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第一章 桜舞う
八
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祝言までの一週間は、それはそれは慌ただしいものだった。
衣装合わせに嫁入り道具の運び込み、店のしきたりや仕事についての教授、お得意様への顔見せ等々。
すべてではないが、大口のお得意様にはご挨拶が出来た。
その中には、人間ではない者もいた。狸のご隠居ほどの巨漢ではないが、狐だったり、猫だったり……。
志乃曰く『あやかし』と呼ばれる人ならざる存在なのだとか。
辰々屋は、そんなあやかしと、あやかしたちが暮らす幽世を相手に商いをする店なのだという。
不思議には思っていた。両替商とは、徳川の世にあった、金や銀や銭を取り扱う商売だったはず。明治の世に変わるとカネの在り方は変化し、『両替』の商いも変わっていった。今では銀行に姿を変え、『両替』以外の様々なカネの流通を担っているものだ。
大正の世になっても『両替商』の看板を掲げている理由がわかっていなかったが……ようやく、わかった。
幽世からあやかしが持ち込む金や銀を、政府が発行したカネに変える。あやかしたちが人の暮らす現世で不自由なく暮らせるようにする……それが、この辰々屋の商売なのだ。
本当を言えば、綾は、その存在は知っていた。幼い頃から、時折見えており、祖母から少しだけ話を聞いていたから。
だがこれほど毎日、たくさんのあやかしと会った経験はない。祝言の席には、更に多くのあやかしが参列するのだろう。
綾は正直、驚きはしないが、恐ろしくはあった。
子どもの頃から見てきた彼ら『あやかし』は、いつも綾を喰らおうと目を血走らせていた。祖母も、常に警戒心を持っていたことを覚えている。
だからこそ、人間のお客様とまったく同じ応対をする志乃には感服するばかりだった。
「大事なお客様には変わりありまへんよって」
そう言って笑うのだ。
(私も、あんな風になれるかしら……いえ、ならないといけないのね)
ずっと離れに押し込められていた綾にとって、この数日間は世界が一変するような日々だった。こんなにもめまぐるしい時間を過ごすのは初めてで、夢のようだった。
明日、目が覚めたらすべてが幻だということになりはしないか、そんな不安がよぎってしまう。それでも今は、疲労の方が勝っていた。
いよいよ、祝言を明日に控えた日の夜、綾はひときわ大きな息をつくのだった。
「ふぅ……疲れた……!」
用意された客間に戻ると、今すぐにでも手足を投げ出して寝転びたい衝動に駆られる。
だが、そんなわけにはいかない。そんなだらしない嫁では、いけないのだ。
(こうなったら、この辰々屋様で役に立つ人間にならないと……!)
次は厨房の手伝いに行く。自分を奮い立たせて、部屋から出ようとした、その時だった。
はらりと、淡い色の小さな欠片が舞い込む。
「桜の花びら?」
ふと、庭に目を向ける。そこでは確かに庭中に桜が舞っていた。
空はすでに日が落ちて、墨で塗りつぶしたように黒い。そんな中、桜の花びらだけがひらひらと舞い散っている。風の吹くままに、あちらへ、こちらへ、やっぱりあちらへ……というように。
だけど不思議なことに、庭には桜の木はない。
「どこから流れてきたのかしら……?」
不思議に思って、綾は庭に下りた。桜の源流を突き止めようと、花びらを追う。
それは、庭木戸の向こうから流れてきていた。その行方を追って視線を動かすと、そこには人がいた。
綾に背を向けて立つその人は、背の高い男性だった。
黒く艶めく髪を風に揺らし、静かに桜の舞い踊る様を見つめている。
衣装合わせに嫁入り道具の運び込み、店のしきたりや仕事についての教授、お得意様への顔見せ等々。
すべてではないが、大口のお得意様にはご挨拶が出来た。
その中には、人間ではない者もいた。狸のご隠居ほどの巨漢ではないが、狐だったり、猫だったり……。
志乃曰く『あやかし』と呼ばれる人ならざる存在なのだとか。
辰々屋は、そんなあやかしと、あやかしたちが暮らす幽世を相手に商いをする店なのだという。
不思議には思っていた。両替商とは、徳川の世にあった、金や銀や銭を取り扱う商売だったはず。明治の世に変わるとカネの在り方は変化し、『両替』の商いも変わっていった。今では銀行に姿を変え、『両替』以外の様々なカネの流通を担っているものだ。
大正の世になっても『両替商』の看板を掲げている理由がわかっていなかったが……ようやく、わかった。
幽世からあやかしが持ち込む金や銀を、政府が発行したカネに変える。あやかしたちが人の暮らす現世で不自由なく暮らせるようにする……それが、この辰々屋の商売なのだ。
本当を言えば、綾は、その存在は知っていた。幼い頃から、時折見えており、祖母から少しだけ話を聞いていたから。
だがこれほど毎日、たくさんのあやかしと会った経験はない。祝言の席には、更に多くのあやかしが参列するのだろう。
綾は正直、驚きはしないが、恐ろしくはあった。
子どもの頃から見てきた彼ら『あやかし』は、いつも綾を喰らおうと目を血走らせていた。祖母も、常に警戒心を持っていたことを覚えている。
だからこそ、人間のお客様とまったく同じ応対をする志乃には感服するばかりだった。
「大事なお客様には変わりありまへんよって」
そう言って笑うのだ。
(私も、あんな風になれるかしら……いえ、ならないといけないのね)
ずっと離れに押し込められていた綾にとって、この数日間は世界が一変するような日々だった。こんなにもめまぐるしい時間を過ごすのは初めてで、夢のようだった。
明日、目が覚めたらすべてが幻だということになりはしないか、そんな不安がよぎってしまう。それでも今は、疲労の方が勝っていた。
いよいよ、祝言を明日に控えた日の夜、綾はひときわ大きな息をつくのだった。
「ふぅ……疲れた……!」
用意された客間に戻ると、今すぐにでも手足を投げ出して寝転びたい衝動に駆られる。
だが、そんなわけにはいかない。そんなだらしない嫁では、いけないのだ。
(こうなったら、この辰々屋様で役に立つ人間にならないと……!)
次は厨房の手伝いに行く。自分を奮い立たせて、部屋から出ようとした、その時だった。
はらりと、淡い色の小さな欠片が舞い込む。
「桜の花びら?」
ふと、庭に目を向ける。そこでは確かに庭中に桜が舞っていた。
空はすでに日が落ちて、墨で塗りつぶしたように黒い。そんな中、桜の花びらだけがひらひらと舞い散っている。風の吹くままに、あちらへ、こちらへ、やっぱりあちらへ……というように。
だけど不思議なことに、庭には桜の木はない。
「どこから流れてきたのかしら……?」
不思議に思って、綾は庭に下りた。桜の源流を突き止めようと、花びらを追う。
それは、庭木戸の向こうから流れてきていた。その行方を追って視線を動かすと、そこには人がいた。
綾に背を向けて立つその人は、背の高い男性だった。
黒く艶めく髪を風に揺らし、静かに桜の舞い踊る様を見つめている。
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