18 / 30
理想の花嫁とは2(アレク視点)
しおりを挟む
そんな騒ぎの中、俺はさりげなくラファに縁談を断ろうとした。
しかし、『百聞は一見に如かず』です!ちょうどいい、一緒に来て下さいっ!』という将軍の迫力に言い返すのも面倒臭く、仕方なしに彼の邸に来た。
そこで、初めて会ったエルーシアは、何もかも俺が想像していた『侯爵令嬢』からかけ離れていた。というか、こんなのが『侯爵令嬢』でいいのか、と疑問に思うレベルだ。
彼女は返信を寄越さない『婚約者』に焦れ、一人で辺境地ローレインに向かうと言う。
ローレインまでは一週間。
一人で旅に出る直前という事なのに、服装は貴族令嬢の旅装束ではなく、簡素で動きやすい平民のそれで、しかも用意されていたのは馬車ではなく、馬一頭。
その馬の背に括られた荷物も、あまりに少ない。普通の令嬢なら、衣装やアクセサリー用の馬車が別にいるというのに。
半ば唖然としていると、親子喧嘩をしていた将軍がこちらを振り返った。
それに釣られるようにこちらを見たのは、まだ子供の面影を残した少女だった。
その瞬間、ふわりと果実のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。
後頭部で一つに括られた綺麗な金色の髪。晴れた日の明るい空の色をした大きな瞳。ちょっと低めだけど形のいい鼻と、柔らかそうなピンクの頬。逆三角形の輪郭に小さな顎。自然に色づいた唇は、最初小さいと感じたけれど、よく見ると普通だ。目が大きいから対比的に小さく見えただけだろう。
イメージとしては、金の長毛種の猫。しかも悪戯好きの活発な子猫と言う感じ。
彼女は私を見ると一瞬動きを止めた。
これは割とよくある反応だから、慣れている。
大抵の女性、しかも若い女性は俺の顔を見ると、最初は驚き、後は恥ずかしそうに眼を合わせないか、獲物を見つけた狼のように爛々と目を輝かせるかのどちらかだ。
しかしエルーシアは、そのどちらでもなかった。彼女は最初こそ驚いた顔を見せたものの、すぐに穏やかで真っ直ぐな目でこちらを見た。
彼女の父である将軍と同じ種類の視線。
澄んだ空色の瞳の中に、自分の顔を認め、多少の気恥ずかしさを覚える。
女性……特に同世代の女性に、何も裏がない真っ直ぐな瞳で見られたことはない。
愛しい男に会うために、一人で旅に出ようとする行動力。
彼の為の努力を惜しまない、献身と、一途な気持ち。
確かに思い込みが激しく、ストーカー気質なのかもしれない。けれど。
「よろしくね、アレク!」
物怖じなど全くなく、あっさりと出された手を、俺は思わず握り返してしまっていた。
その後、簡単な紹介をして、結局将軍が折れる形で彼女のローレイン行きは決まったのだが……。
将軍は、俺が魔導を使えば、一瞬でローレインまで行ける事を知っている。なのに、彼女にそれを告げず、普通の旅に出るよう話を進めた。
更に、何故か彼女に俺の事を見合い相手としてではなく、護衛として紹介した。
後から聞いたら、最初から『婚約者』として紹介すると、彼女が抵抗するから。ということらしい。
勿論、それだけではないのだけれど。
直ぐに出発すると言う彼女を言いくるめ邸に戻してから、将軍は『時間が欲しいのだ』と俺に告げた。
王都という一つの場所、変わらない生活の中、動かない時間や環境の中、考えまで凝り固まった娘。でも、本当は彼女もわかっているのだという。
相手に心がないのだと。でも認めれば、自分が今までしてきた事全てが否定されてしまう。
「本当に。涙ぐましい努力をしてきましたからな」
近くで見て来たからわかる。と、侯爵が呟く。
そんな彼女が見たくない現実を、受け止める為の心の準備の為の時間。
「それと、貴方の為の時間です」
何度も言うが、貴族の結婚に本人同士の意思はない。けれど、これからずっと長い間、共に暮らしていく間柄だ。
「一週間という僅かな時間ですが、一生を共に出来る相手かを見極めて下さい。そして、家の娘では駄目だと言うなら、そう仰ってください」
「しかし…それでは」
一瞬でローレインに飛ぶなら、人目も少ないからどうとでも誤魔化せるが、一週間も共に旅に出たとなれば、人の噂にもなる。
噂になった後、破談になったとなれば、彼女の立場もあるだろう。
それは、どちらが言い出しても同じこと。こういう場合世間から責められるのは、常に女性の方ばかりなのだ。
だが、それも承知している顔で、将軍は頷いた。
「自分と一緒にいるのが、苦痛だと思っている相手と結婚する。家同士がどうであれ、そういう相手との生活は不幸しかうまない」
本人たちは元より、その子供たちにまで不幸は及ぶ。
そう言う人たちを、家庭を何度も見て来たと。
だから婚約前に互いにそういう時間を作るのは、とても重要な事だと彼は言う。
愛することができるか、とは問わない。政略結婚である以上、そこまでは望まない。ただ、一生一緒に暮らしていけるか。それだけでいい。
「何、アレクシス殿に断られたとしても、娘は大丈夫ですよ。世間の嘲笑に一時は落ち込むかもしれませんが、すぐに顔を上げて笑います」
だから、お気になさらず。
将軍の言葉の中に、彼の娘への想いと、彼女の為人を見た気がする。
明るくて、真っ直ぐで、へこたれない。
さっき見た笑顔を思い出し、俺は頷いた。
そして、翌日の朝、彼女と故郷に向かう旅に出たのだが……。
「アレク、この街凄い!町中から甘い匂いがするの!何で?」
目を輝かせた彼女の言葉に、俺は教会を指さす。そこには、花や色とりどりの紙で飾られた輿がある。
「ああ!お祭りがあるのね!」
嬉しそうに頷く彼女は、予想以上に箱入りだった。けれど、それは我儘とか自分勝手という悪い意味ではない。ただ王都から出た事がなかったせいか、知らない事が多いというだけ。
土地により食べ物や習慣が違うのは当たり前の事。それに遭遇する度に彼女は目を丸くする。
そんな彼女と一緒の旅は快適だった。……少なくとも俺にとっては。
他の女たちと違い、彼女は無口で不愛想な俺に対し怖気づく事もなければ、逆に図々しい態度にもならなかった。
我がままでもないし、貴族特有の偏見もない。
素直でいつだって、朗らかで、無邪気で。
表情がクルクル変わるのが可愛くて、らしくないと思いつつも、ついつい構ってしまう。
構った後に「迷惑だったか?」と考えるのだが、彼女が笑ってそれを受け止めてくれるのが嬉しくて、また構う。そんな繰り返し。
他人といるのは、いつも煩わしいだけだったけれど、彼女は違う。ずっと一緒にいても、自然に息ができ、肩の力を抜ける。とはいえ、それは相手をしなくてもいいような、どうでもいい存在だからというわけではない。むしろ、彼女は放っておけなくて、一緒にいて楽しい、純粋にそう思える相手だ。
しかし、それが話しに聞く恋とか愛かと問われれば、首を傾げてしまう。激しいそれとは違い、もっと穏やかな感情。家族や兄弟に向ける感情に、一番近いかもしれない。
俺は兄と姉しかいないから、よくわからないが、多分妹がいたら、こんな感じだろうか。
彼女を愛する事はできないかもしれない。でも、家族にはなれる。そう自覚しだした、旅三日目。そん
な俺の考えをひっくり返す事件が起こった。
野盗に襲われた商隊を見つけたのだ。
いつもなら、考えるまでもなく駆けつけるのだが、今回はエルを連れている。彼女をこの場に残していく事も危険だが、連れて行くのはもっと危険だ。
ここは、見て見ぬふりをするべきか。頭の中ではそう考えつつも、俺は「行ってやりたい」と口にしていた。
普通の令嬢なら、ここで拒否するだろう。危ないから嫌だ、と。だが、エルは違った。
行くのが当然とばかりに、俺より先に馬首をそちらに回し走り出す。
華奢なその背中を一瞬見送り、俺も続いて馬の腹を蹴った。
自分の判断で危険な場所に赴くのだ。彼女は……彼女の事は絶対に守りぬく、と心に誓って。
なのに……。
敵が彼女の頬に傷を作った。いや、一瞬で奴らを屠れなかった俺のミスだ。
彼女の頬に赤い筋を見た瞬間、脳みそが真っ白になり、その中に浮かんだのは『許さない』の一文字だけだった。
あんな感情は生まれて初めてだ。
あんなに感情だけで人を殺めたのも。
どんな戦場でもただ機械的に殺すだけ。感情に動かされれば、ミスが生まれ、一人のミスはやがて全体のミスにつながる。生きるか死ぬかという場面では、その一瞬が運命を変える。
幼い頃から教えられ、自分でもできていると感じていたのに。彼女が傷を負った。それだけで今までの時間が覆った。
初めてできた親しい同世代だから?妹みたいに思っていたから?自分の中で繰り返し、どれも『そう』なのかもしれないし、どれも『違う』かもしれない。
自分でも説明のできない感情。でも、あの時の相手に対する純粋な殺意だけは本物だ。
一瞬で殺してしまったのが惜しいと思うほど。街の自警団に連行されていく生き残りの野盗を見ながら、頭の中でどうやって皆殺しにするかをずっと考えていたほど。
守り抜くと誓った人が、怪我をした。守り切れなかった。その事に対する八つ当たりなのかもしれないけれど、誰一人許す気にはなれなかった。
今までの自分とは違う自分に戸惑いながら、気持ちを落ち着かせようと商隊の連中を手伝う。
荒らされ地面に転がる物を運び、怪我人に応急手当を施し。そうしている内に辺りが暗くなり身動きが取れなくなる。
そうなってしまえば、ここで野宿するしかない。
俺は人知れずため息を吐いた。
状況的に仕方なかったとはいえ、侯爵令嬢であるエルを野宿させるのだ。
幸い天候は大丈夫そうだが、見知らぬ人々の間で、ベッドではなく地面で眠らせる事になる。
だが、それを知らせに向かうと、俺と同じようにけが人の治療をしていた彼女は、あっけらかんと同意して頷いた。
「平気よ」
と。その手は血で汚れ、服にも所々血の染みが付いている。けれど彼女はそれを厭う様子もない。
本当に、とんでもない侯爵令嬢だ。
その上、皆を気遣った彼女は料理を作ってくれ、さらにそれは絶品中の絶品だった。
食べた事のない種類のものだったけれど、それだけで人の心を落とせるほど。
冗談抜きに、商隊の若い男達が『これは…惚れる!』『可愛いし、献身的だし、それでこの飯かよーっ!』『嫁に欲しい!』と噂していたほど。当然、そんな奴らを近づけたりはしなかったけれど。
でも、そうなのだ。
彼らが言うように、エルは明るくて、可愛くて、勇気があって。献身的で、飯が美味い。
けれど、それらは全てたった一人の男の為のもの。
俺の……ものではない。
自覚した途端、俺の心は悔しさで一杯になった。
エルが好きだという男の情報は、すでに入手している。
容姿、年齢、住んでいる場所、同棲しているという女の素性、身分、階級、家族構成。軍人としての評価、為人。
そのすべてに、俺は頭の中で×を付けている。エルには相応しくないと。
でも、その何一つ及第点を与えられない男の事を、エルは好きだといい、彼の為にずっと努力し続けて来たのだ。
あの男のどこがいいというのだろう?言葉か?よくしゃべり、よく笑う男らしいが、そこだろうか?
女性は甘い言葉と、優しい気遣いに弱いと聞くし。
「…………」
子供の頃の俺は大人に囲まれ、自分が意思表示しなくても、周囲が先回りして動いてくれた。だから話す必要はなかった。それがいけなかったのでは?と姉は言う。
ある程度大きくなってからは、父を尊敬し、彼のようになりたいからと父の模倣をした。だから、無口になったのではないか、と母は言う。
剣を持つようになってからは、剣技もそうだが己の感情を律する事が重要だと言われ、その為の訓練を繰り返した。だから無表情になったのでは?と兄は言う。
「いや。前当主様も表情のない寡黙な方でしたし、現当主の若も、小さな頃からこんな感じでしたから、坊ちゃんがこうなのは血筋なのではないですかな?」と、お守りの爺は首を捻る。
何れにしろ、俺は無口で不愛想な男で、エルの好きな男とは、この部分で決定的に違う。
だったら……。
商隊と別れ、残りの行程を一緒に過ごしながら、俺は考える。
だったら……、と。
そんな事を考えている自分に気付き、俺は初めて自分の感情に気づいた。
家族に感じるような、優しいだけの感情は勿論ある。
いつでも笑っていて欲しい。幸せでいて欲しい。彼女がそういてくれる為に、俺にできることは何でもしよう。
けれど、その裏で思うのだ。
俺の隣以外で笑わないで。俺の知らない所で幸せにならないで。その為なら俺は何でもするから。
俺だけを見て。
自己的で醜くて、飢えにも近い衝動を伴う感情。今まで誰にも感じた事がないような。こんな感情、家族に持った事はない。
どんなに綺麗な言葉でそれを覆おうとしても、覆いきれない。
これは……この感情は………。
馬に揺られる彼女の横顔。ずっと見ていたい。ずっとこのままでいたい。いや、このままじゃ嫌だ。
太陽の光を弾いて、キラキラと輝く髪に顔を埋めたい。華奢な肩を抱き寄せたい。柔らかい頬を掌で感じたい。首筋から立ち上る、果実の香りに酩酊したい。赤く色づいた唇に……。
何度も彼女に手を伸ばしかけ、その度に我に返って自制する。
そんな事を繰り返し、やがて自分の本心を認めて衝動の波に飲まれ、開き直る。
俺は彼女の事が好きなのだと。
ラファが言った通り、彼女は俺の理想だと。
そうして認めて、開き直ってしまえば、やる事は一つだ。
あの男に成り代わる。
あの男が今まで享受してきたエルの愛情、献身、努力。それらを全て奪い取ろう。幸い、あの男はいらない、と言っているのだ。俺が今、喉から手が出るほど欲しいそれら全てを。
だったら俺が貰っても構わないだろう。
傍らに彼女を感じながら、俺は心の中でまだ見ぬ相手を嗤う。
世の中は汚いもので満ちている。その中で、こんなに綺麗で無償の愛情を奴は捨てるのだ。これがどんなに貴重なものかも、わからずに。
わかったところで、返さない。返すはずもない。これは……これは今後俺だけのものだ。
しかし、『百聞は一見に如かず』です!ちょうどいい、一緒に来て下さいっ!』という将軍の迫力に言い返すのも面倒臭く、仕方なしに彼の邸に来た。
そこで、初めて会ったエルーシアは、何もかも俺が想像していた『侯爵令嬢』からかけ離れていた。というか、こんなのが『侯爵令嬢』でいいのか、と疑問に思うレベルだ。
彼女は返信を寄越さない『婚約者』に焦れ、一人で辺境地ローレインに向かうと言う。
ローレインまでは一週間。
一人で旅に出る直前という事なのに、服装は貴族令嬢の旅装束ではなく、簡素で動きやすい平民のそれで、しかも用意されていたのは馬車ではなく、馬一頭。
その馬の背に括られた荷物も、あまりに少ない。普通の令嬢なら、衣装やアクセサリー用の馬車が別にいるというのに。
半ば唖然としていると、親子喧嘩をしていた将軍がこちらを振り返った。
それに釣られるようにこちらを見たのは、まだ子供の面影を残した少女だった。
その瞬間、ふわりと果実のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。
後頭部で一つに括られた綺麗な金色の髪。晴れた日の明るい空の色をした大きな瞳。ちょっと低めだけど形のいい鼻と、柔らかそうなピンクの頬。逆三角形の輪郭に小さな顎。自然に色づいた唇は、最初小さいと感じたけれど、よく見ると普通だ。目が大きいから対比的に小さく見えただけだろう。
イメージとしては、金の長毛種の猫。しかも悪戯好きの活発な子猫と言う感じ。
彼女は私を見ると一瞬動きを止めた。
これは割とよくある反応だから、慣れている。
大抵の女性、しかも若い女性は俺の顔を見ると、最初は驚き、後は恥ずかしそうに眼を合わせないか、獲物を見つけた狼のように爛々と目を輝かせるかのどちらかだ。
しかしエルーシアは、そのどちらでもなかった。彼女は最初こそ驚いた顔を見せたものの、すぐに穏やかで真っ直ぐな目でこちらを見た。
彼女の父である将軍と同じ種類の視線。
澄んだ空色の瞳の中に、自分の顔を認め、多少の気恥ずかしさを覚える。
女性……特に同世代の女性に、何も裏がない真っ直ぐな瞳で見られたことはない。
愛しい男に会うために、一人で旅に出ようとする行動力。
彼の為の努力を惜しまない、献身と、一途な気持ち。
確かに思い込みが激しく、ストーカー気質なのかもしれない。けれど。
「よろしくね、アレク!」
物怖じなど全くなく、あっさりと出された手を、俺は思わず握り返してしまっていた。
その後、簡単な紹介をして、結局将軍が折れる形で彼女のローレイン行きは決まったのだが……。
将軍は、俺が魔導を使えば、一瞬でローレインまで行ける事を知っている。なのに、彼女にそれを告げず、普通の旅に出るよう話を進めた。
更に、何故か彼女に俺の事を見合い相手としてではなく、護衛として紹介した。
後から聞いたら、最初から『婚約者』として紹介すると、彼女が抵抗するから。ということらしい。
勿論、それだけではないのだけれど。
直ぐに出発すると言う彼女を言いくるめ邸に戻してから、将軍は『時間が欲しいのだ』と俺に告げた。
王都という一つの場所、変わらない生活の中、動かない時間や環境の中、考えまで凝り固まった娘。でも、本当は彼女もわかっているのだという。
相手に心がないのだと。でも認めれば、自分が今までしてきた事全てが否定されてしまう。
「本当に。涙ぐましい努力をしてきましたからな」
近くで見て来たからわかる。と、侯爵が呟く。
そんな彼女が見たくない現実を、受け止める為の心の準備の為の時間。
「それと、貴方の為の時間です」
何度も言うが、貴族の結婚に本人同士の意思はない。けれど、これからずっと長い間、共に暮らしていく間柄だ。
「一週間という僅かな時間ですが、一生を共に出来る相手かを見極めて下さい。そして、家の娘では駄目だと言うなら、そう仰ってください」
「しかし…それでは」
一瞬でローレインに飛ぶなら、人目も少ないからどうとでも誤魔化せるが、一週間も共に旅に出たとなれば、人の噂にもなる。
噂になった後、破談になったとなれば、彼女の立場もあるだろう。
それは、どちらが言い出しても同じこと。こういう場合世間から責められるのは、常に女性の方ばかりなのだ。
だが、それも承知している顔で、将軍は頷いた。
「自分と一緒にいるのが、苦痛だと思っている相手と結婚する。家同士がどうであれ、そういう相手との生活は不幸しかうまない」
本人たちは元より、その子供たちにまで不幸は及ぶ。
そう言う人たちを、家庭を何度も見て来たと。
だから婚約前に互いにそういう時間を作るのは、とても重要な事だと彼は言う。
愛することができるか、とは問わない。政略結婚である以上、そこまでは望まない。ただ、一生一緒に暮らしていけるか。それだけでいい。
「何、アレクシス殿に断られたとしても、娘は大丈夫ですよ。世間の嘲笑に一時は落ち込むかもしれませんが、すぐに顔を上げて笑います」
だから、お気になさらず。
将軍の言葉の中に、彼の娘への想いと、彼女の為人を見た気がする。
明るくて、真っ直ぐで、へこたれない。
さっき見た笑顔を思い出し、俺は頷いた。
そして、翌日の朝、彼女と故郷に向かう旅に出たのだが……。
「アレク、この街凄い!町中から甘い匂いがするの!何で?」
目を輝かせた彼女の言葉に、俺は教会を指さす。そこには、花や色とりどりの紙で飾られた輿がある。
「ああ!お祭りがあるのね!」
嬉しそうに頷く彼女は、予想以上に箱入りだった。けれど、それは我儘とか自分勝手という悪い意味ではない。ただ王都から出た事がなかったせいか、知らない事が多いというだけ。
土地により食べ物や習慣が違うのは当たり前の事。それに遭遇する度に彼女は目を丸くする。
そんな彼女と一緒の旅は快適だった。……少なくとも俺にとっては。
他の女たちと違い、彼女は無口で不愛想な俺に対し怖気づく事もなければ、逆に図々しい態度にもならなかった。
我がままでもないし、貴族特有の偏見もない。
素直でいつだって、朗らかで、無邪気で。
表情がクルクル変わるのが可愛くて、らしくないと思いつつも、ついつい構ってしまう。
構った後に「迷惑だったか?」と考えるのだが、彼女が笑ってそれを受け止めてくれるのが嬉しくて、また構う。そんな繰り返し。
他人といるのは、いつも煩わしいだけだったけれど、彼女は違う。ずっと一緒にいても、自然に息ができ、肩の力を抜ける。とはいえ、それは相手をしなくてもいいような、どうでもいい存在だからというわけではない。むしろ、彼女は放っておけなくて、一緒にいて楽しい、純粋にそう思える相手だ。
しかし、それが話しに聞く恋とか愛かと問われれば、首を傾げてしまう。激しいそれとは違い、もっと穏やかな感情。家族や兄弟に向ける感情に、一番近いかもしれない。
俺は兄と姉しかいないから、よくわからないが、多分妹がいたら、こんな感じだろうか。
彼女を愛する事はできないかもしれない。でも、家族にはなれる。そう自覚しだした、旅三日目。そん
な俺の考えをひっくり返す事件が起こった。
野盗に襲われた商隊を見つけたのだ。
いつもなら、考えるまでもなく駆けつけるのだが、今回はエルを連れている。彼女をこの場に残していく事も危険だが、連れて行くのはもっと危険だ。
ここは、見て見ぬふりをするべきか。頭の中ではそう考えつつも、俺は「行ってやりたい」と口にしていた。
普通の令嬢なら、ここで拒否するだろう。危ないから嫌だ、と。だが、エルは違った。
行くのが当然とばかりに、俺より先に馬首をそちらに回し走り出す。
華奢なその背中を一瞬見送り、俺も続いて馬の腹を蹴った。
自分の判断で危険な場所に赴くのだ。彼女は……彼女の事は絶対に守りぬく、と心に誓って。
なのに……。
敵が彼女の頬に傷を作った。いや、一瞬で奴らを屠れなかった俺のミスだ。
彼女の頬に赤い筋を見た瞬間、脳みそが真っ白になり、その中に浮かんだのは『許さない』の一文字だけだった。
あんな感情は生まれて初めてだ。
あんなに感情だけで人を殺めたのも。
どんな戦場でもただ機械的に殺すだけ。感情に動かされれば、ミスが生まれ、一人のミスはやがて全体のミスにつながる。生きるか死ぬかという場面では、その一瞬が運命を変える。
幼い頃から教えられ、自分でもできていると感じていたのに。彼女が傷を負った。それだけで今までの時間が覆った。
初めてできた親しい同世代だから?妹みたいに思っていたから?自分の中で繰り返し、どれも『そう』なのかもしれないし、どれも『違う』かもしれない。
自分でも説明のできない感情。でも、あの時の相手に対する純粋な殺意だけは本物だ。
一瞬で殺してしまったのが惜しいと思うほど。街の自警団に連行されていく生き残りの野盗を見ながら、頭の中でどうやって皆殺しにするかをずっと考えていたほど。
守り抜くと誓った人が、怪我をした。守り切れなかった。その事に対する八つ当たりなのかもしれないけれど、誰一人許す気にはなれなかった。
今までの自分とは違う自分に戸惑いながら、気持ちを落ち着かせようと商隊の連中を手伝う。
荒らされ地面に転がる物を運び、怪我人に応急手当を施し。そうしている内に辺りが暗くなり身動きが取れなくなる。
そうなってしまえば、ここで野宿するしかない。
俺は人知れずため息を吐いた。
状況的に仕方なかったとはいえ、侯爵令嬢であるエルを野宿させるのだ。
幸い天候は大丈夫そうだが、見知らぬ人々の間で、ベッドではなく地面で眠らせる事になる。
だが、それを知らせに向かうと、俺と同じようにけが人の治療をしていた彼女は、あっけらかんと同意して頷いた。
「平気よ」
と。その手は血で汚れ、服にも所々血の染みが付いている。けれど彼女はそれを厭う様子もない。
本当に、とんでもない侯爵令嬢だ。
その上、皆を気遣った彼女は料理を作ってくれ、さらにそれは絶品中の絶品だった。
食べた事のない種類のものだったけれど、それだけで人の心を落とせるほど。
冗談抜きに、商隊の若い男達が『これは…惚れる!』『可愛いし、献身的だし、それでこの飯かよーっ!』『嫁に欲しい!』と噂していたほど。当然、そんな奴らを近づけたりはしなかったけれど。
でも、そうなのだ。
彼らが言うように、エルは明るくて、可愛くて、勇気があって。献身的で、飯が美味い。
けれど、それらは全てたった一人の男の為のもの。
俺の……ものではない。
自覚した途端、俺の心は悔しさで一杯になった。
エルが好きだという男の情報は、すでに入手している。
容姿、年齢、住んでいる場所、同棲しているという女の素性、身分、階級、家族構成。軍人としての評価、為人。
そのすべてに、俺は頭の中で×を付けている。エルには相応しくないと。
でも、その何一つ及第点を与えられない男の事を、エルは好きだといい、彼の為にずっと努力し続けて来たのだ。
あの男のどこがいいというのだろう?言葉か?よくしゃべり、よく笑う男らしいが、そこだろうか?
女性は甘い言葉と、優しい気遣いに弱いと聞くし。
「…………」
子供の頃の俺は大人に囲まれ、自分が意思表示しなくても、周囲が先回りして動いてくれた。だから話す必要はなかった。それがいけなかったのでは?と姉は言う。
ある程度大きくなってからは、父を尊敬し、彼のようになりたいからと父の模倣をした。だから、無口になったのではないか、と母は言う。
剣を持つようになってからは、剣技もそうだが己の感情を律する事が重要だと言われ、その為の訓練を繰り返した。だから無表情になったのでは?と兄は言う。
「いや。前当主様も表情のない寡黙な方でしたし、現当主の若も、小さな頃からこんな感じでしたから、坊ちゃんがこうなのは血筋なのではないですかな?」と、お守りの爺は首を捻る。
何れにしろ、俺は無口で不愛想な男で、エルの好きな男とは、この部分で決定的に違う。
だったら……。
商隊と別れ、残りの行程を一緒に過ごしながら、俺は考える。
だったら……、と。
そんな事を考えている自分に気付き、俺は初めて自分の感情に気づいた。
家族に感じるような、優しいだけの感情は勿論ある。
いつでも笑っていて欲しい。幸せでいて欲しい。彼女がそういてくれる為に、俺にできることは何でもしよう。
けれど、その裏で思うのだ。
俺の隣以外で笑わないで。俺の知らない所で幸せにならないで。その為なら俺は何でもするから。
俺だけを見て。
自己的で醜くて、飢えにも近い衝動を伴う感情。今まで誰にも感じた事がないような。こんな感情、家族に持った事はない。
どんなに綺麗な言葉でそれを覆おうとしても、覆いきれない。
これは……この感情は………。
馬に揺られる彼女の横顔。ずっと見ていたい。ずっとこのままでいたい。いや、このままじゃ嫌だ。
太陽の光を弾いて、キラキラと輝く髪に顔を埋めたい。華奢な肩を抱き寄せたい。柔らかい頬を掌で感じたい。首筋から立ち上る、果実の香りに酩酊したい。赤く色づいた唇に……。
何度も彼女に手を伸ばしかけ、その度に我に返って自制する。
そんな事を繰り返し、やがて自分の本心を認めて衝動の波に飲まれ、開き直る。
俺は彼女の事が好きなのだと。
ラファが言った通り、彼女は俺の理想だと。
そうして認めて、開き直ってしまえば、やる事は一つだ。
あの男に成り代わる。
あの男が今まで享受してきたエルの愛情、献身、努力。それらを全て奪い取ろう。幸い、あの男はいらない、と言っているのだ。俺が今、喉から手が出るほど欲しいそれら全てを。
だったら俺が貰っても構わないだろう。
傍らに彼女を感じながら、俺は心の中でまだ見ぬ相手を嗤う。
世の中は汚いもので満ちている。その中で、こんなに綺麗で無償の愛情を奴は捨てるのだ。これがどんなに貴重なものかも、わからずに。
わかったところで、返さない。返すはずもない。これは……これは今後俺だけのものだ。
156
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~
紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。
毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
【完結】精霊姫は魔王陛下のかごの中~実家から独立して生きてこうと思ったら就職先の王子様にとろとろに甘やかされています~
吉武 止少
恋愛
ソフィアは小さい頃から孤独な生活を送ってきた。どれほど努力をしても妹ばかりが溺愛され、ないがしろにされる毎日。
ある日「修道院に入れ」と言われたソフィアはついに我慢の限界を迎え、実家を逃げ出す決意を固める。
幼い頃から精霊に愛されてきたソフィアは、祖母のような“精霊の御子”として監視下に置かれないよう身許を隠して王都へ向かう。
仕事を探す中で彼女が出会ったのは、卓越した剣技と鋭利な美貌によって『魔王』と恐れられる第二王子エルネストだった。
精霊に悪戯される体質のエルネストはそれが原因の不調に苦しんでいた。見かねたソフィアは自分がやったとバレないようこっそり精霊を追い払ってあげる。
ソフィアの正体に違和感を覚えたエルネストは監視の意味もかねて彼女に仕事を持ち掛ける。
侍女として雇われると思っていたのに、エルネストが意中の女性を射止めるための『練習相手』にされてしまう。
当て馬扱いかと思っていたが、恋人ごっこをしていくうちにお互いの距離がどんどん縮まっていってーー!?
本編は全42話。執筆を終えており、投稿予約も済ませています。完結保証。
+番外編があります。
11/17 HOTランキング女性向け第2位達成。
11/18~20 HOTランキング女性向け第1位達成。応援ありがとうございます。
【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
【完結】初恋の人に嫁ぐお姫様は毎日が幸せです。
くまい
恋愛
王国の姫であるヴェロニカには忘れられない初恋の人がいた。その人は王族に使える騎士の団長で、幼少期に兄たちに剣術を教えていたのを目撃したヴェロニカはその姿に一目惚れをしてしまった。
だが一国の姫の結婚は、国の政治の道具として見知らぬ国の王子に嫁がされるのが当たり前だった。だからヴェロニカは好きな人の元に嫁ぐことは夢物語だと諦めていた。
そしてヴェロニカが成人を迎えた年、王妃である母にこの中から結婚相手を探しなさいと釣書を渡された。あぁ、ついにこの日が来たのだと覚悟を決めて相手を見定めていると、最後の釣書には初恋の人の名前が。
これは最後のチャンスかもしれない。ヴェロニカは息を大きく吸い込んで叫ぶ。
「私、ヴェロニカ・エッフェンベルガーはアーデルヘルム・シュタインベックに婚約を申し込みます!」
(小説家になろう、カクヨミでも掲載中)
「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)
透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。
有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。
「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」
そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて――
しかも、彼との“政略結婚”が目前!?
婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。
“報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。
公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる
夏菜しの
恋愛
十七歳の時、生涯初めての恋をした。
燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。
しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。
あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。
気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。
コンコン。
今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。
さてと、どうしようかしら?
※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる