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11月

184.フヨウ

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11月10日 水曜日
学校終わりに向かった久々の『茶樹』の前で、偶然雪ちゃんと出会った私と早紀ちゃん。香苗は今日出てこれそうだったけど、あと1日大事をとるって話していた。なので、今日は早紀ちゃんと、二人。雪ちゃんは丁度『茶樹』から出て茶色の封筒を片手に、電話をし終えたところだった。

「雪ちゃん、お仕事?」
「うん、今丁度打ち合わせが終わったところだよ。」

思いがけず出会ったのに嬉しそうに微笑む雪ちゃんに、私もつられて笑顔を向ける。早紀ちゃんもそんな私達を眺めて、繊細な美しさで穏やかな笑顔を浮かべていた。

「あらぁ、智雪に麻希子ちゃん。」 

不意にかかった女性の鼻にかかる声に、私の笑顔が一瞬で強ばる。雪ちゃんもその声に困ったような笑顔を張り付けて、その声の主に視線を向ける。え?何で今あの女の人、雪ちゃんの事名前で呼んだの?あの時はまだ宇野君って呼んだのに、たった二日で何か起きるの?でも、どう見ても目の前の雪ちゃんの顔は、それをいいとは思ってない。

「竜胆さん。」
「水くさい、貴理子って呼んで。」
「竜胆さん!」

雪ちゃんの声が強ばって大きくなる。こんな時私としては、しとやかな恋人でいたらいいのか。これにどう反応するのが正しいのか私には分からないでいる。隣の早紀ちゃんも唐突な彼女の登場に、凄く訝しげに眉を潜めて歩み寄ってくる彼女の事を見つめた。彼女は相変わらず白のブラウスにタイトな黒のスカート、それに薄いジャケットを羽織っていてお仕事の出来る大人の女の人って感じ。だけどこの間とは少し雰囲気が違って、カツカツと硬いヒールの音を響かせる。栗色の髪の毛は右肩だけに纏められ、緩くウェーブを作って揺れていた。

「やぁね、智雪ってばそんな声。」
「やめてくれませんか、そういうこと。」
「なんの事?」

雪ちゃんが嫌がってるのを知っていて、彼女は妖艶な口元であからさまにニッと笑みをつくって見せる。それに苛立つような顔で、雪ちゃんが低い声を放つ。

「僕は何と聞かれても鳥飼先生とは知り合いじゃないですよ。張り付いても紹介なんて出来ませんからね。」
「まぁ、そんなこと言ってないわよ?」

予想外の雪ちゃんの言葉に、私と早紀ちゃんは目を丸くする。この女の人、雪ちゃんと仲良くしたくてこんな意地悪な事してるのかと思ったら、何?鳥飼さんと会いたくてこんな事してるの?雪ちゃんの表情は更にきつくなって、さっと私と早紀ちゃんを『茶樹』の方へ促す。

「兎も角、もう僕らに関わらないでください。」
「あらあら、怖いわぁ、それじゃあまたね?智雪。」

何か凄く名前で呼ばないでって怒りたいんだけど、同時に凄く気味が悪いのはなんでだろう。彼女が何を考えているのか分からないし、何で鳥飼さんと会いたいのかも分かんない。彼女はそれ以上追いかけては来ない様子だ。
『茶樹』に入った雪ちゃんは、私達に申し訳なさそうにごめんねと謝ってから好きなの頼んでといい鳥飼さんにLINEであの女の人の事を連絡してるみたい。そうだよね、ここら辺には鳥飼さんもよく来るから連絡しておかないと、あの女の人と鉢合わせしちゃうかもしれない。あの女の人が鳥飼さんが鳥飼澪だって知ってるかどうかは分かんないけど、雪ちゃんと会ってたら名前で疑われちゃうかも知れないもの。

「何だか嫌な感じの人ね。」
「うん、早紀ちゃんもそう思う?」

女の直感っていうか、やっぱり早紀ちゃんにもあの女の人はあんまりいい感じには取れないみたい。そう2人で話していると雪ちゃんが心底困りきった様子で、私達に歩み寄って来た。

「本当にごめんね、彼女どうも信哉が狙いみたいで。」

鳥飼さんに接近って孝君が聞いたら激昂しそうな話だなぁって思ったら、早紀ちゃんも同じようなことを考えたみたいだ。あの女の人が孝君と一緒の鳥飼さんに鉢合わせしないといいけど。でも、あの女の人は鳥飼さんの顔は知ってるのかなぁ?兎も角、雪ちゃんは心底迷惑してるって言う顔で溜め息混じり。どうやらあの女の人に付きまとわれてるみたいだ。本音で言うとそれは、私もちょっとじゃなくて結構いやだなって思う。好きでつきまとわられるのも困るけど、好きでもないのにってのはもっと困る。

「本当ごめんね、麻希ちゃん。」
「うん、大丈夫。雪ちゃんこそお仕事大丈夫?」
「え?ああっ!いけない!戻んなきゃ!」

やっぱり今の感じって忘れてたんだ。あの女の人のせいで一瞬それを忘れたように見えたんだよね、それでも雪ちゃんは大慌てで私達の会計をしてお店の扉から駆け出していく。うーんって顔してる私に、早紀ちゃんも考え込んでる感じだ。

「信哉さんに会いたいなら、直接会いに行けばいいのにね。」
「うーん、って言うか、実際には鳥飼さんに会ったことないのかもなぁあの人。」
「あら?じゃ、何で信哉さんに会いたいの?」

あ、しまった、墓穴を掘ってる。早紀ちゃんはまだ鳥飼さんが作家だって知らないんだった。私が何て言っていいか困ってると、唐突に早紀ちゃんの横から白い手が延びてくる。

「そりゃぁ、最近巷の噂の行方不明事件のせいじゃないかしらぁ?」
「松理ちゃん?!」

背後にいつの間にかやって来ていた松理さんが、まるで幽霊みたいに早紀ちゃんの肩に両手を乗せて言う。え?何で行方不明事件で鳥飼さんと絡んでるの?

「行方不明事件と信哉さんと何の関係があるの?」
「巷の噂じゃ行方不明は女の子が多かったらしいけど、男の人は合気道をしてる人が多かったらしいわよぉ?ター坊は無事?」

ター坊って孝君の事?そう言えば孝君、自分の道場の人が何人かいなくなったって話何時かしてた気がする。でも、それと鳥飼さん…は関係なくもないのかな?

「でも、信哉さんは関係ないわ。」
「あら、鳥飼道場といったら近郊の合気道関係者なら皆大概知ってるわよ?」

松理さんの言葉に私も早紀ちゃんも思わず目を丸くする。鳥飼道場なんてここら辺では聞いたことないけど、合気道をしてる人達なら知ってることなんだ。それにしても松理さん、よくそんなこと知ってるなぁ。でも、それと行方不明事件は何の関係があるのかは分からない。分からないけど、あの人はそうやって関係がありそうなところをしらみつぶしに調べてるのかも。
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