西翼の鴉~神は沈黙したもう~

雨丹 釉

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十章 神々の系譜

44話

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【おもな登場人物】
《ミィラス》
聖ドリード教団で若くして聖典楽師となった、孔雀色の瞳が印象的な青年
《ザイル》
太鼓の聖典楽師
《フルーバ》
笛の聖典楽師
《ミオリア》
踊り子



 彼らは聖ドリード教団が成立する以前より、リィンとともにドリード神の信奉者であったという。

 太鼓の聖典楽師 ザイル
 笛の聖典楽師 フルーバ
 踊り子 ミオリア

 三人の先人たちはミィラスを先導しながら、さながら冥府観光だとでも言うように、「あれらの赤い影たちは亡霊の一種だ」だの「右に見えるのは虚空、左に見えるのも虚空」だの「便所はないので我慢しろ」などと陽気に話しかけた。

 ミィラスは彼らの名を聞いてから、大聖堂の各塔の上にあるのは〝リィンの竪琴〟であり、〝ザイルの太鼓〟〝フルーバの笛〟〝ミオリア像〟であったことを思い出した。よもやそういうことだったとは、とひとり納得する。過去の聖人の象徴を屋根に掲げ、自分たちは暮らしていたのだ。なぜそのことを知らされていなかったのだろう。それとも、あえて伝えなかったわけがあるのだろうか。

「我らはドリード神の信徒、しかし聖ドリード教団が奉る神の信徒ではない」

 ザイルの言葉に、ミィラスは怪訝に首をかしげた。

「どういうことでしょう。同じではないのですか?」
「ドリード神は、そもそも全知全能でもなければ、力ある神でもない。当時、無数にいる神の中で、その序列は極めて低かった」

 彼らは冥府を歩きながら、そんな話をした。何も無い風景の中では非常に退屈してしまうからだ。しかも遠い過去の死者である彼らが話せることといえば、昔話しかないのである。
 赤い地平の先には、冥府の主の玉座があると言う。そこを目指しながら、ミィラスは彼らの話に耳を傾けた。

「時代が時代、あまたの神があまたの人間に担がれ、戦が絶えなかった。愚かなことだが、みな互いに争いながら争いに倦んでいたのだ。自ら武器を置くこともできず、自ら生み出した戦いの理由を、すべてを神のせいにした。そこで、信ずる神というものをいっそまとめようという潮流ができたのだ。だが当然、どの神を戴くかでまた争いが起こる」

 そのうちに、赤い地面の上に石造りの建物が現れた。柱と、壁の一部、階段状の入り口だけがかろうじて原型を残している。残骸でしかなかったが、ある神を祀る神殿のようだった。
 壁の中央に見知らぬ神の像。その脇に、小さなドリード神像がある。それは両手を恭しく上げ、もう片方の神を崇めているような、見慣れない姿だった。

「これは……?」
「ドリード神は、もとは儀礼を司る神だ。つまり、あらゆる神のしもべであり、全ての神の儀礼を執り行うとされる。祭祀や信仰する行為そのものが神格を持ったとも言えるな。多くの場合、主となる神の側に、このように小さく表されるのが本来のドリード神なのだ」

 フルーバが憮然としながら説明をしてくれた。煙くさいと思ったら、いつの間にかその手には煙草──だとは思われるが見慣れない形状だ──が握られていたのでミィラスはぎょっとした。聖典楽師にあるまじき振る舞いに思えたが、もしや、かつては許されていたのだろうか。
 だがミオリアが「うつけが! 煙草はやめんか!」と言って煙草を地面に叩き落としたので、やはり昔も御法度だったらしい。

 ミオリアが「ごほん」と咳払いをして説明を引き取る。

「妾たちは、その儀礼神としてのドリード神に仕えていたのじゃ。もちろん他の神の信徒たちからは下に見られておったが、誇りを持って務めたものじゃ」

 ミィラスは崩れかかった小さなドリード神像をとくと眺めた。
 祭壇の上に唯一鎮座するのではなく、他の神に添えられるようにして佇むドリード神は、静かな、厳格とも言える表情をしている。よく見慣れた、あの柔和な顔つきではない。
 衝撃を受けたのか、悲しくなったのか、あるいは感動したのか、よく分からない心持ちで、ミィラスは神殿跡を離れた。

「しかし、そのように立場が低かったというのに、なぜ今は唯一の神となっているのでしょうか」

 そうミィラスが尋ねると、三人の先人はそれまでの愉快さを引っ込めた。彼らは瞳に怒りを、または悲しみを、あるいは自嘲を浮かべて答える。

「皮肉なことに、誰もが知っている神だったからだ」
「狩猟の神を知らぬ者もおれば、海の神を知らぬ者、乙女の神を知らぬ者、薬の神を知らぬ者、財の神を知らぬ者もおる。誰かが崇める神は、誰かは知らぬ神じゃ」
「けど、全ての神の傍らに佇むドリード神は、誰もが知っていた」

 先人たちは前方を指さした。そこには無数の神殿の残骸や石祠群が、赤い砂に埋もれながら林立している。

「ドリード神は、あらゆる神の権能を取り込み、統合し、または永久に消し去った。そうさせられた」
「冥府の神ザーヴもまた、ドリード神の新しい世界によって、役目を失い、亡者を受け入れることは無くなった」
「だが冥府は消えなかった。かわりに存在を奪われた神々の墓場となったのだ。死を司り、冥府の主であるザーヴ神もろともに」
「そして、儀礼神という本来の役目を奪われたドリード神も、同時に死んだのじゃ」

 荒涼とした赤に、石塊の灰色が点々と、骨のように散らばっている。
 ミィラスは呆然とその光景を眺め、立ち尽くした。
 リィンにも以前同じことを言われたはずだった。
 だがミィラスは実際には全く理解していなかった。ただ昔の信仰が、時代の流れによって、今の信仰に移り変わっただけだと。だがここにこうして、醜く晒される残骸を目の当たりにしている。

「我らはここ冥府で、ドリード神が果たすことのできなくなった役目を全うするために、〝力ある言葉〟で〝聖典の詩〟を歌う。これは本来、全ての神のものだ」
「リィンだけは、ドリード神の世界で、此岸の川辺に留まり現世を見守らせた」
「だが奴がもう彼岸へ渡ったのであれば、じき終わりが訪れるであろう」
「そなたが、リィンの後継であるならば」

 そのとき、漆黒の天から声がした。
 落下しながら叫ぶような、複数人の賑やかな声だ。
 先人たちは目の上に手をかざし、虚空に目をこらした。

「む、何者かがまたやってきたようじゃな」
「おお、男と女と子どもだ」
「あ、落ちた」

 ミィラスはその声に聞き覚えがあった。女の声はパルラ、子どもの声はディアン、男の声は──テルだろうか? なぜ?
 彼らはミィラスと同じように、冥府へ落下してきたらしい。墜落場所はここからずいぶん遠くのようだ。
 そちらに向かって駆け出そうとしたミィラスを、先人たちがガシッと掴んで止める。

「なぜです!」
「聞け。そなたには時間が無いぞ。リィンの加護とて長くは持たぬのじゃ」
「冥府には生者の居場所はない。あの者たちのところに行ったとて、その頃には自分も相手も亡者に成り果てているだろう」

 彼らは情け容赦なく言い放った。

「そんな!」

 ミィラスはなおも仲間たちのもとへ行こうとしたが、背後で地響きが鳴り、思わず振り返った。

 冥府の神の玉座が見える。すぐそこだ。 
 冥府の神ザーヴ。

 先人たちが歴史とともにその名を語ってくれたから、ようやく知ることができた。
 今になって思えば、ザルバという町の名は、この神の名が転訛したものだったに違いない。
 ザーヴは玉座の上で黒い巨躯を揺すり、それによって赤い大地を鳴動させていた。波打ちながら砂が盛り上がり、高い山となってそびえ立つ。砂山としては物理的にありえぬ高さに。

「冥府が、地上へ出ようとしている」

 憮然としたフルーバの言葉に、ザイルが「すると、どうなる?」と訊いた。
 ミオリアが憐情の浮かんだ目で答える。

「何万もの人間が、冥府に飲み込まれて死ぬであろうよ。死んだとて、もはやドリード神の彼岸へ渡ることも叶わずにな……。ここに取り残された亡者どもと同じになる」

 彼らはミィラスに、痛いほどの問いかけを含んだ視線を投げかけた。

「我らが後輩。後輩ながら、異なるドリード神を戴く者よ。我らが神は、あまねく人間と神々の苦痛を引き受けて、天上へ昇り、人の世を救った」
「だが全ては救いきれなかった。そのツケが今の冥府であり、現在起こっている冥府の氾濫なのだ」
「この氾濫を止めるために参ったと申したな。冥府か、仲間か、どちらかを選ばねばならない。冥府と現世を見限り仲間たちのもとへ駆け寄るも良し」
「その仲間を捨て置いて、冥府の神と話をするも良し」
「そなたの役目を果たせ。そなたの信じる神を信じ、己を信じ、人を信じよ」
「我らが愛しの後輩よ。いずれをどのように選ぼうとも、それは全て正しい」
「そして、そなたの背負う業を信じよ。それは課せられた罪であると同時に愛である」

 先人たちの言葉は、矢のように鋭いが、同時に全てを受け入れるとも語っていた。

 今ここで、冥府があふれ出すこの瞬間に、己が成すべきことは。

 ミィラスはきつく目を閉じる。心臓の音が耳裏でけたたましい。頭は割れそうなほど痛み、手は震え、足は竦んでいた。

 祈る。
 祈れども。
 ドリード神は、いまこの時でさえ沈黙し、答えない。

 だがかわりに、ミィラスの脳裏に様々なことがよぎっていく。

 幼少期の思い出、両親や師ケイラーのこと。風を受ける農園の麦。離別の悲しみ。教団で学んだ少年時代。他の少年たちと悪戯の罰を受けたこと。〝力ある言葉〟や〝聖典の詩〟をひとつ覚えるごとに受ける感銘。竪琴をつま弾く安らぎ。ミィラスに追い越された神職たちからの僻み。少ない友人たちとの心温まる交流。困窮する人々と自己の無力感。空から降り注ぐ陽光の暖かさ。パルラの快活な声。アシェラの誘惑的な幻影。奪われた力。先達の導き。理不尽な暴力。謂われのない悪意。此岸の川辺。感性豊かな詩作。彼岸の日没。生意気なディアン。先人たちとの愉快なやりとり。いにしえの時代の出来事……。

 選ぶべきものは。
 選びたいと望んでいるものは。
 選ぶことによって、どうなるのか。
 どうなってしまうのか。
 それを受け入れるか。
 その勇気があるか。

『……』

『もちろん ある』

 己の深い場所で、そこにいる誰かが振り向いた気がした。

『それを受け入れるだけ』
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