鮮明な月

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第十六章 FlashBack2

209.

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「なんか騒がしいわねぇ。」

呑気な口調でそう事務所の窓越しの喧騒に溜め息混じりの感想を口にしたのは花街では密かに有名な八幡調査事務所所長・八幡万智で、言うまでもなくここは花街中心のビルにある八幡調査事務所内。花街と今でも呼ばれているここら近辺の繁華街は、遥か過去には所謂色街と言うやつで遊郭の互いの職種の集まった界隈でもあったのだ。その時代からの街の守り神であった神社の守役だったのが八幡家だった。八幡家は元は駅を挟んで街の反対側にあった四倉家と勢力を張り合う任侠一家でもあったのだが、時代の移り変わりと共に職種を変えはしたものの代々ここに暮らしている。そんな話は兎も角今も八幡家は密かに花街の顔役で花街の治安維持や揉め事には様々関与して解決を図る役割も続けていて、お陰で万智も八幡調査事務所所長でありつつこの街の揉め事には耳聡い。何しろ時には徘徊するとされる殺人鬼への注意喚起なんてものもしないとならないし、この夏前には花街を中心に暴動騒ぎもあったわけで、今年も昨年に引き続き余り落ち着かない一年であるなぁと溜め息がでるのはやむを得ない。

せめて家の天使ちゃん達が進学の時は穏やかになってくんないかなー。

八幡万智の愛する二人の子供はそれぞれが大学受験と高校受験を控えているのだ。そんな最中だと言うのに何ヵ月か前には、長女の同級生である高校三年の男子が花街の外れの路地で死にかけで発見されるなんて事件も起きているわけで。お陰で万智としては花街の治安維持に更に勤めていないとならなくて、情報収集に某盲目の情報屋兼コンサルタントと長期的に提携を組むことになってもいる。

全く世の中さぁ、も少し安定してくんないかなー。

そう考えている矢先の窓の外の喧騒に万智が不満を感じるのはやむを得ないし、その窓の下の喧騒の理由が派手な顔立ちの面々なのに眉を潜めたのは言うまでもない。何しろ目下八幡の事務所内にはもう一人人がいて、たった今眼下のその人物について話していたばかりなのだ。

「ちょっとぉ、ノブ。あれ、ノブんとこのモデル君じゃない?」
「ええ?どれ?やだ、仁聖じゃない。」

おネエ言葉であらやだと口にしているのは言うまでもなく、花街の一角に芸能事務所を経営している藤咲信夫で自分のところの事務所のモデル・源川仁聖の件を含めて顔役の八幡万智に相談に来たところ。と言うのも前回起きた南尾昭義と言う男が仁聖にしていたストーカー事件を機に、藤咲は仁聖に関しての認識をガラッと改めた。万智に言わせると仁聖は以前からかなり街中でも目立ってきた存在で、しかも花街の万智も顔が分かる程の存在でもあったのだ。確かに今では大事な恋人が出来て身持ちの硬い好青年ではあるのだが、以前は花街で働く御姉様方とも大変広範囲にお付き合いしていたこともある。だからこそここいら一帯に詳しい顔役の万智も知っていて、実は仁聖は未成年なんだからとある程度以上のおいたは駄目と影でセーブをかけてもいたのだと言う。

じゃないとあの子、あっという間に稀代のドン・ファンよ?全く良かったわよ、男でも何でも本気の相手が出来てさ?

と万智が藤咲に言ったのはここだけの話し、大体にして仁聖の恋人が男だと既に知っていた辺りが流石八幡万智である。因みにこれまでの仁聖が夜の蝶である御姉様方と後腐れなくお付き合いしていられたのは、実は万智の暗躍も大きく働いていたのだ。何しろ夜の蝶の御姉様方の中には本気での仁聖とお付き合いを願っていた方もいて、まあ仁聖の方も本気なら万智だって多目に見るとかも考えたが、どう考えても仁聖には別に好きな相手がいるのが薄々見えていたから上手く御姉様の方を治めてくれていたと言うことらしい。

何でって?だって、あの子同世代に悪いことはしないのよ?それにお家の事情も可哀想だしさぁ

万智と来たら密かに仁聖の家庭の事情もちゃんと知っているわけで、仁聖がどうして年上とばかり付き合っていたかも想定の中とは言え大部分調べつくされている訳なのだ。それはさておき仁聖がただのイケメンなだけではなくて異様な程に人に好かれるし人を惹き付ける性質をもったイケメンであると認識を変えた藤咲は、モデルの方はかなり限局して仕事を選ぶように切り替えたし身の回りの安全にも配慮する必要があると判断している。何しろ原石の状態でそのパワーだったのに今の仁聖はそれに遥かに磨きをかけているわけで、しかも当人は最近になってやっと自分の容姿がどういうものか認識し始めては来たようだが今一理解が乏しい。お陰でモデルとして数ヵ月で事務所では指折りの売れっ子状態になっているのに、相変わらず当人は何で?どうして俺?と首をかしげているわけだ。しかもモデルや芸能人をするには途轍もない才能の逸材なのだが、そこら辺を上手くいなして逆に利用する程の技量が仁聖にはまだないのだったりする。その上今は逆に自分をアイコンとして利用されるのに拒絶感が強いせいで、彼の仕事はかなり制限をしていて写真媒体だけに限局している有り様。もう少し自分の魅力を把握して利用できる位であれば別な仕事も回したいところだが、何しろ仁聖の契約条項には身元の秘匿も含まれているし自覚が薄いから下手なことはさせられない。

「なにやってんのかしら……。痴話喧嘩?」

見下ろした視界にいる仁聖と一緒に何か話しているのはどう見ても『茶樹』の調理担当の鈴徳良二と、ブロンドの海外美少女に黒服の長身の青年、それに二十歳前後の男性数人を取り巻きにした

「あれ、金子んとこの娘ね。」
「あら、あれが金子美乃利?」

人工的な染色でアッシュブロンドの髪にしたらしいまあまあな顔立ちの女性が、ブロンドの美少女の傍にたつ長身の青年に腕を掴まれている。それが今まさに万智と藤咲が仁聖の身の回りの問題として話題に加えていた金子物流の社長の娘・金子美乃利なのだと万智に教えられて、藤咲は頭上からその顔を眺めた。恋人はおらずイケメンを多数侍らせ取り巻きを引き連れて歩いているという仁聖の説明の金子美乃利、それにしては本人はそれ程目を惹く容貌とまでは万智にしても藤咲にしても感じない。確かに綺麗ではあるけれど華がないなんて言ったら失礼だろうが、それが実は適切な気もする。

なんか、疲れてるっていうか、気が乗らないことをしてるっていうか…………

実際に自分に自信があって男を侍らせている夜の蝶の御姉様方は、基本的に女の色気を武器にして周囲に発散する術を身につける。意図して男を侍らせるのにはやる気というか、その気合いが見えるものなのだが、目の前の金子美乃利にはそれが殆んどない。

なんか、そうだな…………無理してる?

自分が望んでいるわけではないことを、無理してしている感が否めない。そんな風に見えてしまうのは、仁聖が自分でなくてもいいんだから他の奴を侍らせればいいと拒絶感を放つ理由にはならないだろうか。

「確かに彼氏にほしくて絡んでるようには見えないわねぇ。」

夜の蝶の御姉様方からも一目おかれる観察眼を持つ八幡万智にしても、金子美乃利は実際の行動と意図がずれているように見えるらしい。藤咲にしてもそれは同感で目立つ男なら誰でもいいのかと思えるし、こんな風に街中で騒動を起こして実家に噂が入ったら金子家としては彼女をもて余すんじゃなかろうかと思う。

もて余す…………のを期待してやってるとか?

そんなことをして何か特があるだろうか?とは思うものの目下眼前の喧騒は更に酷くなり、金子美乃利の金切り声で人垣が出来つつあるのに万智が呆れ顔で立ち上がるとカツカツと硬いヒールの音をさせて歩き出す。



※※※




「離してってば!!バカっ!!」

腕を掴んだままの黒服の青年は冷ややかな視線で金子美乃利を見下ろしていて、慌てて離してと声をあげるリリアの声も聞きもしない。主人に手をあげたから倍返しで仕返しをしないと気がすまないのか、それとも金子が謝るのを待ち構えているのかは能面のような顔からは全く読み取れない。これはどうしたものかと良二も仁聖も呆気にとられているが、取り巻きの男達の方はジリジリと密かに後退りつつあるのには呆れる。誰も助けるどころか逃げる隙を伺っている辺り、金子の求心力は実はかなり低いのかもしれないと仁聖は呆れながら考えていた。

「もぉ!!離してよぉ!!」
「Weise!!Let go of her arm!」

花街でのこの騒動に人垣が出来つつあって参ったなぁと言いたげな仁聖に、金子が救いを求めるように視線を向けてくる。それに仁聖としては放置して帰りたいと心の底から思ってしまうのだが、金子には腕も痛みもあるせいかそれどころではない。

「源川君!この人なんとかしてよ!!」
「えー…………謝ったら?先輩。」

何で私がと怒鳴る声にヴァイゼと言う青年は僅かに眉をしかめたところを見ると、全く日本語が分からない訳でもないし金子が謝るつもりも更々ないのには気がついたことだろう。少なくとも海外の良家のお嬢様の手を叩き払いのけた無作法は謝った方がいいんじゃない?と良二も口を揃えるのに、金子は苛立ちを隠しもせずに金切り声をあげるばかりだ。

「その人日本語少し分かってるよ?先輩。謝った方がいいと思うけど。」

しかも、気がついたらいつの間にか取り巻きの男達が逃げ出していて半分になっているのに、金子は更に腹立たしげに舌打ちと同時に唇を噛む。

「悪かったわよ!謝ったでしょ!離しなさいよっ!」

それは謝ったことになるのかなと内心では仁聖も良二も思っているのだが、これ以上の謝罪の意思をもつまた反応は無駄だと思ったのか能面の青年は不意に彼女の目を覗き込む。その動向に驚いたのは仁聖だけでなく、彼の主人であるリリアも同じだったようだ。

「Weise!No!!」

それがなんの意図なのか分からないがヴァイゼに目を覗き込まれた瞬間、金子の動きが止まって周囲が一瞬静けさに包まれたような気がした。

「何やってんの?ここいらは喧嘩はご法度ー!」

それを切り裂くような高らかな宣言の声に誰もがハッとしたような顔で、声の主を振り替える。そこにはヒールの高い靴を履いたスレンダーな勝ち気そうな女性が腰に手を当てて、しかも背後には背が高い見慣れた渋いイケメンを引き連れて仁王立ちしていた。周囲の人垣の中にはその女性をしっているのか、マチ姐さんだのなんだのと言う彼女の名前らしいヒソヒソ声がしている。

「はい、おにーさんも手を離してねー。おねーちゃんが何かしたのかなぁ?」

呑気な口調だけれど有無を言わさない気配で金子とヴァイゼの間に割って入った女性と、それに付いてきた風の藤咲に仁聖は瞳をパチパチと瞬かせて何でここにいるのと言いたげな顔をする。流石に気勢を削がれたらしいヴァイゼが手を離すと、八幡万智は金子美乃利を小脇に抱えるようにして賑やかに微笑む。

「女の子に手荒な真似は駄目よ、おにーさん。」

その言葉の意図が伝わったのかどうなのか、まるで感情の見えないままヴァイゼはリリアに顔を向けて帰りましょうと声をかける。逆にリリアがごめんなさいと頭を下げて金子と八幡に謝る始末だが、八幡万智の登場で周囲の人垣は崩れ始めていく。それを切っ掛けにしたみたいに八幡万智が何故か金子美乃利を確保したまま藤咲とどこかに連れていくのを、あれはいいのかなぁと仁聖と残っていた取り巻きの男達も呆然と見送る。

「仁聖?!」

不意に人垣の合間から仁聖の背中に向けてかけられた声に、仁聖が反射的に振り返り今までとはまるで違う安堵の表情を浮かべたのにリリアは気がついていた。そこにいたのは艶やかな黒髪の華奢な長身の青年、昼間にリリアを『茶樹』まで連れていってくれた一人・榊恭平で、彼の方も振り返った仁聖の顔を見て安堵の表情を浮かべている。

「恭平。」

ホッとした顔をした恭平がしなやかな動きで崩れていく人垣を避けながら仁聖に歩み寄ってくるのに、一緒にいたらしい外崎了も近づいて何かあったの?と良二に向かって問いかけてくる。何かあったと言うか嵐のようにことが起こり過ぎて、良二も状況の説明に困った様子でなんだろうねなんて笑っている有り様だが。

「よかった…………探してた…………。」
「え?あ…………。」

安堵に一瞬忘れていた様子だか、実際は仁聖は恭平と仲直りする方法を模索して藤咲に相談しようとしてここ迄来ていた訳で、良二にケーキ持って帰って謝ったらと言われたところだったのだ。それでも恭平の方が仁聖を探してくれていたと言うのに、一度目を丸くしてから仁聖は少し戸惑いながら心配かけてごめんなさいとポソポソと呟く。それに恭平はもういいからと微笑みながら、ポンと項垂れた仁聖の頭を撫でている。

「仁聖見つかったから、俺戻るな。宏太待たせてるし。」
「ああ、助かったよ。ありがとう。」

了がヒラヒラと手を振りながら来た道を戻り出すのを眺め、リリアもヴァイゼがいるのでホテルに戻るのはここで問題ないと告げ別れて歩き出したのに、良二も二人が仲直りしたからいいか?と別れて歩き出していた。

「仁聖。」

人垣は既になくなり花街の人混みはそれぞれの目的で動き始めていて、名前を呼ばれた仁聖はオズオズと恭平に視線を向ける。そこには穏やかな微笑みを浮かべて自分を見つめる恭平が、仁聖に向けて手を差し出していて。

「帰ろ、な?ほら、手。」

柔らかな声でそう言われてオズオズと恭平の手を繋ぐ仁聖に、恭平は少しだけ苦笑しながら仁聖の手を引き歩き出していた。
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