上 下
48 / 55
8日目 気分はジェットコースター!?

21ー3

しおりを挟む

 自宅に戻ると、時刻は22時を回っていた。

 履き慣れない下駄で歩き疲れた足は重たかった。


「疲れた……。風呂入りたい」

「先入れば?さっとシャワーだろ?」

「うん、ごめん。そうする」


 悠人は着替えを取りに寝室に向かった。

 一先ず着替えようと浴衣に手をかけた颯はピタリと手を止めて、じっと帯を見つめる。


「颯ちゃん、何してんの?」

 寝室から出てきた悠人は、着替えをしようとしたまま停止している颯を見て顔をしかめた。


「悠人、ちょっと頼みがあるんだけど」

「なに?今じゃないとダメなの?」

「今この瞬間じゃないとダメなんだ」

 颯の顔は真剣そのものだ。


 しかし、悠人の顔は険しいまま壁伝いに歩き脱衣所を目指す。


 そんな悠人にお構いなしで颯は続けた。


「着物の帯を引っ張る悪代官のシーンがあるだろ。実はあれ、ちょっとやってみたかったんだ」


 コイツは何を言い出すんだとばかりに、悠人は冷ややかな視線を送った。


「ちょうど悠人も浴衣着てるし、絶好の脱がし日和だと思うんだよな」

「風呂入ったら冷たい水出してやるよ、酔っ払い」


 そう言って、悠人は脱衣所の扉を勢いよく閉めた。


 残された颯は一人ぽつんと、何がいけなかったのかとブツブツ呟き着替えをした。

 ドカッとソファに腰を下ろして凭れかかり、ぼんやりと天井を見上げ今日一日の出来事が浮かび瞼を閉じた。

 疲れた体は限界で、睡魔に誘われウトウトと意識を手放しかけた時。


「颯ちゃん、上がったよー」

「……ん、ああ。ゆっくりでよかったのに」

「いいから、入ってきちゃって」


 悠人に急かされ気怠い体を無理やり起こし、続けて風呂に入る事にした。


 長いと思っていた休みが終わってしまう。 

 頭からシャワーを浴びてベタついた素肌を擦り、颯は深い溜息を零した。

 さっぱりとした体でサラッと服に袖を通す感覚は気持ちがいい。


 風呂から出ると、宣言通り氷がたっぷり入った水が出てきた。

 悠人は眠たげに欠伸を漏らして寝室に足を向けた。


「本当に冷水?」

「颯ちゃんは酒飲んだからね。水でいいでしょ」


 不満を零す颯には目もくれず、悠人は素知らぬ振りをして寝室に入ってしまった。


 グラスを持ち上げた手から伝わる冷たさに一瞬躊躇ちゅうちょした颯だが、覚悟を決めてグッと飲み干すと痛いくらいに体の隅々まで染み渡る。


 目は冴えてすぐには眠れないなと頭を搔いて寝室に入り、ギシッと音を立てて悠人の隣に寝転んだ。

 仰向けで目を閉じている悠人と同じ体勢で、白い天井を見つめて呟いた。


「悠人にとって、この休みはいいものになったか?」

「……なったよ。すごく、大切で、嬉しい時間だった」


 返ってきた言葉はふわふわとして途切れ途切れながら、答えてくれた悠人の気持ちが嬉しかった。


 颯は横向きになり、手のひらで頭を支えて悠人を見つめ考える。

『トキメキ探し』悠人に言われて始めて、休みの間色んな事をして過ごしたが、悠人は自分に少しでもドキッとした瞬間があったのかと疑問が浮かぶ。


 悠人と違い、颯の外見は至って普通。
 スポーツはそこそこ出来ても、群を抜いているわけでもない。

 勉強もそこそこ、ステータスを出すなら全てが標準値なのだ。


 そして年齢を重ねた今、更にときめかせるのは難易度が上がっている。
 一緒にいたいと言ってくれた悠人が求めるものならあげたいと思う。
 だけど、それを自分があげられるのか分からない。

 まずは髪型から変えてみようかと顔をしかめた時。


「颯ちゃん、眠れない?」

 寝ていたと思っていた悠人が薄く目を開けた。

「悪い、起こした?」

「視線が気になって眠れない」

「ごめん……」

「嘘だよ。嘘。考え事?」


 悠人は体勢を変えて颯と向き合い重い瞼を擦った。

 思っているままを言うのは気が引けて、颯は口をへの字に曲げて考えた末に、わざとらしく咳払いをして言った。


「ゴホン。次に生まれてくる時は、全知全能の神になりたいなって」

「なんで急に?」

「そしたら何でも分かるだろ。悠人がクリスマスに何欲しがってるかとか、今日は飯作りたくない日なんだろうなとか」

「そんな事の為に神化するの?颯ちゃんの場合、『転生したけどチートとは無縁だったので運と直感で成り上がる』とかだと思うけどな」


 それなりに本気で言った颯だが、悠人は冗談だと受け取ったようだ。


 エアコンからガコガコと音がすると二人しかいない室内にも関わらず、颯は小声で言った。


「悠人が俺に愛想尽かすとしたら、どんな時だと思う?」

「どうしたの?颯ちゃん、ちょっと情緒不安定気味?」

「結構マジメに聞いてるんだけど」

 悠人は鈴が鳴るようにコロコロと笑ったが、颯は真剣だ。


「さあ、どうだろうね。でも、格好つけてるのは颯ちゃんだけじゃないんだけどな」


 上体を起こした悠人は颯の顔の横に手をついて、覆い被さるような体勢になった。


 ドクンと高鳴る鼓動、薄く開いた悠人の唇は何とも魅力的で、噛みつきたい衝動に駆られた。


 ゆっくりと距離は近付き、耳朶みみたぶに触れた柔らかな唇は吐息混じりに囁いた。


「……颯ちゃんに野菜食べてって言ってるけど、実は俺トマト嫌いでこっそり颯ちゃんの皿に入れてたの隠してた」

「え……それ、ずっとバレてないと思ってたのか?」


 そう言うと、目をぱちくりした悠人はタオルケットを勢いよく頭から被り背を向けてしまった。


「おーい!悠人。……悠人?悠人さーん?」

 颯は起き上がって丸まった悠人を揺すったが、何の反応もない。


 枕に頭を沈め、体は悠人の方に向けて目を閉じた颯は、布が擦れる音にうっすらと片目を開けた。


「……ッ!?」


 颯と向き合いタオルケットをそっと持ち上げて覗き見ている悠人と目が合うと、また中に隠れてしまう。


 颯は思わず頰を緩めて、悠人の方に腕を差し出した。

「はーると。腕、いる?」

「……いる」


 悠人はタオルケットからモゾモゾと顔を出して、ふわりと柔らかな髪と共に颯の腕に愛しい重みが乗った。


「おやすみ、悠人」

「ん。おやすみ、颯ちゃん」


 外の世界から遮断された明かりのない暗い部屋で、やがて二人の寝息が重なった穏やかな夜。


 こうしてドタバタとした8日目の休みは終わりを迎えたのだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

魔王英雄伝 ~ドラゴンの幼女と魔剣の妖女~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:0

妹に婚約者を奪われましたが今は幸せです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:51,355pt お気に入り:2,074

君と国境を越えて

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:7,981pt お気に入り:36

すきだよ私の人魚姫

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:589pt お気に入り:0

裏切りの扉  

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:9,941pt お気に入り:15

病んでる僕は、

BL / 連載中 24h.ポイント:1,249pt お気に入り:453

前世の因縁は断ち切ります~二度目の人生は幸せに~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:129,349pt お気に入り:4,368

生まれるはずだった人

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

それは着ません!

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

ノー・ウォリーズ

BL / 完結 24h.ポイント:873pt お気に入り:5

処理中です...