男の娘カウンセラー クロサキ ツバキ

下妻 憂

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ケース3『がんばりたい』

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「今日、掃除当番変わってくんない?」ケイが媚びた笑顔で頭を下げる。放課後、まさにこれから帰ろうとした矢先、二の腕を掴まれて要求された。
 イエスもノーも答える前に、「来週は私が一日代わりに入るからさー」と甘く高い声色。
「いいよ、場所どこ?」タクヤはなるべく平静を装ったが、心の中で鼻の下は伸びていた。好意を寄せる相手にボディタッチされれば、仮にマグマの中へ突っ込めと懇願されたとて断れはすまい。
「ありがと。体育館だよ」歯を見せ口の端を吊り上げる彼女へ、教室出口で待つ女生徒の声。「ケイー、まだー? クレープ売り切れるよー」「今行くー」。
 彼女の用事が放課後食べ歩きであったとしても、タクヤは全然気にしなかった。自分も一緒に行きたい、などと微塵も思わなかった、はずである。


 背後に小さな山で退路を塞がれた、学校の隅っこ。体育館はプールの隣にある。渡り廊下で近づいていくと、半分開け放された重い鉄扉の内側から元気な声が聞こえてきた。「ヘイヘーイ! バッチコーイ!」。

 案の定、体育館内で四人が箒をバットに雑巾をボールに野球をしていた。掃除が退屈なのは同意である。遊びたいのもわかる。ただ早く帰りたい以上、注意をせねばならない。
「おーい、ケイの代打だけどさー、ちゃっちゃと掃除やってかえっ…」そこまで言って、目を疑う。
「よーし、こーい!」バッターボックスに立つのは、学生相談室高校、背番号なしクロサキ ツバキ選手だったからだ。
 男子学生が十メートル先から丸めた雑巾を投げる。七メートルあたりで空気抵抗に負けて広がり、原型を取り戻す。
 先生が思いっきり箒を強振。空振り。足がもつれて転倒する。「グエッ」とカエルが潰れたような声が漏れる。腰の入っていない素人にも劣る、実に堂に入ったヘナチョコバッターだ。
 近づいてたしなめる。「スリーアウト、チェンジ。9回裏、野球ごっこに代わりまして、真面目なお掃除の攻撃です」
 手を差し伸べる。小さく柔らかく、体温の低い手が握り返してくる。
「なぁに言ってんだ、野球はスリーアウトからよ」よたよたと立ち上がる。見た目通り足腰も弱いらしい。
「なに、生徒に混じって遊んでんですか」
 へっと、まるで悪戯小僧のような悪辣な笑顔で「遊びに教員も生徒も関係あるかい」。活きの良い言い訳だ。
「教員なら注意してください」
 そう窘めてもどこ吹く風で、「だってヒマなんだもーん」と成人済み男性とは思えない子供っぽい仕草で唇を尖らせる。
 野球に加わっていた残りの三人に向けてもやんわりと注意する。
「お前らも先生と一緒になって遊ぶな」
 男子学生の一人が、「クロサキちゃんが混ぜてくれって言うからさぁ」
 別の男子学生が、「先生って雰囲気がしないんだよなぁ」
 確かに見た目だけなら、中等部の生徒が紛れ込んできたようにしか見えない。教職員とも世の大人とも違う、童心が服を着て歩いている異質な生き物である。
「よーし、続きだ。さーぁ、こーい」
 箒バッドを肩の高さに左構えする彼に、男子学生が呆れ顔を返す。
「おいおいクロサキちゃん、もう三回連続じゃないか。打席を変わってくれよー」
 嫌だ嫌だと箒を振り回し、頑としてその場を譲らない。「アタシは打つのが好きなんだ。ほら、さっさと投げろ。今度こそホームラン打ってやる」。
「そんな事より掃除を…」と言いかけて、一人の男子高生が体育館の出口へ歩いていくのが目に入る。長身で筋肉質なスポーツ刈り。生気の抜けた無気力無表情で俯いている。
「あれ誰?」
 男子高生の一人に問いかける。
「あぁ、四組のゴンドウだよ。同じ掃除当番だったんだけど、やる気ないみたいでさ」
 もう一人の男子高生が付け加える。
「無理もないよ。スランプだかでしばらく試合の負けが込んでたからな。夏の選抜からも外されたらしい。元が四番エースだから尚更だろう。監督もだいぶきつく当たってたって話だ」
 そう言えばどこかで見た顔だ。活力に満ちていた以前とは比べ物にならないくらい覇気が消え、背中は実身長より小さく見える。
 ほぅ、といつの間にか会話に加わっていた先生が唸る。
「四番エースか。その剛腕見せてもらおうじゃないの!」
 止める間もなく、彼はゴンドウの元へと箒を振り回しながら走り寄る。

「おーい、コンドウ!」名前を間違えている。
「ゴンドウです…うっ」
 振り向いたゴンドウの顔に箒の穂がバシバシと当たる。面食らった彼が下を見る。中学生くらいの少女のような顔が、ニマーと笑いかけた。
「…何ですか?」
 箒をくるんと回し、柄の先端を鼻先に突きつける。「アンタ、野球上手いんだって? ちょっと見せてくれよ」
 ゴンドウが困惑した顔でこちらに視線を向ける。タクヤ達は苦笑いしながら手を振った。
「嫌ですよ、なんで俺がそんなこと…」
「えー? いいだろう、ちょっとくらい。見せてくれよ、四番エースの打法をさぁ。それとも野球は見世物じゃないってかー?」先生が腰の周りをウロチョロしつこくつきまとう。
「今は、そういう気分じゃないんです…」
「一回! 一回だけでいいから見せてくれよー! それくらいいいだろう? ケチ」
 まぁ一回くらいなら、そう呟きがゴンドウの口から漏れる。強面の見かけに寄らず、根は案外良い奴なのかもしれない。
「よーし! 期待してるぜ、天才球児!」
 向けられた箒をゴンドウが受け取る。

 パパラッパッパパー♪と先生が、軽く構えた打席のゴンドウから七メートル離れた位置で応援歌を口ずさむ。その後ろを男子高生二人と、タクヤがトライアングルを組んで外野守備につく。なんで俺まで…とライトで内心ぼやく。
 先生が雑巾ボールを振りかぶる。
「ピッチャークロサキ投手……投げました!」
 自分で解説を付けながら、ヘンテコなオーバースローフォームで雑巾ボールを投げ放つ。踏ん張りがきかずに転倒する。「グエッ」とカエルが潰れたような声。
 雑巾ボールは、ゴンドウの一メートル手前で中空分解。ただの雑巾に戻った。
「よっと…」
 ゴンドウは上半身のバネを上手くねじり、箒の穂の腹で雑巾をジャストミートする。パンっとやや湿った音が響く。撃ち返された打球が、起き上がった先生の頭上を超える。後方で守備をしていた男子生徒が飛び上がって取ろうとして、捕球を外した。
 ふぅ、とゴンドウの口から溜息が漏れる。無気力な表情が変わらない。それはそうだろう。彼が普段練習や試合で行っている硬球に比べれば球速は遅いし、ミートしたバットの感触だって軽い。お遊び以下にしか思えないに違いない。
 しかし、立ち上がった先生が足をもつれさせながらゴンドウに走り寄る。
「スッゲー! さすが四番だなぁ! おい!」やや頬を紅潮させて、普段あまり聞かない大きな高い声で褒めた。
「え…?」ゴンドウが先生の目を見て固まる。
「いやー、やっぱ現役野球部は違うなー、おい。お前らも見たか? 打つ時体をこう、ぐい~っとネジってさ。ああやって打ちやすい場所に体勢を持っていくんだな!」
「あ…いや、そんなの野球部なら誰でも…」
 先生が彼の背中をバシバシ叩く。
「謙遜するなって。打ったアンタの打球、外野まで飛んでったんだぜ。ただの雑巾が。中々できるもんじゃねーよ。なぁ? アンタできる?」
 いきなり話を振られタクヤは「でき…ませんね」と答える。
「はぁ…そうですかね…」ゴンドウが長身に似合わない仕草で、くすぐったそうに鼻の頭を掻く。
「ほらほら、もう一回見せてくれよ! もう一回見たいんだよ、アンタの打つところをさぁ!」
 ゴンドウが後ろ頭を掻く。
「…まぁ、いいっすけど」承諾だった。

「じゃ、次アンタ頼むな」そう言われて、タクヤはボール、もとい雑巾を手渡される。
「これ終わったら、ちゃんと掃除してくださいね」と窘めるが「わかってるわかってる」と軽薄な返事だけが返ってきた。
 雑巾を握って球形にする。大して経験なんてない野球の知識を頭から探り出し、投球の構えをする。
 十メートル先。ゴンドウがバッティングフォームを取っている。それは、先ほどより少し、気合の入った構え方に見えた。
 サイドスローで投球。今一つスピードに乗り切らないまでも、ストライクゾーンへ向けて上手く吸い込まれていく。
 ゴンドウが箒を振った。腰の入った強振で、雑巾を真芯で捉える。パァンッと小気味よい音がして、雑巾ボールが打ち返される。
 ただの布とは思えないくらい、それなりの速度でタクヤの頭上と外野の頭上を飛び越え、キャットウォークに引っかかった。
「やるじゃねーの! 四番エース!」先生が唇の端を吊り上げ笑っている。
 ゴンドウはその褒め言葉を聞いているのかいないのか、ポッキリ折れてしまった箒を持つ自分の両手を眺めながら、どこか自信を取り戻したような晴れた顔をしている。
 タクヤは先生に歩み寄り、「ゴンドウの自信を取り戻してやりたかったんですか?」。
 先生は首を回す。ポニーテールが左右に揺れる。「才能ある奴ほど、失敗の繰り返しは自己を追いつめるからな。学習性無力感ってやつかな…違うかな。叱るばっかじゃなくて褒めて強化してやることだって重要さ」
「はぁ、なるほど」
 先生はタバコを取り出して火を付ける。「もっと褒めろよ、アタシも。褒められて嬉しくない奴なんかいないんだからさ」。
「大人が何言ってんですか…」
 胸にとんと拳を軽く叩きこまれる。「大人でも褒められたいっての」。

「こらぁ! 何をしているんだお前達は!」体育館に怒声が響き渡る。
 入口に初老の男性…教頭が怒りをあらわに踏み入ってきていた。掃除をしているはずのこの時間、今この場は、言い訳がきかないくらいに遊び場と化していたからだ。
「せ…先生、何か弁明をしください…先生?」
 見ると、先ほどまでいた場所に彼の姿がない。裏口の方から、慌てて逃げ去る白衣の姿があった。
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