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俺様外科医なんか嫌いだ

甘えた声

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 久我先生にキスをされたあの日から、私は故意に彼を避けている。とはいえ、彼は医者なわけで、当然患者を受け持っている。仕事をしていれば、私が日替わりで担当になることもあるわけで、そんな時には報告や、指示受けをしないわけにもいかない。

 目を合わせるのも嫌で、必要最低限のやり取りで済ませると、すぐに逃げるようにそこを離れる。忙しい外科医は、何となくなにかを言いたそうにしていたけれど、呼び止めて話す時間もないのだろう。不機嫌そうに顔を歪めては仕事に戻っていく。

 そんなやりづらい日も今日で4日目。こんなことがいつまで続くんだろうか。そう思いながら、帰り支度をする。時計は19時を回っていた。職員の通用口までは結構距離がある。

 外来を通り抜けると近道なんだよね。
 そんなことを思いながら、真っ暗な外来の廊下を進む。夜の病院は不気味だから近道だとわかっていても皆ここを通りたがらない。
 でも私には霊感なんてないし、5年以上も夜勤をこなしているから夜の病院が怖いなんてこともあまりない。
 それよりも早く帰ってどっぷりお風呂に浸かりたい。

 そんな願望が勝って、歩く速さも増した。スタスタと歩いていくと、話し声が聞こえた。こんな暗い中でも、たまに病棟兼任の外来医師が診察室でパソコン作業をしていたりする。
 きっとそんなものだろうと思ったのだが、その声は女性だった。

「ねぇ、ゆうくん。もう1回キスしてよ」

 甘えた声が聞こえた。
 なっ……院内でなんて破廉恥な!
 私の方が恥ずかしくなって顔を伏せる。

 あーあ、嫌だ。気まずいけどさっさと通り過ぎればいい。

「ねぇ、まりあのこと好き?」

「好きだよ……」

「まりあも大好き。ねぇ、今からゆうくんのお家に行こうよ」

 ……え?
 その会話に私は足を止めた。私と同じ名前。そう思ったからだ。凄く珍しいかと言われたらそうでもないけれど、なんたって同姓同名がいたくらいだし。
 ……同姓同名?

 ふと頭に浮かんだ外来看護師、九瀬まりあ。

「だって今日奥さん実家に帰ってていないんでしょ? まりあもゆうくんのお家みたいなぁ」

 ちょっと待って。この声って……。

 私は聞き覚えのあるその声に顔を引きつらせた。足音を立てないようにこっそりと近付く。
 診察室からこぼれた明かりに照らされた男女の姿。

 肩より少し長い髪がウェーブしている。男の首に両腕を巻き付けて、胸板に頬を擦り寄せていた。

 目に飛び込んできたのは、雰囲気こそ違うがあの九瀬まりあだった。
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