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情
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「どちらが良いと思う?」
青い目をした女が、はしゃいでいた。とても華やかで、美しかった。
「あぁ、早く来ないかしら。」
どうやら、吾が家は宴を催し、騒ぐのがのがお好きらしい。
旲瑓は溜め息をついた。
来月、旲瑓の母太后が自身の宮で、月見の宴を催すと言って来た。毎年のことなので、二つ返事で許可してしまった。
そして、今日、その宴の招待状が届けられたわけである。
月見の宴。
これに参加を許可されるのは、上級の妃、その侍女や従者、そして、宗室の人間に限られる。勿論、降嫁した公主等も招待されていた。
「どうなんだかなぁ。」
優雅な顔の眉間に皺を寄せて、また溜め息をついてしまった。
「え?姉さん、招待されていないのかい。」
「ええ。って、月見の宴って、何?」
宮中の催し事を、まさか、東宮が知らないだなんて、おかしな話だ。
「太后が開く宴だ。宗室の人間は皆呼ばれているはずだよ。毎年開いていたのだけど。」
「聞いたことないわ。何それ。」
(姉さん、毎回風邪だの病だので休まれていたけれど。)
「まさか、そもそも存在を知らなかったのか。」
「ええ…………。何だか太后の宮が騒がしいなとは思っていたのだけど。そう言えば、その日に限って外出を禁じられていたわね。不思議で仕方が無かったのだけれど、太后に逆らう気にはなれなくてね。」
永寧長公主が太后に嫌われていたのは承知していたが、何てことだ。つまり、宗室、皇族として認められていないわけだ。東宮であるのに。
宴の前夜だった。
永寧長公主は、旲瑓の母である太后に呼ばれ、参上していた。
「顔を合わせるのは、久しぶりですこと。達者ですかぇ、長公主。」
「えぇ。勿論のこと。其方こそ、お元気で何よりですわ。太后。」
あれ程嫌っていた太后だ。こうして呼ばれたのにも、何か裏があると分かっていた。だが、行かなければ、何処にあるやら分からぬ権力にて、廃太子にされてしまいそうだ。
「私の好きな物ばかり。太后。御礼申し上げますわ。」
太后と永寧長公主が対立しているのには、幾つか理由がある。
一つは、太后が櫖家縁の家の出身で、櫖家の養子になったことがあるからだ。
また、現在、太后は三十二。永寧長公主は二十六。歳が近いのだ。長公主も歳の近い母を認めず、太后も歳の近い義娘を認めない。常にいがみ合っている。
母親が自害し、ほおって置かれて育った永寧長公主を認めたくないのは分かる。だが、永寧長公主は太后が入内する以前から居たので、真偽は闇の中なのだ。
長公主の好きな料理は、多く出された。長公主も気を張っていたが、太后に、毒味役を連れてくるのを止められてしまった。
こうなったら、もう、太后を信じる他なかろう。だが、信じられるわけが無い。
(ん?)
手が止まった。
まずい。そう、直感で感じた。
長公主は手を喉に突っ込み、食べていた物を吐き出した。
「太后様の御前で、失礼ではありませんか!」
近くの侍女が言った。太后の侍女だ。
「痴れ者!」
永寧長公主は叫んだ。
「これは、毒だ!」
咄嗟に長公主は食器に銀の簪を差し込んだ。変色していた。
「私を、東宮を殺そうとしていたのだな!」
そうよ、と太后は艶やかに笑った。
そこまでしか、記憶が続かなかった。プツンと糸が切れたが如く、倒れてしまったのだ。
(何処なの?此処。)
視界がぼんやりとしている。頭も痛い。状況が、全く読めなかった。
ただ、手の触感から、寝台に居るのは分かった。だが、誰のかは分からない。
外ががやがやと騒がしい。ああ、そうか、今宵は宴があるのか。
のそりと長公主は起き上がった。布団の上には、青い衣が掛けてあった。それに、見覚えがあった。
(そう………此処は、旲瑓の宮なのね。)
胸を撫で下ろした。ホッとした。
青い衣、旲瑓の衣に、顔を埋めた。残り香が薫って、暫し、幸せな気分になった。
「旲瑓様。」
女の声がした。
永寧長公主は咄嗟に隠れた。
窓の外からする声は、旲瑓と、もう一人。恐らく、榮氏。
(旲瑓の寵姫だったかしら。)
こんな所にいては、誤解されないか。いや、誤解されても構わない。自分に限ってのことだが。
駄目だと分かっているのだが、つい、聞き耳を立ててしまうのが、人の性だ。
旲瑓は榮氏の白い手を取って、口を開いた。
「私の最愛は、其方だよ。」
『私ノ最愛ハ、其方ダヨ。』
永寧長公主は耳を塞いだ。だが、確りと聞いてしまっていた。頭の中で、繰り返される。
(そっか、私は、最愛の人ではなかったのね。)
肩を落とした。悲しかった。
「きゃぁぁぁぁ!」
女の、劈く様な声がした。
(何事!?)
窓を開け、辺りを見た。
四人。四人いた。旲瑓、榮氏、あと黒服の背高が二人いた。榮氏は細腕を拗られていた。旲瑓は口を抑えられてガクリと項垂れていた。
「何をしておる!」
月見の宴とは言え、雲に隠れることもある。今は実際、隠されてしまい、辺りを見渡すのも難しかった。たまたま永寧長公主は目がよかっただけで。
窓から飛び降りた。一応、室に飾られていた剣を片手に。
「誰だ!」
「私だ!東宮だ!その二人の姉だ!離したまえ!」
永寧長公主は威嚇しながら、鞘から剣を抜いた。
「其奴も捕まえろ!」
手を伸ばした一人の手の甲を叩いた。体をひねり、顔を蹴った。裳が捲れ、脚が見えてしまった。端ないが、この際仕方がない。
「穢らわしい手で、小瑓に触るんじゃないわッ!」
昔、同じ事を言ったことがある。その頃はまだ旲瑓は子供だったが、今は違う。小瑓と呼んではならないのに。
「姉さん!いくら手練の姉さんでも、無理じゃないか!無茶をしないでくれ、頼む!」
「お黙りなさい!」
もう一人には、峰打ちを食らわせた。それも、剣で。怪我をしないように、寸止めで。だが、鞘に戻す時そうとして、それの頬を掠ってしまった。
「私が死ねど、代わりは居るわ!」
はあはあと肩で息をした。久しぶりに動いたことを後悔した。隣を見た。
旲瑓は腕から血を滲ませていた。髪もちぎられザンバラに、冠も被れなくなっていた。
「長公主様。有難う御座いました!」
怯えながらも、気丈な榮氏は、丁寧に頭を垂れた。
「勘違いしないで、徳妃。私は、其方を助けたわけじゃないの。寝覚めが悪いからよ。」
背を向けた。
血塗られた剣を薄絹の裱で拭き取った。
「旲瑓。お前、自分の身くらい守れなければ駄目よ。いつ襲われるか分からないんだから。」
-良かった。旲瑓が無事で。榮氏なんてどうでも良い。ただ、旲瑓が生きていれば良かった。
「気紛れの情よ。」
本心を隠すのは苦手だ。旲瑓は長公主に近づいて、囁いた。
『有難う。』
乱れた後髪をサラリと柔らかく梳いて、そっと口付した。
「じゃあ、姉さん。御休み。」
永寧長公主は振り返らなかった。手を振り、そっと、後髪に口付けた。
青い目をした女が、はしゃいでいた。とても華やかで、美しかった。
「あぁ、早く来ないかしら。」
どうやら、吾が家は宴を催し、騒ぐのがのがお好きらしい。
旲瑓は溜め息をついた。
来月、旲瑓の母太后が自身の宮で、月見の宴を催すと言って来た。毎年のことなので、二つ返事で許可してしまった。
そして、今日、その宴の招待状が届けられたわけである。
月見の宴。
これに参加を許可されるのは、上級の妃、その侍女や従者、そして、宗室の人間に限られる。勿論、降嫁した公主等も招待されていた。
「どうなんだかなぁ。」
優雅な顔の眉間に皺を寄せて、また溜め息をついてしまった。
「え?姉さん、招待されていないのかい。」
「ええ。って、月見の宴って、何?」
宮中の催し事を、まさか、東宮が知らないだなんて、おかしな話だ。
「太后が開く宴だ。宗室の人間は皆呼ばれているはずだよ。毎年開いていたのだけど。」
「聞いたことないわ。何それ。」
(姉さん、毎回風邪だの病だので休まれていたけれど。)
「まさか、そもそも存在を知らなかったのか。」
「ええ…………。何だか太后の宮が騒がしいなとは思っていたのだけど。そう言えば、その日に限って外出を禁じられていたわね。不思議で仕方が無かったのだけれど、太后に逆らう気にはなれなくてね。」
永寧長公主が太后に嫌われていたのは承知していたが、何てことだ。つまり、宗室、皇族として認められていないわけだ。東宮であるのに。
宴の前夜だった。
永寧長公主は、旲瑓の母である太后に呼ばれ、参上していた。
「顔を合わせるのは、久しぶりですこと。達者ですかぇ、長公主。」
「えぇ。勿論のこと。其方こそ、お元気で何よりですわ。太后。」
あれ程嫌っていた太后だ。こうして呼ばれたのにも、何か裏があると分かっていた。だが、行かなければ、何処にあるやら分からぬ権力にて、廃太子にされてしまいそうだ。
「私の好きな物ばかり。太后。御礼申し上げますわ。」
太后と永寧長公主が対立しているのには、幾つか理由がある。
一つは、太后が櫖家縁の家の出身で、櫖家の養子になったことがあるからだ。
また、現在、太后は三十二。永寧長公主は二十六。歳が近いのだ。長公主も歳の近い母を認めず、太后も歳の近い義娘を認めない。常にいがみ合っている。
母親が自害し、ほおって置かれて育った永寧長公主を認めたくないのは分かる。だが、永寧長公主は太后が入内する以前から居たので、真偽は闇の中なのだ。
長公主の好きな料理は、多く出された。長公主も気を張っていたが、太后に、毒味役を連れてくるのを止められてしまった。
こうなったら、もう、太后を信じる他なかろう。だが、信じられるわけが無い。
(ん?)
手が止まった。
まずい。そう、直感で感じた。
長公主は手を喉に突っ込み、食べていた物を吐き出した。
「太后様の御前で、失礼ではありませんか!」
近くの侍女が言った。太后の侍女だ。
「痴れ者!」
永寧長公主は叫んだ。
「これは、毒だ!」
咄嗟に長公主は食器に銀の簪を差し込んだ。変色していた。
「私を、東宮を殺そうとしていたのだな!」
そうよ、と太后は艶やかに笑った。
そこまでしか、記憶が続かなかった。プツンと糸が切れたが如く、倒れてしまったのだ。
(何処なの?此処。)
視界がぼんやりとしている。頭も痛い。状況が、全く読めなかった。
ただ、手の触感から、寝台に居るのは分かった。だが、誰のかは分からない。
外ががやがやと騒がしい。ああ、そうか、今宵は宴があるのか。
のそりと長公主は起き上がった。布団の上には、青い衣が掛けてあった。それに、見覚えがあった。
(そう………此処は、旲瑓の宮なのね。)
胸を撫で下ろした。ホッとした。
青い衣、旲瑓の衣に、顔を埋めた。残り香が薫って、暫し、幸せな気分になった。
「旲瑓様。」
女の声がした。
永寧長公主は咄嗟に隠れた。
窓の外からする声は、旲瑓と、もう一人。恐らく、榮氏。
(旲瑓の寵姫だったかしら。)
こんな所にいては、誤解されないか。いや、誤解されても構わない。自分に限ってのことだが。
駄目だと分かっているのだが、つい、聞き耳を立ててしまうのが、人の性だ。
旲瑓は榮氏の白い手を取って、口を開いた。
「私の最愛は、其方だよ。」
『私ノ最愛ハ、其方ダヨ。』
永寧長公主は耳を塞いだ。だが、確りと聞いてしまっていた。頭の中で、繰り返される。
(そっか、私は、最愛の人ではなかったのね。)
肩を落とした。悲しかった。
「きゃぁぁぁぁ!」
女の、劈く様な声がした。
(何事!?)
窓を開け、辺りを見た。
四人。四人いた。旲瑓、榮氏、あと黒服の背高が二人いた。榮氏は細腕を拗られていた。旲瑓は口を抑えられてガクリと項垂れていた。
「何をしておる!」
月見の宴とは言え、雲に隠れることもある。今は実際、隠されてしまい、辺りを見渡すのも難しかった。たまたま永寧長公主は目がよかっただけで。
窓から飛び降りた。一応、室に飾られていた剣を片手に。
「誰だ!」
「私だ!東宮だ!その二人の姉だ!離したまえ!」
永寧長公主は威嚇しながら、鞘から剣を抜いた。
「其奴も捕まえろ!」
手を伸ばした一人の手の甲を叩いた。体をひねり、顔を蹴った。裳が捲れ、脚が見えてしまった。端ないが、この際仕方がない。
「穢らわしい手で、小瑓に触るんじゃないわッ!」
昔、同じ事を言ったことがある。その頃はまだ旲瑓は子供だったが、今は違う。小瑓と呼んではならないのに。
「姉さん!いくら手練の姉さんでも、無理じゃないか!無茶をしないでくれ、頼む!」
「お黙りなさい!」
もう一人には、峰打ちを食らわせた。それも、剣で。怪我をしないように、寸止めで。だが、鞘に戻す時そうとして、それの頬を掠ってしまった。
「私が死ねど、代わりは居るわ!」
はあはあと肩で息をした。久しぶりに動いたことを後悔した。隣を見た。
旲瑓は腕から血を滲ませていた。髪もちぎられザンバラに、冠も被れなくなっていた。
「長公主様。有難う御座いました!」
怯えながらも、気丈な榮氏は、丁寧に頭を垂れた。
「勘違いしないで、徳妃。私は、其方を助けたわけじゃないの。寝覚めが悪いからよ。」
背を向けた。
血塗られた剣を薄絹の裱で拭き取った。
「旲瑓。お前、自分の身くらい守れなければ駄目よ。いつ襲われるか分からないんだから。」
-良かった。旲瑓が無事で。榮氏なんてどうでも良い。ただ、旲瑓が生きていれば良かった。
「気紛れの情よ。」
本心を隠すのは苦手だ。旲瑓は長公主に近づいて、囁いた。
『有難う。』
乱れた後髪をサラリと柔らかく梳いて、そっと口付した。
「じゃあ、姉さん。御休み。」
永寧長公主は振り返らなかった。手を振り、そっと、後髪に口付けた。
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