声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第二章

三十話 したいこと

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 今日は金曜日、俺が律樹さんについて学校に行った日からあと少しで一週間が経つ。
 
 あの日の夕方から、俺のスマホには壱弦からのメッセージが届くようになっていた。初めは続いたってどうせ一日や二日程度のことなんだろうと思っていたのだが、気づけばあれから毎日メッセージのやり取りをしている。勿論お互いに日々の勉強の妨げにならないように気をつけながらではあるが、実際のところは俺にもわからない。
 まあやり取りとはいっても学校で今日あったことなど壱弦の話を聞くことがメインで、俺から話をすることはあまりない。それは俺にはほとんど話題がないことをお互いにわかっているからで、壱弦からも無理矢理俺から何かを聞き出そうという圧を感じないので気楽だ。

(律樹さん……早く帰ってこないかなぁ……)

 勉強の休憩がてらベッドの上に腰掛けながらスマホを見る。そしてそのまま後ろ向きにゆっくりと倒れ、仰向けのまま寝転んだ。ギシッと音を立ててマットのスプリングが弾む。遅いなぁ、なんて思いながらスマホの左上に表示されている小さな時計を見れば、いつも律樹さんが帰ってくる時間をとうに過ぎていた。

(連絡もないし……もしかして何かあった……?)

 いつもなら何かあればすぐに連絡が来るのに、今日は連絡が来ない。ごろんと横向きになってスマホを見てみるがやはり新着通知はなかった。
 
 むくむくと湧いてくる不安と心配。何もなければいいが、もし何かあったらどうしようと不安になる。スマホを手に持ったままごろんと寝返りを打ち、再びスマホの画面を見てみても律樹さんからの連絡はなかった。

(探しにいく?……いや、この家から出ちゃダメだって律樹さんが言ってた。……でも、律樹さんに何かあったらどうしよう)

 頭の中でぐるぐる考えるが答えは出ない。ベッドの上で転がるように何回もごろごろと寝返りを打っていると、ピロンとスマホが音を立てた。その音に飛びつくようにスマホを覗くとそこには俺の予想通り新着通知一件の文字が表示されていたが、残念ながら律樹さんではないようだ。

(あ……壱弦からだ)

 メッセージの主は壱弦だった。どうやら俺を遊びに誘ってくれているらしい。誘ってくれること自体は素直に嬉しかったが、俺はすぐに行くという返事が出来なかった。
 最近やっと杖や車椅子なしで生活できるようになったとはいえ、それでもまだ他の人に比べれば歩くのが遅い。どこに行くかも何をするのかもわからないが、行き先や遊ぶ内容によっては返事が変わってくるだろうと思い返事に悩む。

 なんて返事を送ったらいいかなと心の中で唸りながら考えていると、またスマホがピロンと音を立てた。まだ返信送ってないのにと画面を見るが、今度はどうやら壱弦からではないらしい。えっ、と驚きつつ届いたメッセージを見ると、それは待ちに待った律樹さんからの連絡だった。

『ごめん、急な残業で遅くなった。今から帰るね』

 帰るという文字にほっと息を吐く。残業はあったようだけど、兎に角律樹さんの身に何かあったわけではなくて本当に良かったと安堵しながら、了解という文字と可愛い猫が描かれたスタンプを送った。
 
 今から帰るということはあと二十分くらいで家に着くということだ。俺はいそいそと机の上に広げていた教科書やらタブレット端末やらノートやらを片付け、風呂場へと向かった。昼間に洗っておいたので今はお風呂の栓をして、お湯張りのボタンを押すだけだ。これで律樹さんが帰ってきたらすぐに一緒に入ることができると思いながら居間に向かうと、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
 こんな夜遅くに誰だろう、と思いつつも俺は今度こそ約束を守るために聞こえないふりをした。とはいってもこの居間には電気がついているし、お風呂を入れている音もしているため、もしかすると居留守を使っているとばれているかもしれない。しかし俺の方ももう約束を破るつもりはないので、ただじっと居間で耳を塞ぎながら耐える。

 暫くしてチャイムの音が止んだ。諦めてくれたのかな、なんて思っていると微かに鍵を弄るようなカチャカチャという音が鳴り始めた。あれ、もしかして律樹さんだったのかななんて思いながら居間の扉から少し顔を出すが、外側はよく見えない。一応律樹さんに連絡を入れて確認してみるかとスマホを見てみると、いつの間にか新着メッセージが届いていた。

『最近ご近所で空き巣被害が何件かあったらしいから、戸締りしっかり気をつけてね。俺が帰るまで玄関を開けたらだめだよ』

 空き巣、その言葉を見た瞬間心臓が変な音を立てた。いやでもこの居間には電気がついているし、外では生活音も鳴っているはずだ。そんなところに見つかる危険を犯してまで空き巣が入ってくるだろうか。
 どうしよう、どうしようとは思っているのに何も案は浮かばない。俺が悩んでいる間も玄関からはカチャカチャと音がする。

 律樹さんから今帰るってメッセージが来てからどのくらい経ったのだろう。もう二十分経ったかな、まだかなとスマホの画面を見る。
 それと同時に玄関から音が止み、代わりに話し声が耳に届いた。男の人だろうか、陽気に笑っている声が聞こえる。もう一方はと聞き耳を立ててみると、それが俺の待ち侘びていた声だとわかった。俺は居ても立っても居られなくて、足をもつれさせながら急いで玄関の方に向かう。この扉の向こうに律樹さんがいる、良かった帰ってきたんだと思いながら玄関扉を開けると、やっぱりそこには律樹さんがいた。

「あれ、弓月?どうしたの?」
「……?」

 玄関扉の向こう側には律樹さんしかいなかった。さっきまで話し声が聞こえていたはずなのにときょろきょろと辺りを見回していると、不意に頭に温もりが触れた。

「ああ、もしかしてさっきの聞こえた?なんかね、酔っ払った近所の方が自分の家と間違えたみたい。ここが俺の家だとわかったらすぐに帰って行ったよ。家の鍵を差し込んでも入らないからなんでだろうと思ってたんだって」

 そんな律樹さんの言葉に安堵したのか、全身から力が抜けていく。ふらりと傾いだ俺の身体を律樹さんはいとも容易く片手で受け止めてくれた。すんと鼻を鳴らすと同時に俺の好きな香りが鼻腔を擽り、俺はほっと息を吐き出した。

「……もしかして怖かった?」

 律樹さんを見上げながら怖かったと素直に頷くと、彼は眉尻を下げながら「そうだよね、ごめん」とへらりと笑った。



 一緒にお風呂に入り、ご飯を食べていつも通りソファーに腰掛けながらテレビを見る。今日はどうやら去年あたりに放映されたらしい映画の初放送日らしく、番組の合間では「初放送記念のプレゼント企画」という旨の情報が何度も流れていた。その様子をぼんやりと眺めながら俺はちらりと隣に座る律樹さんの顔を見る。少しとはいえ同じ血が流れているとは思えないその綺麗な顔にそっと手を伸ばして頬に触れると、彼の肩がぴくりと小さく跳ねた。

「どうしたの?」

 俺に向けられるその表情や眼差しは優しい。俺はそんな律樹さんに見つめられるのが好きだった。
 俺は口をある形に動かすと彼は驚いたように一瞬目を見開き、それから眉尻を下げながら微笑んだ。
 
「ああ、そういえば今日はまだだったね。……いいよ、しようか」

 その言葉にこくりと頷き、ソファーから立ち上がって彼の前に立つ。律樹さんはテレビのリモコンを手に持って電源を切り、俺を見た。

Kneelお座り

 律樹さんが発したコマンドに従い、俺の身体は床にぺたんと座り込んだ。身体中が律樹さんから与えられるコマンドに打ち震えているのがわかる。まだコマンドは一つだけなのに、もうふわふわとした心地がした。

「ふふ、まだ一つ目なのにもう目が蕩けてる」
「……っ」
「そうだなぁ……今日はしっかりと約束が守れたみたいだし、ご褒美をあげようか。俺に、弓月のして欲しいことを教えて?」

 はいと彼のスマホを渡され、俺はぺたりと座ったままそれを受け取った。画面にはすでにメモアプリが表示されており、俺は言われた通りして欲しいことをぽちぽちと文字を入力していく。
 律樹さんにして欲しいことはいっぱいある。手を繋いで欲しい、頭を撫でて欲しい、抱きしめて欲しい――そこまで考え、ふと顔を上げて彼を見上げた。そして思い浮かんだある想いに全身が熱くなる。

(え、あっ……俺、今なにを……っ)

 俺は慌てて顔を伏せて、スマホの入力に集中する。三つ入力し終わった時点で俯いたまま律樹さんにスマホを渡すと、頭上で彼がくすくすと笑う声がした。

「もう、弓月は本当に欲がないというか、可愛いというか……でも本当にこれだけでいいの?」
「……!」

 本当はもう一つ浮かんだことがある。でもそれを言えばきっと律樹さんは俺のことを気持ち悪く思うかもしれない。
 俺は以前お風呂場でやらかした通称チョコレート事件のことを思い出した。あの時、無意識とはいえ俺がしようとしてしまったキスを、律樹さんは咄嗟にコマンドを使って回避していたのだ。
 俺と律樹さんは男同士であり、従兄弟だ。しかも俺は恋人などではなく、彼に散々お世話になっている言うなれば居候の身である。そんな奴に唇が狙われていると知ったらきっと気が気ではないだろう。

「なにを言っても大丈夫だよ。弓月のお願いなら叶えてあげたい。……言ったでしょ?俺は弓月のお願いを我儘だとか迷惑だなんだって思ってない。例えどんなことであっても、俺は叶えてあげたいって思ってる」
「……っ」
「だから教えて?弓月がしたい事、全部」

 ああ、なんでこんなにもこの人は優しいんだろう。目頭が熱くて痛い。差し出されたスマホを俯いたまま受け取り、先程の何倍も時間をかけて俺は文字を入力していく。この後の律樹さんの反応を予想すればするほど嫌な想像が湧いて出てきて、心臓がドックンドックンと痛いほどに音を立てている。『キスしたい』というたった五文字を入力するだけなのに、俺はどれだけの時間を使っているんだろう。

 最後の文字を入力し終わり、俺は震える手で律樹さんにスマホを手渡した。もちろん顔は俯いたままだ。
 俺からスマホを受け取った律樹さんが息を呑んだのがわかった。やっぱり気持ち悪かったのかな、なんて頭が下がっていく。沈黙が痛い。さっきまでのふわふわとした感覚なんてどこかに消え去ってしまって、今はただだ痛かった。

「……わかった」

 そんな沈黙を破るように律樹さんがそう呟いた。

 
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