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十章 神々の系譜
39話
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【おもな登場人物】
《ミィラス》
聖ドリード教団で若くして聖典楽師となった、孔雀色の瞳が印象的な青年
《パルラ》
聖ドリード教団に所属する踊り子で、快活で強気な女性
《ディアン》
ザルバの町で暮らす浮浪少年
ミィラスとパルラは食堂にいた。広いテーブルを借りて額を突き合わせ、ディアンの協力で得た地図と、白夜城や石祠群で手に入れた文様を見比べていた。
パルラが目をすがめ、二つの文様を指さす。
「教わった場所から写してきたこれとこれ、多分同じ模様だわ」
「石祠群にあったものと、町の北側の防塁……」
「あとこれと、これもじゃないかしら。一部が削れちゃって分かりにくいけど、この線が交差した部分は特徴的よ」
「たしかに」
いま自分たちの手元にある文様を、形が同じ物や、見つけた場所ごとに整理していく。このような作業は初めてで、意外にも面白い。だが、そこから得られる情報は、果たしてあるだろうか? 全くの無意味なのではないか?
そんな懸念を二人とも抱えていたが、やらないよりやるほうがましであると、淡々と手を動かしていた。
「問題はこれだ」
ミィラスは百夜城の地下にあった石碑から写した文様を示す。
「これが鴉の魔物、私たちが追ってきた神を意味するはずだ」
「名前なのかしら。それとも概念? その両方かもしれないし。なんかこう……死とか死に神とかそういう……安直かしらね」
パルラの言葉に、ミィラスははたと顔を上げた。
「そういえば、君は『冥府』について何か知っているか?」
「『冥府』?」
パルラはきょとんとした。
「死んだあとに行くところ……じゃないの?」
彼女の答えに、ミィラスは問いかける。
「それは『彼岸』とはどう違う?」
「んー」
パルラは首をひねった。
「私は同じだと思っていたけど。でも確かに、ドリード神の教えの中では『冥府』とか『死の国』とか、そんな言い方はしないわよね」
ミィラスは、先ほど人夫たちが歌っていた歌について尋ねた。
「聞いたことはあるかい?」
「子どもの頃に、人づてに何度か聞いたことがあるわ。『まっくろ冥府のまっかな道』って……子供心になんて怖いところなのかしらって思ったわね。ほら、赤い色って、どことなく恐ろしげじゃない?」
「そうなのか?」
「そう思わない? 兄さんが前に言ってたわ。西翼領で取れる塩って、地面から採れたばかりだと少し赤っぽいから、白く精製してから市場に出すんですって。赤い色って、なんとなくそうなのよ。ほら、山で赤い鉱石が採れたら埋め戻したりするでしょ?」
ミィラスは「いや……」とパルラの顔を凝視した。
「普通はあまり、そんな感覚はない。埋め戻すなんてことも聞いたことがない」
驚いているミィラスの言葉に、パルラは「そうなの? へえ。王都の人と、西翼領だと、感覚が違うのかしらね」と首をひねった。
ミィラスはこめかみに指を当てた。何かの糸口が掴めそうだった。
「それは、いわゆる土着信仰なのでは?」
「土着信仰?」
「君の認識では、『冥府』や『死の国』ってどこにあるんだ? ドリード神の教えを抜きに、感覚として。家族から教わったとか、口伝の話とか……」
「うーん……待ってて、思い出すわ」
パルラが幼い頃の記憶をたぐっている間、ミィラスは文様の整理を続けていた。
写し取っただけの紙片は見づらいので、別の紙にペンで書き写していく。
カランッ
突然、ミィラスの懐から黄金のロケットが勢いよく飛び出し、床に転がった。
「痛っ!」
珍しくミィラスも声を上げて驚いた。
「大丈夫?」
「うん。鳩尾を猫に蹴られたぐらいの勢いだった」
胸元をさすりながらロケットを拾い上げる。
ペンを握り直し、書きかけの紙面に目を落とす。
「うーん、冥府、冥府……」
パルラが眉を寄せて唸った。
「西……そう西の方向っていう感じ。でもそれだと彼岸と同じよね」
「教えによれば、彼岸は日が沈む方向だから西だ。日が昇る東側は此岸、つまり僕たちのいる生の世界ということになる」
ミィラスは紙の端に図を描いた。東と西に分かれた世界と、境界線として流れる川だ。
「こうしてみると、私たちはさしずめドリード神の視点で見下ろしているわけね」
図を覗き込んだパルラが言う。
「あ、この図を見たら、分かったかも。なんだか物足りないような、変な感じがしたのよね」
パルラがミィラスの手からペンを抜き取り、図に絵を描き足した。
「こうね。これがなんとなくしっくり来るわ」
ミィラスが描いた「彼岸」の下に、もうひとつの世界を彼女は描いた。
「西であることは同じ。でも西の方向じゃなくて、太陽が沈んだ先。下よ」
「地下……?」
「ざっくり言えば、そういうことになるかしらね。だからほら、地下から出てきた赤い物は、取っちゃいけないのよ。なんとなくだけれど」
「冥府の地面が赤いから……?」
「まっくろ冥府の、まっかな道ね」
二人は顔を見合わせた。
「なら、この神は冥府の神なのか……?」
「死を司るってことなのかも。案外単純……」
そこへ宿の主人が来た。「お二方、なにか軽食でも──」と言いかけたが、二人の形相を見てそっと退散した。きっと今は邪魔をせぬが良いだろうと、宿を営む者として長年の勘が働いたからだ。彼は足音も立てずに台所に引っ込んだ。
二人は暗澹たる表情で向かい合っていた。
「冥府の神だとして、じゃあどうする」
頭を抱えながら、ミィラスはうつむいた。目の前に書き付けだらけの紙がある。蝋板から写した地図も。
冥府の神を示す文様が、地図の随所にあることが、今になればよく分かる。
「かつては冥府の神を信仰していたんだろうな、この場所は。〝死〟を畏れ敬っていたんだ」
ミィラスは立ち上がった。
「少し外の空気を吸ってくる」
町を歩き回り、ミィラスは防塁跡がある場所を巡る。それは道の片隅だったり、路地裏だったりした。思い返せば、ディアンはよくやってくれたものだ。彼のような浮浪児でなければ入り込まないような場所にも、ひっそりと石組みが隠れていたので、適任であったとも言えるだろう。
とある場所の防塁跡を観察していると、またしてもロケットが懐から飛び出した。落ちたあとにそれは地面で一度カシャンッと跳ね、再び物言わなくなる。
二度も蹴られた懐をさすり、ミィラスはロケットを拾い上げた。さきほどからずいぶんと、封じられた神の分身が暴れているようだ。
ロケットを握ったまま再び防塁に近づくと、黄金の二枚貝が重くなったような気がした。
いや、実際重くなっている。かと思えば不自然に軽くなったり、安定しない。
「いったいどうしたのですか?」
無駄だと分かっていながら、つい問いかけた。
もしや、何かを恐れているのだろうか?
ミィラスは防塁に何かあるのかと、じっと注意深く観察する。とくに文様付近を。
崩れた石の表面には、古い文様の凹凸がかすかにある。ディアンが調べてくれた通りだ。
「冥府の神」を意味するであろう文様。そのすぐ隣にも別の文様がある。
「ん……?」
ミィラスは石組みの裏側を覗き込んだ。こちらにも文様があるが、「冥府の神」のものしかない。
視線を上げ、町の方角を確かめる。
町の中心部に向かう面には二種類の文様。「冥府の神」の一種類だけが刻まれているのは、外側を向く面だ。
ミィラスは黄金のロケットを握りしめたまま、石組みの周りをぐるぐると回った。
今度はぎゅっと手に力を入れていたため、ロケットが悪戯することはなかったが、ミィラスが石組みの外側に行くと大人しくなり、内側に入ると重くなったり軽くなったり、痙攣したりする。
防塁の内側にいると、この神は嫌がるらしい!
「冥府の信仰がある場所で、自分たちの祀る神が嫌がるようなものを……?」
実に不思議な気がしたが、古の人々がこの神を畏れ敬いながら、正しく「恐れる」感情を持っていたのならば。
神を恐れ、その権能から身を守るためならば。
信仰の中に、神の権能を退ける呪いが伝わっていたのだとしたら。
防塁の外は冥府の神の領域、内側は人間を守る、命の領域なのだ!
防塁は古く、崩れていて不完全だ。
明日にもやってくるであろう神から、この町を守る力が無いことは、前回の被害からも自明である。
だがようやく糸口がつかめた嬉しさに、ミィラスの表情は明るくなった。
そのとき、視界が突如として暗くなった。空が翳ったわけでも、彼の上に何かが被さったわけでもない。
ミィラスは一瞬のうちに口から血を噴き出し、気を失ったのだった。
《ミィラス》
聖ドリード教団で若くして聖典楽師となった、孔雀色の瞳が印象的な青年
《パルラ》
聖ドリード教団に所属する踊り子で、快活で強気な女性
《ディアン》
ザルバの町で暮らす浮浪少年
ミィラスとパルラは食堂にいた。広いテーブルを借りて額を突き合わせ、ディアンの協力で得た地図と、白夜城や石祠群で手に入れた文様を見比べていた。
パルラが目をすがめ、二つの文様を指さす。
「教わった場所から写してきたこれとこれ、多分同じ模様だわ」
「石祠群にあったものと、町の北側の防塁……」
「あとこれと、これもじゃないかしら。一部が削れちゃって分かりにくいけど、この線が交差した部分は特徴的よ」
「たしかに」
いま自分たちの手元にある文様を、形が同じ物や、見つけた場所ごとに整理していく。このような作業は初めてで、意外にも面白い。だが、そこから得られる情報は、果たしてあるだろうか? 全くの無意味なのではないか?
そんな懸念を二人とも抱えていたが、やらないよりやるほうがましであると、淡々と手を動かしていた。
「問題はこれだ」
ミィラスは百夜城の地下にあった石碑から写した文様を示す。
「これが鴉の魔物、私たちが追ってきた神を意味するはずだ」
「名前なのかしら。それとも概念? その両方かもしれないし。なんかこう……死とか死に神とかそういう……安直かしらね」
パルラの言葉に、ミィラスははたと顔を上げた。
「そういえば、君は『冥府』について何か知っているか?」
「『冥府』?」
パルラはきょとんとした。
「死んだあとに行くところ……じゃないの?」
彼女の答えに、ミィラスは問いかける。
「それは『彼岸』とはどう違う?」
「んー」
パルラは首をひねった。
「私は同じだと思っていたけど。でも確かに、ドリード神の教えの中では『冥府』とか『死の国』とか、そんな言い方はしないわよね」
ミィラスは、先ほど人夫たちが歌っていた歌について尋ねた。
「聞いたことはあるかい?」
「子どもの頃に、人づてに何度か聞いたことがあるわ。『まっくろ冥府のまっかな道』って……子供心になんて怖いところなのかしらって思ったわね。ほら、赤い色って、どことなく恐ろしげじゃない?」
「そうなのか?」
「そう思わない? 兄さんが前に言ってたわ。西翼領で取れる塩って、地面から採れたばかりだと少し赤っぽいから、白く精製してから市場に出すんですって。赤い色って、なんとなくそうなのよ。ほら、山で赤い鉱石が採れたら埋め戻したりするでしょ?」
ミィラスは「いや……」とパルラの顔を凝視した。
「普通はあまり、そんな感覚はない。埋め戻すなんてことも聞いたことがない」
驚いているミィラスの言葉に、パルラは「そうなの? へえ。王都の人と、西翼領だと、感覚が違うのかしらね」と首をひねった。
ミィラスはこめかみに指を当てた。何かの糸口が掴めそうだった。
「それは、いわゆる土着信仰なのでは?」
「土着信仰?」
「君の認識では、『冥府』や『死の国』ってどこにあるんだ? ドリード神の教えを抜きに、感覚として。家族から教わったとか、口伝の話とか……」
「うーん……待ってて、思い出すわ」
パルラが幼い頃の記憶をたぐっている間、ミィラスは文様の整理を続けていた。
写し取っただけの紙片は見づらいので、別の紙にペンで書き写していく。
カランッ
突然、ミィラスの懐から黄金のロケットが勢いよく飛び出し、床に転がった。
「痛っ!」
珍しくミィラスも声を上げて驚いた。
「大丈夫?」
「うん。鳩尾を猫に蹴られたぐらいの勢いだった」
胸元をさすりながらロケットを拾い上げる。
ペンを握り直し、書きかけの紙面に目を落とす。
「うーん、冥府、冥府……」
パルラが眉を寄せて唸った。
「西……そう西の方向っていう感じ。でもそれだと彼岸と同じよね」
「教えによれば、彼岸は日が沈む方向だから西だ。日が昇る東側は此岸、つまり僕たちのいる生の世界ということになる」
ミィラスは紙の端に図を描いた。東と西に分かれた世界と、境界線として流れる川だ。
「こうしてみると、私たちはさしずめドリード神の視点で見下ろしているわけね」
図を覗き込んだパルラが言う。
「あ、この図を見たら、分かったかも。なんだか物足りないような、変な感じがしたのよね」
パルラがミィラスの手からペンを抜き取り、図に絵を描き足した。
「こうね。これがなんとなくしっくり来るわ」
ミィラスが描いた「彼岸」の下に、もうひとつの世界を彼女は描いた。
「西であることは同じ。でも西の方向じゃなくて、太陽が沈んだ先。下よ」
「地下……?」
「ざっくり言えば、そういうことになるかしらね。だからほら、地下から出てきた赤い物は、取っちゃいけないのよ。なんとなくだけれど」
「冥府の地面が赤いから……?」
「まっくろ冥府の、まっかな道ね」
二人は顔を見合わせた。
「なら、この神は冥府の神なのか……?」
「死を司るってことなのかも。案外単純……」
そこへ宿の主人が来た。「お二方、なにか軽食でも──」と言いかけたが、二人の形相を見てそっと退散した。きっと今は邪魔をせぬが良いだろうと、宿を営む者として長年の勘が働いたからだ。彼は足音も立てずに台所に引っ込んだ。
二人は暗澹たる表情で向かい合っていた。
「冥府の神だとして、じゃあどうする」
頭を抱えながら、ミィラスはうつむいた。目の前に書き付けだらけの紙がある。蝋板から写した地図も。
冥府の神を示す文様が、地図の随所にあることが、今になればよく分かる。
「かつては冥府の神を信仰していたんだろうな、この場所は。〝死〟を畏れ敬っていたんだ」
ミィラスは立ち上がった。
「少し外の空気を吸ってくる」
町を歩き回り、ミィラスは防塁跡がある場所を巡る。それは道の片隅だったり、路地裏だったりした。思い返せば、ディアンはよくやってくれたものだ。彼のような浮浪児でなければ入り込まないような場所にも、ひっそりと石組みが隠れていたので、適任であったとも言えるだろう。
とある場所の防塁跡を観察していると、またしてもロケットが懐から飛び出した。落ちたあとにそれは地面で一度カシャンッと跳ね、再び物言わなくなる。
二度も蹴られた懐をさすり、ミィラスはロケットを拾い上げた。さきほどからずいぶんと、封じられた神の分身が暴れているようだ。
ロケットを握ったまま再び防塁に近づくと、黄金の二枚貝が重くなったような気がした。
いや、実際重くなっている。かと思えば不自然に軽くなったり、安定しない。
「いったいどうしたのですか?」
無駄だと分かっていながら、つい問いかけた。
もしや、何かを恐れているのだろうか?
ミィラスは防塁に何かあるのかと、じっと注意深く観察する。とくに文様付近を。
崩れた石の表面には、古い文様の凹凸がかすかにある。ディアンが調べてくれた通りだ。
「冥府の神」を意味するであろう文様。そのすぐ隣にも別の文様がある。
「ん……?」
ミィラスは石組みの裏側を覗き込んだ。こちらにも文様があるが、「冥府の神」のものしかない。
視線を上げ、町の方角を確かめる。
町の中心部に向かう面には二種類の文様。「冥府の神」の一種類だけが刻まれているのは、外側を向く面だ。
ミィラスは黄金のロケットを握りしめたまま、石組みの周りをぐるぐると回った。
今度はぎゅっと手に力を入れていたため、ロケットが悪戯することはなかったが、ミィラスが石組みの外側に行くと大人しくなり、内側に入ると重くなったり軽くなったり、痙攣したりする。
防塁の内側にいると、この神は嫌がるらしい!
「冥府の信仰がある場所で、自分たちの祀る神が嫌がるようなものを……?」
実に不思議な気がしたが、古の人々がこの神を畏れ敬いながら、正しく「恐れる」感情を持っていたのならば。
神を恐れ、その権能から身を守るためならば。
信仰の中に、神の権能を退ける呪いが伝わっていたのだとしたら。
防塁の外は冥府の神の領域、内側は人間を守る、命の領域なのだ!
防塁は古く、崩れていて不完全だ。
明日にもやってくるであろう神から、この町を守る力が無いことは、前回の被害からも自明である。
だがようやく糸口がつかめた嬉しさに、ミィラスの表情は明るくなった。
そのとき、視界が突如として暗くなった。空が翳ったわけでも、彼の上に何かが被さったわけでもない。
ミィラスは一瞬のうちに口から血を噴き出し、気を失ったのだった。
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