ポチは今日から社長秘書です

ムーン

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使用人体験

おしごとたいけん、ご

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むにむに、むにぃーん……頬を弄ばれている。こんなことをするのは雪兎だけだ。微笑ましいスキンシップに笑いを零し、ゆっくりと目を開けると真っ赤な瞳と目が合った。

「……起きたか」

雪兎の瞳は赤紫、今目の前にあるのは雪風の瞳よりも濃い赤色。

「おじい様……? 俺……ぁ、寝ちゃって……」

「早く起きろ、腕が痺れた」

「すいません……」

眠る前のことを思い出してきた。俺は祖父に孫だと認められているのが嬉しくて、もっと実感したいからと仕事をサボって二度寝したのだ。

「あっ……夕飯っ! すいません、すぐに準備します!」

「……あぁ、早くお前の飯が食べたい」

「ありがとうございます……えっ?」

寝間着を着替えたら祖父を車椅子に乗せてキッチンへ向かい、祖父が見守る中調理の手を早める。

「……おい、慌てるな。そんなに腹は減ってない、手を切ったらどうする」

心配してくれているのか?

「人間の血が入った食い物なんて二度と食べたくない」

心配じゃないのか。

「大丈夫ですよ、手袋してますし……それに、そんなに焦ってるわけでもありませんから」

嘘だ、焦っている。調理用キャップと手袋、それにマスクの蒸れがいつもは気にならないのに今日は鬱陶しい。汗をかいているのか? まずい、額から一滴でも汗が落ちたら作り直しだ。

「…………雪也」

薄桃色のエプロンをきゅっと握る小さな手、俺を見上げる幼い顔。

「遅れてもいい、いつも通りのお前の飯が食べたい」

「………………すいません」

深呼吸をして汗を抑え、夕飯の時間を過ぎてしまった後悔を終える。

「……お前は馬鹿面が似合う」

無礼な励ましを置いて車椅子の音が離れる。調理を続け、副菜が完成したので米と共に先に机に並べた。

「どうぞ」

「あぁ、いただきます」

祖父は一品ずつ食べていくタイプだ、そして一番最初に食べるのは副菜。その次は主菜だ、早く完成させなければ。

「…………雪也ー、塩コショウ空だぞ……」

主菜はまだササミの火の通りが甘い、味噌汁……ワカメがまだ硬い。

「詰め替え……あの棚か?」

強火にすればいいという訳でもないし、もうしばらく待たなければ──祖父の様子でも見ようかな。

「おじい様、お味はどうですか……おじい様!?」

祖父は調理場とは反対側の棚に腕だけで登っていた。

「塩コショウどこだ?」

「それ食器棚ですよ! 降りてください!」

手袋を外して走り寄る。降りようとした祖父が体重を棚の反対側にかけたことにより、固定されていなかった棚がグラリと傾く。

「……っ! すいませんおじい様!」

倒れてくる棚に左腕を突き出して遅らせ、右手で祖父の手を棚から引き剥がし、右足で車椅子を蹴る。後は俺が逃げれば完璧なのだが、どうやら少し遅かった。

「あー……ドジった」

右足の膝から下が棚の下敷きになってしまった。棚のガラス戸が割れたようでそのガラス片と皿の破片が刺さっている。

「雪也! 雪也っ……待ってろ、人を呼んでくる」

「すいませんね……」

車椅子がキィキィと音を立ててキッチンを出ていった。

「…………二度寝なんかするもんじゃないな」

片足だけぬるい湯に浸かっている気分だ。無理矢理引き抜いたらズタズタに裂けるんだろう、大人しく待つか──あぁ、味噌汁吹きこぼれそう。祖父に火を止めるよう言っておけばよかったな、ササミも硬くなってしまう。

「はぁーっ…………今日は厄日だな」

祖父と一緒に寝たり、頭を抱いてもらっていたり、祖父に起こされたり、そんな孫らしい幸せの反動かな。
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