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二章 洋菓子作り
五話 他の龍
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「翡翠の他にも龍神様っていらっしゃるんだ……」
小さな声でひとりごちた美桜の言葉を耳に留めたのか、湖月が、
「いるよ」
と、答えた。
「翡翠様は東の青龍さ。北には黒龍、南には紅龍、西には白龍がいる。それぞれの長が協力して幽世を治めている」
「えっ! じゃあ、翡翠って偉い龍神様だったんですか?」
翡翠は若いのに貫禄があるし、このような大きな城に住んでいるので、ただ者ではないと思っていた。驚いている美桜に、
「偉いと言えば偉いけど、東の統治者は翡翠様の父上・浅葱様だよ。翡翠様は後継者ってところだね」
湖月がさらに教えてくれる。
「へええ……」
(翡翠って呼び捨てにしていたけど、本当に良かったのかな……)
気安く接してくれる翡翠が幽世の重鎮だと知って、美桜はあらためて心配になった。
「北の統治者は小夜様といって、さっき翡翠様が言っていた通り、両替商を営んでおられる。南の紅龍は、統治者の炎樹様の息子・神楽様が、紅香堂という万屋を営んでいて、西の統治者、白龍の白蓮様は温泉宿をやっておられるね。白蓮様には娘がいらっしゃって、翡翠様と婚……おっと」
何か言いかけ、湖月は慌てたように口を押さえた。
「皆さん、商売をされているんですね」
美桜は話に聞き入っていたが、龍神たちが商売をしていることに感心していたので、湖月が言いかけた言葉には気づかなかった。
「ところで、美桜。洋菓子とやらは、ばたーがないと作れないのかい?」
湖月が話題を変えるように問いかけてきたので、
「バターを使わないお菓子もありますよ」
と、答えると、
「なら、作ってみてくれないかい? 料理人としては、一度、食べてみたい」
湖月は興味津々といった様子で身を乗り出した。
「じゃあ、ドーナツを作りましょうか。小麦粉と卵と砂糖を貸してもらえますか?」
「よし、分かった」
湖月は食べ終わった食器を持って立ち上がり、厨房へと戻っていった。美桜も食器を持って、その後を追う。紬と木綿は、食堂でお喋りを続けるようだ。
「はい、材料」
厨房に入ると、湖月がドーナツの材料を用意してくれた。美桜が早速、
「ありがとうございます。まずは小麦粉とお砂糖の分量を量りたいのですが、秤ってありますか?」
と、尋ねると、
「ちょっと待って」
湖月が調理台の下の引き出しをごそごそと漁った。そして出てきたのは、皿にメモリが付いた昭和感の漂う秤だった。
料理用のデジタルスケールを想像していた美桜は、少し驚いたが、使えないことはない。早速、ボウルを乗せ、材料を量る。
美桜は小麦粉と砂糖をざざっと合わせると、溶いた卵を入れ、木べらでよく練り合わせた。
(袖がひらひらしてやりにくい)
「ちょっと後ろを向いて」
美桜が着物の袖を気にしていることに気がついたのか、湖月が着物の胸元からたすきを取り出し、美桜の体に手早く巻き、背中できゅっと結び目を作った。
「湖月さん、ありがとうございます」
「どういたしまして」
袖を気にしなくて良くなり、調理がしやすくなった。
美桜は混ぜ合わせた生地を丸めると、熱した揚げ油の中に投入した。こんがりとキツネ色に揚がると、菜箸で和紙を引いた皿に取り上げ、上から砂糖をかけた。
「できましたよ」
こんもりと山のように完成したドーナツを、湖月がまじまじと見つめている。
「ふぅん、これがどーなつか……」
「味見をしてみて下さい」
美桜がすすめると、湖月はドーナツを摘まみ上げ、一口囓った。
「んん、これはうまい! さっくりしていて、ほのかな甘みが口の中に広がる。食べ応えもあって、小腹が空いた時にも良さそうだね」
あっという間に一つ食べきり、もう一つに手を伸ばした湖月を見て、
(気に入ってくれて良かった)
美桜は嬉しくなった。
「確かにこれは売れるかもしれないねぇ」
感心した様子で湖月が三つ目に手を伸ばした時、食堂にいた紬と木綿が、カウンターから顔を出した。
「おいしそうな匂いがします」
「もしや、洋菓子とやらですか?」
「あっ、紬さん、木綿さん。良かったらお二人もどうぞ」
美桜が皿を差し出すと、紬と木綿が身を乗り出して手に取り、くるりとドーナツをまわして見た後、齧り付いた。
「あら、おいしい!」
「なんだか懐かしい味のするお菓子ですね」
笑顔になった二人を見て、美桜の胸の中が、ぽっとあたたかくなる。
作ったものをおいしいと言ってもらえることは、なんて幸せなことなのだろう。隆俊も千雅も真莉愛も、一度たりとも、美桜の料理を褒めなかった。
美桜が思わず目を潤ませると、湖月がそれに気がつき、
「どうしたんだい? あたしたち、何かまずいことでも言ったかい?」
と、慌てた様子で問いかけた。美桜は「いいえ」と首を振り微笑んだ。
「喜んでいただけたのが嬉しくて」
その顔を見た湖月の表情が和らぐ。
「人間って奴は、残酷な生き物だと思っていたけど、あんたは良い子だね」
優しく頭を撫でられたが、湖月の言葉に、美桜は首を傾げた。
(人間が残酷?)
そういえば、穂高も似たようなことを言っていなかっただろうか。
「湖月さん、人間が……」
尋ねてみようと思ったものの、ためらっていると、
「美桜、あたしに、このどーなつとやらの作り方を教えておくれ」
湖月に頼まれ、美桜は言葉を飲み込んだ。
「はい、いいですよ」
「嬉しいねえ」
「あっ、じゃあ、私もお願いします」
「私も!」
紬と木綿も手を上げ、四人はしばらくの間、ドーナツの話で花を咲かせた。
小さな声でひとりごちた美桜の言葉を耳に留めたのか、湖月が、
「いるよ」
と、答えた。
「翡翠様は東の青龍さ。北には黒龍、南には紅龍、西には白龍がいる。それぞれの長が協力して幽世を治めている」
「えっ! じゃあ、翡翠って偉い龍神様だったんですか?」
翡翠は若いのに貫禄があるし、このような大きな城に住んでいるので、ただ者ではないと思っていた。驚いている美桜に、
「偉いと言えば偉いけど、東の統治者は翡翠様の父上・浅葱様だよ。翡翠様は後継者ってところだね」
湖月がさらに教えてくれる。
「へええ……」
(翡翠って呼び捨てにしていたけど、本当に良かったのかな……)
気安く接してくれる翡翠が幽世の重鎮だと知って、美桜はあらためて心配になった。
「北の統治者は小夜様といって、さっき翡翠様が言っていた通り、両替商を営んでおられる。南の紅龍は、統治者の炎樹様の息子・神楽様が、紅香堂という万屋を営んでいて、西の統治者、白龍の白蓮様は温泉宿をやっておられるね。白蓮様には娘がいらっしゃって、翡翠様と婚……おっと」
何か言いかけ、湖月は慌てたように口を押さえた。
「皆さん、商売をされているんですね」
美桜は話に聞き入っていたが、龍神たちが商売をしていることに感心していたので、湖月が言いかけた言葉には気づかなかった。
「ところで、美桜。洋菓子とやらは、ばたーがないと作れないのかい?」
湖月が話題を変えるように問いかけてきたので、
「バターを使わないお菓子もありますよ」
と、答えると、
「なら、作ってみてくれないかい? 料理人としては、一度、食べてみたい」
湖月は興味津々といった様子で身を乗り出した。
「じゃあ、ドーナツを作りましょうか。小麦粉と卵と砂糖を貸してもらえますか?」
「よし、分かった」
湖月は食べ終わった食器を持って立ち上がり、厨房へと戻っていった。美桜も食器を持って、その後を追う。紬と木綿は、食堂でお喋りを続けるようだ。
「はい、材料」
厨房に入ると、湖月がドーナツの材料を用意してくれた。美桜が早速、
「ありがとうございます。まずは小麦粉とお砂糖の分量を量りたいのですが、秤ってありますか?」
と、尋ねると、
「ちょっと待って」
湖月が調理台の下の引き出しをごそごそと漁った。そして出てきたのは、皿にメモリが付いた昭和感の漂う秤だった。
料理用のデジタルスケールを想像していた美桜は、少し驚いたが、使えないことはない。早速、ボウルを乗せ、材料を量る。
美桜は小麦粉と砂糖をざざっと合わせると、溶いた卵を入れ、木べらでよく練り合わせた。
(袖がひらひらしてやりにくい)
「ちょっと後ろを向いて」
美桜が着物の袖を気にしていることに気がついたのか、湖月が着物の胸元からたすきを取り出し、美桜の体に手早く巻き、背中できゅっと結び目を作った。
「湖月さん、ありがとうございます」
「どういたしまして」
袖を気にしなくて良くなり、調理がしやすくなった。
美桜は混ぜ合わせた生地を丸めると、熱した揚げ油の中に投入した。こんがりとキツネ色に揚がると、菜箸で和紙を引いた皿に取り上げ、上から砂糖をかけた。
「できましたよ」
こんもりと山のように完成したドーナツを、湖月がまじまじと見つめている。
「ふぅん、これがどーなつか……」
「味見をしてみて下さい」
美桜がすすめると、湖月はドーナツを摘まみ上げ、一口囓った。
「んん、これはうまい! さっくりしていて、ほのかな甘みが口の中に広がる。食べ応えもあって、小腹が空いた時にも良さそうだね」
あっという間に一つ食べきり、もう一つに手を伸ばした湖月を見て、
(気に入ってくれて良かった)
美桜は嬉しくなった。
「確かにこれは売れるかもしれないねぇ」
感心した様子で湖月が三つ目に手を伸ばした時、食堂にいた紬と木綿が、カウンターから顔を出した。
「おいしそうな匂いがします」
「もしや、洋菓子とやらですか?」
「あっ、紬さん、木綿さん。良かったらお二人もどうぞ」
美桜が皿を差し出すと、紬と木綿が身を乗り出して手に取り、くるりとドーナツをまわして見た後、齧り付いた。
「あら、おいしい!」
「なんだか懐かしい味のするお菓子ですね」
笑顔になった二人を見て、美桜の胸の中が、ぽっとあたたかくなる。
作ったものをおいしいと言ってもらえることは、なんて幸せなことなのだろう。隆俊も千雅も真莉愛も、一度たりとも、美桜の料理を褒めなかった。
美桜が思わず目を潤ませると、湖月がそれに気がつき、
「どうしたんだい? あたしたち、何かまずいことでも言ったかい?」
と、慌てた様子で問いかけた。美桜は「いいえ」と首を振り微笑んだ。
「喜んでいただけたのが嬉しくて」
その顔を見た湖月の表情が和らぐ。
「人間って奴は、残酷な生き物だと思っていたけど、あんたは良い子だね」
優しく頭を撫でられたが、湖月の言葉に、美桜は首を傾げた。
(人間が残酷?)
そういえば、穂高も似たようなことを言っていなかっただろうか。
「湖月さん、人間が……」
尋ねてみようと思ったものの、ためらっていると、
「美桜、あたしに、このどーなつとやらの作り方を教えておくれ」
湖月に頼まれ、美桜は言葉を飲み込んだ。
「はい、いいですよ」
「嬉しいねえ」
「あっ、じゃあ、私もお願いします」
「私も!」
紬と木綿も手を上げ、四人はしばらくの間、ドーナツの話で花を咲かせた。
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