれば少なくない数の死者が《伝統派》の幹部達にも出る。
「ふん。雑賀、お主らは分家と言っても『倖月』の名を持つ者だ。儂が言ったのはあくまで楠恭弥とかいう野良犬のことよ。履違えるな」
伊佐治は嫌悪の表情を浮かべつつも言葉を吐き捨てる。伊佐治にとって一度家を離れた者はもはや倖月家ではなくただの従者に過ぎない。奴にしてみれば、恭弥は分家のただの薄汚い野良犬に過ぎないのだ。これは別に伊佐治に特徴的な考え方ではない。寧ろ《伝統派》は皆同様の認識を持っている。
だがそれはあくまで《伝統派》一般の認識、身内たる竜玄や竜華はそうではない。案の定、『野良犬』の言葉に竜玄の眉がピクリと動く。竜華も微笑を浮かべてはいるが目が全く笑ってはいない。両者とも結構きている。少々不味い事態かもしれない。
そんな竜玄と竜華の姿を視界に入れ雑賀が一瞬、口端を上げるのが見える。あの御仁、これを狙っての発言だったらしい。
伊佐治が《伝統派》の首魁なら倖月雑賀は《革新派》の首領。
このように陸人を次期当主に推す《伝統派》と恭弥を推す《革新派》は真っ向から対立している。
その対立の顕在化があの明神高校での茶番だ。
《伝統派》にとって恭弥の明神高校への入学は《革新派》の意向によるものであることもあり強い危機感を覚えた。仮に恭弥が主席をとれば《伝統派》の中からも恭弥の倖月家への帰属を認めるものが現れるかもしれない。恭弥一人のために《伝統派》の力の根底が失われることにもなりかねない。
そこで《伝統派》は明神高校へ圧力をかけた。仮にも《伝統派》は倖月家の最大勢力。学校関係者にそれに逆らう力と意思があるはずもない。
《伝統派》としては恭弥が自主退学か落第すれば、恭弥に倖月を名乗る資格なしと改めて宣言できる。後は竜玄が恭弥を傍に置こうがそんな野良犬など《伝統派》にとって知ったことではない。勝手にやればよいである。
この恭弥の件で完璧に想定外だったのは竜玄と花蕾の夫婦だ。当初彼らは恭弥が無難な学園生活が送れていると考えていた。
だが、内密に調査させて判明した事実は恭弥にとって地獄そのものの生活だった。勿論、竜玄と花蕾も恭弥の現状を打破しようとした。
しかし、伊佐治が既にこの方針を当主竜玄の名をもって学校関係者に指示してしまっていたことだ。
ここで竜玄がそれを撤回すれば倖月家内部で対立があることを公に知らせるようなものだ。それは倖月家の力を削ぐことになる。それは当主として許されない。それでここまで耐えてきたのだろうが、この前の《ナンバーズゲーム》で成長した恭弥の姿を見て我慢に限度が来たのだろう。
「話を進めましょう。
今は明神高校での恭弥の処遇について話し合うべきでは」
時雨の言葉に伊佐治がその達磨のような顔を忌々しげに歪める。
「必要を感じんな。
野良犬には野良犬の処遇というものがある。あの伝統ある高校で心身ともに鍛えられれば番犬くらいには使えるようにはなろう」
この伊佐治の言葉に《革新派》の幹部達が一斉に殺気立ち、それに《伝統派》が応じるように敵意を剥き出しにする。
「そうおっしゃられても、恭弥が《殲滅戦域》に所属した以上、これまでのような茶番をするよう積極的に学園に求めれば魔術審議会も黙ってはいないでしょう。それに――」
《殲滅戦域》の魔術師には急迫不正の侵害に対し一定の《抵抗権》が認められている。言い換えれば反撃をする権利と言えばよいか。具体的には以前のように明神高校の学生によるリンチを受けた場合恭弥にはこれを殲滅する権利があり、それにより仮に生徒が死亡しても罪には問われないのだ。
《殲滅戦域》は魔術審議会最強の部隊。下手に所属魔術師の力を制約し過ぎて他者に舐められる事態に陥れば以後の任務に支障をきたす。それ故に特別に認められている権利だ。
《殲滅戦役》所属の魔術師の反撃にあえば、明神高校の生徒など一溜りもない。
大事な生徒を危険に晒すわけにはいかないし、何より恭弥を人殺しにするわけには絶対にいかない。
「審議会に何ができる? 彼奴は魔術師の一族の争いには不干渉なはずだ。
それに野良犬が生徒に噛みつけばそれを理由に退学にすればよい。仮に我ら倖月家にまで牙をむくなら竜華様が応対すればよいだけだろう。
《殲滅戦域》所属の魔術師と言っても所詮、13覇王ほどの力はない。竜華様なら問題なく処理なさることができるはずだ」
伊佐治の取り巻きの者達が賛同の声を上げる。
「処理ぃ……?」
ピシリッと竜華の笑みに亀裂が入る。これ以上はマジで危険だ。愚か共の言動が原因で時雨はまだ死にたくはない。
「伊佐治殿。まあそう仰るな。
仮に楠恭弥ともめても我らに百害あって一利なし。この際放っておけばよいのでは?」
阿雲の言葉に場ののっぴきならない雰囲気を読み取った一部の《伝統派》達からも賛同の声が上がる。
「確かに楠恭弥が《殲滅戦域》に所属した以上、もはや審議会の犬。我ら倖月家に興味があるとは思えぬ」
「ああ、阿雲殿の言通り放っておけばよいのだ。別に積極的にこちらから敵対する意義もない」
「そうだな。仮に奴が倖月家に興味を見出したらそのとき対処を考えればよい」
雑賀から舌打ちが聞こえる。
やはり恭弥と《伝統派》の衝突を狙っていたのか。確かに《殲滅戦域》所属の魔術師に《抵抗権》がある以上、恭弥から仕掛けるのでなければ魔術審議会は動かない。ならば恭弥の圧勝だろう。
それに、《伝統派》の頼みの綱の竜華はそもそも恭弥以外どうでもいい人種だ。倖月と恭弥を選べと言われれば迷いもせず恭弥をとるだろう。そうなれば《伝統派》は一掃され雑賀の思惑通りに事が運んだ。
思った通り、この男は危険。今後とも十分な監視が必要だ。
「方針は決定したようで。
楠恭弥の処遇はこの阿雲が今後、取り仕切ります。無論、皆さまのお考えには従いますので、ご安心を」
阿雲の事だ。竜玄、竜華と《伝統派》の両者を納得させる措置をとるはずだ。ならもう時雨の心配すべき点はない。
「これ以上の問答は無意味と愚考します。この辺でお開きにいたしましょう」
時雨の言葉に皆異論はないらしく、立ち上がり、竜玄に一礼して《弥勒御殿》の大座敷の間を退出していく。
伊佐治も阿雲に憎々しげな視線を送ってから退出する。
伊佐治には恭弥に対する執念ともいえる敵意を感じる。
確かに以前から伊佐治は恭弥を倖月家の一族とはみなしてはしなかった。だが、公然と竜玄の実子を野良犬呼ばわりすることもなかったのも事実だ。間違いなくあの事件が原因だろう。それを知っているからこそ、今の発言でも竜玄は伊佐治を何の咎めもしないのだ。
数分で《弥勒御殿》の大座敷には竜絃に竜華、阿雲、時雨のみとなる。
「恭弥からの連絡は?」
竜絃のこの頓珍漢な問いに阿雲が深いため息を吐く。
阿呆だろうか。今の恭弥にとって竜絃は父を間接的に殺し、兄を追い詰めた張本人。敵意を持っている相手に連絡など態々してくるはずもないだろうに。
「あるはずがないだろう。
大体お前、どんな内容の連絡をお望みなんだ?」
「…………」
時雨のきつい言葉に口をへの字にして黙り込む竜玄。流石に言い過ぎたか。竜玄からすれば短期間で変質した息子に直ぐにでも飛んでいきたいのだろう。だがそれは決して許されない。少し虐め過ぎたかもしれない。
「恭弥は元気にしていたよ。新たな仲間もできたようだ」
バッと竜玄が顔を上げ、時雨に視線を固定する。
「「どんな奴だ?」」
竜華と竜玄の二人に迫られ苦笑する時雨。
どうやら根掘り葉掘りの強制の質問タイムが決定したらしい。まあ余計な事を口走った時雨が悪い。明らかに自業自得だろう。
「彼奴は――」
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お読みいただきありがとうございます。
倖月家重役会議――それは倖月家でも一定の地位にある者のみが出席が許されている幹部会議。事実上、倖月家の重要事項の決定はすべてこの会議で決せられている。故に、花蕾、陸人や朱花、瑠璃等の倖月家の運営に関わっていない単なる血縁に過ぎないものの出席は許されていない。
この会議は1か月に1度、その月の25日に開かれるのが通例だ。唯一の例外は倖月家にとって今後を左右するほどの重要な事態が生じたとき。これだけは倖月家の全幹部の招集権が認められている。この招集権を持つのは倖月家当主であり、この度倖月家重役会議は倖月竜絃の名をもって急遽招集された。
その重役会議の議題に倖月の幹部一同、雷に打たれたように目を大きく開き、ポカーンと大口を開けている。
「竜華様、そ、それは?」
重役の一人が竜華に恐る恐るその発言の真意を尋ねる。
「倖月恭弥の魔術審議会《殲滅戦域》への所属が決定いたしました」
二度、まるで噛みしめるように竜華はその事実を口にする。途端、停止していた時が刻み出しつむじ風に襲われたようにこの大座敷の間が騒めく。
楠恭弥の《殲滅戦域》への所属。これはいくらなんでも悪い冗談だ。それがこの座敷の間のほとんどの意見だろう。それほどまでにこの事実はいかれていた。
《殲滅戦域》――魔術審議会が誇る世界序列1000位以内で構成された最強部隊の総称。
世界序列1000位以内に入るとは即ち4000万人もいる魔術師の頂点の一角に足を踏み入れた証であり、時雨や雑賀、阿雲等の倖月家最高戦力と肩を並べたことを意味する。
これが幼い頃から厳しい訓練を受けた倖月家所縁の魔術師なら仮に高校生であったとしてもここまでの違和感はなかった。
しかし恭弥は少し前までは魔術師とはとても呼べぬ半人前の少年だった。それがたった1か月で世界序列1000番内に到達したのだ。皆、まさにできの悪い三文小説を読んでいるような心境だろう。
一同の懐疑が頂点に達したとき座敷の上座に座す達磨のような体型をした短髪の男――倖月伊佐治が竜華に非難めいた言葉を発する。
「竜華様、倖月恭弥ではなく、楠恭弥です。お間違え召されるな。あの者は倖月家の縁者ではなくただの分家の子倅にすぎませぬ。
分家の小僧が何処に所属しようと我らの感知するところではありませんぞ」
倖月伊佐治の言葉に広間中に賛同の声が巻き起こる。
伊佐治。竜玄の実弟であり、魔術師としての力は皆無と言ってよいが倖月グループの副会長。財政面では無類の影響力を持っている。
倖月家は代々魔術師の家系であるが、今や日本を代表とする財閥だ。故に以前のような魔術師の才能がある者だけが倖月家の上位に位置するわけではない。この伊佐治のように魔術師としての才能が無くとも会社運営等の力に秀でている者は倖月家でも中核の地位に就くのである。
そしてこの伊佐治は《伝統派》の頭目。
《伝統派》は魔術師としての強さよりも血統と格式を重んじる倖月家最大派閥。竜華の倖月次期当主を激烈に反対したのもこの伊佐治だ。彼らは倖月陸人を次期当主として押している。
このように《伝統派》の勢力が強くなったのも理由がある。それは極論すれば時代の流れだ。
確かに今は倖月家最強世代。13覇王であり世界序列第8位の竜華。399位の倖月阿雲、序列524位の倖月雑賀、997位の倖月竜玄、そして時雨の序列867位。他にも多数の高位の世界序列者が名を連ねている。
しかし多方面で数十年と比較して一定以上の力を有する魔術師の数が極端に少なくなっているのも事実なのだ。これは幼い頃から血のにじむような修行をするメリットよりもデメリットの方が大きくなったことがある。
現在の世界には魔術審議会が存在する。魔術師のいざこざはこの審議会がしてくれる。さらに魔術審議会が《ナンバーズゲーム》の概念を導入したことにより、今までの無駄な工房争いはこの地球から姿を消した。
結果、魔術の修行に精を出さず、その時間を勉学に励み倖月家の企業幹部になる道を選択する者が増えたのだ。その者達からすれば、今までの旧態依然とした魔術師はいくら力が強くてもボディーガード程度の存在に過ぎない。
時雨もこの伊佐治の考えには一理あると考えている。
今は魔道科学の時代。力が全ての石器時代ではない。この時代で経済の概念なくして世界は語れない。とうの昔に魔術師として力のみで決する時代は終わったと言ってよい。
何より才能ではなく努力で他者を評価する。それは至極まっとうな他者の評価方法だろう。
ただ伊佐治の考え方を全て採用するわけにも行かないのも事実なのだ。
伊佐治は元来の魔術師を低く評価し過ぎる。というよりまるで道具のようにしか考えていない。この男にとって魔術師とは単なる血統の一つにしか過ぎないのだ。
この考え方故に伊佐治は瑠璃と伏見月彦の婚約を強行した。
元々三条家の血を引く瑠璃はくだらない倖月家元来のしきたりで楠家に養子に出された恭弥と婚約関係にあった。
一方、倖月家の前当主に楠凍夜は力を認められ、かなり早い段階で倖月朱花と楠凍夜も周囲には知らされてはいなかったが婚約関係が成立していた。
この倖月朱花と楠凍夜の婚約は前当主の意向によりなされたものであり、反故にはできない。瑠璃と恭弥が婚姻すれば楠家の勢力の拡大は確実だ。要するに伊佐治としては楠家の勢力の拡大を防ぐ必要があったわけだ。
そこで、伊佐治は恭弥と瑠璃の婚約の解消と倖月家の親戚筋にあり、伝統ある魔術師の家系たる伏見家の伏見月彦と瑠璃の婚約を裏で進めた。
伏見家は日本七大領家ではないが、元々華族出身であることもあり、政界、財界では有数の力を有する。まさに月彦は伊佐治にとって最良の人物だったのだ。
伊佐治の提案に竜玄やその妻倖月花蕾もそう乗りした。
おそらく竜玄と花蕾は恭弥を諦めきれなかったのだろう。仮に瑠璃と恭弥が添い遂げれば恭弥が我が子として倖月家に戻ることは永久になくなるのだから。
だがこれはあくまで大人達の勝手な都合。瑠璃とっては迷惑以外の何ものでもない。
当時瑠璃は世界が終わりそう顔で何度も時雨に相談に来ていた。相談内容は勿論、恭弥との婚姻の解消の件。無理もない。ずっと幼い頃から恭弥と許嫁だと教えられてきたのだ。それが突如、解消され新たな者と将来結婚することになるなど容易に受け入れられるはずもない。心は機械ではないのだ。
時雨も抗議はしたが伊佐治による他の派閥の篭絡と何より当主竜玄の決定により婚約はあっさり破棄される。
唯一救いがあるとすれば恭弥自身が瑠璃との婚約を知らされていなかったことにある。もしかしたら楠利徳はこうなることを全部予想していたのかもしれない。
そして厄介な事は伊佐治だけではない。
「伊佐治殿、それは我ら分家筋に対する侮辱ですかな?」
渋い叔父様――倖月雑賀が無表情で尋ねる。突如、場の空気が凍り付く。
雑賀が穏やかなのは表面上に過ぎない。倖月家きっての武闘派であり、敵とみなしたものには一切の容赦はしない。しかも彼は事実上倖月家最大にして最強の実行部隊《黒月》の首領だ。
魔術師が力を振るえないのは『表立って』という条件が付く。《黒月》は諜報機関も兼ねている。雑賀と本気で戦争をすれば少なくない数の死者が《伝統派》の幹部達にも出る。
「ふん。雑賀、お主らは分家と言っても『倖月』の名を持つ者だ。儂が言ったのはあくまで楠恭弥とかいう野良犬のことよ。履違えるな」
伊佐治は嫌悪の表情を浮かべつつも言葉を吐き捨てる。伊佐治にとって一度家を離れた者はもはや倖月家ではなくただの従者に過ぎない。奴にしてみれば、恭弥は分家のただの薄汚い野良犬に過ぎないのだ。これは別に伊佐治に特徴的な考え方ではない。寧ろ《伝統派》は皆同様の認識を持っている。
だがそれはあくまで《伝統派》一般の認識、身内たる竜玄や竜華はそうではない。案の定、『野良犬』の言葉に竜玄の眉がピクリと動く。竜華も微笑を浮かべてはいるが目が全く笑ってはいない。両者とも結構きている。少々不味い事態かもしれない。
そんな竜玄と竜華の姿を視界に入れ雑賀が一瞬、口端を上げるのが見える。あの御仁、これを狙っての発言だったらしい。
伊佐治が《伝統派》の首魁なら倖月雑賀は《革新派》の首領。
このように陸人を次期当主に推す《伝統派》と恭弥を推す《革新派》は真っ向から対立している。
その対立の顕在化があの明神高校での茶番だ。
《伝統派》にとって恭弥の明神高校への入学は《革新派》の意向によるものであることもあり強い危機感を覚えた。仮に恭弥が主席をとれば《伝統派》の中からも恭弥の倖月家への帰属を認めるものが現れるかもしれない。恭弥一人のために《伝統派》の力の根底が失われることにもなりかねない。
そこで《伝統派》は明神高校へ圧力をかけた。仮にも《伝統派》は倖月家の最大勢力。学校関係者にそれに逆らう力と意思があるはずもない。
《伝統派》としては恭弥が自主退学か落第すれば、恭弥に倖月を名乗る資格なしと改めて宣言できる。後は竜玄が恭弥を傍に置こうがそんな野良犬など《伝統派》にとって知ったことではない。勝手にやればよいである。
この恭弥の件で完璧に想定外だったのは竜玄と花蕾の夫婦だ。当初彼らは恭弥が無難な学園生活が送れていると考えていた。
だが、内密に調査させて判明した事実は恭弥にとって地獄そのものの生活だった。勿論、竜玄と花蕾も恭弥の現状を打破しようとした。
しかし、伊佐治が既にこの方針を当主竜玄の名をもって学校関係者に指示してしまっていたことだ。
ここで竜玄がそれを撤回すれば倖月家内部で対立があることを公に知らせるようなものだ。それは倖月家の力を削ぐことになる。それは当主として許されない。それでここまで耐えてきたのだろうが、この前の《ナンバーズゲーム》で成長した恭弥の姿を見て我慢に限度が来たのだろう。
「話を進めましょう。
今は明神高校での恭弥の処遇について話し合うべきでは」
時雨の言葉に伊佐治がその達磨のような顔を忌々しげに歪める。
「必要を感じんな。
野良犬には野良犬の処遇というものがある。あの伝統ある高校で心身ともに鍛えられれば番犬くらいには使えるようにはなろう」
この伊佐治の言葉に《革新派》の幹部達が一斉に殺気立ち、それに《伝統派》が応じるように敵意を剥き出しにする。
「そうおっしゃられても、恭弥が《殲滅戦域》に所属した以上、これまでのような茶番をするよう積極的に学園に求めれば魔術審議会も黙ってはいないでしょう。それに――」
《殲滅戦域》の魔術師には急迫不正の侵害に対し一定の《抵抗権》が認められている。言い換えれば反撃をする権利と言えばよいか。具体的には以前のように明神高校の学生によるリンチを受けた場合恭弥にはこれを殲滅する権利があり、それにより仮に生徒が死亡しても罪には問われないのだ。
《殲滅戦域》は魔術審議会最強の部隊。下手に所属魔術師の力を制約し過ぎて他者に舐められる事態に陥れば以後の任務に支障をきたす。それ故に特別に認められている権利だ。
《殲滅戦役》所属の魔術師の反撃にあえば、明神高校の生徒など一溜りもない。
大事な生徒を危険に晒すわけにはいかないし、何より恭弥を人殺しにするわけには絶対にいかない。
「審議会に何ができる? 彼奴は魔術師の一族の争いには不干渉なはずだ。
それに野良犬が生徒に噛みつけばそれを理由に退学にすればよい。仮に我ら倖月家にまで牙をむくなら竜華様が応対すればよいだけだろう。
《殲滅戦域》所属の魔術師と言っても所詮、13覇王ほどの力はない。竜華様なら問題なく処理なさることができるはずだ」
伊佐治の取り巻きの者達が賛同の声を上げる。
「処理ぃ……?」
ピシリッと竜華の笑みに亀裂が入る。これ以上はマジで危険だ。愚か共の言動が原因で時雨はまだ死にたくはない。
「伊佐治殿。まあそう仰るな。
仮に楠恭弥ともめても我らに百害あって一利なし。この際放っておけばよいのでは?」
阿雲の言葉に場ののっぴきならない雰囲気を読み取った一部の《伝統派》達からも賛同の声が上がる。
「確かに楠恭弥が《殲滅戦域》に所属した以上、もはや審議会の犬。我ら倖月家に興味があるとは思えぬ」
「ああ、阿雲殿の言通り放っておけばよいのだ。別に積極的にこちらから敵対する意義もない」
「そうだな。仮に奴が倖月家に興味を見出したらそのとき対処を考えればよい」
雑賀から舌打ちが聞こえる。
やはり恭弥と《伝統派》の衝突を狙っていたのか。確かに《殲滅戦域》所属の魔術師に《抵抗権》がある以上、恭弥から仕掛けるのでなければ魔術審議会は動かない。ならば恭弥の圧勝だろう。
それに、《伝統派》の頼みの綱の竜華はそもそも恭弥以外どうでもいい人種だ。倖月と恭弥を選べと言われれば迷いもせず恭弥をとるだろう。そうなれば《伝統派》は一掃され雑賀の思惑通りに事が運んだ。
思った通り、この男は危険。今後とも十分な監視が必要だ。
「方針は決定したようで。
楠恭弥の処遇はこの阿雲が今後、取り仕切ります。無論、皆さまのお考えには従いますので、ご安心を」
阿雲の事だ。竜玄、竜華と《伝統派》の両者を納得させる措置をとるはずだ。ならもう時雨の心配すべき点はない。
「これ以上の問答は無意味と愚考します。この辺でお開きにいたしましょう」
時雨の言葉に皆異論はないらしく、立ち上がり、竜玄に一礼して《弥勒御殿》の大座敷の間を退出していく。
伊佐治も阿雲に憎々しげな視線を送ってから退出する。
伊佐治には恭弥に対する執念ともいえる敵意を感じる。
確かに以前から伊佐治は恭弥を倖月家の一族とはみなしてはしなかった。だが、公然と竜玄の実子を野良犬呼ばわりすることもなかったのも事実だ。間違いなくあの事件が原因だろう。それを知っているからこそ、今の発言でも竜玄は伊佐治を何の咎めもしないのだ。
数分で《弥勒御殿》の大座敷には竜絃に竜華、阿雲、時雨のみとなる。
「恭弥からの連絡は?」
竜絃のこの頓珍漢な問いに阿雲が深いため息を吐く。
阿呆だろうか。今の恭弥にとって竜絃は父を間接的に殺し、兄を追い詰めた張本人。敵意を持っている相手に連絡など態々してくるはずもないだろうに。
「あるはずがないだろう。
大体お前、どんな内容の連絡をお望みなんだ?」
「…………」
時雨のきつい言葉に口をへの字にして黙り込む竜玄。流石に言い過ぎたか。竜玄からすれば短期間で変質した息子に直ぐにでも飛んでいきたいのだろう。だがそれは決して許されない。少し虐め過ぎたかもしれない。
「恭弥は元気にしていたよ。新たな仲間もできたようだ」
バッと竜玄が顔を上げ、時雨に視線を固定する。
「「どんな奴だ?」」
竜華と竜玄の二人に迫られ苦笑する時雨。
どうやら根掘り葉掘りの強制の質問タイムが決定したらしい。まあ余計な事を口走った時雨が悪い。明らかに自業自得だろう。
「彼奴は――」
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