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幕間
ノア王太子の思惑【リアム視点】
しおりを挟む船旅を終えたリアムは、ウェスト侯爵家の馬車に揺られ、王城へと急ぎ向かっていた。
アイシャとの将来を考えれば、すぐにでも行動を起こさなければ、間に合わなくなる。悠長なことなどしてはいられない。
ウェスト侯爵領から王都までは、馬車で数時間の距離だ。遠い距離ではない。焦ったところで、仕方ないことは、わかっている。しかし、次に控えるノア王太子のことを考えれば、ジッとなどしていられなかった。
ゆっくりと進む車窓を眺め、焦りだけが募っていく。
アイシャとの船旅は夢のような時間だった。まさか、こんなに早く応えてくれるとは思っていなかった。だが、アイシャは結婚を了承してくれた。しかし、簡単には結婚出来ないのが現実だ。今更ながら、四家で交わした密約を苦々しく思う。
『白き魔女の婚約者の決定権はリンベル伯爵家にあるが、結婚に関しては王家、ナイトレイ侯爵家、ウェスト侯爵家の承諾を必要とする』
何百年も前に交わした密約など、さっさと反故しておけば良かったものを。こんな密約さえなければ何の問題もなく彼女と結婚出来るのに。
アイシャとの結婚に立ちはだかる大きな壁を思い、リアムの胸に鬱屈とした気持ちが込み上げる。
アイシャを政治利用するため手に入れようと考えているであろうノア王太子とは、まだ交渉の余地はある。しかし、キースに関してはハッキリ言って対処法が浮かばない。キースの彼女への想いがどれほどのものかも、分からない。ノア王太子のように交渉してどうこう出来る相手でないのが、頭の痛いところだ。
キースは実直過ぎる。正統派の騎士としては正しい姿なのだろうが、融通が効かない頑固な一面がある。自身が納得する理由が無ければアイシャを諦めてはくれないだろう。
(さて、どうしたものか……)
リアムは天を仰ぎ、深いため息を吐く。
「リアム様、王城へ到着致しました」
御者の声に気を引き締める。
外側から扉が開かれ、馬車を降りたリアムに、門扉の前で待機していた侍従が恭しく礼を取り、ノア王太子の待つ執務室への案内を申し出る。
(先触れの使者から、あの方へはすでに話が伝わっているようだな)
ノア王太子が何の条件も出さず、婚約者候補を降りるとは考えられない。どんな要求を飲まされるか分からないが、それ以前にこちらの提案すら一蹴される可能性もある。あの方が同意せざる負えなくなるだけの材料は用意して来た。あとは、あの方の雰囲気に呑まれなければ、きっと上手くいく。
(まずは、第一難関を説得しなければ……)
勝手知ったる王城内、リアムは侍従の案内を断り、ノア王太子の執務室へ向け歩きだした。
♢
「やぁ、リアム。急に先触れの使者なんて立てるから、急ぎの用でもあったのか? 確か今日までバカンスではなかっただろうか? アイシャと……」
執務机で書類を見ていたノア王太子からの先制攻撃が繰り出される。柔らかな口調で笑顔を振りまいているが、目が笑っていない。放たれる黒いオーラに、一瞬、飲まれそうになる。ただ、ここで萎縮しているわけにはいかない。
「えぇ。今日までアイシャとバカンスでしたよ。数刻前に彼女と別れたばかりです。ノア王太子殿下との話し合いが必要になりましたので、急ぎ登城しました。アイシャとの婚約に関しての話し合いをと、思いまして」
「ほぉ~、アイシャとの婚約ですか。まだ、リンベル伯爵家からは何も言ってきていませんが、ウェスト侯爵家には、リンベル伯爵家から何か言って来たのですか?」
「いいえ。リンベル伯爵家からは何も言って来ていません。ただ、アイシャは私との結婚を了承しました」
「アイシャ本人が、婚約を承諾しただと! しかし、結婚には王家とナイトレイ侯爵家の承諾が必要なはずだ。お前達がどう足掻こうとも二家の承諾は得られないよ。他の二家の婚約者候補が辞退しない限り――――、まさか!?」
黒いオーラを放ち、似非笑いを浮かべていたノア王太子の顔が、初めて苦々しく歪む。
「リンベル伯爵からアクションを起こされる前に、ノア王太子殿下と話し合いを持ちたかったのですよ。だから急ぎ登城する必要があった。貴方と交渉する為に。ノア王太子殿下に伺います。なぜ貴方は、アイシャを手に入れたいと思ったのか? 愛などという戯言は聞きませんよ。本心を話して頂きたい」
「私の本心を一臣下に話すとでも思っているなら、自惚れもいいところだな」
「そうですか……、では私の考えを聞いた上で判断頂ければ結構です。ノア王太子殿下は、私やキースと同じようには、アイシャを想っていない。恋愛感情など全くありませんよね。王太子だからこそ恋愛感情なんてものに振り回されれば、足元をすくわれ兼ねないことは、誰よりもご存知のはずです」
「確かに、その通りだね。しかし、それは君たちも同じではないのかい。結婚に恋愛感情など不要。貴族の結婚とは、そういうものだろう」
「そうですね。貴族の結婚は政略的なもの。ただ、王族の結婚に関してだけ言えば、政治的な思惑が強く絡むのは世の常です。王太子なら次期王としての立場を強くし、国民に慕われ、自身を政治の面からも支えることの出来る女性を、王太子妃に迎えたいと考えるのは自然な事です」
「そんな女性を迎えられたら、確かに私の治世は、揺るぎないものになるだろうね」
「『白き魔女』という伝説的な女性を王太子妃に迎えれば、貴方の王太子としての立場は今よりも強いものになる。この国には『白き魔女の恩恵を受けし伴侶は世界の覇者となる』なんていう、カビの生えた伝承がありますからね。貴方は『白き魔女』としてのアイシャを手に入れたいだけだ。『白き魔女』であれば、アイシャでなくとも、誰でもいいのではありませんか? 巷で噂になっているドンファン伯爵家の、もう一人の白き魔女でも」
「確かに、そうだね。私も王太子である以上、愛だの恋だの、そんな不確かな感情に興味はない。『白き魔女』というネームバリューは実に魅力的だよ。貴族のみならず、平民からの支持を得るための格好の材料となる。私が王となる治政を絶対的な力で支配することが可能だ。実に魅力的な存在だよ『白き魔女』は。だから私がこのゲームを降りる選択肢はないよ」
くくくっと、笑いをこぼし、『この話は終わり』とでも言うように手を振るノア王太子の不敵な笑みを見て、リアムは苦々しく思う。
「アイシャと過す一週間も残っていることだしね。人の恋心なんて一瞬で変わるものだよ。今は君と結婚するつもりでも一週間後は、私と結婚すると言っているかもしれないだろう。彼女の君に対する恋心は、どれくらい深いものなんだろうね~? 恋を知ったばかりのアイシャの気持ちを変えさせるのは、案外簡単かもしれないね」
アイシャの恋心。
ノア王太子の手にかかれば、恋愛経験皆無のアイシャなど簡単に転がされてしまう。ノア王太子に言いくるめられ、いつの間にか結婚を承諾していたなんてことに成りかねない。だからこそ、この男と彼女が一緒に過ごす前に決着をつけたかったのだ。
アイシャの心に芽生え始めた恋心を壊されるわけにはいかない。
「ノア王太子殿下の治政は『白き魔女』を手に入れさえすれば本当に安泰と言えるのでしょうか? 貴方が政治目的のためアイシャを利用するというのなら、貴方の治政ではウェスト侯爵家は徹底的に対抗しますよ。もちろん、ナイトレイ侯爵家の次期当主であるキースも巻き込むつもりです」
「なんだと!?」
ノア王太子の顔が歪み、眼孔するどく睨みつけられる。
これこそが、王家の弱み。古き時代から、白き魔女の両翼として君臨したウェスト侯爵家とナイトレイ侯爵家の力は、時を経て、他の貴族家とは一線を画すものへとなっていた。王家といえども、手を組んだ二大侯爵家に対抗するのは容易なことではない。
だからこそ、切り札になる。
「ナイトレイ侯爵家は『白き魔女』の片翼として、アイシャの望まぬ政略結婚を良しとはしないでしょう。しかもキースは、アイシャに忠誠を誓ったそうだ。愛する彼女が、無理矢理貴方と結婚させられると吹き込んだら、どうなるでしょうね? 貴方の治政はウェスト侯爵家とナイトレイ侯爵家を敵に回しても安泰と言えますか?」
ノア王太子が難しい顔をして黙り込む。
「アイシャには、自身が『白き魔女』だなんて知らずに人生を歩んで欲しいと思っています。そんな柵、彼女に背負って欲しくない。ノア王太子も知っているのではありませんか? 彼女の最大の魅力は、誰にも何にも囚われない生き方にあると。彼女の自由な発想と行動力は眩しいくらいに輝いて見える。柵ばかりの貴族社会の中にいても輝く、彼女の魅力を『白き魔女』という鎖で縛りたくはないのです」
「ふふ、ははは。確かに、昔からアイシャは規格外の令嬢だったよ。私からの誘いを、あの手この手で断り続けた令嬢はアイツくらいだ。アイシャの心の中には、結局リアムしかいないのか……」
自嘲的な笑みを浮かべ、ボソッと言われた最後の言葉がリアムの頭の中で、ある違和感を生む。しかし、次に発せられた言葉に、そんな疑問も、どこかへと消え去った。
「私は、この婚約騒動から降りるよ。さすがに、二大侯爵家を敵に回したら、私の治世は終わりだ。『白き魔女』というネームバリューは魅力的だが、アイシャの嫌がる政略結婚は望んでいない」
ノア王太子の言葉が本心かどうかなど、関係ない。『婚約者を降りる』と言う言葉を引き出せただけで充分だ。
「では、私とアイシャとの婚約を認めてくださると!」
「私はアイシャの婚約者候補を降りるとは言ったが、君とアイシャの婚約を認めるとは言っていないよ」
「えっ!? なんですって……」
「私にとっては、アイシャが君と結婚しようが、しまいが関係ない。別に、キースと結婚したっていい訳だしね。だから、アイシャのリアムへの愛が本物か、確かめさせてもらう。君が、私の要求を飲むのなら認めてあげないこともないよ」
やはり、簡単には認めないか。
このまま無条件に認めるとは思っていなかったが、目の前でクスクスと笑うノア王太子を見つめ、リアムの中で苛立ちが増していく。
「――――要求ですか? 簡単には認めないと言う訳ですね。それで、その要求とは何ですか?」
「もう一人の白き魔女、グレイス・ドンファンの真価を見定めるため、彼女に近づき情報を集めること。リアムにとっては簡単な仕事だろう? 君の諜報能力は優秀だと聞くしね」
「そんなことですか。でしたら、私が出る必要もありませんね。ウェスト侯爵家が集めた情報をお渡ししますよ」
「くくく、君は何を勘違いしているのだい。ウェスト侯爵家のもつ情報を王家が知らないとでも? 私が知りたいのは、ドンファン伯爵家が、たくみに隠している『白き魔女』捏造の証拠だよ。それには、あの家の懐に入らねばならない」
「私に、何をしろと?」
嫌な予感が、ひしひしと脳内を侵食し、落ち着かない。
「グレイスがドンファン伯爵家へ養女に入ってからの『白き魔女』としての『さきよみの力』はどうにも怪しい点が多いが、なかなか尻尾が掴めない。巧みにドンファン伯爵が証拠を隠している。本物の『白き魔女』であれば、王家は保護する必要がある。しかし、それを見定める事が出来ずにいるのが、実情だ。あの家に近づくには、ウェスト侯爵家のお前がグレイス嬢の婚約者にでもなれば簡単だろう。婚約者となれば、気が緩み正体を現すかもしれん」
嫌な予感が的中したことを知り、苦々しい気持ちが込み上げる。
為政者としては、正しい姿なのかもしれないが、それに巻き込まれる身となれば、これほど厄介な人物はいない。
ノア王太子の狡猾さに、反吐が出る。
アイシャの恋心を疑っているわけではない。ただ、恋を自覚したばかりの彼女の心は、とても脆く、不安定だ。グレイスとの婚約が発表されれば、アイシャの心がどうなるかはわからない。
裏切られたと思い、自暴自棄になり、キースの手をとってしまうかもしれない。
(ノア王太子との密約をアイシャに話しておけば……)
そんな思いも、次に続いたノア王太子の言葉に、打ち砕かれてしまう。
「あぁ、そうそう。今回の密約に関して、アイシャに打ち明けるのはなしだ。自分が『白き魔女』だと、気づくきっかけになってしまうかもしれないからね」
アイシャには、己が『白き魔女』だと知らずに生きてほしいと思っているリアムにとっても、彼女が『白き魔女』だと知るきっかけを作ることは避けたい。ただ、何も知らせずに、事を起こした場合の代償はあまりにも大きい。
(どうすれば、いいのだろうか……)
リアムの心が揺れる。
「お前だってアイシャを害する可能性のあるグレイス嬢の存在は、無視出来ないと考えているのではないか? アイシャと一度離れても彼女の気持ちが変わらず、お前を愛し続けるのなら婚約を認めてやるよ。まぁ、その間にキースに持っていかれる可能性もあるがな。さて、このゲーム。リアムはアイシャとの未来のために、のるかな?」
己の想いを受け入れ、結婚を承諾してくれたアイシャの笑顔が脳裏に浮かぶ。
アイシャとの未来のために……
「そのゲーム、受けて立ちますよ! アイシャとの未来を勝ち取るためにね」
王太子執務室は、お互いを睨みつけ契約成立の握手を交わす美丈夫二人の、冷ややかなオーラに包まれていた。
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