14 / 126
初恋
しおりを挟む
「恋とは何か。」
そんなものを、ぼんやりと考えていた。
圓寳闐氏の初恋の相手、俐丁理は既に殺されている。それでも、圓氏は待ち焦がれているのだ。心も持って逝かれて、生きている。
(人をあんなにする物か。)
ふふっと、皮肉混じりに笑った。自分には永遠に無縁な物だ。
主上と呼ばれるようになってから、後宮を持ってからは、一人の人に執着してはならなくなった。政治と言うものをよく考慮し、それによって妃を寵愛しなくてはならない。そこに、己の意思は関係ない。
父は、政に力を持たない、市井を後宮に入れた。お陰で、才人や美人、貴人と言った、身分の高くない妃が多くなった。実際、永寧長公主の母以外は市井出身だった。永寧長公主の母淑妃は、名家櫖家である。
父は賢いと思う。だが、自分は、身分だけの人間で、所詮は凡人に毛が生えた様だ。
(ああ、でも。)
昔、初恋と言っていいのか分からない、そんな感情を抱いたことがあった。
(言ってはならなかったが。)
相手は、永寧長公主だった。
物心ついた頃には、三人の公主に虐められていた。旲瑓には、四人の姉が居た。その内、次女、三女、四女とは年が近かった。
『こら、何してるの!小瑓に何やってんのよ!』
八つも歳上の長姉、永寧長公主がよく追い払ってくれた。その後に、三人の公主は団扇でペシペシと肩を叩かれていたのを知っている。
数えの十になるまで、姉公主は突っかかって来た。やはり、永寧長公主に追い払って貰っていた。
『大丈夫?』
自分は、いつも見下ろされていた。十八になる彼女が、何時までも守ってくれるとは限らなかった。だが、その頃はまだ幼く、一尺背の高い姉に縋り付いていた。
旲瑓は永寧長公主に守られて、無事に歳を重ねた。実は、姉公主以外にも命を狙われていたらしい。だが、それをも永寧長公主が潰してくれていた。
永寧長公主に背が届いた頃だ。確か、十五の頃だった。
姉は笑い者にされてしまった。降嫁する筈だった人間に、自害されたのだ。そして、その理由は永寧長公主だった。死ぬ程嫌いだったらしい。
何度も死のうとしていた。それだけ心が弱っているのに、更に追い討ちをかける様に、妹公主が「何で生きてるの、死ねば良いのに」と言った。
永寧長公主が最後に自害しようとしたのは、川だった。入水する為だった。
『姉さん!』
長公主は既に飛び込んで、意識を失っていた。不幸中の幸い、衣裳の裱が何かに絡まって、身体が固定されていたために、直ぐ救出出来た。
不思議に思った。
今までは、永寧長公主に助けられていた。危険を徹底的に排除し、弱々しかった異母弟を見守っていた。長公主の降嫁が遅れた原因も、それがあった。
川から引き揚げられた永寧長公主は、とても弱りきっていた。今までの様な姉ではなく、何処か頼れない、弱々しい背中をしていた。
『私は、邪魔者よ。』
大きく見える筈の姉が、小さく見えた。震えた声で言っていた。どうか、死なせてくれと。
『死なないでくれよ、姉さん。』
自分が死んでも、誰も悲しんではくれない。そう、言っていた。旲瑓は、自分が悲しむ、と返した。
永寧長公主はそれから七年間、生き恥をかきながら、肩身狭く、生きていた。
長公主は二十五になっていた。
誰にも必要とされない我が身を憂いていた。疲れていたのだろう。態々茶化しに来た妹公主の台詞は逆鱗に触れる物だった。
『疾くと去ね!』
そう叫んでいた。妹公主とその夫君は、逃げる様に帰って行った。
姉の宮を訪れて、吃驚した。
物という物が床に散乱し、壊されていた。壁には一本、簪が刺さっていた。
そして、永寧長公主は乱れた黒玉の髪に埋もれて、長椅子に横たわっていた。
顔を上げた永寧長公主は、やはり泣いていた。妹に茶化される度、独りで泣いているのを知っていた。
誰もが永寧長公主を腫れ物を扱う様に接した。それが更に長公主を傷つけたらしい。
『もう、夢を見るには遅すぎる。』
笑っていた。自虐的に。そして、弱々しかった。随分と女々しくなってしまった。人の苦は、全て味わっていた。
そっと、頬に添えられた手。見下ろせば、年相応に美しく、艶やかな顔をしていた。だが、気持ちの持ちようか、陰りのある、儚げな顔があった。
もう、守られる歳は終わった。逆に、守ってやりたいと思った。恩返しがしたかったのか。いや、違う。何か、別な物があった。
いつの間にか姉の背を超えた。頼り甲斐のある『姉』はもう、いなかった。代わりに、守ってやりたい、壊れかけた姉がいた。
もう、昔の話なのだ。
今でもその感情が残っているのならば、ひしと隠さねばなるまい。
姉に恋い焦がれてどうする。後宮に入れ、妃にすることも出来ない。
ただ、彼女が、咲いた徒花になり、誰にも見向きもされないで枯れてしまうのは、見たくなかった。
「人生は寄するがごとし、なんぞ楽しまざる。」
何処かで聞いた事のある、そんな言を言っていた。
「どういうことだい。」
「こんな人生、束の間の宿りなんだから、楽しまないでどうする、ということよ。」
永寧長公主は、手の絹団扇を弄んでいた。
何処か、やけになっているのだろう、そう、気がついた。
「東の宮を辞め後、何をしようかなとね。」
何となく分かった。永寧長公主は、宮、と後、を強調して言った。それが分からない程、愚鈍ではなかった。
「名が落ちてしまうのに………でも、姉さんが幸せと思うならば。貴女は、随分とお疲れだもの。」
ふふふっと、永寧長公主は皮肉混じりに笑っていた。
「なに、戯言よ。信じなくても、良い。」
だが、それこそが虚言で、本当は欲しかったのだろう。心の宿り場が。
-旲瑓の後宮という、宿り場を。
そんなものを、ぼんやりと考えていた。
圓寳闐氏の初恋の相手、俐丁理は既に殺されている。それでも、圓氏は待ち焦がれているのだ。心も持って逝かれて、生きている。
(人をあんなにする物か。)
ふふっと、皮肉混じりに笑った。自分には永遠に無縁な物だ。
主上と呼ばれるようになってから、後宮を持ってからは、一人の人に執着してはならなくなった。政治と言うものをよく考慮し、それによって妃を寵愛しなくてはならない。そこに、己の意思は関係ない。
父は、政に力を持たない、市井を後宮に入れた。お陰で、才人や美人、貴人と言った、身分の高くない妃が多くなった。実際、永寧長公主の母以外は市井出身だった。永寧長公主の母淑妃は、名家櫖家である。
父は賢いと思う。だが、自分は、身分だけの人間で、所詮は凡人に毛が生えた様だ。
(ああ、でも。)
昔、初恋と言っていいのか分からない、そんな感情を抱いたことがあった。
(言ってはならなかったが。)
相手は、永寧長公主だった。
物心ついた頃には、三人の公主に虐められていた。旲瑓には、四人の姉が居た。その内、次女、三女、四女とは年が近かった。
『こら、何してるの!小瑓に何やってんのよ!』
八つも歳上の長姉、永寧長公主がよく追い払ってくれた。その後に、三人の公主は団扇でペシペシと肩を叩かれていたのを知っている。
数えの十になるまで、姉公主は突っかかって来た。やはり、永寧長公主に追い払って貰っていた。
『大丈夫?』
自分は、いつも見下ろされていた。十八になる彼女が、何時までも守ってくれるとは限らなかった。だが、その頃はまだ幼く、一尺背の高い姉に縋り付いていた。
旲瑓は永寧長公主に守られて、無事に歳を重ねた。実は、姉公主以外にも命を狙われていたらしい。だが、それをも永寧長公主が潰してくれていた。
永寧長公主に背が届いた頃だ。確か、十五の頃だった。
姉は笑い者にされてしまった。降嫁する筈だった人間に、自害されたのだ。そして、その理由は永寧長公主だった。死ぬ程嫌いだったらしい。
何度も死のうとしていた。それだけ心が弱っているのに、更に追い討ちをかける様に、妹公主が「何で生きてるの、死ねば良いのに」と言った。
永寧長公主が最後に自害しようとしたのは、川だった。入水する為だった。
『姉さん!』
長公主は既に飛び込んで、意識を失っていた。不幸中の幸い、衣裳の裱が何かに絡まって、身体が固定されていたために、直ぐ救出出来た。
不思議に思った。
今までは、永寧長公主に助けられていた。危険を徹底的に排除し、弱々しかった異母弟を見守っていた。長公主の降嫁が遅れた原因も、それがあった。
川から引き揚げられた永寧長公主は、とても弱りきっていた。今までの様な姉ではなく、何処か頼れない、弱々しい背中をしていた。
『私は、邪魔者よ。』
大きく見える筈の姉が、小さく見えた。震えた声で言っていた。どうか、死なせてくれと。
『死なないでくれよ、姉さん。』
自分が死んでも、誰も悲しんではくれない。そう、言っていた。旲瑓は、自分が悲しむ、と返した。
永寧長公主はそれから七年間、生き恥をかきながら、肩身狭く、生きていた。
長公主は二十五になっていた。
誰にも必要とされない我が身を憂いていた。疲れていたのだろう。態々茶化しに来た妹公主の台詞は逆鱗に触れる物だった。
『疾くと去ね!』
そう叫んでいた。妹公主とその夫君は、逃げる様に帰って行った。
姉の宮を訪れて、吃驚した。
物という物が床に散乱し、壊されていた。壁には一本、簪が刺さっていた。
そして、永寧長公主は乱れた黒玉の髪に埋もれて、長椅子に横たわっていた。
顔を上げた永寧長公主は、やはり泣いていた。妹に茶化される度、独りで泣いているのを知っていた。
誰もが永寧長公主を腫れ物を扱う様に接した。それが更に長公主を傷つけたらしい。
『もう、夢を見るには遅すぎる。』
笑っていた。自虐的に。そして、弱々しかった。随分と女々しくなってしまった。人の苦は、全て味わっていた。
そっと、頬に添えられた手。見下ろせば、年相応に美しく、艶やかな顔をしていた。だが、気持ちの持ちようか、陰りのある、儚げな顔があった。
もう、守られる歳は終わった。逆に、守ってやりたいと思った。恩返しがしたかったのか。いや、違う。何か、別な物があった。
いつの間にか姉の背を超えた。頼り甲斐のある『姉』はもう、いなかった。代わりに、守ってやりたい、壊れかけた姉がいた。
もう、昔の話なのだ。
今でもその感情が残っているのならば、ひしと隠さねばなるまい。
姉に恋い焦がれてどうする。後宮に入れ、妃にすることも出来ない。
ただ、彼女が、咲いた徒花になり、誰にも見向きもされないで枯れてしまうのは、見たくなかった。
「人生は寄するがごとし、なんぞ楽しまざる。」
何処かで聞いた事のある、そんな言を言っていた。
「どういうことだい。」
「こんな人生、束の間の宿りなんだから、楽しまないでどうする、ということよ。」
永寧長公主は、手の絹団扇を弄んでいた。
何処か、やけになっているのだろう、そう、気がついた。
「東の宮を辞め後、何をしようかなとね。」
何となく分かった。永寧長公主は、宮、と後、を強調して言った。それが分からない程、愚鈍ではなかった。
「名が落ちてしまうのに………でも、姉さんが幸せと思うならば。貴女は、随分とお疲れだもの。」
ふふふっと、永寧長公主は皮肉混じりに笑っていた。
「なに、戯言よ。信じなくても、良い。」
だが、それこそが虚言で、本当は欲しかったのだろう。心の宿り場が。
-旲瑓の後宮という、宿り場を。
0
あなたにおすすめの小説
神は激怒した
まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。
めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。
ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m
世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる