ギアレノス・サクラオス ~司書アレンと白蓮の剣~

耄碌狸翁

文字の大きさ
1 / 1
紋一つ ナケマメラ

図書館(ふみどころ)

しおりを挟む
 司書ふみつかさ は悲しんだ。岩戸いわどの小さきに、ではない。きたる者の少なきに、である。
 全く、大人も小人こどもも、本離ふみばなれがあっていけない。本は人の心を、豊かにするというのに。
 彼は心の中で、そう呟いた。幹の内側に作られた本棚ふみだな階段きざはしは、夕日の赤の中で渦を巻いている。
 彼の名はアレン。齢十二よわいそふ司書ふみつかさを志し、十六そむとなればメリア公国きみぐにが港町、「ナケマメラ」を任された、誠に秀でし者である。その間、夏に蛍を集めては学び、冬に積もりし雪の返す、月明かりを頼りに学ぶ、その様を日毎ひごとに繰り返した。おかげで容姿みめかたちは、白髪白肌片眼鏡しらかみしらはだかためがねとなった。そのアレンが、皆に足しげ図書館ふみどころへ通ってほしい訳は、他にあった。
 ──心を豊かにするだけじゃない。そもそも皆、ふみを手にとって学ばなければいけないんだ。
 この世界ラクトフォルでは、その国の力が基準もとのりより下回るならば、他の国より使いが来て、魔術のりとを教えることになっている。メリア公国きみぐにはクイエル王国おおきみぐに公爵おみの住める国ということもあるため、王国おおきみぐにの生まれであるアレンは、教え人も兼ねてナケマメラが司書ふみつかさをやっているのである。しかし、学び場代わりの図書館ふみどころへ、アレンの話を聞きに来るのはいいが、本を借りてくれはしない。そのことで彼は頭を抱えていた。
 彼が大きくため息をつくと、誰かが入り口の扉を開けた。黒髪に黒き瞳、そして、白肌に映える赤き唇、みめ麗しき乙女が、図書館の外から入ってきた。
「──ああ、ノラか。どうしたんだ?」
「村の子供たちがちゃんとふみを借りているかどうか見に来たの」
 ノラと呼ばれた乙女は、そういって周りを見回した。しかしここにいるのは、アレン只一人である。
「……でもこの様子だと、だれも来ていないみたいね、あなた」
「──ああ。これにはとても参っている」
「最初は物珍しさに──まぁ、あなたを見に来るために──たくさん人が集まって、いろんな本を借りに来てくれたはずなんだけど……、もしかしてそれは、夢だったのかしら」
 少し巫戯ふざけたノラの言葉に、アレンは少し笑った。その静かな微笑ほほえみは、夕日のあかによく映えた。
 ──ああ、この言葉を聞くのは何度目だろうか。こいつが俺の所へ来て、もう二年ふたとせとなった。
 ノラという少女おとめは、二つ下に年が離れた、アレンの妻である。彼女は、アレンを一目見て惚れてしまったのだという。
 まだ彼女の、彷徨さまよいたりし頃、ナケマメラに宿りし頃である。
 図書館ふみどころありし大樹おおきもとつちがみはわみめうるわしき少年おとこ、その様白蓮しらはちすが如く。──見たるノラは、はと息を飲んだ。心臓むなわたが、ひどくはりつめていた。
 下腹の奥で何かが響き、心臓あたりも苦しい。それでいて、体がほのかに熱い。遠くの少年おとこが、白と衣服ころもの黒にぼやけていく。──ノラは此等の、恋より起きたるを知った。
 ......ああ、私。一目惚れしたんだ。
 黒き衣服ころも少年おとこの周りは、それを知っただけで殊なるものとなった。鳥の囀りは少年を称え、木立の囁きは彼に抱き締めらるるを誘う。さらざれば、彼仄に消え行くべしや、と。
「......すまない、はわけないから袖を引かないでくれないか」
「……え?」
 彼の言う通り、少女おとめは彼が袖を引き止めていた。木々の誘いはその時のノラを惑わせるに十分であった。澄まして言うのであれば。
 彼女は怖かったのである。ままにすれば、恋が実らぬまま、彼が消えゆく心地がした故に。
「ご、ごめんなさい!」
 ノラは恥ずかしくなり、即ち袖を離して宿へ戻った。
 
「……あのときから日毎ひごとに、この図書館ふみどころへ通うようになったのだよな」
 アレンはノラを見ながら、そう呟いた。少女は気づく。
「独り言いってどうしたの?」
 ノラはけしき顔をアレンに見せた。
「いや、……Fia estamnōsia, giono niomoymōわたしをめちゃくちゃにして……だったか。それが結婚をせがむ言葉と気づくのに、どれほどの時を費やしたことか、考えていてな」
「……お願いだからそのことは忘れて」
 夜伽よとぎを誘う色がある言葉は、ノラの口から出たものである。そして言葉は、時を経て変わっていくものである。
まだクィエルが言葉を蓄えていなかった少女は、辞書ことしりぶみをひたむきに探し、言葉を建ててアレンに言ってみたが、その辞書が甚だ古いものであったために、そのこころは色めいたものになっていた。おかげで彼が向ける少女への眼差しは冷たかった。
「あのときのアレン、本当に怖かったんだから」
「確かすぐに気が付いのだからいいだろう」
「……そうね。次の日アレンが顔を赤くして私のこと見ないからすぐ気づいたわ」
「──むう、からかい返すのかノラは」
「仕返ししたっていいじゃない」
「なんだと」
「なによ」
 二人はにらみ合ったが、耐えられずに笑い出した。この上なく仲睦まじき二者ふたかたである。

時計ときつげ午後五時ギオセロ・トーシュ示したり。――図書館ふみどころを閉ざす頃である。其処等そこら本棚ふみだなや壁は、夕陽の朱に染まっていた。
「……もうそんな時間か」
 アレンは帰りを営んだ。ノラもそれに続く。窓中まどなかの、木々の狭間より見えたる夕陽は海に浸かり、朱い足を広げている。
 彼と少女は扉の前に立った。少年おとこは息を吸った。

 Soliulos Safasica Somuro torausol
 Estamdormo neltius
 “Estamclovo” Tamp torao
 “Estamnocio” Deo toraum
 Sanocia Sapara ventauluem 

 本棚ふみだなや 梯子や壁に 告げ候
 緩緩ゆるゆる汝等なんだち 休む可し
 漸漸やうやう閉ぢよ 時伝ふ
 漸漸休め 陽は告げむ
 夜がきたる故 明日来る為 
 
 声音は天井そらまで響いた。本棚や幹が内につく梯子、壁などは、そろそろと朱色を淡くする。そうして、その朱は丸くなり、安らぎ与えるともしびとなった。
「いつ聞いても澄んでいて心地いいわ、あなたの声は」
「褒めたってなにも出ないからな。──ほら、行くぞ」
彼は少女おとめみてを引き、図書館を後にした。


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

勇者パーティーを追放されました。国から莫大な契約違反金を請求されると思いますが、払えますよね?

猿喰 森繁
ファンタジー
「パーティーを抜けてほしい」 「え?なんて?」 私がパーティーメンバーにいることが国の条件のはず。 彼らは、そんなことも忘れてしまったようだ。 私が聖女であることが、どれほど重要なことか。 聖女という存在が、どれほど多くの国にとって貴重なものか。 ―まぁ、賠償金を支払う羽目になっても、私には関係ないんだけど…。 前の話はテンポが悪かったので、全文書き直しました。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。 どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。 何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。 絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。 没ネタ供養、第二弾の短編です。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

義弟の婚約者が私の婚約者の番でした

五珠 izumi
ファンタジー
「ー…姉さん…ごめん…」 金の髪に碧瞳の美しい私の義弟が、一筋の涙を流しながら言った。 自分も辛いだろうに、この優しい義弟は、こんな時にも私を気遣ってくれているのだ。 視界の先には 私の婚約者と義弟の婚約者が見つめ合っている姿があった。

処理中です...