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神室歩澄の右腕【10】
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澪は秀虎の部屋の前で声を掛けた。
「秀虎様、そこにいらっしゃいますか?」
「……誰だ」
中からは静かな低い声が聞こえた。
「澪にございます」
「……匠閃郷の姫か。何しに来た」
「少し、お話をさせていただけたらと思いまして」
「お前と話すことなど何もない 」
声だけでは感情を読み取ることは不可能であった。しかし、澪が訪れた事であまり穏やかでない空気が流れているのは確かである。
「……明日は独房監禁だそうですよ」
澪はしれっとそんな事を言った。
「わざわざそんな事を言いに来たのか?」
「いえ。大の大人がいつまでめそめそしているつもりかとからかいに来たのです」
澪がそう言うと、障子が勢いよく開かれ鬼の形相をした秀虎が顔を出した。手には刀が握られている。
「殺されに来たのか」
「私には手を出すなと言われている筈です。歩澄様の命令に逆らうおつもりですか?」
妹は間者であったのにも関わらず、挙げ句の果てに統主の命令にまで逆らうのですかと澪の目は訴えていた。
秀虎はぐっと奥歯を噛みしめ、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「無礼者め……」
秀虎が鼻を鳴らすと、「私は余所の郷の姫ですので、ここでは身分がないも同然です。それに、身分だけで言うなれば、統主の娘である私の方が秀虎様より上かと」と澪は答えた。
「お前……囚われの身でよくもそのような口が利けるな」
秀虎は怒りを通り越し、呆れたように顔をしかめた。
「高飛車なのが取り柄ですから」
秀虎の目を見据えて澪がそう言うと、「そんな取り柄、ない方がいいだろう」そう秀虎は言って表情を崩した。
「ようやく笑って下さいましたね」
「馬鹿を言うな。これは呆れているんだ」
秀虎はあからさまな溜め息をついた。
「中に入れていただけますか?」
「入れるまで帰らぬのだろう?」
秀虎の問に、澪は満面の笑みを向けた。
「……好きにしろ」
とうとう秀虎の方が折れて澪を中に入れた。
「歩澄様が泣いておりました」
「……統主の告げ口をしに来たのか?」
「いえ。千依様が、歩澄様にとって姉のような存在だったと聞きました故、歩澄様も胸を痛めているのだと知りました」
「そんな事など私が一番よくわかっている。千依を殺すよう言ったのは私の方だ」
「秀虎様は、歩澄様の世話係だったのですね」
「ああ」
「とても厳しい方だったと歩澄様がおっしゃっていました」
「……そんな話を歩澄様がしたのか? お前に?」
秀虎は驚いて少しだけ目を大きくさせた。
(あの歩澄様が私との関係を語ったのか? そして、あの方の涙も……。まったく、何者なんだ……)
秀虎は、瑛梓や梓月と笑顔で言葉を交わす姿を思い出した。そして、瑛梓からは梓月の家来のために歩澄に掴みかかった経緯を聞いていた。
更に、千依の打ち首を止めさせようと大声で叫び、憤る姿。今しがた冷静になりつつある頭で、他郷の為に必死になる姿に疑問を抱かずにはいられなかった。
「ほんの少しだけです」
「……歩澄様は、気の弱いお方だった」
「え?」
「子供の頃の話だ。あの容姿だからな。幼い頃には時期統主として向いていないだの、異国の血は汚れているなど、歩澄様を非難する声が多かった」
「……そうでしたか」
「今程異国の文化が浸透していなかったからな。先代のご統主様は立派な方だった。奥方様も……歩澄様の母上様もそれはそれは奥ゆかしい方であった。異国の姫であった母上様は、いつも泣いている歩澄様を気にかけていたな……。
しかし、決して弱い方などではなかった。いつか民に認めさせてやると勝ち気で勇ましい美しい人だった」
秀虎は、懐かしむようにぽつりぽつりと語り始めた。
他郷の人間に歩澄がどう思われようと、統主の人となりは我等が理解してさえいればそれでいい。そう思っていた。
しかし、事によっては本気で歩澄に斬りかかる可能性のある澪に、歩澄の事を誤解されたままにしておくのは、秀虎の意図するところではない。
弁解とまではいかぬとも、ほんの少し昔話をするくらいいいだろうと思えた。
「歩澄様は、いつもべそをかきながらご統主の後について回るような方だった。しかし、時期統主として先が決まっている以上、それではいけないと私は厳しく指導したものだ。
時にはきつく当たったこともある。歩澄様は辛い事もあっただろうが、私はそれでよかったと思っている。
……歩澄様が十五の時、栄泰郷と洸烈郷とで闘争が起きた。一部間に挟まれている潤銘郷は、被害も出ており、その終息のために先代のご統主様は戦に出られた。また、奥方様は戦に巻き込まれた民の不安を和らげるため、ご統主様についていった。しかし、二人ともそこで命を失った」
黙って聞いていた澪は、息を飲んだ。静かな秀虎の声は、その情景を映し出すかのように、澪に想像させた。
「ご統主様が亡くなったことで、わずか十五で歩澄様は統主の座についた。あの泣き虫の歩澄様が、変わり果てたご両親の亡骸を見て、一粒の涙も流さなかった。
ただ一言、私に大切なものはどうしたら守れるかと聞いたのだ」
秀虎の言葉に、澪も九重の言葉を思い出していた。
ーー大切な人を守るためには、まず自分のことを守らなきゃならない。誰かに殺されるなんて、あってはならない。いいね? 強くなるんだよ。
今でもよく覚えている。九重の言葉も、勧玄の言葉も。
「秀虎様、そこにいらっしゃいますか?」
「……誰だ」
中からは静かな低い声が聞こえた。
「澪にございます」
「……匠閃郷の姫か。何しに来た」
「少し、お話をさせていただけたらと思いまして」
「お前と話すことなど何もない 」
声だけでは感情を読み取ることは不可能であった。しかし、澪が訪れた事であまり穏やかでない空気が流れているのは確かである。
「……明日は独房監禁だそうですよ」
澪はしれっとそんな事を言った。
「わざわざそんな事を言いに来たのか?」
「いえ。大の大人がいつまでめそめそしているつもりかとからかいに来たのです」
澪がそう言うと、障子が勢いよく開かれ鬼の形相をした秀虎が顔を出した。手には刀が握られている。
「殺されに来たのか」
「私には手を出すなと言われている筈です。歩澄様の命令に逆らうおつもりですか?」
妹は間者であったのにも関わらず、挙げ句の果てに統主の命令にまで逆らうのですかと澪の目は訴えていた。
秀虎はぐっと奥歯を噛みしめ、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「無礼者め……」
秀虎が鼻を鳴らすと、「私は余所の郷の姫ですので、ここでは身分がないも同然です。それに、身分だけで言うなれば、統主の娘である私の方が秀虎様より上かと」と澪は答えた。
「お前……囚われの身でよくもそのような口が利けるな」
秀虎は怒りを通り越し、呆れたように顔をしかめた。
「高飛車なのが取り柄ですから」
秀虎の目を見据えて澪がそう言うと、「そんな取り柄、ない方がいいだろう」そう秀虎は言って表情を崩した。
「ようやく笑って下さいましたね」
「馬鹿を言うな。これは呆れているんだ」
秀虎はあからさまな溜め息をついた。
「中に入れていただけますか?」
「入れるまで帰らぬのだろう?」
秀虎の問に、澪は満面の笑みを向けた。
「……好きにしろ」
とうとう秀虎の方が折れて澪を中に入れた。
「歩澄様が泣いておりました」
「……統主の告げ口をしに来たのか?」
「いえ。千依様が、歩澄様にとって姉のような存在だったと聞きました故、歩澄様も胸を痛めているのだと知りました」
「そんな事など私が一番よくわかっている。千依を殺すよう言ったのは私の方だ」
「秀虎様は、歩澄様の世話係だったのですね」
「ああ」
「とても厳しい方だったと歩澄様がおっしゃっていました」
「……そんな話を歩澄様がしたのか? お前に?」
秀虎は驚いて少しだけ目を大きくさせた。
(あの歩澄様が私との関係を語ったのか? そして、あの方の涙も……。まったく、何者なんだ……)
秀虎は、瑛梓や梓月と笑顔で言葉を交わす姿を思い出した。そして、瑛梓からは梓月の家来のために歩澄に掴みかかった経緯を聞いていた。
更に、千依の打ち首を止めさせようと大声で叫び、憤る姿。今しがた冷静になりつつある頭で、他郷の為に必死になる姿に疑問を抱かずにはいられなかった。
「ほんの少しだけです」
「……歩澄様は、気の弱いお方だった」
「え?」
「子供の頃の話だ。あの容姿だからな。幼い頃には時期統主として向いていないだの、異国の血は汚れているなど、歩澄様を非難する声が多かった」
「……そうでしたか」
「今程異国の文化が浸透していなかったからな。先代のご統主様は立派な方だった。奥方様も……歩澄様の母上様もそれはそれは奥ゆかしい方であった。異国の姫であった母上様は、いつも泣いている歩澄様を気にかけていたな……。
しかし、決して弱い方などではなかった。いつか民に認めさせてやると勝ち気で勇ましい美しい人だった」
秀虎は、懐かしむようにぽつりぽつりと語り始めた。
他郷の人間に歩澄がどう思われようと、統主の人となりは我等が理解してさえいればそれでいい。そう思っていた。
しかし、事によっては本気で歩澄に斬りかかる可能性のある澪に、歩澄の事を誤解されたままにしておくのは、秀虎の意図するところではない。
弁解とまではいかぬとも、ほんの少し昔話をするくらいいいだろうと思えた。
「歩澄様は、いつもべそをかきながらご統主の後について回るような方だった。しかし、時期統主として先が決まっている以上、それではいけないと私は厳しく指導したものだ。
時にはきつく当たったこともある。歩澄様は辛い事もあっただろうが、私はそれでよかったと思っている。
……歩澄様が十五の時、栄泰郷と洸烈郷とで闘争が起きた。一部間に挟まれている潤銘郷は、被害も出ており、その終息のために先代のご統主様は戦に出られた。また、奥方様は戦に巻き込まれた民の不安を和らげるため、ご統主様についていった。しかし、二人ともそこで命を失った」
黙って聞いていた澪は、息を飲んだ。静かな秀虎の声は、その情景を映し出すかのように、澪に想像させた。
「ご統主様が亡くなったことで、わずか十五で歩澄様は統主の座についた。あの泣き虫の歩澄様が、変わり果てたご両親の亡骸を見て、一粒の涙も流さなかった。
ただ一言、私に大切なものはどうしたら守れるかと聞いたのだ」
秀虎の言葉に、澪も九重の言葉を思い出していた。
ーー大切な人を守るためには、まず自分のことを守らなきゃならない。誰かに殺されるなんて、あってはならない。いいね? 強くなるんだよ。
今でもよく覚えている。九重の言葉も、勧玄の言葉も。
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