昨今の聖女は魔法なんか使わないと言うけれど

睦月はむ

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4[ヴィル]

救済 §1

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 俺は湖に糸を垂れ、水面に浮かぶ浮きを見ながらひとりごちた。
「どうしたらいいのだろう……」
「んあ?」親友は近くで火を起こし、持参した腸詰めを茹でると、それをパンに挟んでかぶりついていた。
「お前が今日すべきことは、高級魚を釣ることだ。そしてお前は、完璧な成果を上げるだろう」
 まるで予言者のようなクリスの言葉に、俺はポカンと口を開けていた。
 からかわれているのだろうか。いや、彼は俺がこんな時にふざけるような奴ではない。

「クリス……お前、何を言っているんだ?」
「エムブラ宮殿の中が気にならないのか?」と、彼は言った。
「それは気になるが、出禁なのだから仕方ないだろう」
「子どもの頃のお前なら、叱られる覚悟でこっそりのぞきに行こうと言い出したはずだ。おとなしくショゲているのはお前らしくない。公人だろうが私人だろうが、人はまず自分らしくあるべきだ」
 彼は悪ガキ時代を彷彿とさせる顔で、ニヤリと口角を上げた。
 俺はようやく合点がいった。

「高級魚はリアの様子を見に行くための口実か?」
「当たり前だろう。お前が出入りできないのなら別の者に行かせればいいだけの話だ。キースなんか、食事だけしに行ってリア様と話したりもしているらしいぞ?」
「なんだって!? そんなこと一言も……!」
「お前がそんなんだから言いにくいのだろう」

 クリスはリアからの報告書とユミールからの連絡、それから俺の荷物を取りに行く口実で頻繁に出入りしているキースから話を聞き、屋敷に魚を届けに行っても感染の危険性はないと判断していた。

「ま、あとはお前の健康のためもある。初めて人並みに悩んだからって塞ぎ込みやがって。体を壊したら元も子もないぞ?」
「ごめん……ありがとう、クリス」
 彼にはいつも助けてもらってばかりだった。

 ☟

 クリスがエムブラ宮殿へ魚を届けに行っている間、俺は近くにある広場で待っていた。
 そこは毎日午後三時から夕市をやっており、時間が近くなると露天商が集まってくる。場所柄、並ぶ品物は良いものが多い。
 果物売りが荷車を引いてやって来たものの、俺の近くで眉尻を下げていたので「どうかしたのか?」と声をかけた。
 俺が居た場所に普段から店を出していると言う。
「おっと、それはすまなかった」
 場所を空けてやると、彼は深々と頭を下げて出店の準備に取りかかった。

「もしよろしかったら、お味見をいかがですか?」
 果物売りが真っ赤に熟れたリンゴを差し出してきたので、礼を言って受け取った。
 平民が貴族に向かって気安く話しかけることはまずないが、こちらが平民を装っているときは話が別だ。相手が忍んでいるのなら、変な気を使わないのが良い商人の流儀だった。

 果物売りは手を休めることなく品物を並べながら「今年は小ぶりですが、とても甘いんですよ」と言った。
 確かにだいぶ小ぶりではあったが、香りがとても良い。かじるとパリっと音がして、甘い果汁が口に広がった。
「んっ、これは新鮮で美味いな」
「今年は生育が悪くて売り物にならないと言われていたのですが、次第に良い知らせが増えましてね。新しい神薙様のご加護のおかげです。二つ三つペロリといけそうでしょう?」

 咀嚼そしゃくしながらうなずいた。
 釣りに行った湖でも似たような話を聞いたばかりだ。
「今年の夏までさっぱり釣れなかったが、寒くなってからは釣れる。新しい神薙のおかげだ」と、釣り人たちが言っていた。

「当の神薙は『この国のリンゴはどれを食べても美味だ』なんて言って、自分の功績に気づいていないかもな」と、俺は冗談っぽく事実を言った。
「いやぁー、ぜひ神薙様にも召し上がっていただきたいですよねぇ」
 ほがらかに笑う果物売りは、手を動かし続けていた。

 到着が早かった露天商が威勢のいい声を上げ、客を呼び込み始めた。広場にある大時計が、ちょうど三時を告げている。
「店主、それ一袋もらえるかな。明日の朝食にしたい」
 俺はリンゴを一袋買うことにした。
「毎度ありがとうございます。よかったらこちらもお試しください」と言って、店主は別の品種のリンゴとミカンを一つずつ入れてくれた。ずいぶんと親切だ。
「どうぞまたご贔屓に」と、彼はまた深々と頭を下げた。初めからこちらの正体に気づいていたのかもしれない。

 リンゴをかじっているとクリスが戻ってきた。
「中の様子はどうだった?」
 俺が尋ねると、彼は少し声を落として「想像以上で驚いたぞ」と言った。
「婚約者殿は訓練中で会えなかったが、とても例の病の患者を抱えているとは思えないほど、屋敷の中は落ち着いていた。前に招待されて行った時と変わらない。執事長と侍女長が対応してくれた」

 俺は黙って数回うなずいた。
 あの宮殿の使用人のことを、クリスにも話しておいてやるべきだった。
「実は、あそこの使用人は少し特殊で、そういうのが得意だ」と、俺は濁した。
 彼はピクリと眉を上げ「まさか彼らは特務師か?」と小声で言った。相変わらずカンのいい奴だ。

「クリス、少し場所を変えよう」
 人のいない場所へ歩いて移動すると、彼にリンゴを一つ渡した。二人でリンゴをかじりながら話を続けた。

「全員が特務師というわけではない。要所要所に配置されている。正確には『元特務師』だ。執事長とメイド長、一番多いのは庭師だな」
 特務師は多くの功を積んでも、領地をもらって貴族になれるわけではなかった。ほとんどが生涯を「影」のまま終える。それではあまりにも不憫なため、叔父が褒賞として第二の人生を与えていた。

 神薙の屋敷は機密性の高い職場だ。彼らは特務師団の団員一覧から除名されつつも、褒賞として「最後の任務」に就いた者たちだった。
 彼らの実質の職業は特務師のままだが、表向きの職業は紛れもなく執事とメイドと庭師で、不満がないかぎりは生涯リアのもとで働くだろう。

「後から付けた女執事のミストはまだ現役なのだが、アレンが『背中を任せてもいい』とまで言うから、少し無理を言って引き抜いた」
「しかし、特務師団長は書記を欲しがっていなかったか?」
「ややこしいよな。あっちはアレンが欲しいのに、こっちではアレンがミストを寄越せと言っているのだから」

 それでもアレンが「どうしてもミストだ」と言えば、きちんと通る。
 特務師団の訓練所に通っている彼は、その内外で十分な情報収集をし、本人とも時間をかけて話をしてから提案していた。完璧な人選だった。その証拠にリアとアレンとミストの息はぴったりだ。

 特務師は家族との縁が薄い苦労人が多い。リアは何も知らず、そんな彼らを家族のように大切にしていた。
 給金付き休暇などという型破りな休日を導入し、誕生日も休みにした。結婚した者には給金付き休暇を一週間も与え、子が生まれそうだと言えば、なんで仕事なんかしているのだ、出産に立ち会え、今すぐ帰れと言って早退させる。子や孫が生まれたと聞けば産着と菓子を贈り、学校に上がれば入学祝いを贈った。
 彼女は使用人からほとんど崇拝に近い慕われ方をしている。

「あの屋敷の中は、ある種の異世界だ。リアから平静を保てと言われたら、命がけでもそのように振る舞うだろう」
「そうすると、屋敷の様子を見ても参考にならないのか」
「いいや、侍女は別だ。あの二人は多少の訓練は受けているが、内面は普通の貴族令嬢だからな。リアに同調して一緒に泣いたり笑ったりしていることが多い。侍女長の様子はどうだった?」
 俺がそう言うと、クリスは不敵な笑みを見せた。

「なるほどな。侍女長のことなら、これの話をしたほうが早いだろう」
 彼は親指を立て、従者の手元を指した。クリスと俺の従者が、それぞれ箱と袋を携えていた。
「それはなんだ?」
「聞いて驚け!」
 彼は口の端からだらしなく喜びをこぼしている。
「こっちは肉とワイン。しかも良い物だ。そっちにはホウレン草とチーズのパイ料理が入っている。たしかキッシュとか言っていた。リア様の異世界料理らしいが知っているか?」
 俺が首を振ると、彼は「団長様とお二人でどうぞ、だそうだ」と言って片目を閉じた。

 従者のキースがうれしそうにメモを差し出した。
「詳しくはこちらに書いてあります。パンはまだ少し温かいですよ」
 俺の好きな酢漬けの野菜や、ゆでた卵をリアの白ソースで和えたサラダ、蒸し鶏などを詰めた瓶に加え、パンまで用意されていた。
 従者の二人にも揚げた豚肉が挟まったサンドウィッチの差し入れがあるらしく、それも美味そうだとクリスは言った。

「帰って肉を焼けば、今、巷で話題の『婚約者殿の厨房ちゅうぼう』だ」
「待て。俺が一緒だと言ったのか?」と、俺は尋ねた。
「ん? 言ってないぜ?」
「では、なぜ……」
「『お二人で釣りに行かれていたのですよね?』と、侍女長に聞かれたぞ」とクリスは言う。
「今朝、俺の部下に会ったか?」
「会っていない」
 どういうことだ。俺が彼と一緒に釣りに行ったことを知っているわけがないのに、なぜ侍女長はそんなことを言ったのだろうか。

「——書記が婚約者殿に話したのではないか? 俺が『釣ってくる』と予告する日は、絶対にお前が一緒だ。それを知っているのは彼ぐらいだろう?」
「アレンはそんな話ができる状態なのか?」
「今日の昼から普通食に戻ったと言っていた」
「本当に治るのか? あの本に書いてあるように!」
「それはわからないが、侍女長は穏やかだったし、お前がどうしているか聞かれた。つまりそれは、婚約者殿が知りたがっているということだ。そればかりかお前の食事を気にかける余裕もある」

 クリスは俺の背中をたたくと「お前の好物ばかりだ。婚約破棄の心配もなさそうだな」と笑った。
 俺は震える両手で顔を覆い、これ以上なく深い吐息をついた。
 涙が出そうだった。
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