都市街下奇譚

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八十八夜目 『昔々』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですけどね、そうマスターの久保田はグラスを磨きながら口を開く。いつもと変わらず芳しい珈琲と紅茶の香りのする店内。
常々他の知人に聞けば客足が途絶えたことはないと話すのに、今はまた客足は奇妙なほど途絶えている。棚の上から美しい白磁のポットが見守る中で、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



昔々あるところに。

そんな語り出しで始まる物語は山のようにある。佐倉里津は事務仕事を淡々とこなしながら、そんな下らないことを考えていた。と言うのも短く切った髪が次第に伸び始めて頬にかかり、少し最近うっとおしく感じるようになったからそんな言葉がふと頭を過ってしまった。髪に執着して、自分の抜け毛すら捨てられなかった昔が密かに自分にはあるわけで、その後その髪の毛は忽然と消え、自分と瓜二つの女性が街で見かけられるようになる。髪の長い自分のことを知っている人が何度も何度も、双子かと聞いてくるのにその女性を探した里津は世にも奇妙な女性と出会った。

そろそろ切らないと

一度短い髪の生活になれてしまうと、あの手間には戻れないもの。そう言い訳するが、本音は彼女と似ていると里津自身が言われたくないからだった。肩甲骨よりも長くかかっていた筈の髪はもう随分昔のようで、最近では髪の毛で似た人がいるなんてことも言われない。お陰で里津は自分らしくノビノビと暮らしていると思う。そんな矢先、

「ねぇ、佐倉さんってここら辺の人なの?」

そう問いかけられたのは最近の行きつけの喫茶店。ここは案外客足が多い店舗のわりに、店員がよく客を把握していて常連になると密かなサービスをしてくれたりもする。そういうのは店舗としてはどうなのかとは思うが、大通りから少し外れた老舗になりつつある喫茶店だから生き残るのには何かそういうお得感がないとならないものなのだろう。そうしなくても珈琲や紅茶に詳しい人間なら、この店のこだわりは一目見てわかるのだが。兎も角そんな問いかけに、里津は思わずホールスタッフの松尾を見上げた。

「え?どうして?」

ホール担当の松尾はもう大分長くホールスタッフとしてここで働いていて、店舗の切り盛りに一役かっている。大体にしてこの店舗、客は最大二十人前後受け入れ可能で回転も早いのに、ホールスタッフは松尾とマスターだけ。しかもキッチンは男性一人だけなのだ。一体どうやるとそれでこの店舗を賄えるのか、正直疑問。何しろ事前に注文を知っているような速度で、飲食物が提供されるのは何時もの事なのだ。

「んー?キッチンの鈴徳さんがよく似た人を知ってるんだって。」

久々に似ている人間の話をされて、思わず髪の長い人でしょ?と里津は答えてしまう。答えてしまってから、あれ?似ている人と地元の話しは関係ないなと我に返った。そうこうしていたらランチプレートを軽々と三つも片手で持ち、もう片手に更に一枚皿を持ったコックコートの若い男性がヒョロリとした感じでホールに出てきてトントンと皿を客の前に迷いもなく皿を差し出している。四枚の皿を平然とサーブ出来る辺り、ホールのことも厨房から確認できているのだろう。それにしてもランチプレートを四枚も持ち歩けるということは、フランス料理等のホールサービスもキチンと身に付けているのだ。
実はかなり何度も来ているのに、こうしてホールに出てきた厨房の男性を見たのは始めてだった。しかもこの様子を見ると忙しい時は当たり前のように、給仕もしていたということなのだと気がつく。里津が店に来ると大概席は満席だったりするのにと考えたが、相手の方も里津の顔を見て何故か驚いたように少し顔色を変えたのだ。それに逆に驚いた里津が何気なく髪を耳にかけたので、髪の毛を見て里津だと気がついた様子だ。

…………ということは髪の長い方の知り合いってこと?

里津の思考に気がついた様子の青年はペコリと軽く会釈をしてホールからそそくさと姿を消して、その様子に松尾が珍しいなぁと目を丸くした。聞けば鈴徳という人は基本的に社交的で、こんな風に人を避けるような行動は基本的には珍しいのだという。

もしかして、あの人……もう一人の私のことを知ってるのかしら…………

長い美しい黒髪の里津と瓜二つの女。彼女が何なのかは里津にも分からないし、彼女が付き合った男性が次々と痩せ細り死んでいくなんて信じられないことに気がついてしまったのだ。それを追求しようとしたら相手から詮索するなと釘を刺されてもいて、里津はなるべく彼女に接しないように心がけている。もしかしたらあの男性は、一度彼女と接したことがあるのかもしれない等と考えながら里津は余り気にしないように勤めながら、それにしてもそれと地元はどう関係するのかしらと帰途につく。
里津の実家はここから少し電車で離れているが、親戚は他の県に住んでいて殆ど交流がないのだ。そういわれれば冠婚葬祭には殆ど呼ばれたこともないし、両親から親戚の話も聞かない。

「ねぇ、兄さん、うちって親戚の話殆どしないわよね。」
『何だよ、藪から棒だな…………まぁ、確かに聞いたことないな。』

久々に電話を掛けて兄の史明に聞いてみたか、兄もそれに関しては余り気にかけていなかった様子で言われて気がついたようだ。縁遠いとは聞いた気もするけど気にかけたこともないなと、兄は考え込むように応える。これが普通なのか最近の世の中の風潮の結果なのかは、流石に里津も史明も理解がしがたいところだ。それでも史明に聞かれても今一つ理由を口にしたくないのは、あの女がもし自分の親戚だったら嫌だと里津自身が考えているからに他ならなかった。




※※※



「鈴徳さーん、何で佐倉さんに直に聞かないの?知り合いなのか知りたいんじゃないの?」

客足が少し緩んだホールから顔を覗かせた松尾さつきに言われ、鈴徳良二は苦い顔を浮かべる。客の一人に過ぎない佐倉里津を、鈴徳良二が微妙に避けているのは昔であったことのある人に瓜二つだからだ。だが出会ったのは二十年も前で、彼女は恐らくその娘とか親戚であって当人の筈がないとは理解している。何しろ松尾の情報からすると佐倉里津はどう考えても、良二が彼女と出会った記憶当時はまだ五歳程度なのだ。ただ五歳だとして親戚なら出会っていてもおかしくない、おかしくないがその当人には出会いたくないという微妙な気分。

「……それって鈴徳さんの初恋の人ってこと?」
「どーかなぁ、俺はガキだったし相手は今の佐倉さんくらいだったと思うからなぁ。」

サクラと言った気はするが、それが名前だったか苗字だったかも記憶にないし、おまけに本当にそっくりなのかも自信がない。つまり憶測だらけすぎて言い出すのも恥ずかしいということらしい。

「初恋の甘酸っぱい思い出ってことかぁ。」
「あんまりほじくんないで、結構自分でもいたいからさぁ。」

苦笑いで翌日のランチのビーフシチューの仕込みを既に始めている姿を眺めて、松尾はそういえばと里津が髪の長い人でしょうと言ったことを思い出す。あの口ぶりは質問には少し噛み合ってないなとは思ったのだが、考えてみると何度もそういう質問をされていると言った口ぶりでもあった。

「って感じだったなぁ……。」
「へぇ、髪の長いソックリさんかぁ。」

鍋から灰汁を掬い上げながら鈴徳も興味が出たのか、髪の長い里津の姿を考えてみる。髪の長い里津こそ、鈴徳が考えている過去の女性そのものになるのだが流石にあれは二十年以上も前……あの時二十歳前後に見えたのなら……

「…………松理さんなら後ろから見たら似てそうだけどな。」
「あー、確かに。」

久保田の恋人の志賀松理は美しい黒髪の年齢不詳の女性。一見すると顔を見ても三十代前半に見えるが、今年四十一歳になるという事実が発覚した。その松理は艶やかな長い黒髪をしてるのだが、髪だけで背後から見てしまえば間違えてもおかしくない。でも似ているのは顔な訳で

「世の中には三人似てる人間がいるって言うしな。」
「ハムちゃんの同級生の甘党君って育ったら、ハムちゃんの彼氏にそっくりになりそうだもんねぇ。」

客の話で盛り上がるのもなんだが、そんなことを呑気に話ながら、実は鈴徳良二はあのサクラという人に出会いたくない理由を濁しているのだった。



※※※



昔々あるところに、

夢の中で自分がそういうのを聞いた気がして、里津は真夜中にハッと目を覚ましていた。何でこの言葉が頭にこびりついてしまったのか分からないが、何故か最近この言葉を繰り返し繰り返し自分がいっているのに気がついてしまう。まるでなにかを思い出そうとしているみたいで、正直余りいい気分ではない。しかも夢の中でなのか、実際になのかは分からないが、こうして飛び起きてしまう。

何があったって言うのよ…………もう。

呆れてしまうほど何度も繰り返しているが、その先に何が続くかしりたくないのは何故だろうか。冷や汗をかきながらそんなことを夜の闇の中で考えると、何処かからカサカサと聞き覚えのある音がした気がした。カサカサ、カサカサと何か軽いものが紙を滑る音が、闇の中で絶え間なく続いていて、その音に背筋が凍りついていく。消えてしまったあの髪の毛をいれていた箱の中で聞こえた音とソックリで、しかも確かに聞こえていて何かが部屋の暗闇の中で動き回っている。もしかして、この音を聞き付けて目を覚ましてしまったのだろうかと、里津は息を詰めて音のありかに目を凝らした。

虫だと嫌だけど、ある意味虫だと分かれば安心出来る

カサカサ・カサカサと絶え間なく動く何かの音。ただ忌まわしいほど不快な音なのに、その音を立てるものは暗すぎてハッキリとしない。起きて電気をつければ良いだけなのだが、それに反応して動きが変わるのも恐ろしいのだ。

昔々あるところに、

まただ、関係ないのに何を繰り返しているんだろうと考えた瞬間、それが考えでなく声のような気がした。自分で口にしてる?いや、そういうことじゃなくて、なんだろう声として聞こえてるような感じがして……

むかぁし、むかし

ハッとするのはそれが抑揚をつけて同じ言葉を言い換えたからで、それが実は声だったのに気がついてしまった。だが、声を放つような相手は室内には存在しないし、何より問題なのはその声が自分の声だということなのだ。自分の声なのに自分が言ったわけではない声が聞こえているということは、何処からこの声はでているのだろうか。

それを知るのが恐い。

知ったら忌避できない物だったらただでは済まないから、里津は闇の中でその言葉を放つものを見ないように固く目を閉じた。それでも同じフレーズだけが何度も何度もヒソヒソと繰り返されているのだった。



※※※



嫌ですね、耳元で

そう自分が呟くと久保田はおや、耳元なんて言いましたかと首を傾げた。そう言えば耳元とは言われていなかったのに気がつくが、何故か脳裏にこびりつくようなというイメージから耳元で話されている気分になっていたのだ。しかもそう考えると尚更不快感は強くなって、四六時中その思考が止まらなかったのなら四六時中耳元で話しかけられているのを想像してしまった。

それにしても昔々ですか

最近は余りそういう語り口を聞きませんねと呟くと、お伽噺の類いは子供に語る事が多いからでしょうねと久保田は笑う。大人はどちらかといえば友達の友達に聞いたんだけどなんて事が多いですからねという久保田に、確かに最近はソーシャルネットワークの世界ですからねと苦笑いしてしまう。

仕事上、そっちよりは書籍に触れてほしいものですけどね。

そう自分が言うと最近は活字離れが進んでますしねと久保田も言う。活字離れの結果最近では勧善懲悪すら差別と、物語の多くは改編されてもいるらしい。

それぞれの時代背景や成り立ちを無視していたら、話も歪むんですけどね。

そういう自分にそのせいで今までにないことが起きるようになったのかもしれませんねと久保田は、珍しく穏やかに聞こえるのにまるで嘲笑うような声でそう呟いた。

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