西翼の鴉~神は沈黙したもう~

雨丹 釉

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九章 欠けた歴史、欠けた器

32話

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【おもな登場人物】
《ミィラス》
聖ドリード教団で若くして聖典楽師となった、孔雀色の瞳が印象的な青年
《パルラ》
聖ドリード教団に所属する踊り子で、快活で強気な女性 



「なんだか胸がすくような音だ」
「赤ん坊にも聞かせたいわね」

 そんな声が聞こえる。
 彼らが聞き入っている音楽は、〝聖典の詩〟に添えるための伴奏に過ぎず、ドリード神の教えを人々に伝道するためのものでしかない。音楽家のような腕前である必要はなく、むしろ吟唱の妨げになるほど熱が入ることは良しとされなかった。音楽に打ち込みすぎた神職は、世俗の楽士となって教団を離れることもあった。

 ミィラスの技巧は優れていたが、音楽家のような華やかさも無ければ、楽士のように娯楽として供される類いの面白みもない。
 だが、歴代の聖典楽師が磨き上げ、一切の余剰を削ぎ、聖典のためだけに作り上げた音楽を、彼は正しく受け継いでいた。

 踊り子が腕をしならせ、ゆるやかに舞う。かと思えばたんっと踏み込んでから軽やかに飛び上がり、優雅に地面に下りた。
 旅で傷んだ装束も音に合わせて華麗に舞い上がれば風の花。しなやかな身体がくるくると回り、広場の固い地面さえも水鳥が集う水辺のように見える。

 竪琴の音に共鳴して、武器の表面がわずかに震えていた。
 ミィラスは己の懐にあるロケットもまた、ぶるぶると振動していることに気づいた。
 旧き神が嘆いているのか、怒っているのか、はたまた旋律に興が乗っているとでも言うのか。物言わぬ貝の中がどのようになっているのか、封印を解かない限り知る術はない。

 踊り子の舞が終わり、竪琴の余韻が消えると、群衆からぱちぱちと拍手が上がった。中には「見世物じゃないんだから、失礼だよ」などと言う声も聞こえたが、ミィラスとパルラは顔を見合わせて少し笑った。

「ありがとうございます」

 親方は「わずかばかりですが」と喜捨を渡そうとしたが、二人は丁重に辞した。

「当然のことをいたしたまでです。この後、亡くなられた方々の弔いと、良ければご遺族の慰問もさせてください」
「ありがとうございます……ありがとうございます」

 頭を下げた親方の表情には、いくばくかの安堵が滲んでいた。

「あなた方の来訪は、ドリード神のお慈悲と思います」

 そう言って彼は場を辞すと、他の職人たちとともにそれぞれの工房へ帰って行った。

 そこからの二人は少し忙しかった。
 夫を亡くした女は、胸の前に組んだ手に涙を落としながら語った。

「聖典楽師様、夫は鋏職人で、大きな街からの注文もよく受けていたんです。理髪鋏や、裁縫鋏……なんでもよく器用に作って……結婚するときに夫が私に贈ってくれたのは綺麗な裁縫鋏でした。ほら、この鋏です。……なんだかまだ実感が湧かないんです……」

 祖母を亡くした男は、壊れた籠を見つめながら言った。

「ばあさまはそこの軒下で、いつもみたいに卵を売ってたんだ。町のみんなが卵を買いがてら、ばあさまの長いお喋りを聞いてくれてよ。そんでばあさまは俺にはいつも炒り卵の昼飯をどっさり作ってくれて……若いから沢山食えってさ、卵ならたんとあるからって。ああ! こんなことになるなら、もっと早く迎えに行けば良かったんだ!」

 息子を亡くした父親は怒りに声を震わせた。

「倅は遠方の商家へ奉公に出してましてね。ドジで失敗ばかりだけど、こないだ初めて大旦那に褒められたって、嬉しそうに話してくれたんですよ。昔からひ弱な子どもで、よそで仕事が務まるか心配してたんですが、貧しいこの家にいるより良いと、思い切って外に出したんです。久しぶりに顔を見たら、すっかり逞しくなってて……それなのに、よりにもよってですよ、里帰りしていた日に限って、あの化け物が襲って来やがったんです!」

 呻くように泣く男の真向かいに座っていたミィラスは、彼の震える肩に手を置いてさすっていた。今日一日でミィラスが慰問した人々は、これで八人目だ。パルラが他の遺族の家をまわってくれているが、全ての犠牲者の遺族を訪ねるには時間が足りない。また、訪ねていっても門前払いされることも多かった。

 夕刻、ザルバ小聖堂の前で、二人は待ち合わせていた。
 少し遅れてパルラが来たとき、ミィラスは小聖堂の中からドリード神像を運び出している最中だった。
 彼は汗を拭きながら言う。

「ここに新しい祭壇を置いたらどうかと思うんだ。建物は崩れていて危ないから、この門の正面に。そうすれば町の人もお祈りに来られる」

 パルラが「そうね」とうなずいた。

「良い考えだと思うわ。他に使えそうな物も運びましょう」

 二人はまだ使える長机で簡易な祭壇を作り、神像を恭しく据える。側に垂れ幕を吊しておけば、人の目にもつくだろう。
 パルラが花を摘んできて祭壇の上に飾ると、ようやく少し見映えがするようになった。

「屋根があれば良かったけれども。せめて天幕かなにか」

 神像を見上げて呟くミィラスの顔に、神像の頭部が影を落としている。

「雨ざらしというのも……」

 どうしたものかと首をひねっていると、そこに先ほど訪ねた男──里帰り中の息子を亡くした──がやってきた。

「あの、楽師様」

 彼は腕に抱えたものをおずおずと差し出してくる。

「お困りでしたら、こいつを使ってくれませんかね。倅のために新しいのを用意してたんですが、結局使いませんで……良かったら」

 それは粗く織られた薄手の敷物だった。端に藁がついていたので、寝床から剥がしてきたのだろう。
 ミィラスは一瞬言葉を失い、男を見つめ返した。

「そのような大切なものを、使ってしまってよろしいのですか?」

 男はこくこくとうなずき、敷物の表面を少し撫でる。

「ええ、ええ、構いませんとも。そのほうがきっと報われますから……」

 すると、それまで彼らを遠巻きに見守っていた町の住人たちが、わらわらと集まってきた。

「この古着も、ばらせば一枚の布になります」
「香炉が壊れてしまったですって? 代わりに、うちのを使ってください」
「両脇に柱を立てよう、簡単なひさしくらい作れそうだ」

 彼らはそれぞれ役に立ちそうな品を持ち寄り、祭壇の前でああしようこうしようと案を出し始める。そのうちたわいの無い井戸端会議や雑談も交じり、その場は大層賑やかになった。

「すごいわ」
「あっという間に……」

 ミィラスとパルラは突然のことに呆気に取られていたが、だんだんとその活気に巻き込まれて、彼らとともに仕事を始める。
 女たちが布を縫い合わせ、子どもらが周囲の地面を掃除し、男たちが簡易な柱を組み終わった頃。

 空はすっかり暗くなっていた。
 柱にかかっているのは、縫い上げられた幌だ。敷物や古着や端切れなどで継ぎ接ぎされた布が、住人たちの行灯(ランプ)に照らされ、その下の神像の表面を色とりどりに染めている。

 おお──と静かな歓声が上がった。

「すごいぞ、思ったよりも良いのが出来た」
「これで一安心ね」

 達成感に湧く人々にミィラスは頭を下げる。

「力を貸していただき、ありがとうございました。素晴らしい祭壇になりました」

 住人たちは笑いながら、「二人が頑張っていたから」「化け物になんか負けませんよこの町は」「来てくれてありがとう」と口々に言った。その表情は誇らしげであり、心からのねぎらいでもあった。
 ミィラスは胸がいっぱいになり、顔は自然とほころんでいた。
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