62 / 80
三章 婚約者
十三話 決心
しおりを挟む
芙蓉と浴場で語り合った翌日。美桜はにんじんケーキを持って翡翠の部屋へと向かった。いつものように扉を叩くと、翡翠の声が聞こる。美桜は一度深く息を吸って吐き出すと、扉を開けた。
「おはよう、翡翠」
美桜が顔を出すと、鳥かごの中にいる鳩に餌をやっていた翡翠が振り返った。
「おはよう、美桜」
美桜と翡翠の間で、昨夜の誤解はすっかり解けている。翡翠の、大切な者に向ける甘い笑顔に美桜の胸がトクンと鳴り、あらためて、自分は翡翠のことが好きなのだと自覚する。
「今日のけぇきはなんだ?」
「にんじんケーキだよ。穂高さんが新鮮な野菜を届けてくれたの」
翡翠に近づき、皿を見せると、翡翠は「おいしそうだ」と微笑んだ。翡翠が皿を受け取ろうと手を伸ばしたが、美桜は渡さず、書斎机の上に置き、指でケーキを割った。そして震える手で翡翠の方へ差し出すと、
「翡翠、あーん……」
と、小さな声ですすめた。翡翠は、唐突な美桜の行動に驚いた様子で目を瞬いた。
「どうした? 美桜」
「翡翠に食べてもらいたいなって……思ったの」
真っ赤になりながらそう言うと、翡翠は柔らかく目を細め、美桜の手からケーキを食べた。ほんの少し指が翡翠の口の中へ入り、美桜は恥ずかしさのあまり俯いた。鼓動が早くなり、頬が熱を持つ。
「今日のけぇきは特においしい」
「本当?」
「本当だ」
翡翠が美桜の手を取り、もう一度、指をなめた。
「ひ、翡翠……」
「ん?」
めまいがしそうなほどドキドキしている美桜に、翡翠が悪戯っぽいまなざしを向ける。
「私……話したいことがあるの」
昨夜、芙蓉と約束をした。お互いに精一杯のことをしようと。
「あのね、翡翠」
美桜は顔を上げ、翡翠の紺色の瞳を見つめた。翡翠が美桜の手を握ったまま、「うん?」と小首を傾げる。
「お願いがあるの。私を、翡翠のお父様のところへ連れて行って欲しい」
美桜のお願いに、翡翠は真面目な表情になると、
「いきなり、どうしたんだ?」
と、問いかけた。
「私、翡翠の正式な婚約者になりたい。翡翠と結婚したい。だから、お父様にお許しをもらいたい……!」
美桜の決心を聞き、翡翠の目が見開かれる。美桜は、すぅと息を吸うと、
「あなたを愛しています」
と告白をした。次の瞬間、美桜は翡翠の胸の中にいた。
「美桜」
翡翠が耳元で美桜の名を囁いた。
「やっと言ってくれたな」
「遅くなってごめんね」
美桜は翡翠の背中に手を伸ばすと、ぎゅっと抱きついた。翡翠が美桜の耳にキスをする。
「それならば、一緒に父上のところへ行こう」
「そういえば、翡翠のお父様って、どこにいらっしゃるの?」
「ここから三十分ほど飛んだ場所に、東の統治者の住む街がある。今すぐにでも行きたいが、さすがにあちらにも都合があるだろう。まずは連絡を入れておく」
翡翠は美桜を離し、書斎机の椅子に腰を下ろすと、引き出しの中から紙とガラスペンを取り出した。インクをつけて、何やらさらさらと文言を書く。それをくるくると巻き、小さな筒に入れると、鳥かごを開けて鳩の足に取り付けた。
「その子、伝書鳩だったんだ」
「ああ。優秀だぞ」
翡翠が手の甲に鳩をとまらせ、鳥かごから外へ出す。バルコニーに面した窓を開けると、手を振って、
「父上の元へ届けろ。行け!」
と、鳩を飛び立たせた。鳩の姿は、みるみるうちに遠くなっていく。鳩を見送った後、翡翠は美桜を振り返り、
「しかし、父上だけを説得、というわけにはいかないな。白蓮様にも話をつけないと」
と、顎に手を当てた。
「そのことだけどね」
美桜は、芙蓉が「婚約解消の件、お母様の方は、私がなんとかするから」と言ってくれたのだと話した。
「本当に芙蓉がそう言ったのか? どういった心境の変化だ?」
翡翠は不思議そうにしていたが、美桜はもちろん、芙蓉の穂高への想いは隠しておいた。
「まあいい。とりあえず、白蓮様の方は芙蓉に任せよう。後で俺からも芙蓉に頼んでおく。――そういえば、そろそろ『ぱてぃすりー』の開店準備をしないと間に合わないのではないか?」
翡翠が書斎机の時計に目を向けたので、美桜は、
「いけない!」
と、声を上げた。
「私、お店の準備に行くね!」
「そうした方がいい。――ああ、美桜、少し待て」
慌てて部屋を出ようとした美桜の腕を掴むと、翡翠は美桜を引き寄せ、軽く唇を重ねた。突然のキスに、美桜の心臓が止まりそうになる。
「ひ、翡翠……」
わたわたと慌てている美桜を優しく見つめた後、翡翠は、
「さあ、俺の可愛い婚約者、今日の仕事も頑張るのだぞ」
と、背中をぽんと叩いた。
「おはよう、翡翠」
美桜が顔を出すと、鳥かごの中にいる鳩に餌をやっていた翡翠が振り返った。
「おはよう、美桜」
美桜と翡翠の間で、昨夜の誤解はすっかり解けている。翡翠の、大切な者に向ける甘い笑顔に美桜の胸がトクンと鳴り、あらためて、自分は翡翠のことが好きなのだと自覚する。
「今日のけぇきはなんだ?」
「にんじんケーキだよ。穂高さんが新鮮な野菜を届けてくれたの」
翡翠に近づき、皿を見せると、翡翠は「おいしそうだ」と微笑んだ。翡翠が皿を受け取ろうと手を伸ばしたが、美桜は渡さず、書斎机の上に置き、指でケーキを割った。そして震える手で翡翠の方へ差し出すと、
「翡翠、あーん……」
と、小さな声ですすめた。翡翠は、唐突な美桜の行動に驚いた様子で目を瞬いた。
「どうした? 美桜」
「翡翠に食べてもらいたいなって……思ったの」
真っ赤になりながらそう言うと、翡翠は柔らかく目を細め、美桜の手からケーキを食べた。ほんの少し指が翡翠の口の中へ入り、美桜は恥ずかしさのあまり俯いた。鼓動が早くなり、頬が熱を持つ。
「今日のけぇきは特においしい」
「本当?」
「本当だ」
翡翠が美桜の手を取り、もう一度、指をなめた。
「ひ、翡翠……」
「ん?」
めまいがしそうなほどドキドキしている美桜に、翡翠が悪戯っぽいまなざしを向ける。
「私……話したいことがあるの」
昨夜、芙蓉と約束をした。お互いに精一杯のことをしようと。
「あのね、翡翠」
美桜は顔を上げ、翡翠の紺色の瞳を見つめた。翡翠が美桜の手を握ったまま、「うん?」と小首を傾げる。
「お願いがあるの。私を、翡翠のお父様のところへ連れて行って欲しい」
美桜のお願いに、翡翠は真面目な表情になると、
「いきなり、どうしたんだ?」
と、問いかけた。
「私、翡翠の正式な婚約者になりたい。翡翠と結婚したい。だから、お父様にお許しをもらいたい……!」
美桜の決心を聞き、翡翠の目が見開かれる。美桜は、すぅと息を吸うと、
「あなたを愛しています」
と告白をした。次の瞬間、美桜は翡翠の胸の中にいた。
「美桜」
翡翠が耳元で美桜の名を囁いた。
「やっと言ってくれたな」
「遅くなってごめんね」
美桜は翡翠の背中に手を伸ばすと、ぎゅっと抱きついた。翡翠が美桜の耳にキスをする。
「それならば、一緒に父上のところへ行こう」
「そういえば、翡翠のお父様って、どこにいらっしゃるの?」
「ここから三十分ほど飛んだ場所に、東の統治者の住む街がある。今すぐにでも行きたいが、さすがにあちらにも都合があるだろう。まずは連絡を入れておく」
翡翠は美桜を離し、書斎机の椅子に腰を下ろすと、引き出しの中から紙とガラスペンを取り出した。インクをつけて、何やらさらさらと文言を書く。それをくるくると巻き、小さな筒に入れると、鳥かごを開けて鳩の足に取り付けた。
「その子、伝書鳩だったんだ」
「ああ。優秀だぞ」
翡翠が手の甲に鳩をとまらせ、鳥かごから外へ出す。バルコニーに面した窓を開けると、手を振って、
「父上の元へ届けろ。行け!」
と、鳩を飛び立たせた。鳩の姿は、みるみるうちに遠くなっていく。鳩を見送った後、翡翠は美桜を振り返り、
「しかし、父上だけを説得、というわけにはいかないな。白蓮様にも話をつけないと」
と、顎に手を当てた。
「そのことだけどね」
美桜は、芙蓉が「婚約解消の件、お母様の方は、私がなんとかするから」と言ってくれたのだと話した。
「本当に芙蓉がそう言ったのか? どういった心境の変化だ?」
翡翠は不思議そうにしていたが、美桜はもちろん、芙蓉の穂高への想いは隠しておいた。
「まあいい。とりあえず、白蓮様の方は芙蓉に任せよう。後で俺からも芙蓉に頼んでおく。――そういえば、そろそろ『ぱてぃすりー』の開店準備をしないと間に合わないのではないか?」
翡翠が書斎机の時計に目を向けたので、美桜は、
「いけない!」
と、声を上げた。
「私、お店の準備に行くね!」
「そうした方がいい。――ああ、美桜、少し待て」
慌てて部屋を出ようとした美桜の腕を掴むと、翡翠は美桜を引き寄せ、軽く唇を重ねた。突然のキスに、美桜の心臓が止まりそうになる。
「ひ、翡翠……」
わたわたと慌てている美桜を優しく見つめた後、翡翠は、
「さあ、俺の可愛い婚約者、今日の仕事も頑張るのだぞ」
と、背中をぽんと叩いた。
0
あなたにおすすめの小説
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる