ポチは今日から社長秘書です

ムーン

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使用人体験

てんらんかい、じゅうよん

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父はよく絵を描いていた。キャンバスを前にした背をよく覚えている。絵の具で汚れた手と服をよく覚えている。油絵の具の特徴のある匂いをよく覚えている。俺に絵を描かせた後の「うわぁ」という失望した声をよく覚えている。

「…………おかえり、父さん」

廊下に飾られた夕方の海の絵を前に小さく呟いた。

「……ごめんね、守れなくて」

父母の遺品は全て取り上げられ、大半が売られた。俺は泣き叫んで抵抗したけれど無駄だった。父が書いた絵も、母の服も、二人の指輪も、金目の物は残らなかった。
俺の私物やアルバムなどは残されたけれど、二人が大切にしていた物が一つも俺の手元にないのは悲しかった。

「俺の新しい家族、いい人達ばっかりだよ。おじい様、きっとずっと探してくれてたんだ、父さんの絵が売られてるとこ……」

ようやく肉眼で見ることが出来る。いつでも見ることが出来る。綺麗で、穏やかで、どうにも俺の心を掻き乱す風景画。

「……俺、今……めちゃくちゃ幸せだよ」

使用人が通り過ぎていく中、俺はその場に座り込んで絵を見上げた。父と笑った遠い日を再演した。

「父さん……母さんと一緒にいる? 元気にしてる? 変なことして怒られたりしてるんだろ。母さん俺には甘かったけど、父さんには厳しかったよな」

騒がしく、楽しい家族だった。いや、騒がしく楽しくしていたのは主に二人で、俺は傍から眺めて笑っている感じだったかな。疎外感なんて覚えてはいなかったけれど、家族の中心が俺になったことはなかった。

「……あの日、俺が……何か言ってたら、変わったかな。別のとこ行きたいとか、ゆっくり行こうとか、何か言ってたら……」

あの二人、どんな声してったっけ。

「…………弟。義理の、弟……雪兎がさ、留学したんだ。毎日一緒にいたのに、今いない……大丈夫かな、俺の知らないとこで何か事故とかに遭って俺の知らないうちに雪兎がっ……!」

蹲る俺の肩をポンと叩く手。細くて長くて綺麗な指、柔らかい手のひら、女性らしさと男性らしさが同居した美しい手。

「よっ、まーひろっ。何してんだ?」

「…………雪風?」

「おぅ、今日休みって言ったろ? 話あるんだよな、会いに来たぜ」

そういえば一昨日だったかに電車の中で雪風に電話をかけたような。なんで電話かけたんだっけ。

「ん? こんなとこに絵なんかあったか?」

「……おじい様が買ってくれたんだ」

「へー、親父こういう絵趣味なのか、知らなかったな」

「…………俺の父さんの絵なんだ」

「……マジ? あぁ……そういや画家だったな」

「全然売れてなかったけどな」

父は風景画を好んで描いてはいたけれど、あまり売れなかったので似顔絵の依頼などを受けて稼いでいた。

「そっか、真尋の親父さんの絵か。そうか、買い戻しか……気付かなかったな。流石親父」

「雪風……父さんの絵、どう?」

「ん? 優しい感じだな、ふわっとしてる。しっかし変わったタッチだなぁ。いい絵だと思うし、俺は好きだぜ。まぁ……売れるタイプじゃないわな」

「一言余計……ふふっ」

父の絵を前に雪風を微笑み合い、義理の父子関係が良好であることを示した。
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