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すれ違う気持ち
しおりを挟む身体を重ねた夜以降、美咲と廉は顔を合わせていない。美咲が起きる前に家を出る廉は、夜も遅く深夜に帰宅する。美咲もまた、廉と会わないように
自室にこもっていた。
息をひそめ、廉からのアクションにビクビクしながら過ごす日々は、美咲に会わないように時間を調整しているかのような廉の態度に、杞憂に終わっている。
「今日も朝食作ってあるよ……」
朝も早いし、夜も遅いんだから毎朝作らなくてもいいのに。
律儀に毎朝作られている朝食を見ても、美咲の心にあいた穴は広がっていくばかりだ。
『きちんと睡眠取れてるの?』なんて、どうでもいいことを考えつつ、朝食を平らげる。
ささっと片付けを終えた美咲は、虚しい気持ちを誤魔化すように無理やり笑みを浮かべると、マンションを飛び出した。
♢
見知った道に、見知った電車。大学までの通学路でさえ、廉と暮らし始めてから変わってしまった。
貧乏学生らしく、安アパートに住んでいた頃は、大学から一時間以上も離れた所から通っていたのだ。しかし今では、大学までたった三駅。朝もゆっくり出来、美味しい朝食も食べられる廉との生活は、はたから見れば至れり尽くせりの生活だろう。百円の食パンを牛乳で流し込み、通学電車に駆け込む生活とは雲泥の差だ。廉に対する虚しい感情を無視すれば、幸せな生活だと言えるのかもしれない。
満員電車に揺られ、大学の最寄り駅で降りた美咲は、友人に声をかけられた。
「美咲、おはよう」
「あっ! おはよう瑠璃」
背後からかけられた声に振り向けば、改札をぬけこちらへと駆けてくる瑠璃の姿が見えた。軽く挨拶を交わした二人は、大学への坂道を歩きはじめる。
「ねぇねぇ、美咲。今度の日曜日、他の大学と合同で飲み会するんだけど来ない?」
「飲み会?」
「まぁ、飲み会って言っても合コンみたいなもんなんだけどね。アルバイト先の男子が、合コンセッティングしろって煩くて」
確か、瑠璃は居酒屋でバイトをしているって言ってたっけ。歳が近いバイト仲間が多いって言ってたような。
「しかも、聞いてた他のバイト仲間も乗り気になっちゃって、一人ずつ大学の友達連れて合同飲み会しましょってことになったのよ。たぶん二十人くらいになるかな。合コンって言ってもサークルの飲みにちょっと男子が混ざるくらいの気軽さだし、参加してみない?」
「飲み会かぁ~、バイトに明け暮れて最近行ってないかぁ」
「でしょ~。美咲、可愛いのに全く彼氏出来ないし、合コンで出会いを探すのも大切だよ!」
瑠璃の『彼氏』の言葉に、美咲の脳裏を廉の顔がよぎるが、それを慌てて打ち消す。
(廉は彼氏でも、なんでもないし……)
美咲は沈みそうになる気持ちを振りきるように、わざと明るい声を出す。
「彼氏が出来ないんじゃなくて、作らないの! まぁ、気晴らしに参加するのも良いかもね。ちょっと考えさせてくれる?」
「いいよ。出来れば水曜日までに返事もらっていい? 予約の関係もあるから」
「了解。早めに返事するね」
廉は合コンに参加しても、なんとも思わないんだろうなぁ。私も早く新しい彼氏作らなきゃ。
そうしたら廉のことも忘れられるのだろうか?
美咲は心の中で『そんなの無理に決まってる』と思いながら、頭の中から廉の存在を追い払った。
♢
「お疲れさまです!」
大学が終わり、その足でバイト先へと向かった美咲はレストランの裏口から店内へと入り、控え室で制服に着替えていると声をかけられた。
「美咲! すぐフロア出られるか? 満席でスタッフが足りてないんだ。すまんが直ぐ来て欲しい」
「すぐ出られます」
急ぎ支度を整えた美咲は、階下へ降りて行き厨房を覗く。スタッフが忙しなく動きまわる店内をぐるっと見渡しフロアチーフを見つけた美咲は、小走りで彼へと近づき指示を仰いだ。
「チーフ、何をお手伝いすればよろしいですか?」
「とりあえず、二番、三番テーブルに料理を運んでくれ。その後はいつも通り頼む」
「了解です」
大学一年の時から週五で入っているイタリアンレストランのバイトも今年で三年目。バイトとはいえ長く勤めていれば、それなりに頼られるもの。今ではバイトリーダーとしてチーフからの信頼も厚い立ち位置に美咲はいる。
先に働いていたバイト仲間からの安堵の視線を受け、美咲はちょっぴり嬉しくなった。
周りの状況を見て、オーダーを取り、料理を運び、片付けや客の誘導と、人手が足りないところを補うのが美咲の仕事だ。
美咲は、たった数十坪の店内をあっちへ行き、こっちへ行きと、忙しなく動き回る。
(最近、本当に忙しいわ)
昔から美味しいイタリアンを提供すると有名だったこの店は、著名な美食家行きつけの店として、最近TVで紹介された。
TV嫌いのオーナーシェフが取材を断ったが、店名を伏せた状態で紹介されたにもかかわらず、どこで店名を聞きつけたのか客が連日押し寄せ、美咲のバイト先は大混乱になっていた。
元々は大衆イタリアンを掲げる店、扱う料理はワインに合うツマミやパスタ、ピッツァなどありふれた物がほとんどだ。
そのため、地元の人や近場の会社員相手に商売をしていたわけで、予約システムなどない。その結果、連日の行列に店は大混乱に陥ってしまった。
しかし、目のまわるような忙しさも九時を過ぎれば少し落ち着く。外で待つ客も少なくなり、やっと一息つける時間になった。
「いらっしゃい、ませ……」
十時の退勤まで、あと一時間。ほっと一息ついた頃、店内に入って来た客を見て、美咲は言葉を失った。
(なんで……、廉……、彼女は……)
扉を開け入って来た廉に続き入って来た人物を見て、美咲の心臓が嫌な音をたて軋む。長いストレートの黒髪を後ろに流し、品の良いワンピースを着た女性は、三年前に一度だけ会った川口静香さんだった。
グレーのスーツをパリッと着こなした廉と白の上品なワンピースを着た静香。絵のように美しい二人の立ち姿に、居合わせた人達のため息が聞こえる。
『美男美女のカップルだなんて素敵。お似合いの二人だわぁ』
狭い店内のそこかしこから、二人を讃える声が聞こえてくる。
(見たくなかった……)
心がえぐられたようにジクジクと痛み、傷口から血を流す。美咲の顔から血の気がひいていく。
「美咲! 大丈夫か? 顔が真っ青だぞ。少し休むかぁ?」
美咲の異変にいち早く気づいたチーフが心配そうに顔を覗き込む。
「あっ! 大丈夫です。ちょっと疲れが出ただけですから……」
美咲は荒れ狂う心情を悟られないように、無理に笑みをつくり明るくこたえた。
「そうかぁ? まぁ、美咲が大丈夫って言うんなら、大丈夫なんだろうな。お前はしっかりしているから。ただ、あんまり無理すんなよ」
心配顔のチーフだったが、何か思うところがあったのだろう。軽く頭をポンポンと叩かれ、それ以上追求されることはなかった。
「それよか、さっき入って来たご新規さんオーダー取って来てくれ。他のバイトじゃ、緊張してミスりそうだ」
「はっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいチーフ! 私だってミスりますから!」
「お前なら大丈夫だ。ベテランバイトの意地、見せろよ!」
途方に暮れる美咲を残し、最後に爆弾を投下したチーフが去っていく。
(廉と静香さんのオーダーを取りに行くの。それは、あんまりではないか……)
心の叫びは、誰にも届かない。
美咲は片手で顔を覆い、天を仰ぐしかなかった。
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