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【2nd】 ─ RANBU of blood ─
召喚霊七大天使
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(1)
少し進んだ辺り、30歩余り歩いてシュナヴィッツは周囲を見渡し窺ってから、パールフェリカに松明を預けた。そうして一人道を駆け戻った。黙って待っていると、しばらくして帰ってきた。
薄暗いので、離れると何をしていたのかハッキリとはわからなかったが、音で大体の想像がついた。シュナヴィッツのブーツには青緑色のややネットリした液体がついていた。トロルにトドメを刺してきたのだ。
パールフェリカが気付いているかまではミラノにはわからなかったが、つとシュナヴィッツを見上げた。息を乱した風も無く、パールフェリカから松明を受け取っている。ホルトスの言を全て信じはせず、背後の憂いを取り除いた、といった所だろう。
トロル達が眠っていようが死んでいようが、異変に気付くなり偶々ここへ来るなりした“飛槍”の者が見つけたなら──。
トロルの状態がどうであれ、その者は追っ手としてこの洞窟へ入って来る。あるいは誰ぞへ報告し、騒ぎは広がり他の者を率いてくるかもしれない。そうすると脱出は困難になる。
ホルトスの言った、まる一日起きないという言葉を鵜呑みにせず、もしトロルが起きるならそれは追っ手と共にやって来る敵戦力となる。あらかじめ敵を減らしておく為、トドメを刺して来たのだ。ミラノには一切の異論は無いが、ふと“うさぎのぬいぐるみ”を抱える細い腕に力が入った事に、気付いた。
再び、早足に2人とぬいぐるみ1体は進む。
外からこの“飛槍”の拠点に入った所──シュナヴィッツらは目隠しで歩かされた入り口──と異なり、この抜け道には砂を敷いてあって地面が岩肌全部むき出しという事はない。地面は歩き均されてもいて、平らだ。
じっくりと見れば比較的新しそうな複数の足跡と、轍のようなものも見える。馬蹄などの跡が無い事から馬車ではなく台車か何かを人がひくなり押すなりしている事がわかる。人の足ならば、追いつける。
王都側の出入りしにくい洞窟の入り口ではなく、こちらの抜け道で大人数の移動や物資の運搬されているのだろう。また、蹄の跡が無いのだからユニコーンも起きた状態で引かれているのではなく、その台車か何かに乗せられて、運ばれている可能性が高い。付き添う“純潔の乙女”が用意出来なければそうやって運ぶしかないだろう。その点は、奪取がやりやすくて良い。あちらの仲間であろうと女を人質にされたり、刃物を向けられるなどしてはさすがに動きにくい。シュナヴィッツはそういった事を図り、思案しながら足を進める。
ふと、退屈したのかパールフェリカが口を開く。足早のままなので、時折息が跳ねる。
「──そうえば、ミラノ、なんで声なくならなかったの?」
彼女なりに状況を察しているらしく、声は潜めてある。
「ミラノもセイレーンの声を聞いたのか?」
「聞きましたね」
“うさぎのぬいぐるみ”から出てくる声にはやはり感情は無い。
「なんで? なんでミラノだけ平気なの?」
「わかりません。……私が聞きたい、んですが……」
シュナヴィッツは言葉を言いかけてやめた。口を少しだけ開いたまま、“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろした。一瞬の事のように、思われたから。
今の声は、何だろうか。
相変わらずの一定のトーンで、何を考えているのか読み取れない。自分の兄ネフィリムがポーカーフェイスだと言うならば、ミラノはポーカーボイスだとでも言える。さらに今はうさぎなのでちょっとした表情の変化があったとしてもわからない。
だが、今、垣間見えたものは──……不安?
「そっか~、ミラノもわからないんならどうしようもないわねぇ」
あまり深く考えていない様子が丸見えのパールフェリカの声に、ミラノが小さく『ふぅ』と息を漏らしたのが聞こえた。
「本当に、その通りだわ」
先ほどの声とはまた異なって、今度はやや上向きだ。ただ、淡々としゃべっているようにしか、相変わらず聞こえなくも無い。だが、注意深く耳を傾けてみると、実はしっかりと感情がその声には乗っているような気が、シュナヴィッツはしてきていた。慣れてきたのかもしれない。
「あのリャナンシー、ミラノの事、変わってるって言ってたし、ネフィにいさまもよくわからないって言ってたし、なんだか大変ねぇ」
他人事である。
「パール、私達の事よ」
「うん、そう! そうなの! でもねミラノ、わかんなきゃどうしようもないでしょ?」
「そうね、そう思うわ」
「だからね、大変ねぇとしか私言えないわ」
どこかダラダラした、能天気なパールフェリカの受け答え。
「そうね、大変ね」
ミラノは相変わらず淡々と言う。パールフェリカを軽くあしらっているという印象でもない。あの、どこか沈んだようにすら聞こえた声は、パールフェリカと話している間にミラノの声からは消えている。
案外、いや、やはりパールフェリカとミラノは、良いコンビのようにシュナヴィッツには思えた。
しばらく足早に進む。口を開いたのはやはりパールフェリカである。
「暇ねー」
「……きっと今だけ。 遠からずユニコーン搬送の“飛槍”の最後尾に追いつく……あの男の言葉を信じれば、だけど」
ミラノの言うあの男とは、この抜け道の情報を提供してくれた、シュナヴィッツに顎を蹴り上げられた男の事だ。
誰が見ても得体の知れない“うさぎのぬいぐるみ”が刃物で脅してきて、自分を含む5人を襲い、ほんの数瞬で全員気絶させた男に腹を取られている。それがあの男にとっての状況だった。見た目からして華奢で下っ端風のあの男にまともな胆力など無いだろう。
「あの状況で嘘である可能性は低いと思うが。罠だろうが何だろうが、敵が居れば僕が何とかする。パールは自分の身を守る事だけを考えていろ。ミラノは、“人”になったらどういった事が出来るんだ?」
戦力の確認だ。
「今まで出来た事は、出来ると思いますが、わからないという答えが妥当です」
「何が出来るか、わからない?」
「ええ。もちろん、こうしてものを考えたり言葉を話したり……“人”が当たり前に出来る事は、それなりに出来ると思いますが……」
シュナヴィッツは慌てて口を開く──声がまた……。
「そ、そうか。わかった。だが、丸太はやめておいてくれな?」
「ものを考えられる、と言いました。ここに丸太は狭すぎます。そうですね、せいぜいここの地下4階の武器庫からものを借りる程度でしょうか。でも、それも本当に出来るのかどうか、その時やってみない事には、わからないんです」
“うさぎのぬいぐるみ”はパールフェリカの腕の中で、顔を正面からほんの少しだけ、下げた。
──そう、わからない。いい加減、わからない事が多すぎる。わからない事と忘れておくのも、それはひとつのストレスで、時間が長引く程疲れる。
鉄の女などと周囲に言われようが、ミラノとてただの人で、理性で以って築かれた価値観で己を立たせているだけなのだ。
誰とも同じように感情を持ち、ストレスを、圧力を感じる。それをどのように受け止め、受け流すかによって“鉄の女”は作られているに過ぎない。
疲労は少しずつ力を削り取る。それは肉体だけではない、心にも同じ事が言える。
胸に降りてくるこの霞を、どこかへ追いやる“何か”を……少しでも心預けられる“何か”を……じわじわと広がりつつある陰りを前に、ミラノは我知らず求め始めている──。
そして、シュナヴィッツは口を閉ざした。
しばらく駆けた後、松明を地面の砂に埋め擦り、踏みつけて消した。一瞬、先にチラリとオレンジのはためきが見えたのだ。
洞窟を利用した通路と言っても人の手が入っている。道自体がそれ程危険でない事は、ここまで半ば駆け足で来て、把握している。
シュナヴィッツは何も告げず松明を消しきって、パールフェリカと“うさぎのぬいぐるみ”を見た。2人は小さく頷いた。
(2)
「もう随分と先に行ってしまわれたろうなぁ」
「そうでもないだろう。レイムラース様は移動が遅いらしい。仕事は早くて有名だが、早く着きすぎては相手に失礼だとかで移動が遅いんだとさ。ご本人はのんびり旅が出来て良いとおしゃっていたが」
「だがなぁ、いざ急ごうと思えば、あの方の召喚獣はペリュトンだ。
山だろうが谷だろうが、空だろうが、どこでも駆けて行ける」
「確かにな。地面這って追いかける俺らの身にもなって頂きたいもんだ」
ぼやいてはいるが、言葉の端々には敬意がある。有能な上司に仕えているという自負らしきものもあるようだ。
ライトアーマーを着込み、腰に長剣を穿いた5人の男と、その後ろをトロルが5体どっしどっしと歩いている。
“人”と“モンスター”が、行動を共にしている。
話しているのはもちろん“人”の方だ。トロルらは大きな腹を揺らしてついて来ている。その大きなシルエットで、背後への注意が疎かになっていた。何せ背後には味方しか居ないと、当然思っていたから。
──きたれ、
──聖なる山を移り棲む者、“2番目”に跪く者よ。
──汝、遥けき空に雲を呼ぶ者、非情なる果断なす者よ。
──天地万物に寄り添い、大いなる慈しみを抱く者よ。
──涼やかな風ととも、神の言葉を携えたるダルダイルの契約に基づき、
──出でよ、シルフ。
──切り裂け。
離れた所から呟かれた声は、男達に聞こえなかった。
きっかけは、トロル達の「アーーー……!!」という悲鳴だ。
振り向いて目に飛びむのは、衝撃に揺れるトロルのデカイ腹と、その背後を飛び散る青緑色の液体──彼らの血だ。
トロルはその一つ目に苛烈な怒りの色を燃やし、手にした棍棒を振り上げ後ろを振り返る。青緑のドロリとした血液が散らばり、壁や男達に降りかかる。大量に出血している。深さ数センチになろうかという縦横に切り裂かれた傷がトロルの巨大な背中に数十と刻まれている。その様が男達の目前に飛び込んだ。深い傷からドッドッドッと青緑色の血が噴出している。
トロルが巨体なので後方、通路の向こうを見る事がなかなか出来ない。
だが、ほんのりと光を放っていたシルフの姿が消えてゆくのが見えた。エレメント召喚術によって呼び出される人型の召喚霊だ。他の召喚霊よりもぐっと薄い色、透明度の高い、女の姿。その背には昆虫のような、虹色の翅が生えている。が、遠くから見ればただの光、ただの風に見えてしまう事もある。
トロルの1体が太い足を上げ、駆け出す。足跡には血が混じる。
振り上げた棍棒は、振り下ろす前に停止した。
そのまま、横へドスンとトロルの巨体は倒れる。押しやった者がある。薄暗くて見えない。松明は男達しか持っていないので、トロルの駆けた先は、トロル自体の影も落ちて余計暗いのだ。
他の4体のトロルらも一斉に棍棒を手に駆け出した。
“襲撃者”に両手を振り上げたトロル達は、一斉にドスンと後ろ、こちら側へ倒れてきた。地面に、青緑色の体液の海が広がる。“襲撃者”は念入りで、巨体に足をかけ、トロル5体のその首を一体ずつ掻っ切っていった。
男達の内、松明を手に持つ者は2人。持たない者も持つ者も、腰の長剣をスラリと引き抜いた。
足音をほとんどさせず、松明に照らしだされ、トロルを踏み越えて男が一人姿を見せる。これが、トロル5体をあっという間に打ち倒した“襲撃者”。
松明の炎の色が、真っ直ぐの亜麻色の髪の上をゆらゆらと揺れる。髪そのものの色合いと火の色合いが交じり合って、それは神秘的ですらある。
刀身は下げているが、すり足気味の歩みに澱みは無く、隙が感じられない。いつでもその足は、持ち主の意図するままに動くだろう。
濃紫の上衣には刺繍が華美で無い程度に施され、白色の刺繍程、松明の光を照り返して色を変化させて煌く。
下げられた刀身から、ひたりと濃い色が地面に落ちた。トロルの血液だ。
“襲撃者”の着衣には返り血が見当たらない。素早い身のこなしが予想された。
十足の距離、“襲撃者”の1歩で、男達もまた1歩下がった。
並々ならぬ、威圧感。
こちらから誰何すべきか男達がちらちらと視線を交わしている時、あちらから声がかかる。
「ユニコーンがこの先に居ると聞いた。知っているか?」
“襲撃者”の声は明朗で、若さが見える。男達は顔を見合わせる。
──先行している仲間がガラガラと台車を引いてユニコーンを運んで行った。それはほんの数分前の事だ。
男達の一人が動き、煙玉を地面へ投げ付けた。
かっという音と共に小さな火花を散らして割れた玉から、灰色の煙が“襲撃者”と男達の間にもうもうと立ち込めた。逃走用の目隠し道具だ。男達は目印になってしまう松明2本を投げ捨て、本来の進行方向へ駆け出した。
ぜーはー喉を鳴らしながら5人の男達は、ユニコーンを捕らえ運んでいた仲間の背後に追いついた。
彼らは大八車をぐるっと囲うように15人居る。格好は似たり寄ったりの、“飛槍”の“人”の仲間である。
大八車には“襲撃者”の目当てのユニコーンが未だ気を失ったまま横たわっている。
追いついた男達は荒れる息をなんとか押さえ込み、告げる。
「おい! それを取り返しに来たヤツがいる! トロルは全滅した!」
「なに?」
「全滅ってどういう事だ!」
「相手は!? 相手は何人だ!」
逃げて来た男の1人が両膝についていた手を離し、直立した。
「ひ……ひとり……」
「は!?」
「1人ってどういうことだ!?」
ユニコーンの周囲をかためていた15名と逃げてきた5名、あわせて20名の“飛槍”の男達が騒然とする。と、元からユニコーンと居た男の一人の松明が、通路の向こうを照らす。人影が1つ、こちらへ駆けて来ている。
追いつかれたのだ。
「そこに居たか。それは僕の妹のものなんだ。返してくれるか」
「──馬鹿を言うな!」
男達は20対1ならどんな相手にも負けるわけがないと、長剣を手に手に駆け出す。松明を持った男達はぶつぶつと呪文を唱え始めている。
“襲撃者”はあっという間にこちらの手勢に囲まれている。
その頭上に、次々とサラマンダー、ピグミー、シルフが召喚される。
サラマンダーの吐き出す炎を“襲撃者”は間一髪で避け、退りながら近くに居た男に斬撃を繰り出す。が、これはピグミーの力、岩石の盾が現れ阻む。盾が真っ二つに割れて終わる。割れた岩石の盾は地面に落ち、そのまま吸い込まれるように消える。
体の沈んだ“襲撃者”にシルフの息吹が吹きかかる。が、“襲撃者”の足元には金色の魔法陣がぎゅるっと回転、瞬時に既に居るシルフと見た目そっくりなシルフが召喚される。2人のシルフの息吹はぶつかり、そこに小さな竜巻を作って消えた。
サラマンダー、ピグミー、シルフらは仕事を終えるとすぅっと空気に溶けるように消えていく。
退く“襲撃者”を追い、男達の長剣が時間差で降り注ぐ。それを地に手を付きつつ“襲撃者”はかいくぐる。斬る事が出来たのはその衣の端だけだ。
戦闘は、たった一人が相手にすぎないにも関わらず、乱戦の様相を呈す。“襲撃者”は1本の長刀を巧みに操り、その軽い身のこなしで降り注ぐ長剣をことごとく、まるで最初からそこに斬撃が振り下ろされる事を予め知っていたかのように、かわしていく。逃げる先をこちらの召喚術が狙い打ちにするが、“襲撃者”の方も金色の魔法陣を展開しては召喚術を打ち出し押し返したり、相殺してしまう。
“襲撃者”が相当の手練れで、かつ召喚術にも長けている事がわかるも、数が数である。こちらの数を削られる事も無く、じわじわと押しやっている。だが有利に見えて“襲撃者”にはかすり傷さえ負わせられていないのも事実だ。
──“一撃を!”
両陣営の脳裏に浮かぶのはこの一言に尽きる。
そして。
「に……にいさま…………!」
小さな声だったが、その声は乱戦の中に届いた。
ハラハラと見守る少女の姿を、松明の火が照らし出す。男達はそれが“襲撃者”の仲間とすぐに察し、一人が叫ぶ。
「あれを取れ!」
人質にしろという意味だ。“うさぎのぬいぐるみ”を抱えた少女は驚き、一歩下がった。
「──!」
“襲撃者”は眉をぎゅっと寄せる。
存在があらわになった少女は、慌てながらも真剣な眼差しでぶつぶつと呪文を唱え始める。ふわっと彼女の足元に、この薄暗い中、真っ白に輝く魔法陣が広がる。
「召喚術か!」
男達が足を止めた。
「ミ、ミラノォ、なんとかしてぇ!」
少女の鈴のような声が響く。
ほぼ同時、魔法陣の上に人影が現れる。
──黒い瞳がゆらりと揺れると、きしりと空気が止まったように思われた。
白い輝きの中、漆黒の髪を束ね、シャープな眼鏡をかけた知的な女が、一人。
体の線がはっきり出るグレーの上衣と、膝上のスカートからはスラリと細い足が見えている。
消え行く魔法陣の中心で、キリリと立ち、しかし淡々と穏やかな声を発す。
「………………戦う術なんて、無いのですが」
「な!? 女??」
「しゃべったぞ!? 召喚霊か!?」
「見たことないぞ!」
どよめく男達を前に、女は静かな面持ちでこちらを見ている。辺りに粛然とした緊張感が振りまかれる。
整った顔立ちに影を落とす眼鏡の輪郭。色白の肌に落ちるその影は繊細な印象を形作る。その奥、暗いせいで大きくなった瞳孔が、こちらを順番に見る。松明の揺らぐ煌きを浴びて、薄暗い中でしっとりとした黒い瞳は炎の様相を映し込む。潤む唇から、ほうと息が吐き出される。女の身にまとう空気に、男達は完全に飲まれた。
男達はただ、口をあんぐりと開けて見る事しか出来なかった。
──妖艶。
男達の数人が、はっきりと息を飲んだ。
女がふと手を持ち上げる、それだけで男の一人が身じろぎする。女はただ、頬に手を当てただけだった。
何か考えているだけらしい。
「──は、はったりだ!」
男の一人がそう叫び、“襲撃者”への攻撃を再開する。
「アレを呼べ!」
浮き足立っていた男達が冷静さを取り戻す。“襲撃者”は再び取り囲まれ、長剣が空を切り、靴が大地を打ち始める。
男達の間からサラマンダーが召喚されると、それをちらりと見た“襲撃者”が呪文を唱え始める。が、男達の召喚術が先である。その頭上に、栗色の長い髪を揺らす女、しかし腰から下と腕から先が鳥のもの。ゆるくバサリと羽ばたいた。
「セイレーン!?」
少女の声の直後『ィィィイイイイアァーー』とセイレーンの声封じの歌が響いた。
「…………!!」
少女が呻く。“襲撃者”の呪文も止まった。女は口を開いて少しだけ動かした後、首を傾げた。男達が“襲撃者”3者から一斉に離れる。
「焼き払え! サラマンダー!」
火トカゲが大きく喉を仰け反らせ、口に火炎を含み、3者の居る通路いっぱいに吐き出した。
辺りがオレンジの輝きに満ちる。炎の舌が通路を撫で上げ、光が踊る。
召喚術を封じた相手にこれは即死攻撃と言っても過言ではない。
──しかし。
サラマンダーの姿とともに火炎が通路から消え去った時。
3者の前には、大人の身長と変わらない大きさの黒い魔法陣がゆるゆると回転をしていた。
その魔法陣の前に、男達に見覚えのある、武器庫に置いてあったはずの、中でも大きな盾がそれぞれ1枚ずつ、ぷすぷすと煙を上げながら、浮かんでいたのだった。
(3)
ざらりとパンプスの踵が地面の砂を擦る。
「………………」
パールフェリカを見て「大丈夫?」と声をかけたつもりだったが、口が動いただけで音は出なかった。彼女は盾の裏で尻をつき、膝を胸に寄せ頭を抱えていた。そっと手を触れ開放してやると、パールフェリカは伺うように盾の周りを見、そしてミラノの視線に気付いた。瞬く彼女に、ミラノはただ首を傾げてみせる。長く前へ垂らしていた一房の髪がさらりと揺れる。
「……」
パールフェリカはぐっと頷いた。それを確認して、ミラノはシュナヴィッツを見る。衣や皮膚のあちこちにうっすらと血が浮いている。元々の怪我もあったろう。髪が汗で首に張り付いている。彼は膝立てて盾から敵を覗き見ていた。こちらもミラノの視線に気付くと、一つ頷いた。ミラノは頷く代わりに一度瞼を落とす。
そして、盾は黒の魔法陣に吸い込まれ、同時に魔法陣ごと空気に溶けて消えた。
「な!? なんだ!? 召喚術!?」
「ばかを言うな! セイレーンで封じたぞ!?
呪文を唱えられるものか!」
「──お前! 何者だ!」
静かに立って、ミラノは伊達眼鏡を外しつつ鋭く指差す男を見る。眼鏡はスーツのポケットにしまう。毎回しまっているのに、召喚される度戻っている。髪型も、元に戻っている。
「──……」
口を開いて言葉を少しだけ発するがすぐに止めた。声は封じられている。“うさぎのぬいぐるみ”の時には何とも無かったのに、“人”の形では封じられてしまったようだ。相も変わらずわけがわからない。その点についてはただ目線を動かして、呆れたポーズを取るしかない。
盾と魔法陣が消えると、シュナヴィッツは立ち上がり、長刀を構えなおす。パールフェリカも立ち上がろうとしたが、すぐに尻餅をついた。ミラノが“人”の姿をとって魔法陣を広げると、パールフェリカに負担が押し寄せるらしい。ふとパールフェリカとミラノの目があう。パールフェリカは実に“少年”らしく、眉間に皺を寄せ、眉尻を上げ、そして白い歯を見せてニカッと笑った。大丈夫だと、言いたいらしい。ミラノの口元にささやかな笑みが浮かび、その目が細められた。それを見たパールフェリカは力強く頷いた。
男達が再び召喚術を展開し始める。
初召喚の儀式で繋がる召喚獣・霊を除いて、もっとも簡単に使えるようになるのが“エレメント召喚術”による7属性の召喚霊の内4属性の召喚だ。その4属性の内でも初心者向けとされるのが火のサラマンダー、地のピグミー、風のシルフだ。彼らは力さえ渡せば、大体言う事を聞いてくれるのだ。水のウンディーネは水がある所にしか来てくれない。また残りの3属性である光、闇、無の召喚霊達は上級者でもなかなか召喚契約を成功させられない。
初召喚の儀式で繋がる召喚獣や召喚霊はとても、特殊な存在だ。
この世界の人々の、召喚士の魂がこの世界の獣の魂、あるいは異世界の魂と結びつけられるのが初召喚の儀式。この儀式によって、召喚士は自分にとって唯一の獣の魂、あるいは唯一の異世界の魂を召喚する事が出来るようになる。獣の方は、召喚士が形を与え、霊には語りかけその力を形にさせる。
一方で、初召喚の儀式で結びつきのある召喚獣、霊を召喚するのでは“ない”、エレメント召喚術などが存在する。
これらはこの世界に存在する“七大天使”を仲介として、異世界の霊を召喚する術である。故に、異世界の霊たるサラマンダーやピグミーなどを召喚するには、“七大天使”との契約が必須である。“七大天使”は召喚契約の儀式の時のみその姿を人に見せる。
“七大天使”は、神アルティノルドによって創られ、死後召喚獣となったリヴァイアサンと同等の存在であり、はじめから“霊”であったという。
召喚契約の儀式に姿を見せるという点では、リヴァイアサンなどより遥かに人にとって身近な存在である。“七大天使”は、世の理である初召喚の儀式で召喚士と魂が繋がれる以外での、召喚術全般を支援する為に創られた、と言っても過言ではない存在だ。神が、召喚士にその能力を与えた、つまり“七大天使”を授けたのだ。しかしながら、“七大天使”は契約の折に現れるのみで、また召喚士の能力が不足していたならば決して仲立ちしないという。
そういった一切を説明された事の無いミラノが、知る由も無いのは、当然ではあったのだが──。
男達は長剣を構え、さらに再びサラマンダー、シルフ、ピグミーを次々と召喚する。
声を封じられたシュナヴィッツが左前方3歩の距離、5歩後方にパールフェリカが膝をついてなんとか立ち上がろうとしている。
──出来る事……。
ミラノの口が小さく、言葉の形を辿った。
20名の男達はシュナヴィッツの10歩先に居て、その前にサラマンダー3匹、シルフ4匹、ピグミー2匹が現れる。
敵は召喚術があって、なおかつ人数で勝る。こちらの戦闘要員はシュナヴィッツのみ、しかも召喚術は封じられた。その上足手まといとなるパールフェリカと、自分も居る。
ミラノはそっと腕を組んで、片足に重心を移した。
──出来るかしら……“そういう”理屈が、通るかしら……。
ゆっくりと瞬く。
考えながらも、事態が差し迫っている事はちゃんと把握している。
ミラノは右前方にイメージを形作る。
そして生まれた黒い魔法陣に、男達は慌て、そこへ真っ先にサラマンダーを走らせた。
「……!」
シュナヴィッツの音なき声とサラマンダーの吐き出す火炎が吹き荒れるのは同時だった。伸ばしたシュナヴィッツの手の先をミラノに迫る炎が掠める。
が、その火炎は全て、直径1メートルの黒い魔法陣に、吸い取られるように、飲み込まれた。
「──!?」
男達のみならず、サラマンダー達も顔を見合わせた。
そして、飲み込んだ火炎を、魔法陣は天井を焦がす勢いで吐き戻す。通路に煌々と炎の灯りが大きくともる。これでは昼間の外と変わらぬ明るさだ。
「──なんだ!?」
男達がどよめく前で、さらに驚くべき事態が起きる。
ミラノに迫り、魔法陣の真正面まで来ていた3匹のサラマンダーが、その火柱に膝をつき、頭を地面に擦る程垂れたのだ。
誰もがただ息を飲んで、サラマンダーに拝まれる炎の柱を見る。
『……ず…………しい……』
炎の中心から、声。よく通る男の声ではあるが、業火に飲まれている。次の瞬間、ばさりと大きな音を立てて炎が左右に広がった、否──火柱を割って、真紅の翼が飛び出した。
ばさりと、4枚の真紅の翼。上方左右、下方左右に広がった。
ミラノはそれを背後から見上げる。
炎は翼の中心に飲まれ、そこに人らしき形が生まれる。
『我が名はイスラフィル。サラマンダー、還りなさい』
3匹のサラマンダーは益々恐縮し、そして透明度をぐっと下げ、そのまま消えてしまった。
広げていた4枚の真紅の翼をその背に折りたたんだ男は、ゆるりとミラノを振り返り、見下ろした。
男の身長は2メートルを超えるだろう。手にはその背より長い錫杖がある。これもまた赤い色をしており、先端にはラッパのようなものが4,5個、鈴なりのようにぶら下がっている。
赤銅色の肌をしていて、白銀の髪を肩の辺りで結わえている。その瞳は、燃えるように赤い。
イスラフィルと名乗った彼は、サラマンダー達のように半透明という事はなく、実体を持ってそこに立っているように見えた。
ミラノはその瞳を見上げた。ほんの数瞬の後、イスラフィルの口が動く。
『──……しかし、それは私一人では無理だ』
何に答えているのか、まず問いなど無かった。誰もがきょとんと、そのイスラフィルを見上げるばかりである。シュナヴィッツも男達も、同様だ。言葉は喉に張り付いて、出てこない。
──そもそも彼は“イスラフィル”と名乗ったのだ!
信じられないと首を左右に振る者あれど、ほかの挙動を出来る者などいない。
ミラノは目線を伏せる。どうしたものかと、また考えている。
『孔雀王を……』
イスラフィルは緩やかな口調で言い、ミラノはそれに対して首を傾げた。が、すぐにイスラフィルの横の地面に、漆黒の魔法陣が広がる。そのギュルギュルと回転する闇色の魔法陣を割って、一筋の光が天井まで貫く。その光の柱が大きく広がり、4枚の翼と孔雀のような尾羽がそこから伸びた。それは、光すら放つ白色であった。光の鱗粉が、イスラフィルの存在でオレンジに明るくなった通路をさらに白く染め上げ、辺りは眩いばかりの光に包まれる。
誰もがただ、その輝きを浴びて見上げる事しか出来ない。
光の柱が収束すると、やはりそこにも男が現れた。男はミラノを振り返る。
『──……ならば、全員よばれるのがよろしかろう』
真っ直ぐの白銀の髪は長く尾羽にかかるほどだ。肌は透けるように白い。威圧感さえある声はミラノに対して投げかけられた。
『セイレーンの悪戯も、アズライルが。そこのシルフにピグミーはダルダイルにミカル……ついでにジブリールやシェムナイルもよばれるとよいでしょう』
ミラノは首を傾げ、目線を斜めに落とした。
自分がやろうとした事はただ、召喚術というものの呪文に“だれだれの契約に基づき”とある為、その“だれだれ”を喚び出してみただけなのだ。敵の召喚術の根本であろう契約とやらを解除して欲しいと思ったからだ。
本音では、出来たらいいな程度でサラマンダーの召喚呪文に含まれていた“イスラフィル”というものを召喚したいと願って魔法陣を広げただけである。
本来、召喚契約以外では姿を見せないイスラフィルを召喚し、さらに、イスラフィルに促されるまま“孔雀王”というものを望んでみただけである。やってみた、のである。
そしてこの“孔雀王”とやらはまだけしかける。
ミラノは首をひねりながらも、場所が無いので自分の周囲、左右と斜め右後ろ、斜め左後ろ、真後ろに黒の魔法陣を広げる。
そして、その内からやはり輝く柱が立ち上り、ばさりと4枚の翼を持つ男が4人、女が1人、それぞれ現れた。皆、銀色の髪とゆったりした白い布の服を体に巻くように着ている。誰もが2メートル級の長身で、大きな翼持つ人である。
──そして“孔雀王”が手をゆるく男達に差し向ける。他の6人の翼持つ人もそれに倣う。
男達全員の足元それぞれに7つの魔法陣が生まれ、一度回転して消えた。その瞬間、ふいと、残っていたピグミーやシルフが風に飲まれるように消え去った。
──誰もがぎょっとする。
これで、完全に一致してしまった。
今、目の前に居る7人の翼ある人は、紛れも無いと。
皆見たことがあるのだ、召喚霊と契約する際、仲立ちする役目のある七大天使が現れるのを。七大天使の内、光、闇、無を司る孔雀王アザゼル、シェムナイル、ジブリールを見た者は少ないが、全て、神が創り、人に授けた、召喚の仲介者“七大天使”──。
「……七大天使?」
ミラノは記憶の端にある、彼らの名前から導かれる単語を呟いてみた。もし、自分の世界と同じであるならば、彼らの名前は、あちらの世界の七曜のルーツとなったとされる“七大天使”と、同じである。ミラノはふと手を胸元に寄せた。
「──声が……」
『セイレーンが悪さをしたようで、申し訳ございません』
ミラノの左後方に居た、4枚の翼持つ銀髪の人がそう言って頭を下げた。
『もう、あのセイレーンは2度とこちらには参りません。ご容赦ください』
その言葉に、男達の一人がぶつぶつと呪文を唱えはじめ──しかし、何も起こらなかった。そして狼狽した声を上げる。
「……うそだろうッ!?」
『あなたとの契約は……いいえ、あなた方と我々“七大天使”との間の契約は、全て解除しました』
白き孔雀王アザゼルが男達を見た。アズライルの言葉を継ぐ。
『我々がお前達と契約を結ぶことは、二度とない』
そして、ミラノを見る。
『これで、よろしいか?』
誰もが口をあんぐりと開けて、言葉を紡ぐことも出来ないでいる中、まるでセイレーンに声を奪われたかのようにある中、ミラノは7人の翼持つ者を見渡した。
「ありがとう」
その言葉を合図に、7人は消えた。
急激に薄暗い通路に戻った。
神々しい輝きに包まれていたミラノを、シュナヴィッツはただ見ていた。薄暗くなってやっと視線を外した。
ミラノは、召喚術の内、エレメント召喚術など“七大天使”が仲立ちする召喚術を、男達から完全に奪った。声を封じるなどという生易しいレベルではない。“七大天使”は契約の際にしか来ない、それを、喚び出し、あまつさえ“使った”などと──。
契約は、解除も含め本人が“七大天使”に請うて成り立つ。それを無理矢理、解除した。シュナヴィッツは自分の召喚獣ティアマトをミラノが勝手に還した事を思い出していた。それだけではない、ミラノは神の召喚獣リヴァイアサンさえ強引に帰還させた。召喚獣マニアの兄にどう報告したものか、自分の目で見た事にも関わらず、自分自身にさえ納得できるような説明が思い浮かばない。
「……どうしたら一体、こういう事に……」
シュナヴィッツがようやっと呻くように呟いた。
それに対して、ミラノが顔を向けて来る。気付いてシュナヴィッツは微苦笑を浮かべ、彼女が口を開くのをさっと手を上げて制した。
「“やれば出来た”──だろう?」
後半には笑いの混じった声で言うシュナヴィッツに、口角を上げて、ミラノは肩をすくめたのだった。
少し進んだ辺り、30歩余り歩いてシュナヴィッツは周囲を見渡し窺ってから、パールフェリカに松明を預けた。そうして一人道を駆け戻った。黙って待っていると、しばらくして帰ってきた。
薄暗いので、離れると何をしていたのかハッキリとはわからなかったが、音で大体の想像がついた。シュナヴィッツのブーツには青緑色のややネットリした液体がついていた。トロルにトドメを刺してきたのだ。
パールフェリカが気付いているかまではミラノにはわからなかったが、つとシュナヴィッツを見上げた。息を乱した風も無く、パールフェリカから松明を受け取っている。ホルトスの言を全て信じはせず、背後の憂いを取り除いた、といった所だろう。
トロル達が眠っていようが死んでいようが、異変に気付くなり偶々ここへ来るなりした“飛槍”の者が見つけたなら──。
トロルの状態がどうであれ、その者は追っ手としてこの洞窟へ入って来る。あるいは誰ぞへ報告し、騒ぎは広がり他の者を率いてくるかもしれない。そうすると脱出は困難になる。
ホルトスの言った、まる一日起きないという言葉を鵜呑みにせず、もしトロルが起きるならそれは追っ手と共にやって来る敵戦力となる。あらかじめ敵を減らしておく為、トドメを刺して来たのだ。ミラノには一切の異論は無いが、ふと“うさぎのぬいぐるみ”を抱える細い腕に力が入った事に、気付いた。
再び、早足に2人とぬいぐるみ1体は進む。
外からこの“飛槍”の拠点に入った所──シュナヴィッツらは目隠しで歩かされた入り口──と異なり、この抜け道には砂を敷いてあって地面が岩肌全部むき出しという事はない。地面は歩き均されてもいて、平らだ。
じっくりと見れば比較的新しそうな複数の足跡と、轍のようなものも見える。馬蹄などの跡が無い事から馬車ではなく台車か何かを人がひくなり押すなりしている事がわかる。人の足ならば、追いつける。
王都側の出入りしにくい洞窟の入り口ではなく、こちらの抜け道で大人数の移動や物資の運搬されているのだろう。また、蹄の跡が無いのだからユニコーンも起きた状態で引かれているのではなく、その台車か何かに乗せられて、運ばれている可能性が高い。付き添う“純潔の乙女”が用意出来なければそうやって運ぶしかないだろう。その点は、奪取がやりやすくて良い。あちらの仲間であろうと女を人質にされたり、刃物を向けられるなどしてはさすがに動きにくい。シュナヴィッツはそういった事を図り、思案しながら足を進める。
ふと、退屈したのかパールフェリカが口を開く。足早のままなので、時折息が跳ねる。
「──そうえば、ミラノ、なんで声なくならなかったの?」
彼女なりに状況を察しているらしく、声は潜めてある。
「ミラノもセイレーンの声を聞いたのか?」
「聞きましたね」
“うさぎのぬいぐるみ”から出てくる声にはやはり感情は無い。
「なんで? なんでミラノだけ平気なの?」
「わかりません。……私が聞きたい、んですが……」
シュナヴィッツは言葉を言いかけてやめた。口を少しだけ開いたまま、“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろした。一瞬の事のように、思われたから。
今の声は、何だろうか。
相変わらずの一定のトーンで、何を考えているのか読み取れない。自分の兄ネフィリムがポーカーフェイスだと言うならば、ミラノはポーカーボイスだとでも言える。さらに今はうさぎなのでちょっとした表情の変化があったとしてもわからない。
だが、今、垣間見えたものは──……不安?
「そっか~、ミラノもわからないんならどうしようもないわねぇ」
あまり深く考えていない様子が丸見えのパールフェリカの声に、ミラノが小さく『ふぅ』と息を漏らしたのが聞こえた。
「本当に、その通りだわ」
先ほどの声とはまた異なって、今度はやや上向きだ。ただ、淡々としゃべっているようにしか、相変わらず聞こえなくも無い。だが、注意深く耳を傾けてみると、実はしっかりと感情がその声には乗っているような気が、シュナヴィッツはしてきていた。慣れてきたのかもしれない。
「あのリャナンシー、ミラノの事、変わってるって言ってたし、ネフィにいさまもよくわからないって言ってたし、なんだか大変ねぇ」
他人事である。
「パール、私達の事よ」
「うん、そう! そうなの! でもねミラノ、わかんなきゃどうしようもないでしょ?」
「そうね、そう思うわ」
「だからね、大変ねぇとしか私言えないわ」
どこかダラダラした、能天気なパールフェリカの受け答え。
「そうね、大変ね」
ミラノは相変わらず淡々と言う。パールフェリカを軽くあしらっているという印象でもない。あの、どこか沈んだようにすら聞こえた声は、パールフェリカと話している間にミラノの声からは消えている。
案外、いや、やはりパールフェリカとミラノは、良いコンビのようにシュナヴィッツには思えた。
しばらく足早に進む。口を開いたのはやはりパールフェリカである。
「暇ねー」
「……きっと今だけ。 遠からずユニコーン搬送の“飛槍”の最後尾に追いつく……あの男の言葉を信じれば、だけど」
ミラノの言うあの男とは、この抜け道の情報を提供してくれた、シュナヴィッツに顎を蹴り上げられた男の事だ。
誰が見ても得体の知れない“うさぎのぬいぐるみ”が刃物で脅してきて、自分を含む5人を襲い、ほんの数瞬で全員気絶させた男に腹を取られている。それがあの男にとっての状況だった。見た目からして華奢で下っ端風のあの男にまともな胆力など無いだろう。
「あの状況で嘘である可能性は低いと思うが。罠だろうが何だろうが、敵が居れば僕が何とかする。パールは自分の身を守る事だけを考えていろ。ミラノは、“人”になったらどういった事が出来るんだ?」
戦力の確認だ。
「今まで出来た事は、出来ると思いますが、わからないという答えが妥当です」
「何が出来るか、わからない?」
「ええ。もちろん、こうしてものを考えたり言葉を話したり……“人”が当たり前に出来る事は、それなりに出来ると思いますが……」
シュナヴィッツは慌てて口を開く──声がまた……。
「そ、そうか。わかった。だが、丸太はやめておいてくれな?」
「ものを考えられる、と言いました。ここに丸太は狭すぎます。そうですね、せいぜいここの地下4階の武器庫からものを借りる程度でしょうか。でも、それも本当に出来るのかどうか、その時やってみない事には、わからないんです」
“うさぎのぬいぐるみ”はパールフェリカの腕の中で、顔を正面からほんの少しだけ、下げた。
──そう、わからない。いい加減、わからない事が多すぎる。わからない事と忘れておくのも、それはひとつのストレスで、時間が長引く程疲れる。
鉄の女などと周囲に言われようが、ミラノとてただの人で、理性で以って築かれた価値観で己を立たせているだけなのだ。
誰とも同じように感情を持ち、ストレスを、圧力を感じる。それをどのように受け止め、受け流すかによって“鉄の女”は作られているに過ぎない。
疲労は少しずつ力を削り取る。それは肉体だけではない、心にも同じ事が言える。
胸に降りてくるこの霞を、どこかへ追いやる“何か”を……少しでも心預けられる“何か”を……じわじわと広がりつつある陰りを前に、ミラノは我知らず求め始めている──。
そして、シュナヴィッツは口を閉ざした。
しばらく駆けた後、松明を地面の砂に埋め擦り、踏みつけて消した。一瞬、先にチラリとオレンジのはためきが見えたのだ。
洞窟を利用した通路と言っても人の手が入っている。道自体がそれ程危険でない事は、ここまで半ば駆け足で来て、把握している。
シュナヴィッツは何も告げず松明を消しきって、パールフェリカと“うさぎのぬいぐるみ”を見た。2人は小さく頷いた。
(2)
「もう随分と先に行ってしまわれたろうなぁ」
「そうでもないだろう。レイムラース様は移動が遅いらしい。仕事は早くて有名だが、早く着きすぎては相手に失礼だとかで移動が遅いんだとさ。ご本人はのんびり旅が出来て良いとおしゃっていたが」
「だがなぁ、いざ急ごうと思えば、あの方の召喚獣はペリュトンだ。
山だろうが谷だろうが、空だろうが、どこでも駆けて行ける」
「確かにな。地面這って追いかける俺らの身にもなって頂きたいもんだ」
ぼやいてはいるが、言葉の端々には敬意がある。有能な上司に仕えているという自負らしきものもあるようだ。
ライトアーマーを着込み、腰に長剣を穿いた5人の男と、その後ろをトロルが5体どっしどっしと歩いている。
“人”と“モンスター”が、行動を共にしている。
話しているのはもちろん“人”の方だ。トロルらは大きな腹を揺らしてついて来ている。その大きなシルエットで、背後への注意が疎かになっていた。何せ背後には味方しか居ないと、当然思っていたから。
──きたれ、
──聖なる山を移り棲む者、“2番目”に跪く者よ。
──汝、遥けき空に雲を呼ぶ者、非情なる果断なす者よ。
──天地万物に寄り添い、大いなる慈しみを抱く者よ。
──涼やかな風ととも、神の言葉を携えたるダルダイルの契約に基づき、
──出でよ、シルフ。
──切り裂け。
離れた所から呟かれた声は、男達に聞こえなかった。
きっかけは、トロル達の「アーーー……!!」という悲鳴だ。
振り向いて目に飛びむのは、衝撃に揺れるトロルのデカイ腹と、その背後を飛び散る青緑色の液体──彼らの血だ。
トロルはその一つ目に苛烈な怒りの色を燃やし、手にした棍棒を振り上げ後ろを振り返る。青緑のドロリとした血液が散らばり、壁や男達に降りかかる。大量に出血している。深さ数センチになろうかという縦横に切り裂かれた傷がトロルの巨大な背中に数十と刻まれている。その様が男達の目前に飛び込んだ。深い傷からドッドッドッと青緑色の血が噴出している。
トロルが巨体なので後方、通路の向こうを見る事がなかなか出来ない。
だが、ほんのりと光を放っていたシルフの姿が消えてゆくのが見えた。エレメント召喚術によって呼び出される人型の召喚霊だ。他の召喚霊よりもぐっと薄い色、透明度の高い、女の姿。その背には昆虫のような、虹色の翅が生えている。が、遠くから見ればただの光、ただの風に見えてしまう事もある。
トロルの1体が太い足を上げ、駆け出す。足跡には血が混じる。
振り上げた棍棒は、振り下ろす前に停止した。
そのまま、横へドスンとトロルの巨体は倒れる。押しやった者がある。薄暗くて見えない。松明は男達しか持っていないので、トロルの駆けた先は、トロル自体の影も落ちて余計暗いのだ。
他の4体のトロルらも一斉に棍棒を手に駆け出した。
“襲撃者”に両手を振り上げたトロル達は、一斉にドスンと後ろ、こちら側へ倒れてきた。地面に、青緑色の体液の海が広がる。“襲撃者”は念入りで、巨体に足をかけ、トロル5体のその首を一体ずつ掻っ切っていった。
男達の内、松明を手に持つ者は2人。持たない者も持つ者も、腰の長剣をスラリと引き抜いた。
足音をほとんどさせず、松明に照らしだされ、トロルを踏み越えて男が一人姿を見せる。これが、トロル5体をあっという間に打ち倒した“襲撃者”。
松明の炎の色が、真っ直ぐの亜麻色の髪の上をゆらゆらと揺れる。髪そのものの色合いと火の色合いが交じり合って、それは神秘的ですらある。
刀身は下げているが、すり足気味の歩みに澱みは無く、隙が感じられない。いつでもその足は、持ち主の意図するままに動くだろう。
濃紫の上衣には刺繍が華美で無い程度に施され、白色の刺繍程、松明の光を照り返して色を変化させて煌く。
下げられた刀身から、ひたりと濃い色が地面に落ちた。トロルの血液だ。
“襲撃者”の着衣には返り血が見当たらない。素早い身のこなしが予想された。
十足の距離、“襲撃者”の1歩で、男達もまた1歩下がった。
並々ならぬ、威圧感。
こちらから誰何すべきか男達がちらちらと視線を交わしている時、あちらから声がかかる。
「ユニコーンがこの先に居ると聞いた。知っているか?」
“襲撃者”の声は明朗で、若さが見える。男達は顔を見合わせる。
──先行している仲間がガラガラと台車を引いてユニコーンを運んで行った。それはほんの数分前の事だ。
男達の一人が動き、煙玉を地面へ投げ付けた。
かっという音と共に小さな火花を散らして割れた玉から、灰色の煙が“襲撃者”と男達の間にもうもうと立ち込めた。逃走用の目隠し道具だ。男達は目印になってしまう松明2本を投げ捨て、本来の進行方向へ駆け出した。
ぜーはー喉を鳴らしながら5人の男達は、ユニコーンを捕らえ運んでいた仲間の背後に追いついた。
彼らは大八車をぐるっと囲うように15人居る。格好は似たり寄ったりの、“飛槍”の“人”の仲間である。
大八車には“襲撃者”の目当てのユニコーンが未だ気を失ったまま横たわっている。
追いついた男達は荒れる息をなんとか押さえ込み、告げる。
「おい! それを取り返しに来たヤツがいる! トロルは全滅した!」
「なに?」
「全滅ってどういう事だ!」
「相手は!? 相手は何人だ!」
逃げて来た男の1人が両膝についていた手を離し、直立した。
「ひ……ひとり……」
「は!?」
「1人ってどういうことだ!?」
ユニコーンの周囲をかためていた15名と逃げてきた5名、あわせて20名の“飛槍”の男達が騒然とする。と、元からユニコーンと居た男の一人の松明が、通路の向こうを照らす。人影が1つ、こちらへ駆けて来ている。
追いつかれたのだ。
「そこに居たか。それは僕の妹のものなんだ。返してくれるか」
「──馬鹿を言うな!」
男達は20対1ならどんな相手にも負けるわけがないと、長剣を手に手に駆け出す。松明を持った男達はぶつぶつと呪文を唱え始めている。
“襲撃者”はあっという間にこちらの手勢に囲まれている。
その頭上に、次々とサラマンダー、ピグミー、シルフが召喚される。
サラマンダーの吐き出す炎を“襲撃者”は間一髪で避け、退りながら近くに居た男に斬撃を繰り出す。が、これはピグミーの力、岩石の盾が現れ阻む。盾が真っ二つに割れて終わる。割れた岩石の盾は地面に落ち、そのまま吸い込まれるように消える。
体の沈んだ“襲撃者”にシルフの息吹が吹きかかる。が、“襲撃者”の足元には金色の魔法陣がぎゅるっと回転、瞬時に既に居るシルフと見た目そっくりなシルフが召喚される。2人のシルフの息吹はぶつかり、そこに小さな竜巻を作って消えた。
サラマンダー、ピグミー、シルフらは仕事を終えるとすぅっと空気に溶けるように消えていく。
退く“襲撃者”を追い、男達の長剣が時間差で降り注ぐ。それを地に手を付きつつ“襲撃者”はかいくぐる。斬る事が出来たのはその衣の端だけだ。
戦闘は、たった一人が相手にすぎないにも関わらず、乱戦の様相を呈す。“襲撃者”は1本の長刀を巧みに操り、その軽い身のこなしで降り注ぐ長剣をことごとく、まるで最初からそこに斬撃が振り下ろされる事を予め知っていたかのように、かわしていく。逃げる先をこちらの召喚術が狙い打ちにするが、“襲撃者”の方も金色の魔法陣を展開しては召喚術を打ち出し押し返したり、相殺してしまう。
“襲撃者”が相当の手練れで、かつ召喚術にも長けている事がわかるも、数が数である。こちらの数を削られる事も無く、じわじわと押しやっている。だが有利に見えて“襲撃者”にはかすり傷さえ負わせられていないのも事実だ。
──“一撃を!”
両陣営の脳裏に浮かぶのはこの一言に尽きる。
そして。
「に……にいさま…………!」
小さな声だったが、その声は乱戦の中に届いた。
ハラハラと見守る少女の姿を、松明の火が照らし出す。男達はそれが“襲撃者”の仲間とすぐに察し、一人が叫ぶ。
「あれを取れ!」
人質にしろという意味だ。“うさぎのぬいぐるみ”を抱えた少女は驚き、一歩下がった。
「──!」
“襲撃者”は眉をぎゅっと寄せる。
存在があらわになった少女は、慌てながらも真剣な眼差しでぶつぶつと呪文を唱え始める。ふわっと彼女の足元に、この薄暗い中、真っ白に輝く魔法陣が広がる。
「召喚術か!」
男達が足を止めた。
「ミ、ミラノォ、なんとかしてぇ!」
少女の鈴のような声が響く。
ほぼ同時、魔法陣の上に人影が現れる。
──黒い瞳がゆらりと揺れると、きしりと空気が止まったように思われた。
白い輝きの中、漆黒の髪を束ね、シャープな眼鏡をかけた知的な女が、一人。
体の線がはっきり出るグレーの上衣と、膝上のスカートからはスラリと細い足が見えている。
消え行く魔法陣の中心で、キリリと立ち、しかし淡々と穏やかな声を発す。
「………………戦う術なんて、無いのですが」
「な!? 女??」
「しゃべったぞ!? 召喚霊か!?」
「見たことないぞ!」
どよめく男達を前に、女は静かな面持ちでこちらを見ている。辺りに粛然とした緊張感が振りまかれる。
整った顔立ちに影を落とす眼鏡の輪郭。色白の肌に落ちるその影は繊細な印象を形作る。その奥、暗いせいで大きくなった瞳孔が、こちらを順番に見る。松明の揺らぐ煌きを浴びて、薄暗い中でしっとりとした黒い瞳は炎の様相を映し込む。潤む唇から、ほうと息が吐き出される。女の身にまとう空気に、男達は完全に飲まれた。
男達はただ、口をあんぐりと開けて見る事しか出来なかった。
──妖艶。
男達の数人が、はっきりと息を飲んだ。
女がふと手を持ち上げる、それだけで男の一人が身じろぎする。女はただ、頬に手を当てただけだった。
何か考えているだけらしい。
「──は、はったりだ!」
男の一人がそう叫び、“襲撃者”への攻撃を再開する。
「アレを呼べ!」
浮き足立っていた男達が冷静さを取り戻す。“襲撃者”は再び取り囲まれ、長剣が空を切り、靴が大地を打ち始める。
男達の間からサラマンダーが召喚されると、それをちらりと見た“襲撃者”が呪文を唱え始める。が、男達の召喚術が先である。その頭上に、栗色の長い髪を揺らす女、しかし腰から下と腕から先が鳥のもの。ゆるくバサリと羽ばたいた。
「セイレーン!?」
少女の声の直後『ィィィイイイイアァーー』とセイレーンの声封じの歌が響いた。
「…………!!」
少女が呻く。“襲撃者”の呪文も止まった。女は口を開いて少しだけ動かした後、首を傾げた。男達が“襲撃者”3者から一斉に離れる。
「焼き払え! サラマンダー!」
火トカゲが大きく喉を仰け反らせ、口に火炎を含み、3者の居る通路いっぱいに吐き出した。
辺りがオレンジの輝きに満ちる。炎の舌が通路を撫で上げ、光が踊る。
召喚術を封じた相手にこれは即死攻撃と言っても過言ではない。
──しかし。
サラマンダーの姿とともに火炎が通路から消え去った時。
3者の前には、大人の身長と変わらない大きさの黒い魔法陣がゆるゆると回転をしていた。
その魔法陣の前に、男達に見覚えのある、武器庫に置いてあったはずの、中でも大きな盾がそれぞれ1枚ずつ、ぷすぷすと煙を上げながら、浮かんでいたのだった。
(3)
ざらりとパンプスの踵が地面の砂を擦る。
「………………」
パールフェリカを見て「大丈夫?」と声をかけたつもりだったが、口が動いただけで音は出なかった。彼女は盾の裏で尻をつき、膝を胸に寄せ頭を抱えていた。そっと手を触れ開放してやると、パールフェリカは伺うように盾の周りを見、そしてミラノの視線に気付いた。瞬く彼女に、ミラノはただ首を傾げてみせる。長く前へ垂らしていた一房の髪がさらりと揺れる。
「……」
パールフェリカはぐっと頷いた。それを確認して、ミラノはシュナヴィッツを見る。衣や皮膚のあちこちにうっすらと血が浮いている。元々の怪我もあったろう。髪が汗で首に張り付いている。彼は膝立てて盾から敵を覗き見ていた。こちらもミラノの視線に気付くと、一つ頷いた。ミラノは頷く代わりに一度瞼を落とす。
そして、盾は黒の魔法陣に吸い込まれ、同時に魔法陣ごと空気に溶けて消えた。
「な!? なんだ!? 召喚術!?」
「ばかを言うな! セイレーンで封じたぞ!?
呪文を唱えられるものか!」
「──お前! 何者だ!」
静かに立って、ミラノは伊達眼鏡を外しつつ鋭く指差す男を見る。眼鏡はスーツのポケットにしまう。毎回しまっているのに、召喚される度戻っている。髪型も、元に戻っている。
「──……」
口を開いて言葉を少しだけ発するがすぐに止めた。声は封じられている。“うさぎのぬいぐるみ”の時には何とも無かったのに、“人”の形では封じられてしまったようだ。相も変わらずわけがわからない。その点についてはただ目線を動かして、呆れたポーズを取るしかない。
盾と魔法陣が消えると、シュナヴィッツは立ち上がり、長刀を構えなおす。パールフェリカも立ち上がろうとしたが、すぐに尻餅をついた。ミラノが“人”の姿をとって魔法陣を広げると、パールフェリカに負担が押し寄せるらしい。ふとパールフェリカとミラノの目があう。パールフェリカは実に“少年”らしく、眉間に皺を寄せ、眉尻を上げ、そして白い歯を見せてニカッと笑った。大丈夫だと、言いたいらしい。ミラノの口元にささやかな笑みが浮かび、その目が細められた。それを見たパールフェリカは力強く頷いた。
男達が再び召喚術を展開し始める。
初召喚の儀式で繋がる召喚獣・霊を除いて、もっとも簡単に使えるようになるのが“エレメント召喚術”による7属性の召喚霊の内4属性の召喚だ。その4属性の内でも初心者向けとされるのが火のサラマンダー、地のピグミー、風のシルフだ。彼らは力さえ渡せば、大体言う事を聞いてくれるのだ。水のウンディーネは水がある所にしか来てくれない。また残りの3属性である光、闇、無の召喚霊達は上級者でもなかなか召喚契約を成功させられない。
初召喚の儀式で繋がる召喚獣や召喚霊はとても、特殊な存在だ。
この世界の人々の、召喚士の魂がこの世界の獣の魂、あるいは異世界の魂と結びつけられるのが初召喚の儀式。この儀式によって、召喚士は自分にとって唯一の獣の魂、あるいは唯一の異世界の魂を召喚する事が出来るようになる。獣の方は、召喚士が形を与え、霊には語りかけその力を形にさせる。
一方で、初召喚の儀式で結びつきのある召喚獣、霊を召喚するのでは“ない”、エレメント召喚術などが存在する。
これらはこの世界に存在する“七大天使”を仲介として、異世界の霊を召喚する術である。故に、異世界の霊たるサラマンダーやピグミーなどを召喚するには、“七大天使”との契約が必須である。“七大天使”は召喚契約の儀式の時のみその姿を人に見せる。
“七大天使”は、神アルティノルドによって創られ、死後召喚獣となったリヴァイアサンと同等の存在であり、はじめから“霊”であったという。
召喚契約の儀式に姿を見せるという点では、リヴァイアサンなどより遥かに人にとって身近な存在である。“七大天使”は、世の理である初召喚の儀式で召喚士と魂が繋がれる以外での、召喚術全般を支援する為に創られた、と言っても過言ではない存在だ。神が、召喚士にその能力を与えた、つまり“七大天使”を授けたのだ。しかしながら、“七大天使”は契約の折に現れるのみで、また召喚士の能力が不足していたならば決して仲立ちしないという。
そういった一切を説明された事の無いミラノが、知る由も無いのは、当然ではあったのだが──。
男達は長剣を構え、さらに再びサラマンダー、シルフ、ピグミーを次々と召喚する。
声を封じられたシュナヴィッツが左前方3歩の距離、5歩後方にパールフェリカが膝をついてなんとか立ち上がろうとしている。
──出来る事……。
ミラノの口が小さく、言葉の形を辿った。
20名の男達はシュナヴィッツの10歩先に居て、その前にサラマンダー3匹、シルフ4匹、ピグミー2匹が現れる。
敵は召喚術があって、なおかつ人数で勝る。こちらの戦闘要員はシュナヴィッツのみ、しかも召喚術は封じられた。その上足手まといとなるパールフェリカと、自分も居る。
ミラノはそっと腕を組んで、片足に重心を移した。
──出来るかしら……“そういう”理屈が、通るかしら……。
ゆっくりと瞬く。
考えながらも、事態が差し迫っている事はちゃんと把握している。
ミラノは右前方にイメージを形作る。
そして生まれた黒い魔法陣に、男達は慌て、そこへ真っ先にサラマンダーを走らせた。
「……!」
シュナヴィッツの音なき声とサラマンダーの吐き出す火炎が吹き荒れるのは同時だった。伸ばしたシュナヴィッツの手の先をミラノに迫る炎が掠める。
が、その火炎は全て、直径1メートルの黒い魔法陣に、吸い取られるように、飲み込まれた。
「──!?」
男達のみならず、サラマンダー達も顔を見合わせた。
そして、飲み込んだ火炎を、魔法陣は天井を焦がす勢いで吐き戻す。通路に煌々と炎の灯りが大きくともる。これでは昼間の外と変わらぬ明るさだ。
「──なんだ!?」
男達がどよめく前で、さらに驚くべき事態が起きる。
ミラノに迫り、魔法陣の真正面まで来ていた3匹のサラマンダーが、その火柱に膝をつき、頭を地面に擦る程垂れたのだ。
誰もがただ息を飲んで、サラマンダーに拝まれる炎の柱を見る。
『……ず…………しい……』
炎の中心から、声。よく通る男の声ではあるが、業火に飲まれている。次の瞬間、ばさりと大きな音を立てて炎が左右に広がった、否──火柱を割って、真紅の翼が飛び出した。
ばさりと、4枚の真紅の翼。上方左右、下方左右に広がった。
ミラノはそれを背後から見上げる。
炎は翼の中心に飲まれ、そこに人らしき形が生まれる。
『我が名はイスラフィル。サラマンダー、還りなさい』
3匹のサラマンダーは益々恐縮し、そして透明度をぐっと下げ、そのまま消えてしまった。
広げていた4枚の真紅の翼をその背に折りたたんだ男は、ゆるりとミラノを振り返り、見下ろした。
男の身長は2メートルを超えるだろう。手にはその背より長い錫杖がある。これもまた赤い色をしており、先端にはラッパのようなものが4,5個、鈴なりのようにぶら下がっている。
赤銅色の肌をしていて、白銀の髪を肩の辺りで結わえている。その瞳は、燃えるように赤い。
イスラフィルと名乗った彼は、サラマンダー達のように半透明という事はなく、実体を持ってそこに立っているように見えた。
ミラノはその瞳を見上げた。ほんの数瞬の後、イスラフィルの口が動く。
『──……しかし、それは私一人では無理だ』
何に答えているのか、まず問いなど無かった。誰もがきょとんと、そのイスラフィルを見上げるばかりである。シュナヴィッツも男達も、同様だ。言葉は喉に張り付いて、出てこない。
──そもそも彼は“イスラフィル”と名乗ったのだ!
信じられないと首を左右に振る者あれど、ほかの挙動を出来る者などいない。
ミラノは目線を伏せる。どうしたものかと、また考えている。
『孔雀王を……』
イスラフィルは緩やかな口調で言い、ミラノはそれに対して首を傾げた。が、すぐにイスラフィルの横の地面に、漆黒の魔法陣が広がる。そのギュルギュルと回転する闇色の魔法陣を割って、一筋の光が天井まで貫く。その光の柱が大きく広がり、4枚の翼と孔雀のような尾羽がそこから伸びた。それは、光すら放つ白色であった。光の鱗粉が、イスラフィルの存在でオレンジに明るくなった通路をさらに白く染め上げ、辺りは眩いばかりの光に包まれる。
誰もがただ、その輝きを浴びて見上げる事しか出来ない。
光の柱が収束すると、やはりそこにも男が現れた。男はミラノを振り返る。
『──……ならば、全員よばれるのがよろしかろう』
真っ直ぐの白銀の髪は長く尾羽にかかるほどだ。肌は透けるように白い。威圧感さえある声はミラノに対して投げかけられた。
『セイレーンの悪戯も、アズライルが。そこのシルフにピグミーはダルダイルにミカル……ついでにジブリールやシェムナイルもよばれるとよいでしょう』
ミラノは首を傾げ、目線を斜めに落とした。
自分がやろうとした事はただ、召喚術というものの呪文に“だれだれの契約に基づき”とある為、その“だれだれ”を喚び出してみただけなのだ。敵の召喚術の根本であろう契約とやらを解除して欲しいと思ったからだ。
本音では、出来たらいいな程度でサラマンダーの召喚呪文に含まれていた“イスラフィル”というものを召喚したいと願って魔法陣を広げただけである。
本来、召喚契約以外では姿を見せないイスラフィルを召喚し、さらに、イスラフィルに促されるまま“孔雀王”というものを望んでみただけである。やってみた、のである。
そしてこの“孔雀王”とやらはまだけしかける。
ミラノは首をひねりながらも、場所が無いので自分の周囲、左右と斜め右後ろ、斜め左後ろ、真後ろに黒の魔法陣を広げる。
そして、その内からやはり輝く柱が立ち上り、ばさりと4枚の翼を持つ男が4人、女が1人、それぞれ現れた。皆、銀色の髪とゆったりした白い布の服を体に巻くように着ている。誰もが2メートル級の長身で、大きな翼持つ人である。
──そして“孔雀王”が手をゆるく男達に差し向ける。他の6人の翼持つ人もそれに倣う。
男達全員の足元それぞれに7つの魔法陣が生まれ、一度回転して消えた。その瞬間、ふいと、残っていたピグミーやシルフが風に飲まれるように消え去った。
──誰もがぎょっとする。
これで、完全に一致してしまった。
今、目の前に居る7人の翼ある人は、紛れも無いと。
皆見たことがあるのだ、召喚霊と契約する際、仲立ちする役目のある七大天使が現れるのを。七大天使の内、光、闇、無を司る孔雀王アザゼル、シェムナイル、ジブリールを見た者は少ないが、全て、神が創り、人に授けた、召喚の仲介者“七大天使”──。
「……七大天使?」
ミラノは記憶の端にある、彼らの名前から導かれる単語を呟いてみた。もし、自分の世界と同じであるならば、彼らの名前は、あちらの世界の七曜のルーツとなったとされる“七大天使”と、同じである。ミラノはふと手を胸元に寄せた。
「──声が……」
『セイレーンが悪さをしたようで、申し訳ございません』
ミラノの左後方に居た、4枚の翼持つ銀髪の人がそう言って頭を下げた。
『もう、あのセイレーンは2度とこちらには参りません。ご容赦ください』
その言葉に、男達の一人がぶつぶつと呪文を唱えはじめ──しかし、何も起こらなかった。そして狼狽した声を上げる。
「……うそだろうッ!?」
『あなたとの契約は……いいえ、あなた方と我々“七大天使”との間の契約は、全て解除しました』
白き孔雀王アザゼルが男達を見た。アズライルの言葉を継ぐ。
『我々がお前達と契約を結ぶことは、二度とない』
そして、ミラノを見る。
『これで、よろしいか?』
誰もが口をあんぐりと開けて、言葉を紡ぐことも出来ないでいる中、まるでセイレーンに声を奪われたかのようにある中、ミラノは7人の翼持つ者を見渡した。
「ありがとう」
その言葉を合図に、7人は消えた。
急激に薄暗い通路に戻った。
神々しい輝きに包まれていたミラノを、シュナヴィッツはただ見ていた。薄暗くなってやっと視線を外した。
ミラノは、召喚術の内、エレメント召喚術など“七大天使”が仲立ちする召喚術を、男達から完全に奪った。声を封じるなどという生易しいレベルではない。“七大天使”は契約の際にしか来ない、それを、喚び出し、あまつさえ“使った”などと──。
契約は、解除も含め本人が“七大天使”に請うて成り立つ。それを無理矢理、解除した。シュナヴィッツは自分の召喚獣ティアマトをミラノが勝手に還した事を思い出していた。それだけではない、ミラノは神の召喚獣リヴァイアサンさえ強引に帰還させた。召喚獣マニアの兄にどう報告したものか、自分の目で見た事にも関わらず、自分自身にさえ納得できるような説明が思い浮かばない。
「……どうしたら一体、こういう事に……」
シュナヴィッツがようやっと呻くように呟いた。
それに対して、ミラノが顔を向けて来る。気付いてシュナヴィッツは微苦笑を浮かべ、彼女が口を開くのをさっと手を上げて制した。
「“やれば出来た”──だろう?」
後半には笑いの混じった声で言うシュナヴィッツに、口角を上げて、ミラノは肩をすくめたのだった。
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