1 / 1
ねぇ、こっちを向いてよ
しおりを挟む
部屋の窓から、絵の具で描いたような入道雲が見えた。
俺の部屋はボロいから、エアコンがなくて代わりに窓を開けて、扇風機を一台動かしている。時折、部屋を通り抜ける海風が素肌に心地よかった。
「ねぇ、こっちを向いてよ。清ちゃん」
窓から視線を逸らして、俺の上にいる梓を見つめる。
蝉の声が遠くに聞こえる。首筋に温い吐息がかかった。
「アイス、溶けちゃうね」
俺はただ、天井の染みを見つめていた。
◇◇◇
蝉の鳴き声が忙しなく聞こえる。
今は夏で、世の中のおかしなことは全部、夏の暑さのせいにできるほど暑かった。
「清一!」
高校三年の夏休み。部活も引退してやっとゆっくり出来ると、そう思いながら自転車を漕ぐ俺を呼び止めたのは、幼馴染の梓だった。
梓とは、家が隣で生まれた時から一緒だった。勉強ができて良い子の梓と、頭の悪いガキの俺はいつも周りの大人に比べられたが、それでも俺達はずっと仲が良かった。
俺達は大人が嫌いだったから、共通の敵がいると分かると自然と仲が良くなっていった。周りの大人にあいつとは関わるなと言われたことへの反発もあったかもしれない。
でも梓は賢いから。普通に勉強して部活して委員会に入って、それで、東京の大学を受けるって話を俺は聞いたばかりだった。
「……なんだよ」
言いようのない苛立ちに、俺は眉間に皺を寄せながら返答をする。
「アイス奢るよ、この前のお礼に。この後、ひまだろ?」
そういえば、と思い出す。この前、教科書を忘れたと言うこいつに、貸してやったことがあったんだと。
バイトをしていない男子高校生の懐は寂しい。奢ってくれるというなら有り難く頂こうではないか。
「いいよ、いつもの駄菓子屋のアイスな」
「分かってるよ」
陽炎が揺れるアスファルトの坂を、俺と梓は歩いていく。遠くには海が見えた。太陽の光を反射してキラキラと光っている。
坂を降り住宅街に入ると、そのまたずっと奥に古びた駄菓子屋がある。いまはお婆さんが一人店の奥で切り盛りしているだけで、最近は小学生も近寄らなくなっている。
「あちぃ、お前何にすんの」
近くに自転車をとめ、アイスが入ったケースを覗きながら隣の梓に声をかける。
「僕はパッキンアイスにしようかな。昔みたいに」
懐かしそうにそう言って、俺の横からケースを覗き込むと、そのままアイスを持ってお婆さんのところまで行ってしまった。
「じゃあ、俺はこれにしよ」
俺はコーラ味のアイスを選んで、同じくお婆さんの元に向かう。アイスの冷たさが手にしみた。
俺達は二人で並んで帰る。アイスはすぐ食いたかったけど、奢られた手前はこいつに付き合ってやらないと、なんか癪だ。
「この後、清一の家に行ってもいい?」
「なんで」
「いいじゃん、どうせ隣なんだし」
「いやだ」
「僕のアイス半分あげる」
「…夕方には帰れよ。母さんがうるさい」
「ありがと」
タダで食えるアイスの魅力は恐ろしい。梓を少しの間家にあげるだけというなら、お釣りが来るというものだ。
それからしばらくして、俺達は家に着いた。家の裏手に自転車を止め、梓と一緒に中に入る。むわっと蒸せ返るような暑さが顔にきた。
「はよ、扇風機つけるぞ。勝手に上がれ」
「お邪魔します」
二階に上がり自分の部屋に入る。窓を開けて扇風機をつけると、俺は一息ついた。
後から梓も入ってくる。
「適当に座って」
「はーい」
梓が畳の上に座るのを見届けると、俺はアイスの袋を開けて齧り付く。ひんやりとした冷たさが口の中に広がり、溶けたアイスが落ちないよう少し啜る。
ふと、視線を感じて横を見ると梓がこちらを見ているのに気づく。
「なんだよ。やらねぇぞ」
「別に欲しくないよ。清一の食いかけなんて」
「それはそれで、失礼なやつだな」
まったく、こいつは俺以外の前だと猫を被るのに、本性はこれだから全く可愛げがない。
「あ」
溶けたアイスが、俺の手を伝ってぱたぱたっと畳に落ちる。
すぐにティッシュで拭こうとして梓の前に体を乗り出すと、そのまま視界が天井を向いた。
……なにがおきた?
鼻と鼻がくっついてしまうと思うほど近くに、梓の顔がある。白い肌に薄茶色の目、頬にうっすらとそばかすがあるのが見える。
憎たらしいくらい、小さい頃から変わらない女みたいな顔だった。
俺はふと、横を見上げる。そこにはいつもの空と、風鈴が揺れて風の音を鳴らしているのが見えた。
「ねぇ、こっちを向いてよ清ちゃん」
梓が、昔の呼び名で俺を呼ぶ。
その声に振り向き、俺の上にいる梓の顔を見た。
「アイス、溶けちゃうね」
瞬間、俺の嫌いなその顔が見えなくなるのと同時に、口に柔らかくて熱い感触を感じる。さっきアイスを食べたからだろうか。と、呑気に俺は思った。
ただ触れるだけだったそれが、次第に熱を持ったものに変わっていく。俺は、脳味噌が溶けそうだった。
梓の白い指が、俺のシャツのボタンを外していく。その手を俺は強く握った。二人の手がアイスに濡れる。
「梓、それはダメだ。俺達は幼馴染で、親友だ。そう決めただろ」
「……ごめん、清一」
俺の上から静かに退く梓に俺は何も言わなかった。俺に何かを言う権利なんてない。
どちらとも声を出さぬまま。ただ、部屋の中には夕陽の薄暗さと沈黙が漂っていた。
これは、夏の暑さに当てられた、一夏の過ちだった。
そういうことにしたのだ。
俺の部屋はボロいから、エアコンがなくて代わりに窓を開けて、扇風機を一台動かしている。時折、部屋を通り抜ける海風が素肌に心地よかった。
「ねぇ、こっちを向いてよ。清ちゃん」
窓から視線を逸らして、俺の上にいる梓を見つめる。
蝉の声が遠くに聞こえる。首筋に温い吐息がかかった。
「アイス、溶けちゃうね」
俺はただ、天井の染みを見つめていた。
◇◇◇
蝉の鳴き声が忙しなく聞こえる。
今は夏で、世の中のおかしなことは全部、夏の暑さのせいにできるほど暑かった。
「清一!」
高校三年の夏休み。部活も引退してやっとゆっくり出来ると、そう思いながら自転車を漕ぐ俺を呼び止めたのは、幼馴染の梓だった。
梓とは、家が隣で生まれた時から一緒だった。勉強ができて良い子の梓と、頭の悪いガキの俺はいつも周りの大人に比べられたが、それでも俺達はずっと仲が良かった。
俺達は大人が嫌いだったから、共通の敵がいると分かると自然と仲が良くなっていった。周りの大人にあいつとは関わるなと言われたことへの反発もあったかもしれない。
でも梓は賢いから。普通に勉強して部活して委員会に入って、それで、東京の大学を受けるって話を俺は聞いたばかりだった。
「……なんだよ」
言いようのない苛立ちに、俺は眉間に皺を寄せながら返答をする。
「アイス奢るよ、この前のお礼に。この後、ひまだろ?」
そういえば、と思い出す。この前、教科書を忘れたと言うこいつに、貸してやったことがあったんだと。
バイトをしていない男子高校生の懐は寂しい。奢ってくれるというなら有り難く頂こうではないか。
「いいよ、いつもの駄菓子屋のアイスな」
「分かってるよ」
陽炎が揺れるアスファルトの坂を、俺と梓は歩いていく。遠くには海が見えた。太陽の光を反射してキラキラと光っている。
坂を降り住宅街に入ると、そのまたずっと奥に古びた駄菓子屋がある。いまはお婆さんが一人店の奥で切り盛りしているだけで、最近は小学生も近寄らなくなっている。
「あちぃ、お前何にすんの」
近くに自転車をとめ、アイスが入ったケースを覗きながら隣の梓に声をかける。
「僕はパッキンアイスにしようかな。昔みたいに」
懐かしそうにそう言って、俺の横からケースを覗き込むと、そのままアイスを持ってお婆さんのところまで行ってしまった。
「じゃあ、俺はこれにしよ」
俺はコーラ味のアイスを選んで、同じくお婆さんの元に向かう。アイスの冷たさが手にしみた。
俺達は二人で並んで帰る。アイスはすぐ食いたかったけど、奢られた手前はこいつに付き合ってやらないと、なんか癪だ。
「この後、清一の家に行ってもいい?」
「なんで」
「いいじゃん、どうせ隣なんだし」
「いやだ」
「僕のアイス半分あげる」
「…夕方には帰れよ。母さんがうるさい」
「ありがと」
タダで食えるアイスの魅力は恐ろしい。梓を少しの間家にあげるだけというなら、お釣りが来るというものだ。
それからしばらくして、俺達は家に着いた。家の裏手に自転車を止め、梓と一緒に中に入る。むわっと蒸せ返るような暑さが顔にきた。
「はよ、扇風機つけるぞ。勝手に上がれ」
「お邪魔します」
二階に上がり自分の部屋に入る。窓を開けて扇風機をつけると、俺は一息ついた。
後から梓も入ってくる。
「適当に座って」
「はーい」
梓が畳の上に座るのを見届けると、俺はアイスの袋を開けて齧り付く。ひんやりとした冷たさが口の中に広がり、溶けたアイスが落ちないよう少し啜る。
ふと、視線を感じて横を見ると梓がこちらを見ているのに気づく。
「なんだよ。やらねぇぞ」
「別に欲しくないよ。清一の食いかけなんて」
「それはそれで、失礼なやつだな」
まったく、こいつは俺以外の前だと猫を被るのに、本性はこれだから全く可愛げがない。
「あ」
溶けたアイスが、俺の手を伝ってぱたぱたっと畳に落ちる。
すぐにティッシュで拭こうとして梓の前に体を乗り出すと、そのまま視界が天井を向いた。
……なにがおきた?
鼻と鼻がくっついてしまうと思うほど近くに、梓の顔がある。白い肌に薄茶色の目、頬にうっすらとそばかすがあるのが見える。
憎たらしいくらい、小さい頃から変わらない女みたいな顔だった。
俺はふと、横を見上げる。そこにはいつもの空と、風鈴が揺れて風の音を鳴らしているのが見えた。
「ねぇ、こっちを向いてよ清ちゃん」
梓が、昔の呼び名で俺を呼ぶ。
その声に振り向き、俺の上にいる梓の顔を見た。
「アイス、溶けちゃうね」
瞬間、俺の嫌いなその顔が見えなくなるのと同時に、口に柔らかくて熱い感触を感じる。さっきアイスを食べたからだろうか。と、呑気に俺は思った。
ただ触れるだけだったそれが、次第に熱を持ったものに変わっていく。俺は、脳味噌が溶けそうだった。
梓の白い指が、俺のシャツのボタンを外していく。その手を俺は強く握った。二人の手がアイスに濡れる。
「梓、それはダメだ。俺達は幼馴染で、親友だ。そう決めただろ」
「……ごめん、清一」
俺の上から静かに退く梓に俺は何も言わなかった。俺に何かを言う権利なんてない。
どちらとも声を出さぬまま。ただ、部屋の中には夕陽の薄暗さと沈黙が漂っていた。
これは、夏の暑さに当てられた、一夏の過ちだった。
そういうことにしたのだ。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
偽物勇者は愛を乞う
きっせつ
BL
ある日。異世界から本物の勇者が召喚された。
六年間、左目を失いながらも勇者として戦い続けたニルは偽物の烙印を押され、勇者パーティから追い出されてしまう。
偽物勇者として逃げるように人里離れた森の奥の小屋で隠遁生活をし始めたニル。悲嘆に暮れる…事はなく、勇者の重圧から解放された彼は没落人生を楽しもうとして居た矢先、何故か勇者パーティとして今も戦っている筈の騎士が彼の前に現れて……。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ
MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
続編執筆中
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
僕は今日、謳う
ゆい
BL
紅葉と海を観に行きたいと、僕は彼に我儘を言った。
彼はこのクリスマスに彼女と結婚する。
彼との最後の思い出が欲しかったから。
彼は少し困り顔をしながらも、付き合ってくれた。
本当にありがとう。親友として、男として、一人の人間として、本当に愛しているよ。
終始セリフばかりです。
話中の曲は、globe 『Wanderin' Destiny』です。
名前が出てこない短編part4です。
誤字脱字がないか確認はしておりますが、ありましたら報告をいただけたら嬉しいです。
途中手直しついでに加筆もするかもです。
感想もお待ちしています。
片付けしていたら、昔懐かしの3.5㌅FDが出てきまして。内容を確認したら、若かりし頃の黒歴史が!
あらすじ自体は悪くはないと思ったので、大幅に修正して投稿しました。
私の黒歴史供養のために、お付き合いくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる