西翼の鴉~神は沈黙したもう~

雨丹 釉

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十章 神々の系譜

45話

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【おもな登場人物】
《ミィラス》
聖ドリード教団で若くして聖典楽師となった、孔雀色の瞳が印象的な青年
《ザイル》
太鼓の聖典楽師
《フルーバ》
笛の聖典楽師
《ミオリア》
踊り子
《パルラ》
聖ドリード教団に所属する踊り子で、快活で強気な女性
《ディアン》
ザルバの町で暮らす浮浪少年 
《テル》
旅の剣士で、風雅な印象の風来坊



 ミィラスはますますぎゅっと目を閉じた。
 何を受け入れよと言うのだろうか。これまで散々な目に遭い、それでも許し、乗り越えてきたはずだ。これ以上何を受け入れれば足りるのだ。何を奪われようと倦まず、足を止めなかった。これ以上どこに進めと言うのか。到底償えぬ罪があり、背けたかった目を引き戻した。これ以上何を見よと言うのか。

『僕自身だ それこそが勇気の 根源だ』

『受け入れて』

『この身が砕けようとも 僕は お前を見捨てない』

 君は誰だ?

 目を開け、そこにぽつねんと立っているのが己の幼少の姿であることに、ミィラスは気づいた。はっとして後ずさると、自分と同じ孔雀色の瞳が、こちらをじっと見つめている。その視線は痛いほど純粋であり、それそのものが痛みを帯びた存在であると悟った。
 ミィラスは思わず声を掛けた。

「……痛いのか?」

『痛い でも平気だ』

「どうして、何がそんなに痛い?」

『ここに 傷がある』

 小ミィラスが衣服の襟を開くと、無垢な胸元に大きな棘が刺さっていた。子どもの胸を無残に貫くそれは、長い間食い込んでいたのか、皮膚と癒着してしまっていた。
 ミィラスは思わず駆け寄って「どうしてこんなものが」とそっと手を触れた。
 すると同時に、自らの胸もずきんと痛む。どきっとして胸に手をやり、同じものが自分の胸にも埋まっていると知る。
 小ミィラスはきちんと服の襟を戻すと『でも 平気だ』と言った。

「そんな、平気なわけがない。こんな棘が子どもに刺さっているなんて」

 ミィラスの言葉に、小ミィラスは言葉を返す。

『でも おまえは平気だったんだろう?』

 孔雀色の丸い目が、そう問いかけた。
 ミィラスは、その目に魅入られたまま、言葉を失った。足許が失われ、どこまでも落ちていく気がした。けれど永遠に落下することはなく、彼は小さい自分と一緒に、自らがかつて落っことした器の底に着地した。

 違う。

 青年は、幼い自らの身体を抱きしめ、声を絞り出した。

「違う。違う僕は痛かった、我慢しただけ──」

 家族に見捨てられたと感じた。
 神の教えを学んでも自信は無かった。
 不安だから努力した。
 認められても、常に疑っていた。
 自分には助けられない人々に、無力感を感じた。
 正しいと信じることをやってきた。事実それは正しかった。
 達成感はあっても、充足感は無かった。
 飢えた獣のように、修行を貪った。
 しかし神を貪ることはできなかった。
 どうあがいても満たされない──欠けた器。

『お前は 本当は 痛かったのか?』

「──痛かった。本当は辛かったのに傷ごと隠してしまった」

 ミィラスが目を見開き、愕然としながら、幼い自分の顔に向き直った。

「他ならぬ僕が君にその棘を突き刺したんだ──」

 心の痛みを止めるために、もっと強い痛みで覆い隠したのだ。そのことに気づいた今、自らの胸で生じる鈍痛が、一気に鋭さを増した。心臓が鼓動を止めようとしているのか、身体が引き攣って倒れ込む。

 ミィラスは血の色をした砂を掴んだ。その一粒一粒が亡者であったのだろう。小さな嘆きの声で囁いている。そして自らの傷口からも、血の代わりに赤い砂が溢れていた。

 この場所に辿り着くまでに、いくつもの苦難を乗り越えてきた。悪意で傷つけてくる者もいれば、手を差し伸べる者もいた。理不尽もあれば幸運もあった。考えれば不思議である。かような運命を辿るのはミィラス以外でも良かったのに、他ならぬ彼がその道を辿ったのだ。

 この今にも尽きようとする鼓動、砂となっていく血潮、痛みに呻く身体を作ったのは、己の生い立ちだ。器の底を欠き、満たされようとあがいた末に、今ここでかつての棘に貫かれる精神を育んだのは、己の生き様だ。

 ここで足を止め、朽ちていくのだろうか。

 ミィラスは身体から流れていく砂が地面に落ちていくのを見つめ、手で己と亡者の砂をかき混ぜた。冥府であれ、今自分が生きている世界だ。ここで永久の死に閉ざされた者たちがいる。その悲しみや怒りに、自身の砂が混ざっていく。

 この血潮などすべてくれてやる。だが諦めはしない。全て救ってみせる。その為なら器など砕けてしまえ。

 小ミィラスが小さな手を伸ばし、彼の胸に触れる。

『いたいの いたいの とんでいけ どこまでも 僕たちが行くところまで』

 そのまじないでは痛みは引かなかったが、不思議と励まされた。ミィラスはどこにでも行ける自分の身体を見下ろす。
 この痛みこそが、自分をどこにでも、望む場所へ連れて行ってくれるのならば。
 ミィラスは立ち上がり、小さな自分を抱き上げて言った。

「僕と一緒に来てくれ」

『一緒に行って なにをしたい?』

 幼い自分の問いに、ミィラスは答える。

『──僕が僕として、そうありたいと望むことを』

 すると小ミィラスは、彼の腕に柔らかく抱かれたまま告げる。

『じゃあ 受け入れて たったそれだけ 君は全てを手放して そして全てを手に入れる』

 小ミィラスが消えた場所、ミィラスは法衣の襟を開き、その下の衣の襟もはだけさせた。
 そこに突き刺さるは一本の棘。
 ミィラスはそれに掌を当てると、ぐっと自らの中に押しこんだ。
 心臓が破れるのではないかと思った。だがその痛みは、かつて自分が感じたはずのものだ。いまこの痛みを受け入れる勇気こそ、全てを変える勇気だ。

 ミィラスは孔雀色の瞳を、輝かしい業を宿した魂を、行き先へ向けた。
 先人たちのもとから離れ、彼は駆け出していく。
 赤い砂を蹴り、冥府の主のもとへ。

      * * *

「我らも最後まで役目を果たそうじゃないか。若い後輩に負けてはおれんぞ」

 ザイルがぐるぐると腕を回した。
 ミオリアがくすくすと笑う。

「さてはそなた、ミィラスに対してちょっと気の毒だったかなぁとか、思っておろう」
「むっ」
「あの者は、我らが成し遂げられなんだことを、成し遂げにいったのじゃ。同情こそ、あの若者に失礼であろう」
「しかしなぁ、ほら、まだ若いし、きっとヤンチャ盛りだったろうに」
「そなたと一緒にするでないわ。彼のほうが遥かに聡いことじゃ。それに──」

 ミオリアは青年の後ろ姿を見る。

「──よほど、欲も愛も深きことよ」

 そこへフルーバがため息をつきながら、遠くの地平を指さした。

「そなたら、くっちゃべっとらんで、あれはどうするのだ」

 示された先を、目をすがめて見たミオリアは言う。

「ザイルの太鼓ならば、あそこまで聞こえるのではないかのぅ。ほれ、さっさと叩け」
「分かった分かった」

 ザイルは逞しい腕を振り上げ、先ほどの演奏とは打って変わって、雷のような爆音を轟かせた。

      * * *

「きゃっ! 何の音? 雷でも落ちたの?」

 身を竦ませたパルラに、頭を巡らせながらテルが言う。

「うーん、あっちの方角からだな。雷にしてはやけに小気味よく音を刻んでいる気がするけど──」

 彼は音の方向にじっと目を凝らした。

「あっ、誰かいる」
「えっ、うそ。私には何も見えないわ」
「テルの兄貴、目が良いんだな!」

 赤い大地に墜落した三人は、ひとまず冥府へ飛び込むことに成功したことを理解した。だが喜ぶ間もなく、そこにはミィラスの姿はなく、この陰鬱で果てしない世界で、どうやって彼を探せばいいのか検討もつかなかった。
 だがそこへ、合図のように大きな音がしたのだ。まるで彼らに気づけと言っているかのように。

「流石に遠いな。しかも向こうには赤い山みたいなのが伸びているし、そろそろこの世も終わりかもしれないな」

 テルが「ははは」と笑う。その声には皮肉や諦めといった乾いた響きはなく、ただ目の前の珍しい景色を面白がっているだけのようだ。
 パルラはバシバシとテルの腕を叩いた。

「もう! 何しに来たの!」
「そうだった」

 テルは頷いた。悲観もせず、苛々した様子もない。今からでもなんとかなると思っているのだろうか。

「あそこに彼がいることに賭けよう。とある人からの預かり物なのだけれど、ここからだと直接渡しに行くのは時間が掛かりそうだな……」

 そう言うと彼は肩をぐるぐると回し、その場で駆け足をしたり屈伸運動をしたりし始めた。

「……何をしているの?」

 パルラが胡乱な目で見ていると、テルはさっくりと運動を終え、おもむろに懐からある物を引っ張り出す。それを見たパルラはあんぐりと口を開けた。

「それって──!」

 テルは軽く助走をつけると、腕を振り上げ、手に持った物体を勢いよく暗黒の空に投げ放つ。
 黄金色の何かが、流星のように軌跡を描いて飛んでいった。
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