ポチは今日から社長秘書です

ムーン

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使用人体験

てんらんかい、じゅうさん

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泊めてくれた涼斗に礼を言い、首からかけたボストンバッグに祖父を座らせて展覧会へ。

「おじい様、そろそろ何の展覧会か教えてくださいよ」

「……死んだ芸術家の作品を集めたものだ」

ひねくれた言い方をするものだと乾いた笑いを浮かべたが、俺が予想したものとは違ってここ数年の間に死んだ売れていなかった芸術家たちの作品を集めたものだった。当然館内の雰囲気は明るくない。泣いている者もいる。

「雪也、そこを右だ」

「はい」

祖父は見たい絵があるらしく、案内図を見ながら俺に指示する。こういう展覧会は順路に沿ってゆっくり進むべきだと思うが、まぁいいか。

「ここだ、順に見ていくぞ。止まれ」

「……はぁ」

祖父は油彩が好みなのだろうか、それとも死んだ画家に知り合いが? 祖父の心情に思いを馳せるのはすぐにやめ、祖父に近付く者がいないよう気を張った。

「ん……?」

周囲を見回した俺の目にある一枚の絵が飛び込んできた。

「どうした、雪也」

「いえ、あの絵……覚えのある風景で」

「見たい」

静かに歩いてのどかな風景画の方へ──胸がざわつく。おかしい。山と川だけの風景画だぞ? 落ち着くはずだ。なのに見ていると息が出来なくなる。

「……綺麗な絵だな。この絵の場所に行ったことがあるのか?」

「ぁ……あぁ、亡くなった母の、実家の近くに……似て、て」

「へぇ、どの辺りの山なんだ?」

「九州の……えっと……どこだっけ……」

頭が回らない。胸が痛い。

「……雪也? あぁ……そうか、この絵か。雪也、隣のも見てみろ」

祖父が指した隣の絵を見る。こちらも風景画だ、夕方の海を描いた美しいものだ。この海のように穏やかな心境になるべきなのに、俺の心は大時化だ。

「…………俺はこの絵を見に来たんだ。この画家の絵は初めて見たが、なかなか……心安らぐいい絵を描くんだな」

わざわざ家を抜け出してまで知らない画家の絵を見に来たのか? どうして……あぁ、もう何も考えられない。胸が痛い。

「……にしても、独特なタッチだな。お前……これに見覚えがあるんじゃないか?」

「みお、ぼえ……? 見覚え……あります。知ってる、この絵の描き方……知ってる…………」

涙まで溢れてきた。絵がよく見えない。

「…………こっちに画家の詳細が書いてあるぞ。享年……四十一か、若いな」

祖父は画家がどんな人物だったかを語るパネルを指した。俺もそちらに視線を移す。画家の顔写真も貼ってあった。

犬鳴塚いぬなきづか 真琴まこと……か」

祖父が読み上げた名前の隣の顔写真。極端に黒目の小さな三白眼が特徴的な、褐色肌の男がぎこちない笑みを浮かべていた。写真を撮られるのは苦手だったんだ。

「………………父さん」

俺にはもっと自然な笑顔を向けてくれたけど、そんな写真は一枚もないし、もう見ることも出来ない。

「とうさんっ……とぉさんっ、とぉ、さっ……ぁ、あっ……とぉさぁんっ……」

展覧会の会場にいることも忘れ、祖父を抱き締めて座り込んで子供のように泣きじゃくる。

「雪也、この画家の絵をここにあるだけ全部買って帰ろうと思うんだが、どう思う?」

「え……? ぁ……おねがい、しますっ……おねがいしますっ……父さん、父さんの絵、全部あいつらに売られてっ……俺、俺一枚も守れなくてっ……」

「……おい、聞いてたな? 商談に入ろうじゃないか」

俺が泣いたせいでやってきた係員に祖父がにぃと笑いかけた。



会場の裏手、絵の売買を行うためのスペース。祖父はそこで契約書を読み、俺はその端でソファに座らされ紙パックの野菜ジュースを飲んでいた。

「落ち着きましたか?」

「…………はい」

係員の一人が迷子用のジュースを渡してくれたのだ。冷静になると公共の場で泣きわめいてしまったのが恥ずかしくなってくる。

「雪也、話まとまったぞ。すぐ郵送させるから明日には飾れる」

「……本当にいいんですか? 結構な値段ですよね」

「絵を飾りたい場所があるから絵を買いに来ただけだ。枚数も大きさもちょうどいいから全部買うだけ。何勘違いしてるか知らないがお前に買ってやるわけじゃない」

「…………ツンデレ」

「うるさい」

顔を背けてしまった祖父の小さな胸に顔を押し付けて彼の細い胴に腕を回す。

「……おい」

「本当にありがとうございます、おじい様」

「…………あぁ、気にすんな」

小さな手にぽんぽんと頭を撫でられる。しばらくすると落ち着いて、俺達は係員に礼を言って展覧会の会場を後にした。
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