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嘘つきな幼馴染に苛立っていた

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病院は俺の飯は用意してくれなかったので、夕飯は一階にあるコンビニまで買いに行くことにした。

「じゃ、行ってきますねセンパイ」

「……あぁ、待ってる」

怪我のせいで箸が上手く使えないセンパイのために用意された、軽いプラスチック製のスプーン。せっかくの筋肉が落ちてしまいそうな低カロリーな病院食。

「先食べててください、冷めちゃいますよ」

「…………分かった」

センパイが食べ始めたのを見て安心して部屋を出て、白い廊下を歩く。センパイが痩せたら嫌だし、ササミでも買おうかと考えていた俺の腕を何かが掴んだ。

「ん……?」

しかし、振り向いても何もいない。

「お前らか? なんだよ、さっきヤったじゃん」

見えない手の仕業だろうと決めつけて話しかけてみるも、何も反応はない。階段で降りるのは危険そうなのでエレベーターを使い、コンビニで弁当とサラダチキンを買った。

「ありがとうございましたー」

店員に会釈をして来た道を戻る。真っ白い廊下だ。ひたひた、ひたひた、スリッパを履いた俺の足音だけが響く。患者も医者も看護師も見えない、今は人通りが少ないようだ。不安になりながらもエレベーターの前で止まる──ぺたっ、と、真後ろで足音。

「え……?」

俺は止まっていたはずだ、足音が多かった。いや、聞き間違いだ、反響でもしたんだ。そう思ってゆっくりとエレベーターに乗り込む。
ひた、ひた……ぺたっ、ぺた、ぺたっ…………やっぱり誰かいる。俺の背後にぴったりくっついている。多分裸足だ。

「な、何かご用ですか?」

病院の怪談話はよく聞く。ただこの病院で死んだだけの無害な患者の霊だと信じて尋ねてみた。しかし、返事はなく、腕を掴まれた。

「や、やめてくださいっ!」

生温かい手を振り払い、後ろを向く。エレベーターに取り付けられた鏡を真正面から見据える。肩と二の腕に爪の長い色白の手があった。

「ひっ……! は、離してっ……ぁ、か、かけまくも、えっと……ぅあっ!?」

従兄に教えられた祓詞を覚えている限りでも唱えようとしたが、二の腕を離された代わりに頭を掴まれ、鏡に頭突きさせられた。

「いっ、たぁ……」

ジーンと頭に響く痛みに目を閉じていると、肩を掴んでいた手が離れ、顔の真横でギギギ……と嫌な音が響いた。鋭い爪が鏡を引っ掻いている。

「ゃ、やだっ……その音、嫌い……」

耳の真後ろで歯を擦り合わせるような音も聞こえ始めた。怒りを抑えようとしているような、俺に噛み付こうとしているような、そんな音だ。

「ぃ、嫌だっ、やめてっ、やだぁっ……センパイっ、センパイ助けて……ひぃいっ!?」

この場にいないセンパイに助けを求めた瞬間、鏡にヒビが入った。いつの間にか頭を押さえられなくなっており、後ずさって周囲を見回すとエレベーター内の壁紙に無数の引っ掻き傷があった。

「な、なんだよ、なんなんだよぉっ……何が目的なのか言えよぉっ! もぉやだぁっ、センパイ助けてぇっ!」

その場にへたり込んで再びセンパイに助けを求める。エレベーター内の灯りが明滅し始め、バチンと大きな音を立てて消えた。同時にエレベーターの上昇も止まる。

「ひっ……! や、やだ……やだ、こわい……いやだぁっ」

ガリガリと壁や床を引っ掻く音が聞こえる。暗くて何も見えない、怖くて仕方ない、俺は恐怖のあまり亀のように丸まり、頭を腕で庇った。そして幼子のように泣き喚いた。

「いやぁあっ! こわいっ、やだぁっ! まま……ままぁっ! レン! レンっ、レン助けてよ、レン! ままぁっ! 来てよぉっ、助けてよっ、レンっ、レン、レンっ!」

壁を引っ掻く不快な音が止む。しかしそんなもの今の俺にとっては些事だ、レンが来てくれなければ恐怖は止まない。

「ままぁっ! れんっ、れんんっ……! 来てよぉっ、なんで来てくんないのぉっ、助けてよぉっ、れんっ、れん! 助けてレン!」

ぽん、と頭を撫でられる。

「れん……? レンっ! レン? レン……」

頭を上げるとそこは明るいエレベーター内で、緩やかに上昇している感覚もあった。鏡や床や壁は猛獣が暴れたかのようにズタボロで鏡は割れているが、それでも助かった感覚はあった。

「レン……? 居るの……か?」

居るわけがない、レンはしばらく生霊としても来ないと言っていた。釈然としないままエレベーターを降り、明るい廊下を歩く──不意に背後から誰かに抱き締められた。その彼は俺よりも少し背が低いようだ。

「レン……? レンだよな、やっぱり」

『ごめん』

「何がだよ、さっき助けてくれたのレンだろ? ありがとうな、大好き!」

『好き……? 本当に? 本当に俺が好き?』

俺を抱き締めてくれているレンの腕は見えない、感触がある部分に手をやっても触れられない。残念に思いながらも会話を続ける。

「当たり前だろ、大好きだよレン。だから顔見せてくれよ、触らせてくれ、俺もレンにぎゅーってしたい気分なんだ」

『そうか……可愛いなぁ、お前は。俺のこと好きなんだな?』

「うん、大好き!」

『じゃあなんで俺だけにしてくんないの』

そう言った直後、レンは俺を抱き締めるのをやめてしまう。振り返ってもレンの姿は見えない。

「レン、まだそこに居るか? あのさ、あの……センパイは」

廊下の電灯が一部、明滅する。エレベーター内でも覚えがある光景に、俺は俺に襲いかかってきた爪の長い悪霊が追ってきたのだと確信した。

『夜、また来るから』

「ま、待って! 今一人にしないで!」

また背後から聞こえた声に振り返るも、レンはやはりいない。電灯の明滅も終わっている、今回はただ普通に調子が悪いだけだったのだろうか。

「た、ただいまー……戻り、ました」

口に夕飯を溜めていたセンパイは俺を見つめて左手を軽く挙げた。食べながら話さない意外な行儀の良さと、僅かに膨らんだ頬に癒された。

「病院って本当に幽霊多いんですね。ちょっと怖かったです」

「…………何かあったのか?」

ゴクリと動いた喉仏にときめきながらセンパイの隣に座り、机にコンビニ弁当を置く。

「なんかぺたぺた足音が聞こえたり、ガリガリ引っ掻く音がしたりしたんです」

「……そうか、一緒に行ってやればよかったな」

「いえ、そんな、気にしないでください」

そう言いながらも俺はエレベーター内で最初センパイに助けを求めたことを思い出し、一人で顔を赤くした。

「…………にしても、そのからあげ美味そうだな」

「センパイにサラダチキン買ってきましたけど」

「……ありがとう、後でお前も一口食え。からあげくれ」

サラダチキンじゃなくフライドチキンを買ってきた方がよかったかななんて思いつつ、からあげを齧らせる。

「…………美味い」

もぐもぐ食べるセンパイを眺めながら、レンはどうやって俺の元へ来てくれたのだろうと考える。

「……サラダチキン、レモンか。バジルがよかった」

日本に来るには電波が必要だと言っていた。本当は肉体に帰っていなかったとか? いやでも、ずっと居たならならもっと早く助けてくれたはずだ。修行してテレパシー的な感じで俺の危険を察知し、来れるようになったとか?

「文句言うなら食べなくていいですよ」

一人で考えても答えは分からない。後でレンに聞いてみよう。

「…………食べる」

「次からはバジル買ってきますから、そのしょぼんみたいな顔やめてください」

「…………しょぼんみたいな顔って何だ?」

「顔文字ですよ、知りません?」

今度はキョトンとしたセンパイを笑い、からあげ弁当を完食。

「ごちそうさま」

「…………ごちそうさま」

思い出したように手を合わせたセンパイに微笑みかけると目を逸らされた。

「…………一人だと言わないし、兄ちゃんに作ってもらったら兄ちゃんに言うから……」

「看護師さんが来たら言っておきます?」

「……そうだな」

作ったのは別の人だろうけど、俺は病院食を食べてはいないけれど、食器を下げに来てくれた看護師に「ごちそうさま」と言っておいた。
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