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四章 鞍馬山の大天狗
十五
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再び暗闇に包まれた。自分以外誰もいない。音もしない、何も見えない、寂しい暗闇だ。心の底まで縮こまってしまいそうになるところに、光が見えた。遠くの方でぼんやり光る灯火のようだった。
その灯火に少しでも近づきたくて、藍は思い切り手を伸ばした。すると、光は大きくなった。やがて辺り一面を覆い尽くして、眩いばかりの閃光となった。
藍が思わず目をつぶり、そしてゆっくりと目を開けると……そこには、いつもの、山南家の居間だった。
見慣れた机、縁側、戸棚、時計、テレビ、畳……すべて、間違いなく毎日目にしている、我が家のものだ。
「おかえり、藍」
その声は、ふいに耳元で響いた。
振り返ると、そこにはいつの間にか毎日顔を合わせる、すっかり馴染んだ人が一人。
「た、ただいま戻りました……太郎さん」
真っ先に目に入ったのが、いつもの太郎の穏やかな笑みだった。藍が美味しそうにご飯を食べているのを見守っている時と、同じ顔だ。
(この人が、どうして私にこんな顔を見せるのか、まだよくわからない。だけど今こんな風に笑えるのは、救われたからだって、わかった)
「? どうしたの?」
太郎の顔がぐんぐん近づいてきた。藍は始めて、自分が太郎をまじまじと見つめていたことに気付いて、慌てて目を逸らせた。
「どうしたのって……何がですか?」
「だって変だよ。ぼーっとしてるし、こんなことしてても怒らないし」
「こんなこと?……あ」
見ると、藍の手のひらに、太郎の手のひらが重なって、しっかりと握りしめられていた。
当然、すぐに振り払った。
「な、何するんですか! いくら何でもことわりもなく……!」
「ごめんごめん。安心したらつい……ことわりを入れたら握っても良かったの?」
「そうしたらちゃんとダメって言ってたって話です!」
「……はぁぁぁぁ」
藍と太郎の間に割って入るように、深いため息が聞こえてきた。
もちろん、そんなことをしたのは、呆れたような苦虫を噛みつぶしたような感情がない交ぜになった複雑な面持ちをした、僧正坊だった。
太郎は、何故か自慢げに言い放った。
「ほら、言ったとおり帰ってきたでしょ。何か感想は?」
「感想だと?」
僧正坊は不機嫌を隠しもしない視線を藍に向けた。先ほどまでとあまりにも違う荒い雰囲気に、藍は少々戸惑った。
「娘、貴様……さては私の心に触れたな?」
「何のことですか?」
とぼけたわけではなく、心から問い返していた。それがわかるからか、僧正坊は口惜しそうに唇を噛んで自ら答えた。
「遮那王に会ったな」
「はい、会いました。義経の子供の頃ですよね。でもどうしてそれを?」
「貴様の心の声を聞いたからだ。神通力には、胸の内の声を読むものもあると聞いただろう」
「ああ、治朗くんがそんなことを……えぇ!? 勝手に聞かないでくださいよ!」
「貴様と太郎が二人の世界に入っているからだろうが。首尾良く運んだのかとほんの少し覗くだけのつもりが……いらんものを見てしまった」
「ということは、私が遮那王に何を言ったのかも……? 私、余計なことしましたか?」
「あれは私の記憶の残像。貴様が何を言ったとて、現実に何の影響もない。まして、とっくの昔に死んだ人間だ」
「そ、そうですよね……良かった」
「だが……ああ言っていれば、歴史はもう少しだけ、あの者に味方したかもしれないな」
その言葉の意味を、問い返そうとしたが出来なかった。僧正坊はそっぽを向いて、藍の方を見ないようになってしまったからだ。
「じゃあ、僧正坊の試験は合格ってことでいいの?」
太郎のその暢気な声に、藍と僧正坊の二人が一斉に振り返った。
「あれ、試験だったんですか!?」
「自分で結界を破れるかどうかの試験だと思ってたんだけど、違うの?」
「違う。あれはこの平和ボケした脳天気娘に少し灸を据えてやるだけのものだ。可も不可もあるか」
「はぁ……お灸ねぇ。それで、僧正坊から見て、効果のほどは?」
僧正坊は、そう言われてもなお、藍の方を頑として見ようとしなかった。意地になっているらしい。
ただ大きく咳払いして、わざとらしい荒い声を挙げた。
その灯火に少しでも近づきたくて、藍は思い切り手を伸ばした。すると、光は大きくなった。やがて辺り一面を覆い尽くして、眩いばかりの閃光となった。
藍が思わず目をつぶり、そしてゆっくりと目を開けると……そこには、いつもの、山南家の居間だった。
見慣れた机、縁側、戸棚、時計、テレビ、畳……すべて、間違いなく毎日目にしている、我が家のものだ。
「おかえり、藍」
その声は、ふいに耳元で響いた。
振り返ると、そこにはいつの間にか毎日顔を合わせる、すっかり馴染んだ人が一人。
「た、ただいま戻りました……太郎さん」
真っ先に目に入ったのが、いつもの太郎の穏やかな笑みだった。藍が美味しそうにご飯を食べているのを見守っている時と、同じ顔だ。
(この人が、どうして私にこんな顔を見せるのか、まだよくわからない。だけど今こんな風に笑えるのは、救われたからだって、わかった)
「? どうしたの?」
太郎の顔がぐんぐん近づいてきた。藍は始めて、自分が太郎をまじまじと見つめていたことに気付いて、慌てて目を逸らせた。
「どうしたのって……何がですか?」
「だって変だよ。ぼーっとしてるし、こんなことしてても怒らないし」
「こんなこと?……あ」
見ると、藍の手のひらに、太郎の手のひらが重なって、しっかりと握りしめられていた。
当然、すぐに振り払った。
「な、何するんですか! いくら何でもことわりもなく……!」
「ごめんごめん。安心したらつい……ことわりを入れたら握っても良かったの?」
「そうしたらちゃんとダメって言ってたって話です!」
「……はぁぁぁぁ」
藍と太郎の間に割って入るように、深いため息が聞こえてきた。
もちろん、そんなことをしたのは、呆れたような苦虫を噛みつぶしたような感情がない交ぜになった複雑な面持ちをした、僧正坊だった。
太郎は、何故か自慢げに言い放った。
「ほら、言ったとおり帰ってきたでしょ。何か感想は?」
「感想だと?」
僧正坊は不機嫌を隠しもしない視線を藍に向けた。先ほどまでとあまりにも違う荒い雰囲気に、藍は少々戸惑った。
「娘、貴様……さては私の心に触れたな?」
「何のことですか?」
とぼけたわけではなく、心から問い返していた。それがわかるからか、僧正坊は口惜しそうに唇を噛んで自ら答えた。
「遮那王に会ったな」
「はい、会いました。義経の子供の頃ですよね。でもどうしてそれを?」
「貴様の心の声を聞いたからだ。神通力には、胸の内の声を読むものもあると聞いただろう」
「ああ、治朗くんがそんなことを……えぇ!? 勝手に聞かないでくださいよ!」
「貴様と太郎が二人の世界に入っているからだろうが。首尾良く運んだのかとほんの少し覗くだけのつもりが……いらんものを見てしまった」
「ということは、私が遮那王に何を言ったのかも……? 私、余計なことしましたか?」
「あれは私の記憶の残像。貴様が何を言ったとて、現実に何の影響もない。まして、とっくの昔に死んだ人間だ」
「そ、そうですよね……良かった」
「だが……ああ言っていれば、歴史はもう少しだけ、あの者に味方したかもしれないな」
その言葉の意味を、問い返そうとしたが出来なかった。僧正坊はそっぽを向いて、藍の方を見ないようになってしまったからだ。
「じゃあ、僧正坊の試験は合格ってことでいいの?」
太郎のその暢気な声に、藍と僧正坊の二人が一斉に振り返った。
「あれ、試験だったんですか!?」
「自分で結界を破れるかどうかの試験だと思ってたんだけど、違うの?」
「違う。あれはこの平和ボケした脳天気娘に少し灸を据えてやるだけのものだ。可も不可もあるか」
「はぁ……お灸ねぇ。それで、僧正坊から見て、効果のほどは?」
僧正坊は、そう言われてもなお、藍の方を頑として見ようとしなかった。意地になっているらしい。
ただ大きく咳払いして、わざとらしい荒い声を挙げた。
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