昨今の聖女は魔法なんか使わないと言うけれど

睦月はむ

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[ヴィル]

独房 §3

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 部屋に残ったフィデルは首を振った。
「お前はもう少し国のことを考えろ」と、彼はあきれた顔で言う。
「国は関係ないだろ」
 俺はびしょれで肌に張り付いた寝衣を脱ぎながら言った。
 なかなか脱げず苦労していると、彼が服を引っぱって手伝ってくれた。

「関係ないことあるか。あいつがヴィントランツ王の一族だということを忘れるな。西の聖都を敵に回したら、こんなショボい国、あっけなく終わるぞ」
「ショボいは不敬だろ」
「隣国は西につく。国内の諸侯からは『大国にケンカを売りやがって』と言われてそっぽを向かれる。お前は王家を孤立させたいのか?」

「アレンはそんなことを扇動する奴ではないよ」
「リア様が絡めば話は別だ。あいつと対立関係になるな」
「対立なんかしていない。彼が一方的に腹を立てているだけだ」
「……救いようがないな。忠告はしたぞ」

 フィデルの後ろ姿を見ながら、どうやって王宮まで逃げるかを考えていた。
 馬車、横転させられると逃げようがなくなる。
 馬、厩舎きゅうしゃまでの道中でやられる可能性がある。
 地下通路、逃げ場がなさすぎて相手の思うつぼ。
 ……距離的にも、外を走って逃げるのが一番か。人目がある場所を通ったほうがいい。

 団員に声をかけ、周りを囲む人員を集めさせた。
「あれ? 新婚二日目から、浮気ですか?」
「しょうがない団長だなぁ」
「どこの女ですか?」
 彼らは冗談を言って笑っている。
 普通の新婚夫婦なら一日中寝室で過ごすような日だろう。制服で出かけるなんてアホのすることだ。

「いや、男かもしれないぞ」
 団員の一人がニヤッとしながら言った。
「正解だよ……オッサンに会いに行くんだ」と、俺は答えた。
 彼らは俺が王に呼び出されたと思っている。
「新婚なのに仕事で呼ばれるなんて災難だ」と同情してくれた。

 訓練を装い、集団で走って屋敷を出た。
 人目の少ない場所は全速力で走り、人のいる場所は徐行する。
 朝の訓練だと思えばなんということはない。目的地に着くと、団員たちに礼を言って別れた。
 王族と近衛など一部の人間しか入れない区画を全速力で走り、父と叔父の執務室へ向かう。
 息を切らして部屋に飛び込むと、二人は一瞬こちらを見た。しかし、すぐ手元に視線を戻している。

 父は小箱から細長いチョコレートを一本引っ張り出し、包み紙をむいていた。机の上では珈琲が湯気を上げていて、いい香りが漂っている。
「生きて会えてうれしいぞ、愚息」
 皮肉を含んだその口調から、すでに報告が届いているのだとわかった。

 少し離れた机では、叔父が分厚い資料を読み込んでいた。
 書類をめくりながら、大きなマドレーヌにかぶりついている。もくもくと咀嚼そしゃくし、視線も顔も一切動かさないまま珈琲を飲んだ。まるでカラクリ人形だ。

「私がミストを説得するまで、お前は部屋で書類仕事でもするのだな」と、父は言った。
「書類……」
 紙と机仕事は、殺されるのと同じぐらい嫌いだ。泣きたくなってきた。

「息子が人殺しから命を狙われているのに、なぜそんなに落ち着いているのですか」
 悔し紛れに言った言葉だったが、父は顔をしかめた。
「彼女は人殺しではない。罪人を死罪に処す任務を追うことはあるが、すべて民のために命令に応じてやっていることだ」
 十分な捜査がされており、捕らえて裁くよりも早く刑を執行すべき場合に限られている、と父は言う。対処が遅れて新たな犠牲や損失が出ることを防ぐためらしい。

「お前は哲学書を読んだことがあるのか?」と、父は聞いてきた。
「いいえ」と、俺は答えた。
「教育係は読めと言ったはずだ」
 クリスは言われたとおり読んでいたが、俺はかすみを食べるような内容に耐えきれず、放り出してしまった。以来、その手の本とは距離を置いている。

「人類は何千年も前から『人を殺すと気分が悪くなるのはなぜなのか』を考えている」
「……」
「王の命に従って極悪人を処刑しているのに、特務師は気を病むことがある。戦場で人を殺めた兵士もそうだろう。そのために終身刑が作られたのだ」
「はあ……」

 俺は父から目をそらした。
 考えたところで俺にはその謎を解くことはできないし、その現象や感情に名前をつけることもできない。

「特務師は処罰を執行した数だけ悩み、答えを探し続けて生きていく。死について書かれた本を読みあさり、苦しみを与えずに処刑する方法を模索したりもする。お前がチャラチャラ遊んでいる間にも、彼らは考え、学び続けている」
「チャラチャラなどしていません」
「ミストは今、ヴィントランツ語で書かれた三十年前の叙事詩を読んでいる。お前は何を学んでいるところだ」
「それは……」
「必要なことを学んでいたなら、特務師を人殺し呼ばわりせず、今こんな場所にもいないだろう。愚か者め」

 変装と潜入が得意な特務師は、王宮の特別区画にも入ってこられる。
 安全な場所を見つけるか、近衛に護らせるか、何か手を打たなければ俺は殺される。父の説教を聞いている場合ではない。
「一刻も早く彼女を止めてください。ヘルマンが動き始めると困ります」と、俺は言った。
「黙れ、大ばか者! 困っているのは聖女宮と我々だ!」
 父が大きな音を立てて机をたたいた。
 父がこんなふうに俺を怒鳴ったのは初めてだ。驚いて肩がビクリとした。

「お前が粛清の対象になどなるからだろう! お前を育てた教育係は、覚えていなければ何をしてもいいと教えたのか! 外交を妻に押しつけろと教わったか! 国賓をほったらかしにして家に帰れと教えたのは誰だ! 聖女をないがしろにしろと言った奴をここに連れてこい!」
「それは……」
「お前は大勢の顔に泥を塗った。お前に関わったすべての人間が大恥をかき、たった今も尻拭いに奔走している。それがわからないのか!」
「すみません……」

「助けるのは今回だけだ」
 父はチョコレートの包みを強くねじってくずかごに投げ入れた。まるで、俺がそうされたような気分だった。

「お前には彼らの変装が見破れない。弟の書斎を使え。死にたくなければ一歩も部屋から出るな。食事の世話は従者に任せろ」
「近衛は……?」
「制服でしか近衛を識別できないお前が、本物かニセモノかがわかるのか?」
「……いいえ」

「特務師は自分より背の低い者には変装できない。キースはどの特務師よりも背が低いはずだ」
「はい」
「ちっちゃいキースと仲良くしろ。あの子は優しい子だ。お前が底無しのアホウでも味方をしてくれる」
 あっちでもこっちでもボロクソだ。

 叔父の書斎に避難したはいいが、一日目で頭がおかしくなりそうだった。
 キースが運んでくる仕事をやり、彼が運んでくる冷め切った料理を食べ、彼以外の誰とも会話をせず、夜はせまいソファーで眠った。
 ただの豪華な独居房だった。
 孤独がつらい。リアに会えないのがつらい。キース以外に話し相手がいないのがつらすぎる。
 誰か助けてくれ……。
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