恋情を乞う

乙人

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初恋

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「恋とは何か。」
 そんなものを、ぼんやりと考えていた。
 圓寳闐氏の初恋の相手、俐丁理は既に殺されている。それでも、圓氏は待ち焦がれているのだ。心も持って逝かれて、生きている。
(人をあんなにする物か。)
 ふふっと、皮肉混じりに笑った。自分には永遠に無縁な物だ。
 主上と呼ばれるようになってから、後宮を持ってからは、一人の人に執着してはならなくなった。政治と言うものをよく考慮し、それによって妃を寵愛しなくてはならない。そこに、己の意思は関係ない。
 父は、政に力を持たない、市井を後宮に入れた。お陰で、才人や美人、貴人と言った、身分の高くない妃が多くなった。実際、永寧長公主の母以外は市井出身だった。永寧長公主の母淑妃は、名家櫖家である。
 父は賢いと思う。だが、自分は、身分だけの人間で、所詮は凡人に毛が生えた様だ。
(ああ、でも。)
 昔、初恋と言っていいのか分からない、そんな感情を抱いたことがあった。
(言ってはならなかったが。)
 相手は、永寧長公主だった。

 物心ついた頃には、三人の公主に虐められていた。旲瑓には、四人の姉が居た。その内、次女、三女、四女とは年が近かった。
『こら、何してるの!小瑓れんちゃんに何やってんのよ!』
 八つも歳上の長姉、永寧長公主がよく追い払ってくれた。その後に、三人の公主は団扇でペシペシと肩を叩かれていたのを知っている。
 数えの十になるまで、姉公主は突っかかって来た。やはり、永寧長公主に追い払って貰っていた。
『大丈夫?』
 自分は、いつも見下ろされていた。十八になる彼女が、何時までも守ってくれるとは限らなかった。だが、その頃はまだ幼く、一尺三◯センチ背の高い姉に縋り付いていた。
 旲瑓は永寧長公主に守られて、無事に歳を重ねた。実は、姉公主以外にも命を狙われていたらしい。だが、それをも永寧長公主が潰してくれていた。
 永寧長公主に背が届いた頃だ。確か、十五の頃だった。
 姉は笑い者にされてしまった。降嫁する筈だった人間に、自害されたのだ。そして、その理由は永寧長公主だった。死ぬ程嫌いだったらしい。
 何度も死のうとしていた。それだけ心が弱っているのに、更に追い討ちをかける様に、妹公主が「何で生きてるの、死ねば良いのに」と言った。
 永寧長公主が最後に自害しようとしたのは、川だった。入水する為だった。
『姉さん!』
 長公主は既に飛び込んで、意識を失っていた。不幸中の幸い、衣裳の裱が何かに絡まって、身体が固定されていたために、直ぐ救出出来た。
 不思議に思った。
 今までは、永寧長公主に助けられていた。危険を徹底的に排除し、弱々しかった異母弟を見守っていた。長公主の降嫁が遅れた原因も、それがあった。
 川から引き揚げられた永寧長公主は、とても弱りきっていた。今までの様な姉ではなく、何処か頼れない、弱々しい背中をしていた。
『私は、邪魔者よ。』
 大きく見える筈の姉が、小さく見えた。震えた声で言っていた。どうか、死なせてくれと。
『死なないでくれよ、姉さん。』
 自分が死んでも、誰も悲しんではくれない。そう、言っていた。旲瑓は、自分が悲しむ、と返した。
 永寧長公主はそれから七年間、生き恥をかきながら、肩身狭く、生きていた。
 長公主は二十五になっていた。
 誰にも必要とされない我が身を憂いていた。疲れていたのだろう。態々茶化しに来た妹公主の台詞は逆鱗に触れる物だった。
『疾くと去ね!』
 そう叫んでいた。妹公主とその夫君は、逃げる様に帰って行った。
 姉の宮を訪れて、吃驚した。
 物という物が床に散乱し、壊されていた。壁には一本、簪が刺さっていた。
 そして、永寧長公主は乱れた黒玉の髪に埋もれて、長椅子カウチに横たわっていた。
 顔を上げた永寧長公主は、やはり泣いていた。妹に茶化される度、独りで泣いているのを知っていた。
 誰もが永寧長公主を腫れ物を扱う様に接した。それが更に長公主を傷つけたらしい。
『もう、夢を見るには遅すぎる。』
 笑っていた。自虐的に。そして、弱々しかった。随分と女々しくなってしまった。人の苦は、全て味わっていた。
 そっと、頬に添えられた手。見下ろせば、年相応に美しく、艶やかな顔をしていた。だが、気持ちの持ちようか、陰りのある、儚げな顔があった。
 もう、守られる歳は終わった。逆に、守ってやりたいと思った。恩返しがしたかったのか。いや、違う。何か、別な物があった。
 いつの間にか姉の背を超えた。頼り甲斐のある『姉』はもう、いなかった。代わりに、守ってやりたい、壊れかけた姉がいた。

 もう、昔の話なのだ。
 今でもその感情が残っているのならば、ひしと隠さねばなるまい。
 姉に恋い焦がれてどうする。後宮に入れ、妃にすることも出来ない。
 ただ、彼女が、咲いた徒花になり、誰にも見向きもされないで枯れてしまうのは、見たくなかった。

「人生は寄するがごとし、なんぞ楽しまざる。」
 何処かで聞いた事のある、そんな言を言っていた。
「どういうことだい。」
「こんな人生、束の間の宿りなんだから、楽しまないでどうする、ということよ。」
 永寧長公主は、手の絹団扇を弄んでいた。
 何処か、やけになっているのだろう、そう、気がついた。
「東の宮を辞め後、何をしようかなとね。」
 何となく分かった。永寧長公主は、宮、と後、を強調して言った。それが分からない程、愚鈍ではなかった。
「名が落ちてしまうのに………でも、姉さんが幸せと思うならば。貴女は、随分とお疲れだもの。」
 ふふふっと、永寧長公主は皮肉混じりに笑っていた。
「なに、戯言よ。信じなくても、良い。」
 だが、それこそが虚言で、本当は欲しかったのだろう。心の宿り場が。

-旲瑓の後宮という、宿り場を。
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