ポチは今日から社長秘書です

ムーン

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雪の降らない日々

おじさんと、よん

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仕事中に手を負傷した自分の意識の低さに腹が立つ。これで失敗なんてしたら祖父の期待を裏切り、叔父に今後一生馬鹿にされ、過保護になった雪風と雪兎に飼い殺される。気張らなければ。

「……まずい」

「何だ、どうしたよクソカス」

「あの怪異、強いかも……俺が書いた札じゃ封印無理かも」

「は?」

叔父が弱音を吐いた瞬間、窓の隙間から白いペラっとしたモノが室内に入り込み、全身が入ると風船のように膨らんだ。片方の腕だけが異様に大きい男とも女ともつかないシルエットの白いのっぺりとしたナニカ……今まで見た霊は人間が大怪我をしたようなモノばかりだったから、流石に鳥肌が立った。

「……っ、これ吸って!」

依頼者の中年男性に叔父が火をつけたタバコを渡した。明らかに手作りで危ない気配がしていたが、男は叔父の剣幕に負けてタバコを吸い、白煙を吐いた。瞬間、怪異が小さい方の手を顔があるのだろう位置に上げ、文字化不可能の叫び声を上げた。

「ひとまず依頼者の保護は完了……」

大きい方の手が振り上げられる。叔父を狙っているようだ。俺は叔父の前に立ち、特殊警棒の両端を持って盾替わりに使おうとしたが、振り下ろされた真っ白な手は警棒をすり抜けた。

「……っ!?」

咄嗟に頭への直撃は避けられたが、左肩を思い切り殴られた。肩に激痛が走り、服を捲らなくても皮膚の深層までぱっくり裂けているのが感覚で分かった。

「ただの棒で怪異に触れられる訳ないだろバカ! 物に霊力込めるくらい出来ろよ!」

怪異の手がぶつかった瞬間は殴打の感覚だったのに、負った怪我は裂傷。服は無事なのに皮膚は裂けている。物理法則に反した現象への混乱と肩の激痛、そして出血のショックで思考が回らない。

「これで当たりはするはず……!」

何とか握っている警棒に札が貼られた。

「……ねぇ、ちょっと? 放心しないでよ犬なんとか君! 俺バトルとか無理だからね!? 雪風もこんな直接対決は無理なんだ、俺なんかに出来るわけない! クソクソクソっ、こんな強い怪異と直接なんて聞いてない! こんなの俺が出来る仕事じゃない! 嫌だ死にたくない、涼斗さん以外に殺されたくない!」

頭蓋骨の中に吊られた鐘を鳴らされているような重たい頭痛を悪化させる、焦った男の情けない喚き声。

「………………雪風?」

「……っ! 助けて真尋!」

頭痛が消えてボヤけていた視界がハッキリした。手のひらと肩の痛みはあるのに身体はその痛みに関係なく動く、本能で身体が動く。俺は警棒が怪異の頭にめり込んで始めて自分が右腕を振っていたことに気が付いた。

「おぉ……! いいよ犬なんとか君! その調子で叩いていけば弱って俺でも封印出来るくらいになるかも!」

怪異は一瞬怯んだようだが、すぐにまた大きな腕を振るってきた。来ると分かっている大振りな攻撃なんて楽に避けられる。

「よし書けた。手にもあげる!」

左手の甲に札が貼られた。それが何かを考えるよりも先に俺は怪異の首を左手で掴み、警棒の先端を怪異の頭に押し付けてぐりぐりと回した。怪異の大き過ぎる腕では自身の近くには大した攻撃が出来ないと分かっていたから、背中をバンバンと叩かれても構わずに全力で警棒を頭に刺した。怪異の頭は一晩密閉せずに放置した粘土のような硬さだ、ゆっくりと沈んでいく警棒が頭の中心に辿り着くと怪異はだらりと腕を垂らした。

「…………よし、封印書けた!」

怪異の頭に札が貼られると同時に札に怪異が恐ろしい勢いで吸い込まれていった。

「ふー……助かったよ犬なんとか君、君強いね。いや本当今回ばかりは感謝しかない、癪だけど命の恩人だししばらくは喧嘩売らないよ」

手のひらや肩だけでなく、背中まで痛くなってきた。全て切り傷の痛みだ。ぼんやりと熱い。フラつきながらも身体を反転させ、赤い瞳と目を合わせた。

「……怪我は?」

「は? いや、俺は何ともないよ。君がしっかり俺の護衛っていう仕事を果たしてくれたからね、君はかなりの大怪我だけど……」

赤い瞳は不愉快そうに歪んでいる。

「…………君が本当に心配してるのが視える。ムカつく……俺のこと嫌いなくせに。はぁ……守ってもらえてよかった、雪風と見た目と声が同じで助かったってことだね。あームカつく」

「あぁ……嫌いだけど、そのツラで怪我されんの嫌だ」

「……なんだ、混同してる訳じゃないのか」

痛い。寒い。背中だけがじんわり温かくて気持ち悪い。
叔父に手を引かれて依頼者の家を出て、使用人の慌てた顔を見て、それからのことはよく覚えていない。
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