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[リア]
領主様のおつとめ
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ヴィルさんと一緒にナルヴィルを訪れた。
滞在先は旧エルデン伯邸だ。
のどかな風景の中で、ゴージャスな成金ハウスが少し浮いている。しかし、ホテルの代わりだと思って目をつむった。
ランドルフ家配下で働いている貴族に挨拶周りをするのが滞在中の大きなお役目だ。
領内だけでなく、東西に隣接した領地の皆様にもお会いした。お食事やお茶をしながら交流し、こぢんまりとした舞踏会に出て踊った。
ヴィルさんは王都から大勢の人を連れてきていた。
屋敷を維持するための従業員は、あらかじめ求人を出して書類選考まで済ませてあり、一緒に来たランドルフ家の若い執事さんが最終面談をやっている。
彼の周りには建築士や農業の専門家、食品加工の技術者など、天人族の専門家がぞろぞろと同行していて、熱心にアドバイスをしていた。
ありがたいことに、わたしはナルヴィルの皆さんから大歓迎を受けた。
馬車の窓がマジックミラー仕様のため、外から中は見えないけれども、わたしからは馬車に向かって手を振ってくれる人や、手を合わせて拝む人々が見えていた。
のどかな風景の中で、引っ越しの荷解きや家具の搬入でてんやわんやしている人々も見かけた。わたしも経験があるけれど、引っ越しは荷解きが一番大変だ。
この国の引っ越し事情は、日本とだいぶ異なる。
家財だけを運んでくれるサービスはまだ少なく、荷馬車のチャーター止まりだ。それも、感覚としてはタクシーに近い。
自ら荷物を積まなくてはならないし、自分もその荷物と一緒に乗って移動することになる。
乗り心地の悪い車に長時間揺られ、ようやく新居に辿り着くと、誰かが使っていた家具と食器が出迎える。
賃貸の家やマンションは、ほとんどが『まるで家具付き物件』という謎仕様らしい。これは大家が家具を用意した『家具付き物件』と似ているようで実は全然違う。前の住人が運び出さなかった家具がそのまま残っているのだ。
前の住民のセンスが良かった場合は「まるで家具付き物件だ」と歓喜するけれども、そうでなかった場合は『粗大ごみ付き物件』に変わるので当たり外れがあるそうだ。
置き去りにされたものをもらって使うのは自由だけれども、要らない場合は自分で処分しなくてはならない。これがこの国の引っ越しだった。
引っ越し中の人を見かけると、つい応援したくなる。皆大変そうだったものの、その表情は楽しそうで皆笑顔だった。
☟
「さて、民を労ってくるかぁ」
ヴィルさんはポンと手を叩くと、キラキラお貴族様スーツに身を包み、颯爽と馬車に乗り込んだ。
彼は王都から大量のクッキーと茶葉を運んできており、そこに途中でミルクの大きなタンクも加わっていた。
それらを役場前の広場で振る舞うそうだ。
新しい領主が初めて現地視察に出向いたとき、民にパンを配るのが地方の慣習らしい。
ただ、ポルト・デリングでその手の謎イベントはなかったので、大都市ではやらないのかも知れない。
ナルヴィルは農業と酪農が主な産業なので、国際港湾都市とはすべてにおいて勝手が違う。中心街ですら、人々が醸し出している雰囲気はのどか~~な感じだ。
ヴィルさんはパン配りの慣習に疑問を抱いていた。
配りたくないわけではなく『配るものがパンである』というところに不満があるようだ。
ナルヴィル視察の計画を練っていた頃、彼は子どもたちにクイズを出していた。
「新しい領主が民に配るものはなーんだ」
「パンでーす」
サナが正解すると、彼は「えらいぞ。領主の妻になれるぞ」と褒めた。
「なあ、君らは知らないオッサンからパンをもらってうれしいか?」
彼は自嘲気味に尋ねた。ロリーから「金色のオジさん」と呼ばれたことをまだ気にしているのだ。
「ボク、ケーキがいい」と、ディーンが言った。
「あたし、キャンディー」とロリー。
「私もケーキが好き」とエッラ。
「僕は『スピロの窯』のマドレーヌが好きだよ」とショーン。
「あ、オレもあそこのクッキー好き。チーズ味のやつあるじゃん。あんまり甘くないやつ。あとさー、柔らかいやつ」
テオがそう言うと、子どもたちがワアーっと盛り上がり、皆で一斉に『スピロの窯』の好きなものを言い始める。
お菓子博士の彼らは、パンよりお菓子のほうがいいと口を揃えて言った。
「俺も知らない奴からパンなんかもらってもうれしくない。しかし、菓子ならいいと思う。できれば一緒に茶がほしい。子どもの頃は砂糖とミルクをたっぷり入れた茶が好きだったなぁ」
彼は子どもたちが手にしていた大きなマグカップをのぞき込んだ。彼らも砂糖とミルクたっぷりの紅茶を飲んでいた。
「『スピロの窯』は大量発注を受けられるのだろうか」
彼から聞かれて、ふと思い出した。
そういえば以前、どこかの貴族に頼まれた大量のパンを作るために、店を二日ほど休むと言っていたことがある。あれはきっと誰かがパン配りのために頼んだのだろう。
「パンは引き受けていましたわ」
「パンができるなら、クッキーもできるよな?」
「窯は同じですけれど、クッキーは数が必要ですわ。一人につき一つだけというわけには行きませんでしょう?」
「十枚ずつくらいか? 小さな袋に入れて」
「大きめのしっとりクッキーなら数が減らせます。乾燥材も要らないですし、輸送中に割れる心配もないありません」
「あれはなかなか美味だよな。ほかでは見かけない」
「お婿さんが作っているので喜ばれると思いますよ。彼は有名店でケーキ職人をしていた方なのです」
「あのハンサムめ、やはり只者ではないな。よし、決まりだ」
そんな話の流れから、彼は『スピロの窯』にクッキーの大量発注をしたのだった。
滞在先は旧エルデン伯邸だ。
のどかな風景の中で、ゴージャスな成金ハウスが少し浮いている。しかし、ホテルの代わりだと思って目をつむった。
ランドルフ家配下で働いている貴族に挨拶周りをするのが滞在中の大きなお役目だ。
領内だけでなく、東西に隣接した領地の皆様にもお会いした。お食事やお茶をしながら交流し、こぢんまりとした舞踏会に出て踊った。
ヴィルさんは王都から大勢の人を連れてきていた。
屋敷を維持するための従業員は、あらかじめ求人を出して書類選考まで済ませてあり、一緒に来たランドルフ家の若い執事さんが最終面談をやっている。
彼の周りには建築士や農業の専門家、食品加工の技術者など、天人族の専門家がぞろぞろと同行していて、熱心にアドバイスをしていた。
ありがたいことに、わたしはナルヴィルの皆さんから大歓迎を受けた。
馬車の窓がマジックミラー仕様のため、外から中は見えないけれども、わたしからは馬車に向かって手を振ってくれる人や、手を合わせて拝む人々が見えていた。
のどかな風景の中で、引っ越しの荷解きや家具の搬入でてんやわんやしている人々も見かけた。わたしも経験があるけれど、引っ越しは荷解きが一番大変だ。
この国の引っ越し事情は、日本とだいぶ異なる。
家財だけを運んでくれるサービスはまだ少なく、荷馬車のチャーター止まりだ。それも、感覚としてはタクシーに近い。
自ら荷物を積まなくてはならないし、自分もその荷物と一緒に乗って移動することになる。
乗り心地の悪い車に長時間揺られ、ようやく新居に辿り着くと、誰かが使っていた家具と食器が出迎える。
賃貸の家やマンションは、ほとんどが『まるで家具付き物件』という謎仕様らしい。これは大家が家具を用意した『家具付き物件』と似ているようで実は全然違う。前の住人が運び出さなかった家具がそのまま残っているのだ。
前の住民のセンスが良かった場合は「まるで家具付き物件だ」と歓喜するけれども、そうでなかった場合は『粗大ごみ付き物件』に変わるので当たり外れがあるそうだ。
置き去りにされたものをもらって使うのは自由だけれども、要らない場合は自分で処分しなくてはならない。これがこの国の引っ越しだった。
引っ越し中の人を見かけると、つい応援したくなる。皆大変そうだったものの、その表情は楽しそうで皆笑顔だった。
☟
「さて、民を労ってくるかぁ」
ヴィルさんはポンと手を叩くと、キラキラお貴族様スーツに身を包み、颯爽と馬車に乗り込んだ。
彼は王都から大量のクッキーと茶葉を運んできており、そこに途中でミルクの大きなタンクも加わっていた。
それらを役場前の広場で振る舞うそうだ。
新しい領主が初めて現地視察に出向いたとき、民にパンを配るのが地方の慣習らしい。
ただ、ポルト・デリングでその手の謎イベントはなかったので、大都市ではやらないのかも知れない。
ナルヴィルは農業と酪農が主な産業なので、国際港湾都市とはすべてにおいて勝手が違う。中心街ですら、人々が醸し出している雰囲気はのどか~~な感じだ。
ヴィルさんはパン配りの慣習に疑問を抱いていた。
配りたくないわけではなく『配るものがパンである』というところに不満があるようだ。
ナルヴィル視察の計画を練っていた頃、彼は子どもたちにクイズを出していた。
「新しい領主が民に配るものはなーんだ」
「パンでーす」
サナが正解すると、彼は「えらいぞ。領主の妻になれるぞ」と褒めた。
「なあ、君らは知らないオッサンからパンをもらってうれしいか?」
彼は自嘲気味に尋ねた。ロリーから「金色のオジさん」と呼ばれたことをまだ気にしているのだ。
「ボク、ケーキがいい」と、ディーンが言った。
「あたし、キャンディー」とロリー。
「私もケーキが好き」とエッラ。
「僕は『スピロの窯』のマドレーヌが好きだよ」とショーン。
「あ、オレもあそこのクッキー好き。チーズ味のやつあるじゃん。あんまり甘くないやつ。あとさー、柔らかいやつ」
テオがそう言うと、子どもたちがワアーっと盛り上がり、皆で一斉に『スピロの窯』の好きなものを言い始める。
お菓子博士の彼らは、パンよりお菓子のほうがいいと口を揃えて言った。
「俺も知らない奴からパンなんかもらってもうれしくない。しかし、菓子ならいいと思う。できれば一緒に茶がほしい。子どもの頃は砂糖とミルクをたっぷり入れた茶が好きだったなぁ」
彼は子どもたちが手にしていた大きなマグカップをのぞき込んだ。彼らも砂糖とミルクたっぷりの紅茶を飲んでいた。
「『スピロの窯』は大量発注を受けられるのだろうか」
彼から聞かれて、ふと思い出した。
そういえば以前、どこかの貴族に頼まれた大量のパンを作るために、店を二日ほど休むと言っていたことがある。あれはきっと誰かがパン配りのために頼んだのだろう。
「パンは引き受けていましたわ」
「パンができるなら、クッキーもできるよな?」
「窯は同じですけれど、クッキーは数が必要ですわ。一人につき一つだけというわけには行きませんでしょう?」
「十枚ずつくらいか? 小さな袋に入れて」
「大きめのしっとりクッキーなら数が減らせます。乾燥材も要らないですし、輸送中に割れる心配もないありません」
「あれはなかなか美味だよな。ほかでは見かけない」
「お婿さんが作っているので喜ばれると思いますよ。彼は有名店でケーキ職人をしていた方なのです」
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