ポチは今日から社長秘書です

ムーン

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お盆

きこく、さん

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雪兎と共に帰国してからもう一週間は経つ。雪兎は一度も声を発していない、朝から夜までずっとベッドに寝転がって顔を隠し続けて、食事の時だけ俺が抱き起こす。

「……ユキ様、ブロッコリー苦手でしたよね、食べてあげましょうか?」

俺が同じ机についていても、食器を使っていても、何も言わない。俺と視線を交わすことすらせずにブロッコリーを俺の皿に転がし入れるだけだ。

「ごちそうさまでした。ユキ様、ユキ様も……ユキ様、食べてすぐ寝転がっちゃ消化に悪いですよ」

食後の挨拶もなしにベッドに戻った雪兎に声をかけたが相変わらず返事はなかった。食器をまとめて使用人に渡す際、食器を引き取りに来た使用人が言った。

「ポチさん、そろそろ訓練顔出してくださいっす」

「あぁ……いや、もうしばらく休ませて欲しいんですけど」

「何週間もサボっちゃ取り返すのが大変っすよ、何より当主様がうるさいんすよ」

「…………すいません。でも、もう少し」

「もー、仕方ないっすねー。もうちょっとだけっすからね」

学生バイトのような態度の使用人が去っていった。このところ雪兎が心配で料理の修行もボディガードとしての訓練も、雪風に秘書の働き方を教わるのも疎かにしている。だが、ワガママもそろそろ限界だろう。

「はぁ……わっ! ユ、ユキ様……?」

俺が無理矢理起こさない限り座りもしなかった雪兎がいつの間にか背後に立っていた。驚いて扉に背をぶつけた俺の胸ぐらを雪兎が掴む。顔を下げて欲しいのだと察し、屈む。

「…………訓練するなって言ったよね」

「……はい」

雪兎にしては低い声は一週間ぶりの肉声に感激する余裕を与えてくれない。

「だからしてないの?」

「いえ……」

「雪風にもポチにそんなことさせるなって言ったのに、平気でポチに訓練させて! なんなんだよ嘘つきばっかり!」

「ユ、ユキ様……俺も雪風もユキ様を守りたくて」

「口答えするなぁっ!」

パァンッ! と大きな音が耳の近くで鳴った。遅れて頬が痛み、右手首を左手で掴んで泣いている雪兎を見て平手打ちを顔に食らったのだと理解した。

「ユキ様、大丈夫ですか? 手、見せてください。手首痛めたんじゃ」

手を伸ばすと振り払われる。俺を睨む赤紫の瞳は雪兎から向けられたことのない感情に染まっていた。

「……こわ、かった。初めて、銃突きつけられて……ポチが守ってくれて、嬉しかった。でもっ、でも怖かったぁっ! ポチ、あの人の手に躊躇なくナイフ刺したぁ! 銃とって、他の人達も撃とうとした! 僕が銃置いてって言ったのに銃離さなかったぁっ!」

この一週間、強制帰国に拗ねていた訳でも、暗殺されかけた記憶にうなされていた訳でもなく、雪兎を守るための俺の行為に怯えていたのか。

「前に、誘拐されそうになった時……ポチは僕のこと信じて、僕を連れて逃げてくれた。僕と一緒に隠れてくれた……嬉しかった。でも今回のはあの時とは違う! 嬉しかったのに、怖くて、怖い方が強くてっ……僕のポチはこんなんじゃなかったのにっ!」

俺は雪兎を気遣ったはずだ、人間が脳漿をぶちまけるところなんて雪兎は見たくないだろうからこめかみを殴って気絶させるのに留めた。

「僕のポチは愛玩犬なのっ、軍用犬でも猛獣でもないの! 僕に可愛がられるだけでいいの、お仕事の手伝いも僕のボディガードもしなくていいのぉっ!」

俺の何が悪かったのだろう。ちゃんと理解して次に活かさないと。

「ポチは躊躇なく人を刺すようなワンコじゃないもん! お前なんかポチじゃないっ、お前なんかいらない! 出てけよっ、こっから出てけぇ!」

あれ? 次って……もしかして無いのか?

「首輪返せっ、これはポチのだ……! 出てけ、ほら出てけよぉっ!」

「…………終生飼育してくれるって言ったじゃないですか、捨てるんですか?」

「お前はポチじゃないって言ってるだろ!」

半狂乱になって泣き喚く雪兎に押されて部屋の外へ出ると、扉は勢いよく閉まった。ガチャリと鍵をかける音が大きく聞こえた。

「俺、は……ポチじゃ、ない……?」

そんなはずはない、ちゃんと首に首輪が巻いてある。雪兎にもらった大切な赤い首輪が──

「あ、れ……?」

ない訳がない。見えない位置だから分かりにくいだけ、首を触ろうとすれば指が首輪に触れるはずだ。

「この辺に……あるはず」

夜中に部屋を追い出された俺は首をガリガリ引っ掻きながら邸内を意味も目的もなく歩き回った。
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