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三章 婚約者

十三話 決心

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 芙蓉と浴場で語り合った翌日。美桜はにんじんケーキを持って翡翠の部屋へと向かった。いつものように扉を叩くと、翡翠の声が聞こる。美桜は一度深く息を吸って吐き出すと、扉を開けた。

「おはよう、翡翠」

 美桜が顔を出すと、鳥かごの中にいる鳩に餌をやっていた翡翠が振り返った。

「おはよう、美桜」

 美桜と翡翠の間で、昨夜の誤解はすっかり解けている。翡翠の、大切な者に向ける甘い笑顔に美桜の胸がトクンと鳴り、あらためて、自分は翡翠のことが好きなのだと自覚する。

「今日のけぇきはなんだ?」

「にんじんケーキだよ。穂高さんが新鮮な野菜を届けてくれたの」

 翡翠に近づき、皿を見せると、翡翠は「おいしそうだ」と微笑んだ。翡翠が皿を受け取ろうと手を伸ばしたが、美桜は渡さず、書斎机の上に置き、指でケーキを割った。そして震える手で翡翠の方へ差し出すと、

「翡翠、あーん……」

 と、小さな声ですすめた。翡翠は、唐突な美桜の行動に驚いた様子で目を瞬いた。

「どうした? 美桜」

「翡翠に食べてもらいたいなって……思ったの」

 真っ赤になりながらそう言うと、翡翠は柔らかく目を細め、美桜の手からケーキを食べた。ほんの少し指が翡翠の口の中へ入り、美桜は恥ずかしさのあまり俯いた。鼓動が早くなり、頬が熱を持つ。

「今日のけぇきは特においしい」

「本当?」

「本当だ」

 翡翠が美桜の手を取り、もう一度、指をなめた。

「ひ、翡翠……」

「ん?」

 めまいがしそうなほどドキドキしている美桜に、翡翠が悪戯っぽいまなざしを向ける。

「私……話したいことがあるの」

 昨夜、芙蓉と約束をした。お互いに精一杯のことをしようと。

「あのね、翡翠」

 美桜は顔を上げ、翡翠の紺色の瞳を見つめた。翡翠が美桜の手を握ったまま、「うん?」と小首を傾げる。

「お願いがあるの。私を、翡翠のお父様のところへ連れて行って欲しい」

 美桜のお願いに、翡翠は真面目な表情になると、

「いきなり、どうしたんだ?」

 と、問いかけた。

「私、翡翠の正式な婚約者になりたい。翡翠と結婚したい。だから、お父様にお許しをもらいたい……!」

 美桜の決心を聞き、翡翠の目が見開かれる。美桜は、すぅと息を吸うと、

「あなたを愛しています」

 と告白をした。次の瞬間、美桜は翡翠の胸の中にいた。

「美桜」

 翡翠が耳元で美桜の名を囁いた。

「やっと言ってくれたな」

「遅くなってごめんね」

 美桜は翡翠の背中に手を伸ばすと、ぎゅっと抱きついた。翡翠が美桜の耳にキスをする。

「それならば、一緒に父上のところへ行こう」

「そういえば、翡翠のお父様って、どこにいらっしゃるの?」

「ここから三十分ほど飛んだ場所に、東の統治者の住む街がある。今すぐにでも行きたいが、さすがにあちらにも都合があるだろう。まずは連絡を入れておく」

 翡翠は美桜を離し、書斎机の椅子に腰を下ろすと、引き出しの中から紙とガラスペンを取り出した。インクをつけて、何やらさらさらと文言を書く。それをくるくると巻き、小さな筒に入れると、鳥かごを開けて鳩の足に取り付けた。

「その子、伝書鳩だったんだ」

「ああ。優秀だぞ」

 翡翠が手の甲に鳩をとまらせ、鳥かごから外へ出す。バルコニーに面した窓を開けると、手を振って、

「父上の元へ届けろ。行け!」

 と、鳩を飛び立たせた。鳩の姿は、みるみるうちに遠くなっていく。鳩を見送った後、翡翠は美桜を振り返り、

「しかし、父上だけを説得、というわけにはいかないな。白蓮様にも話をつけないと」

 と、顎に手を当てた。

「そのことだけどね」

 美桜は、芙蓉が「婚約解消の件、お母様の方は、私がなんとかするから」と言ってくれたのだと話した。

「本当に芙蓉がそう言ったのか? どういった心境の変化だ?」

 翡翠は不思議そうにしていたが、美桜はもちろん、芙蓉の穂高への想いは隠しておいた。

「まあいい。とりあえず、白蓮様の方は芙蓉に任せよう。後で俺からも芙蓉に頼んでおく。――そういえば、そろそろ『ぱてぃすりー』の開店準備をしないと間に合わないのではないか?」

 翡翠が書斎机の時計に目を向けたので、美桜は、

「いけない!」

 と、声を上げた。

「私、お店の準備に行くね!」

「そうした方がいい。――ああ、美桜、少し待て」

 慌てて部屋を出ようとした美桜の腕を掴むと、翡翠は美桜を引き寄せ、軽く唇を重ねた。突然のキスに、美桜の心臓が止まりそうになる。

「ひ、翡翠……」

 わたわたと慌てている美桜を優しく見つめた後、翡翠は、

「さあ、俺の可愛い婚約者、今日の仕事も頑張るのだぞ」

 と、背中をぽんと叩いた。
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