鮮明な月

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第十五章 FlashBack

166.

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やっとのことで真見塚の騒動から解放されたのは夜の帳が薄く落ち始めてからで、宏太は送っていくと言う信哉の申し出を遠慮して滲む疲労感を覚えながら苦笑いを浮かべ歩き出している。昔習った手習いでただ抜刀術を見せるだけの筈が、信哉の抜刀術に少し癖がついていたのに気がついて指南をしているうちに随分と遅くなってしまったのだ。

親子なんだな、あんなところ迄……似るなんて…………

そう考えてしまうと、妙に可笑しくなってしまう。というのも過去には澪も抜刀術の鍛練中に足捌きに癖がついていると、千羽哉から散々繰り返し指南されていたからだ。それを横で散々と聞いていたから、宏太はその癖が何故つくかも知っている。何故か今日は何度も同じく鮮明に頭に浮かぶ過去の記憶の片鱗の中で、抜刀術を一足先に習い始めた澪に指南する千羽哉が淡々と指摘していた。

澪、刀に緊張し過ぎだ、足が速い。

父である鳥飼千羽哉にそう何度も澪は言われていて、澪は模造刀とはいえ刀剣を持つのに緊張してしまうため僅かに気が急いて足捌きが詰まってしまうのだ。そのせいで逆に足の動きに意識がとられて、伍の太刀の切っ先が少し上下にぶれる。ほんの僅かでも上下に刃先がぶれると鞘に納める時の音が変わるから、澪自身もそれは分かっていて言われる度に苦い顔をしていた。薙刀でも刀でも澪は刃物に関する古武術の時は、僅かに緊張してしまうらしいのは長い付き合いで宏太もよく知っている。

澪は金気に飲まれるのが怖いんだろう。

千羽哉は不思議そうに、そう言っていた。かくいう宏太の方は逆に刀に気を取られなさ過ぎて足捌きが遅いと言われていて、宏太は刀を怖がらなさ過ぎるから危ないと散々に言われていたものだ。余りにも治らないから、終いに千羽哉には二人を足して半分にしたら抜刀術に丁度いいなんて言われたものだった。

澪は命をとるものに飲まれるのが怖くて、宏太は命に無頓着過ぎて怖さを知らない。

宏太の情緒的な問題のことは何も知らなかった筈なのに、鳥飼千羽哉の宏太への指摘は的確すぎて酷く的を得ている。こうして了といる今になれば宏太も命に関しての感覚が代わり始めているから、もしかしたら逆に今の方が抜刀術としては腕が上がったかもしれない。
それにしても抜刀術を澪に教えられたからとはいえ、二十年も経ってから息子の信哉が自分の前で抜刀術を(目では見えないとはいえ)やって見せるとは。しかも澪と信哉が全く同じ癖なのには、思わず宏太はほろ苦く懐かしい思いと共に笑ってしまう。

今日は…………随分と昔のことばかり考えてるな…………俺も。

目が見えずに頭の中でばかり考えるからか、酷く鮮明な記憶が頭の中で細やかに再現されていて少し感傷的になってしまう。もしなんて仮定を今更こうして思い浮かべても仕方がないが、あの時既に自分のことをもっと理解していたら、今の自分や周囲は変わっただろうか。勿論変わってしまって了と出会えないのは困るけれど、もし変わって澪や喜一を少しでも救えていたら。

よくねぇな、こんなことばかり…………。

分かっているのにそんなことばかり急に考えている宏太は、思わず夜風の中に過去の自分の足音を聞いた気がして立ち尽くす。一度歩いた道を逆に進んで帰るだけだから行きのようにナビは使っていないし、それほど真見塚家から自宅迄の道は面倒ではない。けれど無意識に聞いた気がする足音は、まるで過去の自分の足音のように力強く駆けて近づいてきていた。誰かが夜のランニングでもしているのかもしれないし宏太とは何も関係ないかもしれないが、何故かそれは過去の記憶を再び強く揺り起こして宏太の足をその場に引き留める。

何なんだ…………こんな…………了…………

沸き上がるような過去の記憶には、高校の頃の自分や遠坂喜一、鳥飼澪がいる。そして今はずっと年を重ねたが、記憶の中では過去の藤咲信夫も四倉梨央も高校の時の姿で。宵闇の筈の世界ですら記憶の中では何故か明るい陽射しの下で、戸惑いに了の名前を呼んでも今は傍に了がいない。まるで過去の記憶に取り込まれてしまったみたいに、強い記憶の中で駆けてくる足音に何気なくその顔を向けてしまっていた。

こぉた!!

一瞬誰の声か判別できない、それでも聞き覚えのある明確に自分を呼ぶハッキリとした声。思わず戸惑い凍りついたままの宏太は、普段とは違ってボンヤリとその場に立ち尽くしていた。



※※※



恭平を待ちきれずに家を出て暫くして、シトシトと秋の気配の滲む細かな雨が突然振りだしていた。いつの間にか空を覆う灰色に重く垂れ込めた雲を見上げても、雲の切れ間はなくて雨は一向に止みそうな気配はない。恭平だって傘は持っていないしと慌てて辺りを見渡す視線には、未だに探している相手は見つけられないでいる。それまでにもう何度電話を掛けても反応はない上にLINEは未読のままで、仁聖には恭平に何かあったのかどうかも分からない。だから闇雲に真見塚の家がある場所を宮井麻希子に確認して、その付近を探すしか出来ないでいるのが酷くもどかしくて仕方がないのだ。

恭平ってば……どうしたんだよ?!…………こんなことなかったのに!

もうこうなると恭平に何かあったとしか仁聖には思えないけれど、それにしても仁聖に何もかも伝わってこない理由には何一つ繋がらない。そんなことを考えながら重く濡れ始めた頭を振って滴を払った仁聖の耳に、微かに遠くから近づく救急車のサイレンの音が聞こえたのはその時だった。それを聞いた瞬間に背筋がヒヤリと悪寒に凍って、思わず救急車の音の方向に向かって駆け出していく。灰色の空を染めながら次第に近づく救急車のサイレンと赤色灯に、その不安はさらにうねるように胸の中で膨らんで駆けていく仁聖を支配しようとしていた。

まさか…………恭平じゃないよね?!まさか……!

必死で駆けているはずなのに雨のせいなのか焦りのせいなのか、手足が酷く重く冷たく感じる。幼くて何も分からなかった筈なのに叔父に手を繋がれて、見上げた画面の向こうの赤色灯が毒々しい程に鮮やかに世界をチラチラと照らしたのと同じく視界の先の空を赤い光が照らし暗くて冷たい不安が胸にのし掛かった。

やめてよ、そんなの、やだ、やだよ

やっと大事な人と傍で思いを通じ会わせて一緒に暮らせるようになったのに、ここでもし恭平に何か起きたとしたら仁聖はきっとマトモではいられない。怖いし寂しいし苦しいから、そんなことを耐えることなんか絶対に出来ないのは分かっている。いつの間にかバシャバシャと足元に水の跳ねる音が激しく立つけれど、そんなことすらどうでもいい。

ただ、あの赤色灯の下に要るのが恭平でなければ

誰もが大概仁聖はおっとりしていて呑気だと思っているようだけれど、本当は仁聖はただ榊恭平しか必要としていないだけなのだと知らないだけだ。足元の感覚が恐怖のせいなのか遠退いていくのを感じながら足音を高くして駆ける仁聖は、角を曲がった瞬間面と向かって見ず知らずの男性と真正面から体当たりしてしまっていた。大きな声で互いに揉んどりうって倒れこんでしまったが、我に帰ったのはどう見ても若い仁聖の方が先だ。

「すみません!大丈夫ですか?!」
「あ、ああ、だ、大丈夫。」

よれた服を着てベットリと雨で張り付いた妙に黒々とした髪の毛、それに転んだのにどこか傷でもつけたか鉄錆びの臭いが微かにする。中年の男性の腕をとり抱えるようにして立ち上がらせると、大きな怪我がないかだけは視線の先で確認しているが、頭の中では焦りで録に相手の顔も見ていない。

「どっか怪我してますか?」
「い、いや。平気だ。」

どうやら鉄錆び臭いと思ったのは、降り落ちる雨の臭いに紛れた錯覚のようで確かに血が出るような怪我はしていない。相手が仁聖から離れるようにして大丈夫と改めてボソボソと呟き歩き出すのを、仁聖は戸惑いながら何気なく見送っていた。次の瞬間思い出したように仁聖は、弾かれるように救急車のサイレンの音に向かって再び駆け出していた。



※※※



昼のうちにスッカリ慣れてしまった広い家の掃除を終えて、書類仕事を含めて仕事も滞りなく終わり。仕事部屋で黙々とデータを纏めていた晴は、仕事が終わってお茶をする隙もなく早々に明良に捕獲されて帰途についた。最近の狭山明良の晴の過保護はかなり磨きがかかってきていて、晴が仕事が終わるのを狙い済ましたように来訪してくる。勿論明良が自分の仕事を蔑ろにしている訳ではなくて、恐らくは定時ピッタリで終わっているのではないかと思われるのだ。過保護な上に自身の仕事に関しても有能なあたり、それって宏太ばりだよなと密かに考えているのはここだけの話。恐らくタイプとしては、今までで一番狭山明良が宏太と似ているような気がする。一見社交的な一面を持った有能で万能の狭山明良が、恋もせずに成長すると以前の宏太になるわけだ。

………………でも明良は晴にゾッコンだから、昔の宏太みたいにはならないかぁ。

それに宏太は負けず嫌いでもあるが、明良のような短気とは言い切れない面もあるし。なんてことを一人考えながら、一人きりになってみると家の中は奇妙に静かだと気がついてしまう。たった一人の人が居るか居ないかだけで、こんなにも印象が変わるのに了は溜め息混じりにゴロンと広いソファーに寝転がる。
宏太と了の二人が一緒に過ごすようになって早くも半年程が経つが、割合宏太は四六時中といっていいほどに傍にいるし結果としては一緒にいるわけで。了がこんな風に夜になっても、この家に一人きりなのは実はとっても珍しい………………というよりは初めてかもしれない。

おっそいなぁ…………こぉた…………

抜刀術なんて聞いた時には何時の時代劇かと思ったが、宏太がまだ鳥飼信哉の母親と張り合って合気道をしていた頃に身に付けていたんだと言う。それを息子の鳥飼信哉から教えて欲しいとお願いされたのは分かったが、今日は何でか一緒に来なくていいなんて。宏太がいうのは珍しいけれど、実は気持ちは分からなくもない。

普段から合気道の話とかしないもんなぁ…………宏太。

もしかしたら道場とかでは宏太自身が昔の自分を感じるから嫌なのかもしれないと、ソファーの上で寝転がりながら了は胸の上で手を組んで考える。了にすれば傷が有ろうが無かろうが宏太は宏太だけど、宏太自身は案外傷をコンプレックスとして考えている節があった。一緒に暮らし始めて最初のうち服を脱がなかったりサングラスを外そうとしなかったのもそうだし、最近の交流関係の中で誰も気にしないことに宏太自身が驚いていたくらいだし。その宏太が合気道をしていたのは仁聖が藤咲から貰ってくれた写真の辺りまでで、その頃の宏太は超がつくほどのイケメンだし、その頃の知り合いと会うというのに自分を連れていくのは嫌なのかもしれない。内心了としても鳥飼信哉の美形っぷりに一人で行かせるのに不満がないわけではないが、鳥飼信哉は四倉梨央の夫なわけで。宏太は性的な興味はまるでないと言うから、そこは信じてるし等と一人悶々と考えてしまったりもする。

まあ…………いいけど…………それにしても…………

何気なくソファーから時計を見上げた了は、その視線の高い窓の向こう先で細かな雨が降り始めた外に気がつく。昼間に出掛けたままの宏太はまだ帰宅の気配も感じさせなくて思ったより遅くなっている上に、夜の帳に心細さに追い討ちをかけるような雨が降り始めたのだ。流石に夜の雨足は次第に強くなってきていて闇夜を歩くのにも腕っぷしにも問題がないとしても、これはいい加減に迎えにいくべきかもと了は思いを巡らせる。

もしかしたら、遅くなるかもしれない

そういいながら宏太は出掛けていった。それは確かな事実で宏太の遅くなるは飲みに行くとかそういうことも示唆していて、最近の宏太は色々なものの味が少しずつ分かるようになってきたから少し飲食に興味が出てき始めた。でもそれにはやっぱり了が傍にいるのが前提らしくて道場の後で飲みになったら呼ぶなんて言っていたけれど、今のところそれらしい連絡はきていない。でも流石にこの時間まで特訓なんて、スポコンドラマみたいなことは宏太にはないんじゃないだろうか。

「よし、迎えに行くかなぁ。」

誰かに聞かせるようにそう言いながら勢いよく立ち上がった了は、気を取り直したように手早く身支度しながら気忙しげに歩き出していた。


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