西翼の鴉~神は沈黙したもう~

雨丹 釉

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三章 西翼領

11話

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【おもな登場人物】
《ミィラス》
聖ドリード教団で若くして聖典楽師となった、孔雀色の瞳が印象的な青年
《アシェラ》
ベトラ・スーム選王候の妻で、美貌の女性




 城内に入ってすぐ、ミィラスは案内役の使用人に言った。

「侯をお待ちする間、祭壇を見せていただけませんか。白夜城の祭壇は見事なものだと聞いておりますので」
「ええ、どうぞ。こちらでございます」

 使用人は快諾し、礼拝室へと案内してくれた。
 礼拝室に一歩入ると、足下から冷気が這い上ってくる。ミィラスが一度ぶるりと震えると、使用人が「寒いでしょう」と苦笑した。

「この部屋の地下には、古い時代の領主が造った氷室があるのです。氷は贅沢品なので、今は使っていませんが」
「そうなのですか」

 ミィラスは頷き、正面の祭壇へと近づいた。

 祭壇の中央、真鍮のドリード神像が鎮座している。大きさはちょうど人の背丈ほど。向かい合うミィラスの姿が明瞭に映り込むほど、よく磨かれている。祭壇も埃ひとつなく、清浄に保たれていた。
 ミィラスは床に目を落とす。祭壇の手前、ちょうど礼拝者が立つであろう場所に、わずかな摩耗がみられた。歴代領主たちの靴が、床をすり減らしていったのだろう。
 祭壇の前に据えられた机の上には、革で装丁された立派な聖典が置いてある。中ほどの頁を開いたままのそれは、いかにも毎日誰かが読んでいるというような様子だった。
 聖典に近づき、一枚、頁をめくった。

「?」

 まばたきし、めくった頁を戻す。そして再度、めくる。

 紙の色が違う。
 ミィラスは、見開かれた頁だけが不自然に変色していることに気がついた。他の頁と比較するとよく分かるが、この頁だけ日焼けしている。
 つまりこの書物は、開いた状態のまま、長い期間放置されていたのだ。周囲を見渡しても、聖典はこの一冊のみだ。
 聖典の内容を全て記憶している聖典楽師ならばまだしも、聖典を使用せず礼拝を行うことは難しい。この聖典が長く使われていないということであれば、同じ期間、礼拝そのものを行っていないことになる。

 ミィラスは神像の前に置かれた香炉を手に取った。蓋を開け、中に入っている香灰をつまんで鼻に近づける。
 香りがしない。古い香灰だ。定期的に香を焚いていたなら、灰から清涼な香りが漂ってくるはず。それがないということは、やはり香炉も使われていないのだ。
 ミィラスは香炉を置き、しばらく考え込んだ。ベトラ・スーム選王侯が、ドリード神への礼拝をおろそかにしている可能性は高い。だがもっと重要なのは、異教の神を崇拝しているのかどうかである。

 使用人に不審がられる前に、ミィラスは礼拝室を出た。

「お待ちいただくお部屋にご案内します」

 そう言って使用人がミィラスの先に立ち、回廊を進む。しかし角を曲がったところではっとしたように足を止めた。
 ミィラスが怪訝に思って角から顔を出すと、回廊の先に女がひとり、こちらに向かって歩いてきていた。

「奥様」

 使用人が言うのと、女がミィラスを一瞥するのが同時だった。

「この方はどなた?」

 彼女は眉をあげながら使用人に問う。ミィラスは使用人が口を開く前に、領主夫人に向かっておじぎをした。

「大聖堂から参りました、聖典楽師のミィラスと申します。突然の訪問につき、大変失礼をいたしました。どうぞお見知りおきください」

 夫人は「大聖堂……」と興味深げにつぶやいた。
 ミィラスは、領主夫人が大変若いことに驚いた。ともすれば娘、あるいは少女といっても差し支えなさそうだ。

「まあ、そうだったの」

 領主夫人がミィラスに向かって微笑みかけると、彼の背が冷水を浴びたときのようにぞくりと粟立った。
 蝋のように滑らかな肌。青みがかった艶のある黒髪。すっと通った鼻筋。磨いた蒼玉に似た瞳。それらが彼女の容姿を「美」たらしめる。だがこうして言葉にしたとたん、それらは陳腐な麗句に成り果ててしまうだろう。彼女の何気ない、しかし至高の微笑みがミィラスにもたらしたのは、「美」という概念を初めて理解したかのような未知の感覚と、恐怖に近い畏怖の念、そして彼女への親愛の情だった。

 夫人が申し訳なさそうに言う。

「夫に会いにこられたのでしょう? ごめんなさいね、あの人はいつも忙しくしていて」

 彼女は「そうだわ」手を叩く。

「夫をお待ちになる間、わたくしの話し合い相手になってくださらない? 王都の話を聞いてみたいわ」

 夫人は使用人に「下がりなさい」と命じると、ミィラスをいざなった。
 気がつけば彼は応接間の椅子の一つに座らされていた。
 向かいに座った夫人は、ミィラスに菓子や茶をすすめ、王都の街や人々の様子などを聞きたがった。ミィラスが、王都は活気のあるヴァインに比べると静かで厳かな雰囲気が漂っていること、外国の使節がよく訪れることなどを話すと、彼女は目を丸くして聞き入った。

「どんな国の使節が来るのかしら」

「じつに沢山の国から、ヴァスディ王を訪ねて使節が訪れます。多くは、我が国と同様に、朱瑠(アケル)を盟主国とする近隣の同盟国です」

「実際にご覧になったことはあって?」

 ミィラスは、国によって使節団にも様々な特徴があることを話した。珍しい動物を連れている国、どの国よりも派手な隊列を作る国、貴人でも輿に乗ることなく馬に跨がっている国――

「わたくしも見てみたいわ」

 夫人が目を細める。ミィラスは他にも、王都には大きな図書館があることや、他国との交易で入ってきた珍しい品々が市場に並ぶこと、数年前に代替わりした朱瑠アケルの皇帝のために、王都をあげて祝儀品を準備したことなどを話した。

「まあ、面白いわ! 本当に色々とありますのね」

 ミィラスが話すことならなんでも、夫人は喜んで耳を傾けた。彼女にとっては全てが物珍しく、愉快なことのようだった。実際、この夫人は若いこともあってか、かなり世間知らずな部類であった。
 ミィラスはあまり口数が多いほうとは言えなかったが、夫人が喜べば喜ぶほど、もっと話して聞かせようと饒舌になる自分に気がついていた。ここに来る前に主監のカザが口にした言葉を思い出す。ミィラスは、たしかにこの夫人には多くの人間が夢中になるに違いないと思った。類い稀な美貌のみならず、向かい合う者をからめとる魔力のようなものが、彼女にはあった。

 そこへ使用人がやってきて、夫人に耳打ちした。夫人は頷き、使用人を下がらせる。

「夫の執務がようやく終わったようですわ。夕刻ですし、お食事でもしながら、三人でお話しましょう」
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